愛憎編18話 偏屈な能吏
※タダフユ・サイド(兎我忠冬、45歳)
兎我忠冬中尉がリグリット近郊の
赴任地に慣れる度に異動を命じられるという入念な嫌がらせをされている忠冬だったが、その事はあまり気にしていない。お世辞にも人付き合いが上手いとは言えない忠冬にとっては"慣れる"であって"馴染む"ではなかったからだ。
仕事自体はどこに行こうが一緒、後方勤務のイロハを知らない連中にイかロまでを教えたら、また異動。それがここ十年の忠冬の日常であった。
「……まったく、どいつもこいつも使えん奴ばかりだ。これでもマシな方だというのが実に嘆かわしい。」
定時を少し過ぎたあたりで仕事を終えた偏屈能吏は三輪バイクで帰宅する。本当は二輪バイクに乗りたいのだが小柄な上に胴長短足、しかも並の短足ではない忠冬にとっては面倒が多い。"見栄えよりも実用性ですよ"と妻に諭された忠冬は、忠告に従って
「……今帰った。忠秋、なぜ
まず、悪い想定から質すのが忠冬の性格である。
古ぼけた官舎の狭いリビングには息子の忠秋がいた。忠冬よりは背が高いが、それでも小柄な息子は呆れたように父に向かって家にいる訳を説明した。
「おかえり父さん。ところで高校の冬季休暇って、いつ始まると思う?」
「今日から冬休みか。忠秋、新しい高校には慣れたか?」
「もちろんだよ。僕は転校のプロだからね。」
自分があちこちに異動するのは気にならない忠冬だったが、明るく振る舞う息子の姿には心が痛む。父親と違って社交的な息子は、離れたくない友達だっていたはずなのだ。偏屈さが災いして一人の友人もいない男でも、それぐらいは容易に想像がつく。
「……東へ西へ、おまえにまでこんな生活を送らせてしまってすまんな。」
「父さん、そんな顔しないでくれ!兎我忠冬は正しい事をしたんだ!上官の横領を告発した父さんを左遷させる軍が間違ってる!」
椅子から立ち上がった忠秋は力説した。忠冬が各地を転々する事になった原因は、名門貴族の上官の不正を告発したからであった。
「安普請の官舎で喚くな。近所迷惑だ。」
嬉しい癖に口から出るのはお説教。息子に対してもこうなのだから、他人に対して素直になれる訳もない。
「おかえりなさい。あなたが不正に目を瞑れば、今頃私は局長夫人だったでしょうね。」
局長夫人になり損ねた女は、ほうれん草のおひたしの入った小皿と冷えたビールを卓上に置いた。
「秋枝、私はお世辞もお追従も不得手だ。出世するタイプではない。」
「そうでしょうとも。だけど、背中を丸めた高官よりも、胸を張った平軍人であるべきよ。世渡り下手な中尉殿、今夜は湯豆腐と熱燗でよろしいかしら?」
忠冬は大の豆腐好きで夏は冷や奴、冬は湯豆腐を好んで食す。暑くも寒くもない時期は、揚げ出し豆腐を食べる事が多い。
「うむ。私が軍の高官だったら、いの一番に兎我秋枝を招聘するだろう。長く兵站畑を歩いてきた者でも、キミより上の者を見た事がないからな。その頭脳を家計簿をつけるだけに終わらせるのは勿体ない。」
兎我秋枝も元は軍人だったが、忠冬との結婚を機に退役していた。予備役に登録されてはいるが、今は専業主婦である。忠冬が今でもわからないのが"秋枝は美男子でもない偏屈な小男のどこがよかったのだろうか?"であった。
「あら、お世辞は苦手じゃなかったの?」
キッチンに向かう妻の背中に夫は声をかける。
「苦手だし嫌いだ。だから事実を言っている。」
「旦那様から高く評価されて嬉しいわ。忠秋も高校に入学した事だし、軍務に復帰しようかしら?」
「やめておけ。幻滅するだけだ。」
偏屈な夫はまたも事実を口にした。容姿は平凡でも、器量は平凡ではない才女も軍の実態はよくわかっていたので、復帰云々はあくまで冗談である。
「母さん、湯豆腐は僕の分もお願い。久しぶりに手作りの豆腐ハンバーグも食べたいな。」
忠秋も父親に似たらしく、大の豆腐好きであった。忠冬はそんな息子の手に青アザがあるのに気付く。
「忠秋、手にアザが出来ているが、学校で喧嘩でもしたのか?」
「槍術を習ってるんだ。懐に飛び込まれたら、拳でいなすのも技だから。」
「おまえが槍術を!?」
忠冬は軍人であったが、戦闘能力は一般人と変わらない。心得のある市民には、まず勝てないだろう。
「うん。書道部の先生が鬼道院流豪槍術を修めた方なんだ。……そ、それでね。"キミは熱心だし、筋もいいから、
鬼道院流豪槍術の継承者・
「支部とはいえ、誰でも入れる道場ではないと聞いているが……」
「そうなんだよ!せ、折角の機会だからさ。入門しようかと思ってるんだ。」
忠冬はピシャリと言い放った。
「好機が降って湧いたからといって、飛び付くのはよしなさい。」
「父さんは反対なんだね。……僕が小柄で武術には向いてないから。」
