愛憎編21話 雲上人を夢見て



※タダフユ・サイド


「気付いたようだね。大尉待遇ではなくなった剣狼は、大隊指揮権を喪失する。であれば、一度解散した後に再編成するのが同盟軍のルールだ。彼のトラブル体質を考えれば、特務少尉に据え置くのではなく、功績を上げる度に昇進させておくべきだったのだよ。」


「戦功を鑑みれば、佐官になって然るべき男じゃからな。」


「そう、これは御堂少将らしからぬミスだ。本人が身軽でいる事を望んだのだろうが、リスクマネジメントを怠った。……いや、日に日に存在感を増してゆく彼にハンドリングを利かせる為、あえて据え置いたのかもしれないね。」


「じゃが案山子どもは退役して、御門の企業傭兵になるのではないか?」


「その前に私が常識外れな移籍金を提示して引き抜くのだよ。天掛特務少尉だって、自分の起こした事件が原因で、部下に辞表を書かせるのは本意ではない。交渉の余地は十分ある。」


「軍団の結束は固いと聞く。移籍金をはずんだところで、そう簡単にはゆくまい?」


曲者は不気味に、自信あり気に笑った。人間ではなく、ぬえと話している気分じゃな。


「結束は固いさ。、ね。私は彼らに"私に力を貸して欲しい。これはあくまで、剣狼が大隊指揮権を再取得するまでの避難措置だ。形式的には指揮官の座から降りるが、実戦の指揮は引き続き剣狼が執って良いと、トガ、ザラゾフ元帥から了承を得ている"と囁く。もちろん嘘ではなく、本当に彼に指揮を委ねる。タレント揃いの案山子軍団を使いこなせるのは彼だけだからね。」


武力も算術も持たない男を、アスラ元帥が儂らと同格に扱った理由がわかった。こやつの交渉術は、一軍に匹敵する。……いや、わかったのではない。忘れておったのじゃ。開戦当初の苦しい戦況の中、こやつの話術でいくつの有力都市が同盟に加わり、いくつの城塞が無血開城した事か……


ザラゾフでさえ手こずる鉄壁の要塞に、寸鉄帯びずに一人で乗り込み、立て籠もった機構軍を退去させるどころか、味方に引き入れおった男じゃったな。


「剣狼を降格させ、案山子軍団を解散させたとなれば、儂の面子もなんとか保てるのう。案山子どもを引き抜きたいのはわかったが、直属の上官の御堂少将はそれを認めまい。東雲中将に説得させるのか?」


「場合によってはね。最初に役立つのはトガ、ザラゾフ、カプラン元帥の"指揮の黙認カード"だ。御堂少将が移籍など認めないと肩肘を張るなら、三元帥は剣狼カナタの"降格した階級に則した運用"を求め、査察も行う事になる。剣狼の下で戦いたい案山子軍団は彼女に不満を持つし、アスラ派と連邦の間にも不協和音が生じるだろう。お得意の剛腕で捻じ伏せたところで、御堂少将の株は下がる。」


「アスラ元帥の娘とはいえ、あの女の株はちと上がり過ぎじゃ。市場に則した価格に戻さねばのう。」


「トガ元帥にとっては残念ながら、私にとっては好都合な事に、彼女は合理的に判断すると予想している。"天掛特務曹長が大隊指揮権を回復したら、自分の麾下に戻す"という条件をつけて、レンタル移籍を認めるだろう。」


儂がSESの開発を進めていたように、カプランも戦力強化に舵を切っておる。戦術無敗の完全適合者が率いる案山子軍団を、何としてでも手に入れたいと考えておるな?


