愛憎編14話 論客の論理



元帥の執務室は最上階にあるのは知っていたが、間違って吝嗇兎けちうさのエリアに入ってもつまらない。明確な線引きはされていないが、最上階は三つに区分されていて、三元帥がそれぞれの縄張りとしているのだ。


案内を買って出てくれたタンタンが道すがら教えてくれたのだが、統合作戦本部の実質的な主はカプラン元帥なのだそうだ。理由は簡単で、オフィスワークが嫌いな災害閣下は滅多に本部ビルに寄り付かず、金儲けが大好きな吝嗇兎は所有する高層ビルを拠点にしている。となれば、必然的に日和見閣下が統合作戦本部を仕切る事になる訳だ。


災害閣下は政務がまるでダメ。吝嗇兎は軍事に疎い。縄張り争いの結果ではなく、バランス型で、災害閣下と吝嗇兎の双方と話が出来るジョルジュ・カプランに流れが向くのは自然な事だったのだろう。


統合作戦本部の各部署を繋ぐ大廊下が"兵士の回廊"だ。どこに行くにも、必ずここを通る構造になっている。


「少し時間をくれ。」


友の写真の前で足を止めたオレは、風呂敷包みから銀のプレートと金メッキされたビスを取り出した。


「そういう事か。僕がインパクトドライバーを持ってくるよ。」


フランクな口調になったタンタンが工具箱を取りに行こうとするのをピーコックが止める。


「剣狼にそんなもんは必要ないさ。見てな。」


オレは袖口から砂鉄を出してドライバーを形成し、プレートを写真の下に取り付ける。ビスの頭に蝉のマークが入った金飾りを取り付けてお仕事完了だ。


「いいところに来たみたいね。敬礼するなら仲間に入れて。」


所用で本部を訪れたらしい"雪豹"フィオドラを加えて、4人で顕彰額に敬礼する。


「……本当に残念よ。学ばせてもらった事を血肉にして、いつか借りを返したかった。それが叶わずとも、"強くなったね"って褒めてもらいたかったわ……」


あの戦いで雪豹も成長したのだろう。トゲトゲしさが幾分収まって、風格に余裕が出て来ている。


「本部で何度か顔を合わせていたけど、少し印象が変わったよ。以前は近寄り難い雰囲気があったから。」


同じ事を思ったタンタンの言葉が、雪豹をツンドラ地帯に回帰させる。


「私は家柄だけが取り柄の文弱に敬意を表している訳じゃないんだけど?」


少し丸くなったとはいえ、雪豹は典型的なルシア閥の女だ。強者以外に冷淡なのは変わってない。


「お言いだねえ。ボスを虚仮コケにされて黙っている程、私は大人じゃないんだよ?」


羽を広げて威嚇する孔雀、もちろん雪豹は引き下がったりしない。獰猛さを滲ませた顔で牙を剥く。


「誰だったかしら?……そうそう、思い出した。アレックス大佐にボロ負けした"紅孔雀"よね? あの無様な負けっぷりは真似出来そうにないわ。」


「小便臭い小娘に負けた訳じゃないさ。ここは一つ、世間知らずのお嬢ちゃんに現実ってものを教えてやろうか。」


放っておけば血を見るな。ピーコックは異名兵士の中では温厚な方だが、情に厚い女だから、身内を虚仮にされたら黙っちゃいない。


「よせ。どうしてもやるってんなら、二人まとめてオレが相手になろう。内輪揉めを嫌っていた空蝉修理ノ介に代わってな。」


左右に視線を動かして猛獣と凶鳥を牽制する。世間知らずとは程遠い紅孔雀はすぐに矛を収めた。


「剣狼とやり合う気なんざないさ。ただ、巣穴を守るのは孔雀の本能でね。」


事の発端は巣穴に不用意に近付いた側にある。そこだけは念を押しておかないとな。


「フィオドラ、ペリエ少佐とピーコックはオレの友人だ。非礼は詫びてもらおう。イヤならルシア式のやり方でケジメを取る。※グラサンから聞いたが、軽い侮辱にゃ骨一本、だったよな? 幸いな事に、リグリットには病院も接骨院も山ほどある。」


