愛憎編12話 痩せ我慢の美学



※ノアベルト・サイド


「卵は物価の優等生!大事な事だから復唱よ!」


私とマルセルは顔を見合わせた後、軍隊式に立ち戻る事にした。


「「イエス、マム!卵は物価の優等生!」」


雑貨屋から帰って来た娘は、中年男二人に"正しいオッサン飯"のレクチャーを始めた。オッサンではない四つ足の令嬢は、お土産のゴムまりと戯れている。


「こうやって、鶏ガラスープで下味を付けたモヤシを入れる。ファッションだけなら名探偵のマルセルの流儀に合わせて、卵は固茹でハードボイルドにしてあげたわ。感謝しなさい。」


「完璧であります、マム!」


マルセルはノリノリだな。料理を覚える気があるならいい事だが。


「失敬、ビジネスの時間らしい。」


PCから着信音が鳴ったので、授業を中座して画面に向き合う。


「相棒、良くない知らせみたいだな。」


眉を顰めた私に気付いたマルセルが、デスクトップPCを覗き込む。


「ああ。依頼中止ストッペイジオーダーの連絡だよ。クリスチーヌお嬢様の捜索依頼は無かった事にして欲しいそうだ。」


「……ヒデえな。"もう新しい猫を買ったので、躾の悪い猫は要りません"かよ。どうする、相棒?」


「言うまでもないだろう。"弊社は既に依頼を達成しました。成功報酬の支払いを要求します"と返信するさ。クリス、おいで。私と一緒に写真を撮ろう。」


「ニャア♪」


私が手招きするとクリスチーヌは跳躍し、デスクの上で本物の猫足立ちを披露してくれた。躾が悪いどころか、こんなに賢い猫は滅多にいないぞ。


成功報酬の請求書にクリスチーヌと一緒に撮った写真を添付し、依頼人に送付すると、すぐに反応があった。仕事を依頼したカイゼル髭が画面に映ったのだ。


「フーゲル君、見事な手並みだと褒めたいところだが、クリスチーヌの帰りを待てなくなったお嬢様の為に、旦那様はもっと良血統の猫を今朝方お取り寄せになられた。気まぐれクリスの倍値の猫なら、期待に応えてくれるだろう。」


「ヒューゲルです、Mr.セバスティアン。弊社のモットーは"賢くスマート堅実にソリッド"ですので、依頼は確実に遂行するのですよ。」


「スマート&ソリッドを謳う場末の探偵社とはね。もちろん、吝嗇とは縁のない当家は、約束通り成功報酬を支払おう。それで文句あるまい?」


なるほど。本気で探す気がないから、開業したてで場末の探偵社に依頼したのだな? 旦那様への言い訳にするつもりだったのに、アテが外れたという訳だ。


「文句などありませんが、確認しておきたい事はあります。弊社はこれからクリスチーヌをお屋敷までエスコートしようと思っていたのですが、その必要はないと仰るのですね?」


「新しい猫を買ったと言っただろう。躾の悪い猫など、そっちで処分してくれたまえ。」


言葉の意味はわからなくても、画面から滲み出る悪意を感じ取ったのだろう。クリスは娘の腕の中に飛び込んでしまった。


「では36年分のキャットフード代金を追加でお支払い頂きましょう。その他の費用も生じますが、弊社は良心的な会計を心掛けておりますので、サービスしておきます。」


「36年分のキャットフードだと!? キミは何を言っているのだ!」


猫一匹の為に貴族に喧嘩を売るなんて馬鹿げている。しかし私は、リリスに"これからは誰も欺かずに生きる"と約束した。誰も、には私自身も含まれる。ここで引き下がれば、自分を欺く事になるのだ。


探偵という仕事上、嘘をつく事はあるだろう。だが、欺く事はしない。善意には善意で、悪意には悪意で応じるまでだ。


「猫の平均寿命は12~18年です。バイオメタル化した犬の寿命は倍に伸びるという論文を読んだ事がありますので、猫もそれに準じました。クリスの新しい家族がバイオメタル化させる事は十分あり得る事ですので、法外な要求ではないはずです。」


「私は処分したまえと言っているのだ!殺せば一銭もかからないだろう。帰って来られても面倒だし、住む世界が違っていても、生きていればお嬢様の目に留まるかもしれん。リスクを排除するのが執事の仕事だ、わかるね?」


ここで突っぱねれば、抜き差しならなくなるだろう。マルセルまで巻き込んでしまうが……


拳銃ダコだらけの固い掌が私の肩を叩き、バリトンの利いた声で私の背中を押してくれる。


「日和るな、相棒。ハードボイルドは"痩せ我慢の美学"だ。やりたいようにやれ!」


マルセルの言う通りだ。痩せても枯れても、男として生きよう。娘の前だ、精いっぱい格好をつけてやるぞ!


