愛憎編22話 哀愁の悪徳法務官
「これから軍法会議に出廷する被告人が、ニンニクたっぷりの餃子を三人前も食べるだなんて……」
央夏一番から取り寄せた出前は、リリスさんを呆れさせた。
「見ろよ、リリス。これぞ岡持ちって感じだよな!クラシカルで、最高じゃん!出前のお兄さんもラーメン柄の服がバッチリ似合ってるし!」
岡持ちをペントハウスの床に置いたお兄さんは、照れてるのか困ってるのか、微妙なラインの笑顔を浮かべている。ドレイクヒルまでの足は絶対、原付バイクだ。賭けてもいい。
「少尉、その模様はラーメン柄じゃなくて…」
「
「5700Crです。この模様は雷文って言うんですね。親父っさんもラーメン柄って呼んでるから、てっきりそうだと思い込んでました。」
町中華は果てしなく日本料理に近いからな。町央夏も、果てしなく覇国料理なんだろう。
「餃子三人前にニラレバ炒め二人前、チャーシュー麺と担々麺。少尉は本日も平常運転ね。」
「臨時列車を出すような事件なんぞ起きちゃいないからな。リリスは天津飯だけでいいのか?」
「私は少尉ほど、食も神経も太くないのよ。ヒムヒムはミニ央夏丼、相変わらず新妻の手料理以外は少食なのねえ。」
「官舎限定の健啖家だな。お兄さん、釣りはいらないよ。落ち着いたら店に食べに行くから、親父さんによろしく言っといてくれ。」
一万Cr紙幣をお兄さんに渡したが、遠慮する素振りを見せたので、振り向かせて背中を押す。店員さんの質は店の質に直結するから、央夏一番はやはり下町の名店なのだろう。
背中を押されたお兄さんは、"応援してます。頑張ってください"と言ってくれたから、事件の噂は下町にまで広がっているに違いない。カプラン元帥とトガ元帥の連名で、統合作戦本部にいた軍人全員に箝口令が発布されたらしいが、ザラゾフ元帥の名がない以上、ルシアンマフィアは意に介さない。
誰も調査などしていないが、"宴会大好きルシア閥"の外食率が高いのはわかりきってる。強者を尊ぶ気風の彼らは、ボスが認めた"殿堂入り兵士"を虚仮にした忠春の悪評を拡散しただろう。情報操作の意図はなく、単に"あの野郎は虫が好かない"からだが。
「噂は下町にまで広がってるみたいね。主犯はイワン、共犯は
イワンはルシア人を、太郎次郎は覇人を指すスラングだ。
「そんなところだろう。リリス、いつものようにシェアするよな?」
オレとリリスさんは出前を取った時は小皿で料理をシェアする事がほとんどだ。貴族体質を維持している元伯爵令嬢は、色んな料理を少しづつ食する主義なのである。
「限定解除健啖家の少尉は、外でも官舎でも美味しい料理を食べたいでしょ。だったら専属シェフに勉強させておいた方がいいはずよ。」
リリスは餃子もニラレバ炒めも麺類も得意だけどな。つーか、苦手な料理に心当たりがねえよ。
「では学びの機会を進呈しよう。しまったな、揚げ物も頼んどくんだった。」
オレってば、町中華の豚唐が大好きなんだよな。なんでメジャーにならんのかわからん名選手だ。町央夏をテーブルの上に並べ終えた頃に、ヒムノン室長がやってきた。オレらの滞在するペントハウスの真下がロイヤルスィートだから、会食するには便利だ。
「カナタ君、もう少し粗食に慣れておかないと、拘置所に入った時に辛いと思うがね。」
「ヒムヒム、"今回の件は私に任せておきたまえ"なんて大見得を切るもんだから何もしないでいたけど、もし少尉が投獄されたりしたら、そのドジョウ髭を引っこ抜くわよ。」
「ハハハッ、私は自慢の髭を守る為にも奮闘せねばならない訳だ。ま、大船に乗ったつもりで任せてくれたまえ。私は元はトガ閥の法務士官だったから、彼らのやる事などお見通しだよ。」
すっかり忘れてたな。当時は無派閥だったヒンクリー少将にお目付役として派遣された副官がヒムノン中佐だったっけ。
「そういやそうですね。ヒムノン室長は兎我チルドレンだった。」
「誤りを訂正しておこう。
「室長は"兵站路の母"の教え子だったんですか!?」
凶弾に斃れた兎我中将は、同盟加盟都市を網羅する物流ネットワークを構築した功労者と称えられている。兵站整備の観点からしても偉大な業績だが、優れた物流ネットワークのお陰で加盟都市間の交易も活発になり、国力に劣るはずの同盟軍が、機構軍に対抗出来る要因の一つにもなっている。
「うむ。実を言えば、機構領から夜逃げしてきた私は特待生どころか、士官学校に入学する事も叶わぬ身だったんだ。"亡命時に満10歳に達していた亡命者の子弟は、格段の事情がない限り、本校への入学を認めない"という規定があってね。」