相手の欲しがっているものがわかれば、駆け引きも出来る。自分だけが交渉上手と思ったら大間違いじゃぞ。


「レンタルとはいえ、ザラゾフ元帥が一目置く案山子軍団を指揮官ごと手に入れるのは大きい。カプラン元帥が最近進めている戦力増強路線にピッタリじゃな。」


「レンタルで終わらせるつもりはないよ。軍法会議で降格処分が下った軍人は半年間、昇進が認められない。その半年間で私は、案山子軍団に異例の好待遇を施し、恩に着せる。可愛い部下から"恩を返すまではここに留まりましょう"と進言されたら、剣狼も無碍には出来ない。もちろん案山子軍団が戦功を上げたら、私はさらなる好待遇で報いる。彼らを繋ぎ止められるのは"情の鎖"だけなのだ。」


情の鎖、か。こやつはちと変わったような気がするのう。いや、元に戻ったのかもしれん……


"軍神アスラに勝てる将帥も兵士もいませんが、戦場に絶対はありません。もし元帥に万一の事があったら、イスカさんを後継に擁立し、軍事はザラゾフ大将、内政はあなた、外交をカプラン大将で分担しながら、彼女の成長を待つべきです。最年長のあなたが身を引いてイスカさんを立てなければ、誰も引きませんよ? 身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ、ですわ"


同盟が勢力を拡大してもなお、最前線で戦い続けるアスラ元帥の危なっかしさを危惧する儂に、秋枝はそんな事を言いおったな。じゃが秋枝、儂は軍神アスラ以外の下風に立つ気などない。不遇を囲っていた儂を引き立て、重職を任せてくれた英雄が急逝した以上はこの儂が、兎我忠冬が天下を取る!


「レンタル移籍を完全移籍にするべく、儂も協力しよう。しかし剣狼は貴公子と犬猿じゃろう。どうするつもりなのじゃ?」


一葉は"貴公子"Kの防御剣術と防衛戦術を高く評価しておった。SESのさらなる改良の為に、利用する価値はある。本音を言えば、自滅待ち戦法しか出来んガード屋よりも、馬上術や格闘術まで網羅した汎用剣術"夢幻一刀流"を使う剣狼のデータが欲しいが、忠春めが台無しにしおったからな。奴を降格させる以上は、教練に呼ぶのも無理じゃろう。


「連邦の後ろ盾があり、複合企業体の大株主でもある完全適合者と、バックボーンが皆無で犯罪者上がりの完全適合者。どちらを選ぶかなど言うまでもない。ノーブルホワイト連隊ごと、トガ元帥に進呈しよう。」


よしよし、そう来ると思ったぞ。旧時代の遺物とはいえ、最高峰ならば利用価値はある。主役はあくまでSESじゃが、Kとノーブルホワイト連隊なら、占領した重要拠点の守りに就かせてもいいからのう。熱風公のような"遺物の最高峰"が出て来た時に、相打ち上等の捨て駒にも使える。


「気前がいいのは良い事じゃ。軍法会議が終わったら、所属師団の変更手続きじゃな。」


「いや、手付け金代わりに先渡ししよう。虎の子の完全適合者をそちらに渡せば、私が本気である事も証明出来るからね。ただし、取り扱いが難しい男である事は申し添えておくよ。人格のみならず、兵士としての運用法も、抱えている部下にも問題がある。早い話が部隊全員、軍務と引き換えに赦免された犯罪者だ。」


訳あり物件という事か。罪人なら遠慮はいらん。天下を取ったら、すぐさま処分じゃな。


「3000億Crから剣狼と案山子軍団の移籍協力費を差し引いても、Kとノーブルホワイト連隊の身請け料を加算すればトントンじゃな。龍ノ島解放戦の立役者を降格させれば、連邦でのビジネスに支障が出よう。カプラン元帥の尽力で全面対立は避けられても、兎我の系列企業との取引を逡巡する者が出て来る。影響の大きそうな企業をいくつか譲渡したいが、どうじゃね?」


資産価値が下がるとわかっておる企業を抱えていても益はない。"損切りは早めに"が、投資の鉄則じゃ。


椅子から立ち上がったカプランは、壁に掛けられた絵画を外し、隠し金庫から取り出した書類をテーブルの上に置いた。


「一枚目がフラム閥のニーズにマッチする兎我家所有の企業リスト、二枚目はノーブルホワイト連隊の所属師団変更誓約書だ。Kは"書類上では死人"だから、本人のサインは必要なく、拒否権もない。」


