愛憎編13話 好青年と女丈夫
「少尉、ホントに大丈夫なんでしょうね? シオンを引き留めるなら今のウチよ。逃げられてからじゃ遅いんだからね?」
ペントハウスでサンドイッチを調理している小悪魔秘書に念を押される。女三人は次の目的地へ出掛けたばかりだ。
「逃げられてません。人聞きの悪い言い方はよせよ。シオンとナツメはホタルと一緒に火隠の里に挨拶に行くだけじゃないか。」
「で、トラブル誘発装置が一人で統合作戦本部に出向く。心配するなって言う方が無理よ。悪い事は言わないから、ワビーかサビーを連れて行きなさい。」
誰がトラブル誘発装置だ。オレが起こしてるんじゃなくて、トラブルの方から飛び込んで来るんだよ。避けられるもんなら、避けてるっての。
「双子執事は夜会の準備がある。オレと違って忙しいんだよ。」
「
手作りのレバーなんちゃらの味見をしながら、本気で考え込むリリス。信用がないにも程がある。
「ちょこっと統合作戦本部に寄って、挨拶がてら"兵士の回廊"の様子を見て来るだけだろ。長居する訳じゃないから、トラブルなんざ起きないって。」
統合作戦本部を縦断する中央廊下には、顕彰された兵士の写真が飾られ、兵士の回廊と呼ばれている。SS級の兵士は、特に目立つ位置に設えられているのだ。カプラン元帥の言葉通りなら、オレとシュリの写真はお揃いの額で、隣り合わせに飾られているはずだ。
写真の下にプレートを取り付けるだけの簡単なお仕事だが、大事な仕事でもある。シュリの功績を記した純銀のプレートは、鍛冶山さんが作ってくれた。
「そうかしら? まさかと思う事をやってのけるのが少尉だもの。あり得ない事をやらかしたって不思議じゃないでしょ。」
「せっかくサンドイッチを作ったんだから、親父さんに届けてやれよ。証書の類だって、探偵業には必要なんだからさ。」
リリスから親父さんの近況を聞かされてはいたが、オレは半信半疑のままだった。見方を改めたのは、マジャイマラートの所長から、"ヒューゲル氏は出所後も収容所図書館の事を気にかけていて、度々訪ねて来られます"と報告を受けたからだ。
更生しているポーズなのかもしれないが、更生とはそういうものだ。ポーズを取り続けている間にフォームが固まり、真人間に戻れる。善行とは、偽善の積み重ねなのだ。
"人が人を評価するのは難しいものじゃが、評価せねばならん時には自分を一段か二段は低い位置に落とすんじゃぞ。それが他人から見た自分の評価と思えば丁度ええ。光平はそこらがわかっておらん"
爺ちゃんはそんな事を言っていた。確かに人間は自己評価を高くしがちで、他者への評価は辛くなりがちだ。一段や二段は低い位置から他人を見て、丁度良いのだろう。
野球の審判みたいに、腰を落としてしっかり見よう。今のところはって前提は必要だが、リリスパパは人生をやり直そうと頑張っている。そう評価すべきだ。
「じゃあこうしましょう。いってらっしゃいのキスをしてくれたら、出掛けてあげる。」
「12歳にキスするのは、倫理に反する。6年後には、もっと凄い事をするかもしれんが。」
「何を今さら。10歳の私にディープなちゅ~をしたのは、どこのどちら様でしたっけ?」
「したんじゃなくて、されたんだよ!」
恐ろしい事に、オレのファーストちゅ~のお相手はリリスなのだ。あの頃のリリスは、あらゆる意味でかっ飛んでたなぁ。
"時速300キロで暴走していた車が150キロに減速すれば、通常運転に見える。しかし、スピード違反には変わりないのだよ。いやはや、会った事もない人間の推薦状を書くのは、人生初の経験だね"
リリスパパの為に推薦状をしたためながら、大師匠はそうのたまった。ヘボ句警報が発令したので、その後の台詞は聞いていない。
「大の男が細かい事を言わないの!少尉は選ぶしかないのよ。ちゅ~するか、サンドイッチを腐らせるか。さあどっち?」
舌で唇を湿らせながら、迫り来る小悪魔。オレは戦場よりも、日常で追い詰められる事が多い。逃げ場はないと観念したオレは、やむなくリリスの頬に軽くキスした。
「もう!少尉ったらホントにチキンなんだから。パンで挟めば、チキンサンドが出来上がるはずよ?」
「オレを板挟みにしてんのは、ほとんどおまえだよ!」
全部おまえだ、とは言えない。ナツメもまあまあ、まれにシオンも板で挟みに来るからだ。オレは風呂敷に包んだプレートを、リリスはサンドイッチの入ったバスケットを持って一緒に出掛ける。ホテルの玄関に侘助が車を回しているはずだ。
───────────────────
統合作戦本部前でオレは黒塗りで長~い車から降りた。要人用のお車と一緒で、無闇に
「お館様、本当にお一人で大丈夫ですかな? お館様がというより、作戦本部が、ですが。」