「あなた方の身勝手にクリスが付き合わされる必要などない。猫を家族に迎えたいなら、勉強なさい。おおかた、無闇矢鱈に触っていたのでしょう。それとも、意地悪執事に嫌気が差したのかな?」


カイゼル髭をプルプルと震わせたセバスティアン氏は、深呼吸してから恫喝を始めた。


「……ふう。私を侮辱するという事は、当家を侮辱するという事だ。その気になったらキミ達など、野良犬よりも簡単に始末…」


ワックスで固めた髭よりセバスティアン氏の表情が固まったのは、リリスがPCを覗き込んだからだ。覗き込んだ、ではないな。怖い目で睨み付けている。


「……アンタの顔はどこかで見たわね? 思い出した、ドネ夫人が主催した夜会にいた髭ね。叔母様に招待客は吟味しないとって、忠告してあげないといけないようだわ。」


左手で猫の頭を撫でながら、右手のハンディコムを操作するリリスに、セバスティアン氏は懇願した。


「お待ちください!それだけは平にご容赦を!ドネ家の不興を買えば、当家は立ち行きません!」


セバスティアン氏はフラム閥の貴族に仕えている。派閥のナンバー2の不興を買えば、主家にとってマズいでは済むまい。


「じゃあ大事おおごとになる前に、不興のタネを買い取る事ね。36年分のキャットフードとバイオメタルユニットの代金+虐待の慰謝料。こましなキャットフードが2000Crとして一日三食だから、2000×365×3×36で7884万Cr、それに猫用のバイオメタルユニットが100万Crで占めて7984万Crね。慰謝料はそちらに任せるけれど、パパが不足と感じたら、お家にはね返るから慎重に考えなさいよ?」


演算能力が凄まじいのはわかっていたが、穏やかな恫喝も凄まじい。リリスに比べたらセバスティアン氏など可愛いものだ。しかし一食2000Crのキャットフードは、相当な高級品ではないだろうか?


私とマルセルの食費は、一食どころか一日で2000Crもかかってないぞ……


「パパ!? ではフー…いえ、ヒューゲル氏は……」


危機が迫れば、記憶力も研ぎ澄まされるものらしい。別に名前を覚えてもらっても嬉しくないが。


「私の実父よ。文句ある?」


「そうとは知らず、とんだ御無礼を……」


そろそろ助け船を出しておこうか。いや、棚から転がり落ちてきたぼた餅をキャッチすると言った方がいいな。


「Mr.セバスティアン、慰謝料込みで8000万Crを口座にお振り込みください。それから新しく迎えた猫は、家族として大事に扱う事です。」


授業料は高くついたが、猫と庶民を軽んじると思わぬしっぺ返しを食らうと学習しただろう。通信を切った私は自由になった猫を抱き上げて、提案してみる。


「クリス、私達は受付嬢を探していたんだ。狭くてボロな探偵社だが、やってくれるかな?」


「ニャア♪」


「それは助かる。オッサン飯にも彩りが必要だが、探偵社にも花がないとね。リリスのお陰で助かったよ。」


「クリスの為にやっただけよ。少尉の威光を振りかざすのは気が進まないけど、ああいう手合いには有効だもの。さ、ラーメンが伸びる前に食べちゃいましょ。」


リリスはサイコキネシスで宙に浮かせた週刊誌をローテーブルの上に置き、ラーメンの大鍋を乗せた。クリス用の紙皿には、冷ました煮卵と鶏ガラスープで味付けされた合成肉ソーセージが置かれている。新人受付嬢はローテーブルに飛び乗り、中年二人を前足で招いた。