……誘導したつもりの会話も、予想の範疇じゃったか。やはり一葉には荷が重い相手じゃ。変更誓約書の日付は明日の正午になっておるな。事件が起きた直後から、絵図を描いておったのか……


「論客の面目躍如じゃのう。話が早くて助かるわい。」


「六日後に兎我中将の送葬式典が執り行われる。軍法会議はその後に開廷すべきだろうね。故人の安寧を乱すべきではない。」


アスラ元帥急逝の混乱に乗じた機構軍は、同盟領に多数の暗殺部隊を放ってきおった。その凶弾に斃れたのがよりにもよって儂の妻、兎我秋枝准将じゃった。窮地に陥った同盟軍を立て直すべく奮戦した忠秋まで戦死してしまい、両腕を失ったトガ閥は、緩やかに弱兵化していった……


優位に立った機構軍が、内輪の権力争いを始めなければ、同盟軍は敗北していたかもしれんな。


「せっかくのお心遣いじゃが、軍法会議は二日後……いや、三日後に開く。秋枝に事の顛末を報告したいからのう。」


剣狼の弁護法務官は裏切り者のヒムノンに違いない。秋枝が"教え子の中では一、二を争う逸材。度胸さえ備われば、文句なしの唯一無二"と評した手腕を侮ってはならん。御門グループの副代表に就任し、法務を取り仕切り始めた奴は、"法廷で勝つ一流"ではなく、"訴訟に発展する前に円満解決する超一流"の方針を貫き、大成功を収めておる。見た目は貧相じゃが頭脳は本物、準備時間を与えるのは危険じゃ。


クソッ!儂の元を離れた途端に有能になりおって!そんな真似が出来るのなら、なぜ最初からやらんのじゃ!……ひょっとして儂の使い方に問題があったのじゃろうか? 体のいい厄介払いが出来ると思うて小娘の申し出に乗ったのは、失着だったのかもしれん……


ええい!終わった事を四の五の言うてもどうにもならん!兎我家の覇道を邪魔するのなら、元部下だろうと排除するまでじゃ。儂はこの戦争で、糟糠の妻と孝行息子を失った。払った犠牲の大きさを考えれば、天下ぐらい取らんでどうする!


「開廷の日程を決めるのはトガ元帥だ。取引も成立した事だし、私は"はみ出し軍人との接し方"を練習する事にしよう。」


カプランがテーブルの下に手を伸ばすと部屋が微動し、上昇し始める。SESが実戦に投入されれば、カプランも儂と手を組んで良かったと胸をなで下ろすじゃろう。


「案山子軍団の無頼っぷりは、七面鳥の比ではなさそうじゃがの。」


「水泳の初心者は浅いプールで練習するものだ。政界遊泳には自信があるが、無頼漢との交遊にはブランクがある。昔取った杵柄を過信するほど、私は楽天家ではない。」


残念じゃが、若作りしてまで無頼に馴染もうとする努力は徒労に終わる。個の力に頼る時代が終わるのじゃからな。知らぬとはいえ、ご苦労な事よ。


「リアリストに譲渡する系列企業は明日中に選定しておく。時価総額2000億の企業と1000億のキャッシュが取り分でよいな?」


「実に結構。安全地帯ハートランドにある企業なら運用次第で、さらなる利益が見込めるからね。」


足元を見られはしたが、急場をしのぐ取引は成立した。これでなんとか面子は保てそうじゃが、"トガの弱兵"と揶揄されるようになって久しい。そろそろ目覚ましい戦果を上げねば、派閥の引き締めもままならんのう。儂と秋枝が手塩にかけて育てた若手軍官僚も、中堅を越えてベテランの域に差し掛かっておる。



ここが踏ん張りどころじゃ。黒子だった老雄は雲上人に駆け上がり、その座を我が子に譲る。儂と一葉の子、忠秋の生まれ変わりに天下を託すのじゃ。


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