愛憎編17話 心に響く抹殺宣言
「お久しぶりです、公爵!」
本部のゲート前にいた少年兵がビシッと敬礼する。従卒を連れ歩かない事で有名な災害閣下だが、昆布坂京司郎は例外。京司郎はザラゾフ家の一員だからだ。
「京司郎、少し背が伸びたな。閣下のお供をしているようだが、サンドラお嬢様のお世話はいいのか?」
「大奥様から、"あなた一人で世話をしていると息子夫婦の為になりません。アレックスの休暇中は、閣下のお供をなさい"と命じられました。……お嬢様、むずがってないかな。機嫌が悪いと物理的に危険なんですよね……」
少年執事はお嬢様が気になってしょうがないらしい。閣下とアレックス大佐が"紛うことなきザラゾフ家の血筋"と自慢するぐらいだから、取り扱い注意印付きの赤ちゃんなのだろう。
「おまえはサンドラを甘やかし過ぎだ。ワシはアレックスを厳しく育てたぞ。何度谷底に突き落としてやったかわからんわ、ガハハッ!」
厳父と慈母で上手くバランスが取れて、人格に優れた名将、"烈震"アレックスが誕生したんだろうなぁ。閣下だけだったら、"
バカでかいのと普通のと小さいのが作戦本部を出ると、一際高い車高を持った黒塗りダックスフントがお待ちだった。すぐに拳を振り上げる癖のある閣下が天井を破らないように設計された特注車だ。
歩幅も特大の閣下に先んじて送迎車に向かった京司郎がうやうやしく分厚いドアを開くと、閣下はサイコキネシスで軍用ケープを脱ぎ捨てた。もちろん宙を舞ったケープは少年執事がキャッチして綺麗に折り畳む。
閣下に続いて後部座席に乗り込んだオレは車内の内装に感心した。質素に見えるが、至るところに細やかな細工が施され、その実は壮麗。華美や虚飾を嫌う閣下だが、壮年の壮士だけに壮麗さを好むのだ。
肘掛け付きのシートにどっかりと腰を落とした閣下の対面に座ると、気の利く執事は備え付けの冷蔵庫からウォッカの瓶と冷製オードブルの皿を取り出す。ご丁寧にも車内のテーブルの上には、獅子のエンブレムが入った
「公爵はグラスが御入り用ですよね。ささ、どうぞ。」
閣下はお行儀悪く、ウォッカをラッパ飲みしている。グラスを受け取ったオレは、"復刻親父・参號"と銘打たれたウォッカを嗜む。……またオリジナルに近付いたようだな。
「うむうむ、一段と旨くなったな。秘蔵の酒をくれてやった甲斐があったわ。グラサン、出せ。」
「はい、閣下。」
ハンドルを握るグラサンは、静かに特注車を走らせる。家族の護衛は休暇中のアレックス大佐がやっているのだろう。
「大奥様が"災いある所に龍弟公あり"と仰る通り、公爵はトラブルに好かれておいでですね。」
閣下と一緒に騒ぎを見ていたのだろう。少年執事はクスクス笑いながら、空になったグラスに酒を注いでくれる。
「笑い話じゃねえよ。ちとやり過ぎたかもなぁ。」
千切った鼻はもう戻せまい。
「何がやり過ぎなものか!ワシならあの場で殺しておる!」
憤懣を浮き彫りにした閣下は、ウォッカの瓶底をテーブルに叩き付けた。災害閣下への贈呈品はこれを予測していたらしく、瓶の下部は金属ケースでコーティングされている。たぶん、瓶そのものも強化ガラスで出来ているのだろう。贈り主は恐ろしく気が利いているな。
「閣下なら本当に殺ったでしょうね。」
「当たり前だ!生者の最大の
憤りながら閣下は、忠春の襟首を掴んだ右手にウォッカを振りかけて消毒した。