「金運が良くなるように、招き猫を買ってこようと思ってたんだが、必要ないな。」


マルセルは8000万Crの御利益をもたらしたリアル招き猫の真向かいに腰掛け、プラスチックのお椀を手にする。


炒めたモヤシとキャベツに煮卵とソーセージ入りの大鍋ラーメンを三人と一匹で美味しく頂く。リリスは合成肉ソーセージの味に不平を鳴らしたが、近所の雑貨屋では天然肉など扱っていないのだから、仕方がない。


白い毛並みの招き猫は、食後にも幸運をもたらしてくれた。探偵社宛に荷物が届いたのだ。梱包された段ボールにはアーマーコートや作戦用の機材が入っている。


「これは、どっちの招き猫に感謝すればいいのかな?」


口笛を吹きながら段ボールを開封しているマルセルの傍で、娘は髪を変化させて、ネコ耳娘に変身していた。私は迷わず、腕組みしている猫娘をアイカメラで撮影しておく。


「中古の最新鋭装備よ。アスラでは型落ちだけど、一般的には最先端で通じるわ。」


「盗聴器に集音器、暗視・読唇機能付き望遠カメラとはありがたい。さっそく今夜の仕事に使えそうだ。おそらく、調査対象の愛人に言い寄ってる優男ってのは、富豪の差し金だろうけどな。」


「マルセル、どうしてそんな事がわかるんだ?」


「クリスと一緒に富豪の尾行をしてみたんだが、金持ち専門のとある店で、スケスケのセクシーランジェリーを購入していた。モノがモノだけに、使用人を買いに走らせるのは憚られたんだろう。お楽しみの小道具は自分で選ぶ主義なのかもしれんがね。世間にゃいるんだよ、自分の都合で別れたい癖に、原因を相手に求める輩ってのがな。」


「確かにそんな人間もいるが、くだんの愛人と楽しむつもりかもしれないよ?」


12歳の前でする話ではないが、リリスは私よりも大人だからな。


「バストサイズが合わない。Cカップの愛人に、Fカップのブラが必要か?」


「豊胸手術の予定がない限り、必要ないね。」


「だろう? だから優男は"別れさせ屋"かもしれない。だとしたら個人営業だな。普通の別れさせ屋なら、証拠係もいるからな。」


狭いシンクで大鍋を洗い始めたリリスが意見を述べた。


「別れさせ屋を雇ったのは奥さんで、依頼人は複数の愛人を抱えている可能性があるわ。今夜尾行してみて、マルセル以外のチェイサーがいたなら、そのセンが濃厚ね。」


「優男を雇ったのが依頼人なら、我々を騙した事になる。相応の対処が必要だろう。軍官僚だった頃なら公証人の資格を持っていたのだが、失効したのが悔やまれるよ。」


同盟の亡命法では、亡命者の資格や免許の保全が認められているが、それは自発的意志による亡命の場合だ。捕虜となってから亡命が認可された私には適用されない。亡命の経緯を問わず、資格保全を認めない機構軍よりよほどマシだが。世界統一機構にとって、自由都市同盟は劣等国家、いや、国家として認知しないというスタンスなのだろう。


「パパ、その依頼を引き受けたのはいつ?」


「マルセルが酒を買いにオフィスを出たのが昨日の18時過ぎだったから、そのすぐ後だ。」


「じゃあセーフね。もし優男を雇ったのが依頼人だとしたら、公証人資格を持った人間の前で嘘をついた事になるわ。」


「え!?」


洗い物を済ませたリリスは段ボールの内側に貼り付けられた二枚の封筒を剥がして、マルセルと私に手渡した。


「これは……公証人資格の証書!」


「亡命法の規定では"同盟加盟都市の法を遵守し、社会に貢献する意志と能力を持つ者は、失効した資格及び免状の回復が認められる"とあるわ。資格の回復は昨日の8時付だから、その時からパパは公証人でもあった。パパ、出所する時に浮かれてないで、サインする書面はよく読みなさいよ。資格回復の申請書が混じってたんだから。」


封筒を開けたマルセルは、私よりも喜んでいた。


「喜べ相棒、我が探偵社は市からライセンスが発効されたぞ。これで要請があれば、刑事事件の捜査も行える。」


自称探偵と公式ライセンス持ちの探偵は、格と権限が違う。※探偵ライセンスがあれば、警官のように前科者のリストや、市民番号によるクレジット明細などにアクセス出来るようになるのだ。もちろん権限の大きさに比例してライセンス発効までの道のりは厳しく、そう易々と認可は下りない。