「幹部候補生の思想に疑義を挟む余地がないようにしようってルールね。で、格段の事情を融通してくれたのが、まだ存命だった兎我准将だったって事か。」
レンゲをクルクル回すリリスに向かって、ヒムノン室長は頷いた。
「兎我准将の推薦状がなければ、受験資格は得られなかっただろう。准将は忙しい身でありながら、エバーグレイス学園で特別授業も行っておられたんだ。私は"兎我ゼミ最後の受講生"なのさ。准将から頂いたAAA評価は私の誇りだよ。」
「それで恩義に報いる為に、トガ閥に入ったんですね。」
ヒムノン室長はオレの言葉には首を振った。
「そんな美談ではないよ。当時の私は立身出世を第一に考えていた。戦闘実技は落第スレスレだった私が出世したければ、官僚畑を歩むしかない。私が卒業した頃はアスラ派が台頭する前だったから、官僚畑はトガ閥の独占状態。選択の余地がなかっただけだよ。」
「室長、答えにくいなら無理に返答せずとも構いませんが……ゼミの同期生や先輩から、声がかかってるんじゃないですか?」
央夏丼を食す手を止めた室長は、お髭の先を指で弾きながら答えた。
「カナタ君は本当に政争向きの性格をしているね。確かに同期生からも先輩からも、探りの手紙や電話をもらっている。逐一、司令に報告しているがね。」
「それって派閥の乗り換えの相談じゃないでしょうね!ちょっとムシが良すぎるんじゃない? ヒムヒムが冷遇されていた時には、何もしてくれなかった連中が、どのツラ下げて…」
ヒムノン室長は怒る小悪魔を穏やかに諭す。
「私だって、トガ元帥の不興を買って冷遇された同僚を庇いもせず、見て見ぬフリを決め込んでいたんだ。彼らの事をどうこう言える立場ではないよ。……今日の軍法会議で潮目が変わるかもしれないね。」
「決壊寸前のダムが崩壊を迎えると? そこまで結束が緩んでいるんですか?」
教授のレポートには"トガ閥を支えているのは、40~50歳台の優れた実務能力を持つ教え子達だ。中堅からベテランの彼らが自らの教え子である若手を抱える徒弟制だと思えばいい。意固地な大先生をどうにかするより、その下の先生方を取り込む方が早い。そうすれば生徒もついて来る。恩義と権威と実利で結ばれた徒弟制を崩すのは、
「官僚体質が色濃いとはいえ、トガ閥だって軍閥なのだよ。"トガの弱兵"どころか"惨敗の代名詞"のような有り様を見ていれば、誰だって先行きに不安を覚える。忠秋大佐がご存命なら、こんな事にはならなかっただろうが……」
殿堂入り兵士"一角兎"の戦死は痛恨だったに違いないが、トガが人材を大事しないから負けるんだ。ヒムノン中佐をまるで不向きな前線に送り込んだり、派閥唯一の武闘派のビロン少将を冷遇したり、枚挙に暇がねえよ。
それ以前に、※ヒムノン中佐の直属の上官がビロン少将だったってのも意味がわからん。ビロン少将は典型的な前線指揮官で、インテリの活用法なんかわかっちゃいねえぞ。ギャバン少尉が奥方似のインテリだったから、今はバランスが取れちゃいるがな。
あ!ビロン少将はトガ元帥の力を借りて、ライバルのヒンクリー少将に嫌がらせをしたんだ!戦術にも戦闘にも弱い部下を、お目付役という名目で
おっと。過去のいざこざはさておき、これからを考えねえと。
「トガ閥が崩壊すれば、後方支援に悪影響が出ます。室長がどういう法廷戦略をお考えなのかわかりませんが、ある程度の譲歩はしてもらって構いません。」
悪徳弁護法務官はカプラン元帥と相談しながら今日を迎えたはずだが、具体的な戦略は聞いていない。任せると言った以上は"良きにはからえ"がオレの流儀だ。
「……全てを勘案した上で戦略を描いた。やれやれ、今年も兎我中将の送葬式典への出席は拒否されるだろうね。恩人の御霊を慰撫する式典だけは、なんとか出席したかったのだが……」
去年も出ようとしていたが、アスラ派に入った室長の出席をトガは拒否したんだな? ケツの穴が小さい爺さんだぜ。
「式典への出席者数は派閥の権威を示すバロメーターだ。送葬式典の前に軍法会議を開廷するって事は、トガは勝てると踏んでいるんだろう。」
「うむ。なんらかの成算があるに違いない。……成算が凄惨に化けなければ良いがね。」
冷ややかに論評した室長は、ズズッとジャスミン茶を啜った。軍法会議は2時間後だ。呑む蔵クンを起動させりゃいいんだから、ビールでも飲むか。
……いや、やっぱりやめておこう。室長の哀愁を帯びた表情が"古巣の崩壊"を物語っている。送葬する側の礼儀として、襟を正しておくべきだろう。
※ヒムノン中佐の直属の上官がビロン少将
前作の出張編11、12話参照。
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