「死に勝る恥辱ってのもありますからね。忠春は鏡を見る度に己の愚行を思い出す事になるでしょう。」
「閣下、カプラン元帥から通信が入りました。お繋ぎします。」
京司郎が何やら操作すると卓上に青い羽が舞い上がり、小人になったカプラン元帥のホログラムが現れた。青い羽が舞ったという事は、この特注車は青鳩の子機まで搭載しているようだ。鍵になる親機は各々の旗艦にしか搭載していないが、子機に関しては裁量が認められている。
「ご立腹だね、ザラゾフ。事情はコンスタンから聞いたよ。」
「わかっておるなら、なんとかせい!おまえの得意分野だろうが!」
「言われるまでもない。カナタ君、この件は私とヒムノン法務室長に任せてもらおう。」
専門外の事は専門家に任せる。それが司令みたいな万能超人ではないオレの最適解だ。
「お任せします。都合のいい事に、室長はドレイクヒルに滞在していますので。」
「キミは運がいいのか悪いのかわからないね。おっと、早速トガ元帥から通信が入ったか。おそらく密談のお誘いだね。」
派閥間でトラブルが起こった時の緩衝材にして仲裁役。アスラ派が伸長してからは東雲中将が仲裁する事も増えたが、それまではカプラン元帥がその役を一手に引き受けていた。今回はアスラ派+ルシア閥VSトガ閥の争いだから、トガ元帥としてはカプラン元帥を頼るしかない。
「吝嗇兎も頭が痛いでしょうね。早く通信に応じてあげてください。」
「シロアリみたいに大量発生した苦虫を噛み潰したのだ。さぞ機嫌が悪いだろう。」
卓上からミニカプランが姿を消した後、災害閣下は
「……カプランの奴、裏切ったりせんだろうな?」
「フフッ、確かにどっちにもいい顔をする事も、土壇場で裏切る事も可能な状況ですね。」
煮ても焼いても食えない男、日和見カプランが最も得意とするシチュエーションだ。
「笑っておる場合か!当事者はおまえだろうが!」
「この件はもうオレの手を離れました。演者だったのはさっきまでで、今は観客ですよ。」
「おまえは大物なのか小物なのか、よくわからん男だな。む、帝ちゃんから通信のようだな。京司郎、
……帝ちゃんって何だよ。知らない間にえらい親しくなってねえか?
京司郎がテキパキと通信を繋げると、またしても青い羽が舞い上がり、ミニチュア姉さんが現れた。
「カナタさん、やっぱり元帥と一緒だったのですね。どうしてすぐ姉さんに連絡しなかったのですか!」
ギャラリーの中に照京兵がいたのだろう。見ちまった以上は、報告せざるを得まい。
「姉さんの手を煩わせるような事ではありませんから。」
「カナタさんは連邦の顔です。それにシュリさんへの侮辱も看過出来ません。今、雲水に抗議文を作らせていますから。」
「帝ちゃんよ、王たる者はもっと鷹揚に構えた方が良い。ワシも一枚噛むのだから、軽々に動かぬ事だ。龍姫が出るのは、兎ヅラが本格的に出張って来てからでよかろう。」
鷹揚に構えろとか、軽々に動くなとか、閣下らしからぬ事を言ってるなぁ……
「閣下も御助力願えるのですね?」
「助力も何も、小便漏らしめは、ワシの顔にも泥を塗りおったのだ。捨ておくものか。」
「シュリさんの兵士殿堂入りをお決めになったのは、閣下ですものね。」
「うむ。帝ちゃん、この一件はワシに任せておけ。」
災害閣下が姉さんの手のひらでコロコロされてるような気がするのは、穿ち過ぎだろうか?