「うっせえワラビー。サッサと下町までドライブして、サビーの手伝いに戻れ。」
振り返るのも億劫になったオレは、ハンドサインで"急げ"の命令を出した。
「ワラビーではなくワビーです。命名者のナツメ様が憤慨されますぞ?」
窓が閉まる音がしてから、エンジン音が高まる。はよ行きやがれ。そんで下町の注目を浴びまくりやがれ。
立哨している兵士の敬礼に手を上げて応えながら、数える程しか訪れた事のない統合作戦本部に入る。ローズガーデンに慣れたオレにとっては、この本部ビルは居心地のいい場所ではない。すれ違う兵士の律儀な敬礼に黙礼を返しつつ、本部内の目的地へ向かう。
……一般兵はまだしも、なんで佐官まで敬礼してくるんだ。オレが先に敬礼すべきだろう。次こそはこちらから敬礼しないとな。
階級ではなく爵位を重んじる軍人もいる。いつの間にやら窮屈な身分になっちまったもんだ。
「視界に入った瞬間に敬礼されたんじゃ、どうしようもない訳なんだが……」
廊下の向こうで敬礼したまま立ち止まっている帽章は佐官のモノだった。
「災害閣下とガチ
背後から聞き覚えのある声と、香水の匂いが漂ってきた。
「ピーコック、厚化粧はいいが香水はダメだろう。鼻のいい兵士だっているんだからな。」
「戦場で付けたりしないさ。せっかくお高い香水が買える身分になったんだから、首都にいる時ぐらい、いいだろ? ペリエ少佐、遠くで突っ立ってないで、こっちに来なよ。武名ほど怖い男じゃないからさ。」
「ピーコックの怖くないは、あまりアテにならないんだよ。特に僕のような、家柄で出世した男にとってはね。」
ペリエ少佐と呼ばれた若手佐官は姓の示す通り、フラム貴族らしかった。胸に輝く
貴族章はホテルに置いていったのに、ワビーのヤツがわざわざ付けてくれやがったのだ。送迎車に予備まで用意してやがるとは、有能執事に隙はない。
「はじめまして、天掛公爵。僕はコンスタンタン・ペリエ少佐。形式的にはコックス大尉の上官になっています。」
「形式的にじゃなくて、タンタンは正式な上官だろ。」
可愛いような、そうでもないような、微妙な仇名で呼ばれた少佐はピーコックに抗議した。
「コックス大尉、正式な上官に変なニックネームを付けないでくれるかな?」
「別にいいだろ。ターキーズはみんなそう呼んでんだからさ。」
「キミだけだ。少なくとも面と向かってそんな呼び方をしているのは!」
見るからに育ちのいい貴族出身の佐官と、叩き上げで平民上がりの尉官か。生まれも育ちも違い過ぎて、価値観も乖離してそうだな。好青年と女丈夫の、気は合ってるみたいで結構な事だが……
「オーケイ、仲がいいのはよくわかったが、痴話喧嘩は後でやってくれ。」
「ぼ、僕とコックス大尉はそんな関係ではありません!そ、それから公爵、今夜のパーティーには二人で顔を出しますから。閣下から"コックス大尉のお守りをしながら、ゴロツキのあしらい方を習ってきたまえ"と命じられているので。」
「ド平民の私が、社交界に顔を出せる日が来るなんてねえ。カプラン閣下に頼んだ甲斐があったってもんだ。」
喜色満面のピーコックと、心配顔のペリエ少佐。対照的なお顔で、二人の関係性がわかった気がするな。
「くれぐれも、くれぐれもお行儀良くしてくれよ!戦技を習う謝礼に、社交界のイロハを教えたのだからね!」
「タンタンは心配性だねえ。淑女をエスコートする紳士がしっかりしてりゃあ問題ないさ。蝶になれたら私のお陰、蛾と思われたらタンタンの不始末だろ?」
日米和親条約並みの不平等さだな。ピーコックもいい性格してるよ。
「敬称を改める気はないようだね。よろしい、だったら僕もキミの事を"パトリシア"と呼ぶ事にする。」
「うえっ!? タンタン、私みたいな蓮っ葉女にゃ似合わない本名だからさ…」
そういやウロコさんも、本名はリンなんだよなぁ。女任侠と蓮っ葉女のメンタリティは似通ってるのかもしれない。
「お互い様だろ。僕だって行商人が扱う麺類みたいな仇名は似合わない。」
「いいじゃないか。タンタンはルックスは悪くないんだから、担々麺ならぬ、タンタンイケメンって事で。だけど担々麺がデリバリー発祥だったとは知らなかったねえ。パーティーから帰ったら、央夏屋の出前でも取ろっか?」
「パトリシア、担ぐ担ぐ麺と書いて担々麺だ。昔の四仙地方の行商人が、天秤棒で担いで売り歩いていたんだよ。」
ペリエ少佐はなかなか博識みたいだな。で、こっちの世界の四仙地方は地球の四川省とそっくりらしい。
「へえ~。だけど生身の人間が寸胴を担いで売り歩くなんて、根性があるねえ。」