比喩表現ではなく目の色を変えて睨んでやると、雪豹は一歩だけ後退った。


「ぼ、僕は気にしてないから穏便に…」


「そうはいかん。親しき仲にも礼儀あり、親しくないなら尚更礼儀が必要だ。強い者が幅を利かせる。それがルシア閥なのかもしれんが、オレの仲間には適用させない。」


「…………」


フィオドラは黙ったまま二人に一礼すると、その場から立ち去った。納得はしていないが、オレの顔は立てておこうってところか。


閣下の教育の賜物とはいえ、ルシア閥の兵士は扱い辛いぜ。


─────────────────────


「よく来たね、カナタ君。紹介しておこう。縁故採用した第一秘書、ジゼルジーヌ・カプラン少尉だ。無論、任官していきなり少尉になれたのも、私の裏工作だよ。」


このオッサン、清々しい顔で縁故採用って言い切りやがったぞ。裏工作まで追加しやがるとは、悪びれないにも程がある。


「まあ閣下ったら。わかりきった事を告げられた公爵が困惑されていますわよ?」


珈琲を載せたトレイを持って現れた新任秘書は、日和見閣下の面影が散見される、悪~い笑顔を浮かべている。DNA鑑定よりも確かな親子の証だ、こりゃ。


「ジゼルさん、困惑してるのは元帥閣下ともあろうお方が、縁故採用に裏工作なんて仰るからですよ。」


名門女子大を飛び級で卒業した才媛だから、さほど不平も出なかっただろうけどな。


「うふふ。閣下が寝業師なのは、公爵もよくご存知でしょう?」


ご存知ですけど、そういう問題じゃないんだよなぁ……


「ジゼル、やっと親子である事を公表出来たのだ。誰に憚る事もなく、お父様と呼べばいい。」


……頭が痛くなってきた。ガーデンマフィアのオレが言うのもなんだが、これでいいのか同盟軍……


「閣下、ここには他派閥の公爵だけではなく、僕とパトリシアもいます!人目を憚って、公私はしっかり分けてください!」


元帥室に案内してくれた良識派タンタンが派閥のボスに苦言を呈したが、日和見閣下はどこ吹く風だった。


「ほう。コックス大尉ではなく、パトリシアと呼ぶようになったのかね。大変結構。」


論客は巧みに論点をすり替え、青年士官の追及を躱す。赤くなったタンタンは、咳払いで態勢を整えようとしたが、元帥が機先を制した。


「皆、席を外してくれたまえ。カナタ君と二人で話がしたい。」


「コンスタン、パトリシア、控えの間に行きましょう。」


お嬢様に促された二人は、揃って退出した。コンスタン、ね。タンタンはどうあっても名前を略される定めにあるらしい。


ドアが閉まった後に窓の防音シャッターも下ろした元帥は、噛み煙草を嗜みながら話し始めた。


「ジャダラン氏族の動向はどんな感じだね?」


「よそ者を迎えるのに賛成しない者はいるでしょう。ですがテムル総督が抑えられない者もいません。」


血統と実力、それに実績。テムル総督はザインジャルガ地方全域を掌握しつつある。出身母体であるジャダラン氏族に関しては、完璧に掌握済みだ。


「引退されたジャルル前総督とも内々に話をしておいたが、カナタ君と同じ事を仰っていたよ。バダル准将とアトル大佐には、前総督から話をしてくださるそうだ。」


実父で後見人である前総督の了承は既に取り付けてある、か。流石に交渉上手だぜ。


「アトル大佐は賛成するでしょう。大佐自身も祖母がセムリカ人ですから、混血に抵抗がありません。ジゼルさんは控え目で献身的な性格ですから、歓迎すると思います。」


「だが黒狼は外戚になった私がザインジャルガ地方に口出しするのではないかと警戒しているだろう。そのあたりは直接会って、払拭しておかねばならんな。」


バダル准将は実兄ではなく自分を引き立ててくれたジャルル前総督に強い恩義を感じていて、その意向に逆らうことはないと読み切っている。この政局勘の鋭さがカプラン元帥の武器だ。