「戦場の伝説が加勢して下さるのなら安心です。車とお酒はお気に召しましたか?」
「上々である!帝ちゃんはセンスがあるな!」
特注車と復刻親父は姉さんからの贈答品かよ。ガチで閣下を懐柔にかかってるな、こりゃ。
「うふふっ、私ではなく雲水の差配ですの。それでは閣下、ご機嫌よう。」
人たらしスキルを証明したホログラム姉さんは、閣下にウィンクしてから姿を消した。
──────────────────
ドレイクヒルホテルに向かうのかと思っていたが、特注車はこぢんまりとしたレストランの前で停車した。白木の看板には"ジビエ料理・叉鬼"と書かれている。
「着いたぞ。この店はワシのお気に入りでな。リグリットにおる時は必ず訪ねる事にしておる。」
「マタギですか。店主は龍頭大島の出身なのかな?」
「覇人だが、出身地までは知らんな。グラサン、京司郎と一緒にドレイクヒルで休んでおれ。飲み終わったら連絡する。」
「はい、閣下。」
特注車は走り去り、閣下は樫の木で出来たドアを荒々しくノックする。よく見てみれば、まだ開店時間じゃないぞ。
コック帽を被った店主がすぐに現れ、苦笑しながら開店前に現れた客に告げる。
「閣下、開店前では十分なおもてなしが出来ませんが……」
「戦場では兵站が整う前に戦端が開かれる事など日常茶飯事だ。家内がプロだと称えた腕前を見せてみい。」
嘘は言ってないけど、閣下はどこに行っても戦場の掟を通そうとするなぁ。困ったもんだぜ。
「奥方様の評価を下げたくありませんね。やってみましょう。どうぞこちらへ。」
店主は受けて立ったか。閣下が気に入りそうなタイプの料理人だ。奥まったテーブルに案内され、間をおかずに前菜が運ばれてくる。
「公爵、食前酒と前菜の
階級と年齢に関係なく、オレの料理を先に持ってきたのは、閣下がオレをもてなそうとしていると考えたからか。そして閣下が前菜抜きでガッツリした料理を食す主義である事も承知している。
「トナカイ肉を食うとガキの頃を思い出すわ。」
閣下は運ばれてきた山盛りのローストトナカイをガツガツと頬張り、地ビールをグビグビ飲む。
「閣下は野生児だったんですか?」
「……二年間、極寒の地で己を鍛えた。狩ったトナカイを喰らいながら、答えを探し続けたのだ。たまに虎なども現れるから、退屈はせんかったな。」
「待ってください。その頃の閣下はまだ生身ですよね?」
「虎も生身だ。ワシを喰らおうとして挑んできた以上、撲殺されても文句は言えまい。試しに虎肉を喰ってみたが、喰えたものではなかったな。」
野生の世界で、直立歩行の野獣が牙を研いでいたのか。極寒世界の最強生物だった訳だ。
「閣下が鍛錬していたのはちょっと意外でした。生まれながらにただただ強く、戦場のみで鍛えた上げた力かと思ってましたよ。」
「……きっかけを作ったのはおまえの祖父、羚厳だ。」
「え!?」
「八熾の天狼に"強さの果てに何を望む?"と問われたワシは、生まれて初めて迷いを覚えた。迷いを払い、答えを得る為に、ワシに出来る事は、さらなる強さを得る事だけだったのだ。それしか出来ん男だからな。」
強いが不器用な男は、強さのみを尊ぶ道を歩んできた。だけど、今はそれだけじゃないはずだ。
「答えは得られたんですか?」
「強さへの渇望とは、海水を飲むが如しだ。飲めば飲む程、渇きが収まらなくなる。」
「………」
得れば得る程、欲望は広がる、か。
歴史を紐解けばわかる。一国の王に成り上がった英雄が成功に満足出来ず、次々と他国を征服してゆく。巨万の富を得た大富豪は、さらなる富を追及する。その途上で身を滅ぼした先人がいる事を知っていても、彼らは止まらなかった。時代の寵児でありながら、破滅や凋落を免れた者は、驚く程少ないのだ。
「この歳になってやっとわかった。答えはそんなところにはなかったのだとな。……剣狼よ、ワシが必ずネヴィルを抹殺する。奴は無限の時を生きようとも、答えに至る事がない。心の渇きを満たす為、支配と破壊を続けるだろう。」
閣下は強さを渇望し続け、ネヴィルは支配を渇望し続ける。求めるものは違っても、同類だと考えているのか……
「……わかった。戦場の伝説、災害ザラゾフが抹殺すると言った以上、奴の死は絶対だ。」
閣下を信じよう。停戦交渉はネヴィルを始末した後だ。
「心に響く言葉を聞いた時、おまえは狼の目になる。あの日見た、羚厳の目にそっくりだわい。」
山盛りの肉を平らげた閣下は指をパチンと鳴らし、次の料理を促した。
「こちらは当店自慢のリエブール・ア・ラ・ロワイヤルでございます。」
リエブール・ア・ラ・ロワイヤル。"王家の野ウサギ"と呼ばれる高級料理だ。漬け込んだ兎肉にフォアグラやトリュフ等を詰めた至高の逸品で、食材の希少さもさる事ながら、何よりこれを作れる料理人が希少とされる。
「フフッ、兎を食っておくのは縁起がいいな。」
極上の料理に舌鼓を打っているオレを眺めていた閣下は、予言めいた事を言った。
「……剣狼、おまえは力と暇を持て余しながら、気ままな生活を送れよ。女どもの尻に敷かれながら、な。」
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