「央夏の担々麺は汁なし麺だよ。ピーコックの好きな担々麺はイズルハ式の担々麺。覇人は異国のモノを取り入れて、自国風にアレンジするのが上手だからね。出前を取るなら下町の名店"央夏一番"にしよう。距離のある出前の際は、秘伝のパウダーで茹で麺のコシを保ち、スープはポットに入れて運んでくれる、気配り抜群のお店なんだ。」
央夏一番、名前からして町中華だな。明日にでもリリスと一緒に食べに行こう。町中華で飲むビールって旨いんだよなぁ。
「留守番の七面鳥どもにも差し入れしてやっか。タンタン、経費で落としておくれよ?」
「ダメ。不明朗な支出は認められない。」
タンタンは精神的に、シュリの従兄弟になれそうだ。
「固い事言いなさんな。接待交際費にでもすりゃいいじゃないか。」
「軍の予算は血税で賄われている事を忘れてはいけない。僕が奢れば何の問題もないだろ?」
「タンタンはいい男だねえ。下町の名店のお味が楽しみだよ。麺好きの彼氏の影響で、私も麺好きになっちまったからさ。」
「……恋人がいるなら、今夜のパーティーに呼んであげたらどうかな? 主催者である公爵の了承を得れば問題ないはずだ。」
少し間を置いてから、タンタンはピーコックに同伴を勧めた。
迷うような事でもないだろうに。ピーコックの彼氏なら、歓迎するさ。いや、タンタンとは初対面だから、オレの性格がわかってないのは当たり前か。
「とうの昔に別れたさ。厚化粧の蓮っ葉女から、薄化粧で金持ちの令嬢に乗り換えたはいいが、その令嬢がもっとイケメンと知り合っちまってハイ、サヨナラ。で、ヤケ酒が過ぎて立派なアル中にお成り遊ばしたらしい。」
「ヒドい男だね!お金に目が眩んで恋人を捨てるなんて許せない!」
好青年は憤慨したが、ピーコックはどこか懐かしそうな顔だった。
「目先の損得しか考えられない男だったが、根っからの悪人って訳じゃないさ。私と一緒で貧民街で育った影響かな。金の有り難みをよくわかっているだけに、恩給係としては良心的で、遺族の為に労は惜しまなかった。悪女の深情けで更生を助けてやるかと思った矢先に、烈震様とやり合っちまってねえ。今頃どうしているのやら……」
アレックス大佐に負けて捕虜になる前の話だから、元彼は機構領の軍人だったようだな。
「自業自得だ!キミが気にする事じゃない!」
「タンタン、ちょいとばかり長く生きてる先輩として言わせてもらうけど、人間ってのは善悪の混在する生き物なんだ。私にとっては薄情男でも、元彼のお陰で軍人恩給が支給された遺族だっている。よりを戻す気なんざなかったけど、ちょいとばかり手助けしてやってもよかろうよ。一時とはいえ心を寄せた男が凋落するのは、見ていて気分のいいものじゃない。」
パトリシア・コックスは化粧だけではなく、情にも厚い女らしい。普通なら"ざまぁみろ"でお仕舞いの話だろうに。
「ビーチャムが"孔雀先輩"と慕うだけあって、大した懐の深さだな。ペリエ少佐、オレらも男を磨こうぜ。」
「はい。天掛公爵、僕の事はファーストネームでお呼びください。僕と公爵は同い年なのですよ。」
同年代だろうと思っていたが、同い年だったか。
「じゃあ遠慮なくタンタンって呼ばせてもらうよ。コンスタンタンだと長いからな。」
「公爵、パトリシアに大義名分を与えないで欲しいのですが……」
「公爵じゃなくカナタだ。それと、お互いに畏まった物言いはしない事にしようぜ。それこそ同い年なんだからな。酒のシメと七面鳥への土産はドレイクヒルに用意させるから、央華一番には一緒に行こう。案山子軍団の誇るちびっ子参謀も紹介したいんでね。」
「噂のリリエス・ローエングリン嬢ですね。一度会ってみたいと思っていました。パトリシアも付き合ってくれるよね?」
「はいはい、学識は豊かでも剣術は修行中の上官殿にはボディーガードが必要だからね。タンタン、そばかす顔の後輩曰く"リリス殿は写真で見るだけなら最高の美少女ですが、同盟一の毒舌家でもあります"だってさ。覚悟しておいた方がいいよ?」
孔雀先輩の認識の甘さを訂正しておかないとな。
「ピーコック、同盟一じゃなく、世界一だ。言葉のボクシングでリリスに勝てるヤツなんざいねえ。」
パイソンさんに習ったジャブからのアッパーカットで、毒舌世界チャンプの口擊を再現してみる。
「リリエスさんは、まるで天使のような美貌なのに、そんなに口が悪いんですか?」
タンタンは信じられないって顔だけど、実物に会った事がなけりゃあ、そう思うよな。
「美貌と言動が反比例する好例だよ。寝てれば天使、起きたら悪魔。薔薇園の悪たれどもは皆そう言ってる。ま、会えばわかるよ。」
立ち話はこのぐらいにして仕事にかかるか。
不遇を囲ってきたピーコックも、やっと上官に恵まれたみたいで何よりだな。
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