マルセルのSWAT時代の経歴が認められれば、ライセンスが下りる可能性があったので、ダメ元で申請は出しておいたのだが……


「しかも拳銃の所持許可証までセットだ。ハンバーガーにはポテトが付いてなきゃあな。」


「ついでにナゲットもサービスしといたわ。段ボールの中にグリフィンカスタムが入ってる。※テーザー弾が発射可能な警官仕様よ。」


木箱から本革のホルスターと拳銃を取り出した相棒は、合成革のホルスターを外して新品を装着し、西部劇のような拳銃捌きを披露してから脇に納める。


「何から何まですまないな。この礼は必ずするからよ。」


「礼ならヘボ俳人…"達人マスター"トキサダにしなさいよ。ライセンス発効の推薦人になってくれたんだから。」


同盟軍剣術指南役を務めたトキサダ先生の推薦状があれば、ライセンスも発効されようものだ。憲兵や警官には次元流を習った者が多く、達人は声望を集めておられる。


「さっそく礼状を書くよ。リリスちゃんから渡してくれ。」


「マルセル、御礼状は連名でだ。明日にでも同盟加盟法大全を買って勉強しないとな。」


公証人は法曹界に属する。不勉強は許されない。


「公認探偵はマニュアルを読んでわからない事があったら聞いて。アスラ部隊で使ってた機材だから、使い方が普通じゃないわ。パパには会計のノウハウをレクチャーしてあげる。出納局にいた事もあるんだから、基本は弁えてるはずだけどね。」


12歳の娘に会計学を教えてもらうのは父親としてどうかと思うが、リリスの方が優れているのだから致し方ない。こうしてマルセルと私の勉強会が始まった。お腹が膨れた受付嬢クリスは、陽当たりの良い窓際で丸くなっている。


「……達人はマルセルならアスラ部隊に推挙してもいいと言ってたし、ガーデンには結構立派な図書館もある。司書の仕事も出来るわよ?」


日が傾き始めた頃、リリスから魅惑的な提案を示された。心は大きく揺らいだけれど……ハードボイルドは痩せ我慢の美学だ。


「……ありがとう。だけど、この街で頑張ってみるよ。」


リリスの暮らす基地で働きたい気持ちは当然ある。けれども自立の道を歩み始めたばかりだし、出所後も司書業務の指導にあたっているマジャイマラート収容所にも通えなくなる。やりかけた仕事は完遂する、それもハードボイルドだ。


「さて、そろそろ夜に舞う蝶が羽ばたき始める時刻だ。調査対象のマンションは中心市街にある。お嬢様フロイライン、ボロの軽自動車で良ければ送っていくよ。」


「シートが固い車には乗らない主義なの。ワビーが迎えに来る事になってるから、問題ないわ。夜会にバクスター伯爵がお見えになるはずだから、臨時司書の働きぶりを聞こうかしらね。」


ワビーとは、天掛家に仕える貝ノ音侘助氏の事だろうか?


「あら、そのワビーからメッセージだわ。何かあったのかしら?」


ハンディコムの画面を見た娘は、細く美しい眉を顰めた。


「リリス、何か問題でもあったのかい?」


「……大した事じゃないわ。少尉が忠春の鼻を使い物にならなくしただけよ。」


「忠春って確か、兎我元帥の孫の兎我忠春中佐だろ? 俺は会った事はないが、悪評は耳にしてる。伸ばした天狗鼻を剣狼にへし折られたのか、いい気味だぜ。」


もらったばかりのコートを羽織り、出掛ける準備を始めたマルセルの言葉に、リリスは首を振った。



「いいえ。天狗鼻をへし折ったんじゃなくて、引き千切ったの。物理的に、ね。」


※探偵ライセンス

アメリカではライセンスを持った探偵に様々な権限が与えられています。リグリット市はアメリカ式に近いライセンス制度を採用しているようです。


※テーザー弾

ゴム弾の先端から着弾と同時に短針が飛び出し、対象に電気ショックを与える。殺戮ではなく捕獲を目的に開発された銃弾。

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