「違う。折角の機会だから、なんて浮ついた気持ちでは大成しないと言っているのだ。どうしても槍術を磨きたい、その熱意と覚悟が本物なら、反対などしない。」
偏屈で知られる忠冬だったが、嫌味に負けずに教えを乞う者には、持てる知識を惜しむ事なく授けていた。残念ながら、そんな者は極々少数しかいなかったのだが……
そしてその少数派は、例外なく能力を求められる平民出身の士官だった。家柄に甘える事が許されず、忠冬の能力を見抜けた者だけが、その教えを受ける事が出来たのだ。貴族が原因で冷遇された平民の忠冬は、当然ながら大の貴族嫌いで、どんなに出世しようが爵位は固辞すると決めている。残念ながら、出世の見込みは皆無であったが……
「本当に!父さん、僕は強くなりたいんだ!兎我忠秋は、知勇を兼備する男になりたい!」
豆腐の入った鍋を卓上コンロに置いた母親は、火を点けながら覚悟を問うた。
「忠秋、鬼道院流はファッション武芸ではなく、本物の古流槍術よ。入門した以上は、途中で投げ出す事は許しません。」
「うむ。大目録を授かるまで石に齧り付いてでもやり遂げる。それが入門を許す条件だ。」
両親から示された条件は厳しかったが、忠秋の決意は揺るがなかった。
「必ず皆伝位を授かる!絶対に諦めない!」
「いいだろう。秋枝、未来の一流槍術家の為にハンバーグを焼いてやれ。武芸者に必要なのは覚悟と根性、それにたんぱく質だ。まだ背丈だって伸びるかもしれんからな。」
「はい、あなた。忠秋、頑張るのよ。」
「うん!僕の夢を叶える為には、強くならなきゃいけないんだ!」
電子手帳ではなく紙の手帳を愛用する父親は、スケジュール表に目を通した。
「秋枝、今度の休みに道場へ挨拶に行く。贈答品を用意し、礼金も包んでおきなさい。」
兎我忠冬は部下や同僚から"
「忠秋、おまえの叶えたい夢とはなんだ?」
「軍人になりたいんだ。父さんのように不正を許さず、アスラ先輩のような強い軍人に!」
「アスラだと!? アスラというのは、あの御堂阿須羅の事か!」
世界統一機構の副首都リグリットに設立された士官学校"グレイスローズ学園"は、首都リリージェンの本校に次ぐ歴史と伝統を誇る。数多くの軍指導者を輩出した名門校始まって以来の問題児、御堂アスラの武勇伝。忠冬に言わせれば"素行不良"は、衛星都市でも有名だった。
15歳で入学し、18歳で卒業する兵学校を21歳になっても(暴力沙汰による度重なる停学処分で)卒業出来ない"留年王"もしくは"※マフィア跨ぎ"、同校の生徒からは"超番長"と恐れられるルスラーノヴィチ・ザラゾフもリグリットにいるので、"問題児の双璧"扱いで済んでいるが、知能犯という意味ではアスラの方が筋悪なのであった。
「そのアスラ先輩だよ。先輩は凄いんだ!彼ならきっと、機構軍を変えてくれる!」
「御堂アスラは士官学校一の問題児だぞ!兵学校の"マフィア跨ぎ"よりは少しマシという程度だ!退学処分にならないのは奇跡、いや、奴が名門貴族の当主だからだ!」
「退学にならないのは、指導教官にもアスラ先輩のファンが多いからだよ。ちなみにザラゾフ番長が退学処分を受けずに済んでいるのは、指導教官だって"命が惜しい"からさ。」
息子の解説を聞いた忠冬は目眩を覚えた。機構軍の堕落ぶりは身に染みてわかっていたが、次世代までこれでは、お先真っ暗である。
「あらあら、お二人とも凄い人なのね。一度会ってみたいわ。」
熱燗を運んできた妻は朗らかに笑ったが、夫の方は笑っていられない。
「おい秋枝、笑ってる場合か!その二人は札付きのワル、問題児の双璧なんだぞ!」
「多少のあくどさがないと、今の機構軍は変えられませんよ。あら、お客様がお見えのようだわ。友達のいない旦那様に来客なんてある筈ないし、誰かしら? 忠秋、アスラ先輩の凄さは後でゆっくり聞かせてもらうわね。」
頻繁に嫌味を言う癖に、言われるのは嫌いな忠冬は即座に怒鳴り返した。
「大きなお世話だ!友情なんてものはドラマの中にしか存在せん!」
「僕、父さんのそういうところだけは見習わない事にしてるんだ。」
父親を尊敬していても、短所も多い事を知っている息子は、言わなくても良い事を言った。陰湿な嫌味とナチュラルな皮肉の差はあっても、チクリと刺す癖があるのは、親子ともどもである。仏頂面の忠冬は玄関に向かった妻から来客の名を聞き、熱燗を噴き出しそうになった。
「あなた、噂のアスラ先輩、御堂アスラさんが訪ねて来られましたわ。」
※マフィア跨ぎ
兵学校時代のザラゾフ元帥の仇名。"マフィアも跨いで通る男"の略。間違って踏んでしまったら、とんでもなくヒドい目に遭います。二代目"マフィア跨ぎ"となった息子のアレックスは、"馬なしの馬賊"テムルとコンビを組んで、悪童ぶりを発揮しました。
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