ジゼルさんの嫁入り話の次は、目をかけているペリエ少佐についての話題だった。元帥曰く"狡さに欠ける点は心配だが、平和になればあの誠実さは武器になる。コックス大尉の性格も考えて、ターキーズを預ける事にした"のだそうだ。


剣術を指南しているピーコックの報告によると"熱意は買えるが、最高に上手くいっても一流半まで"らしく、ならば戦術と戦略を磨かせるべきだと元帥は考えたようだ。で、その指南役に指名されたのがオレって訳で……


「戦後にモノをいうのは戦中の実績だからね。ザラゾフのように一際長いプレートまでは要らないが、子飼いの若手にはそれなりの実績を積ませておきたいのだよ。」


兵士の回廊に飾ってある災害閣下のプレートは、他の倍ほどの長さがあった。戦場の伝説と畏怖される男だけに、上げた戦果もハンパじゃない。武力で勝ち取った版図は、初代軍神よりも広いのだ。


「閣下の御意向はわかりました。オレでよければやってみましょう。しかし戦術はともかく、戦略はどうですかね。なんと言いますか、戦略ってのは捻くれ者のが向いていたりしますから。閣下の仰る"狡さ"が必要な分野だと思っています。」


「なるほど、キミが言うと説得力があるよ。ザラゾフは"名戦術家に人格者など皆無だ。むしろ人格など破綻している方が大成する"とか言っていたし、戦争というものは、悉く道徳の対極に位置するのかもしれないね。」


「殺すな、壊すな、奪うな、この三つは当たり前の道徳ですが、その真逆をやって評価される世界です。敵を殺し、基地を破壊し、物資を強奪する。どんなに言葉を飾っても、それが戦争の本質でしょう。」


「人としての邪道が戦乱の王道、だから戦争を終わらせなければならない、か。私も同感だ。……カナタ君が停戦を模索している事はわかっている。だから単刀直入に聞こう。キミの協力者、いや、志を同じくする同志とは薔薇十字総帥、スティンローゼ・リングヴォルトだ。違うかね?」


「…………」


カプラン元帥はオレとローゼが同じ夢を見ている事に気付いたのか!?


……待て、この男は論客であり、寝業師だ。カマをかけているのかも知れないし、何よりその意図が読めない。わかってるのは迂闊に答える訳にはいかないって事だ。さて、どうする? 否定するか肯定するか。曖昧な返答で誤魔化すのは難しい相手だぞ……


「どう答えたものか、迷っているようだね。私の意図が読めないのだから、迷うのは当然だ。なに、簡単な話だよ。キミが停戦を模索しているかもしれないと教えてくれたのはザラゾフなんだ。」


「災害閣下が、ですか……」


「あの男は妙に勘が鋭いからね。嗅覚だけで事実に辿り着く事もあるから、実に始末に悪い。直感の男、ザラゾフが言った事が事実だと仮定すればだ、わからない事がある。政治の力学を弁えた若者が、この戦争を終わらせるのに、片側からの方向量ベクトルだけで可能だと考えるとは思えない。声高に平和を叫ぶ楽天主義者オプチミストなら掃いて捨てるほどいるが、私の見た天掛カナタは彼らとは別人種だ。ならば、向こう側にも意を同じくする者がいるはずだろう?」


オレと接点があり、停戦に賛同しそうな有力者ローゼ論客カプランは論理を積み重ねて、確信に至った訳だ。



……否定するのは無駄だな。日和見閣下はオレの思惑をわかった上で話をしている。災害閣下とも踏み込んだ話をしているフシが見られる事だし、オレも一丁踏み込んでみるか。


※グラサン

サンクトヴァシム・グラゾフスキー大尉の愛称。ザラゾフ夫人の護衛隊長で、つぶらな瞳を隠す為に常にサングラスを着用しています。



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