愛憎編11話 オッサン飯に彩りを


※ノアベルト・サイド


「M&N探偵社へようこそ。世界一の美少女にお訪ね頂けるとは光栄です。」


開業祝いに"世界一の美少女"なんて彫り込む娘だが、決して誇張でもハッタリでもない。リリエス・ローエングリンより造形の整った少女を私は見た事がないのだから。


「あら、マルセルはいないの? どうせ暇してるだろうと思ってたのに。」


「相棒なら、都会だか社会だかの闇を暴きに出掛けたよ。」


「浮気調査なら、夫婦間の闇でしょ。」


「家族とは最小の単位ではあるが、社会の一環だ。だから社会の闇と言っても差し支えはないさ。……愛人が家族に含まれるのならだが……」


オフィスに入ったリリスは革のソファーに腰掛け、提げていたバスケットをローテーブルに置いた。


「愛人契約に関する判例でも羅列しましょうか? パパには耳に痛い話だろうけど。うん、人工革にしてはいい座り心地よ。」


リグリット中の中古家具屋を物色した甲斐があって、合格点を貰えたようだ。


「愛人がいなかったとは言わないし、出世の為に愛人をやった事もある。だけど今は身綺麗にしているんだ。もちろん、今後もね。」


「あらそうなの。折角コーヒーメーカーを贈ったのだから、1杯頂こうかしら。オフィスは予想以上にボロだったけれど、元気そうで何よりだわ。」


そうか。バクスター伯爵が今夜会う予定の"対テロ作戦の専門家"とは、龍弟公の事だったのだ。娘の表現によると"世界史上まれに見る巻き込まれ体質"の公爵は、行く先々でテロ事件に遭遇し、すっかり場慣れしてしまった。そんな彼は、アスラ部隊が対テロ作戦を行う際には必ず駆り出されるようになり、気が付けば同盟屈指の対テロ作戦の専門家になってしまったらしい。


「いずれ高級コーヒーメーカーに相応しいオフィスに引っ越してみせるさ。様子を見に訪ねてくれて、嬉しいよ。」


「近くまで来たから、ついでに寄っただけよ。わざわざ訪ねる訳ないでしょ。」


ついでに、ねえ。リリスは市街中枢にあるドレイクヒルホテルに泊まっているはずだ。ここからは随分、距離がある。


「じゃあ別件の御礼を言っておこう。マルセルを護衛に付けてくれて、ありがとう。」


たぶんだけれど、リリスからの依頼がなくても、マルセルは同じ事をしてくれたのではないかと思う。収容所での恩を返す為にも、探偵社を軌道に乗せるぞ。二人だけの事業だが、私も共同経営者なのだからな。


「もう!マルセルったら口止めしておいたのに、喋っちゃったのね。」


「友達に隠し事はしたくない、と言ってね。事情を全て話してくれたんだ。御礼はまだ言わなくてはならないね。バクスター伯爵に話をつけてくれたのも、リリスなんだろう?」


珈琲を小さな客人の前に置きながら、気になっていた事を尋ねてみた。


「そっちに関してはパパの実力よ。私は"ドラグラント連邦は、ノアベルト・ヒューゲルの動向に興味はない"って言っただけだから。」


「その一言がなければ、伯爵も思い切れなかったはずだ。」


実業家として優れた手腕を持つ伯爵のビジネスは多岐に渡っているが、最大の事業はトレーダーズギルドの元締めだ。企業傭兵を持てない中小の交易商が、無法者のたむろする荒野を旅するには、ギルドの傭兵を雇うのが一番。トレーダーズギルドは目的地を同じくする交易商の日程を調整し、傭兵も斡旋する。複数の交易商が集まってキャラバンを作れば、より多くの傭兵を雇う事が可能となり、道中の安全性が高まる、という仕組みだ。


団結力に乏しい無法者だが、時に物欲を原動力とした臨時同盟を組み、キャラバンを襲撃する事がある。敗残兵や脱走兵上がりの無法者が多数いれば、運と数の力でギルド傭兵を打ち破る事もあるのだが……彼らも長生きは出来ない。元締めのバクスター伯爵が、採算度外視で報復部隊を送り込むからだ。


"信用は金では買えないのだよ。善良な商人の旅の安全を守るのがトレーダーズギルドだ。会員を守る為に全力を尽くし、万が一、守れなかった場合は必ず報復を行う。必要とあれば軍の力も借りる。大切なのはギルドの面子ではなく、徹底的に報復したという結果だ"


バクスター伯爵は温厚な篤志家の顔と、各都市の要人に太いパイプを持つフィクサーの顔を持っているのだ。


いくら図書館がライフワークだと言っても、フィクサーである以上は、ドラグラント連邦との関係を悪化させてまで、司書を雇う事は出来ない。リリスは収監中の軟弱男を守る為に手立てを講じただけではなく、出所後の行動まで読んでいた。全ては天才少女の掌の上、私のような凡人は恐れ入るだけだ。


「少し早いけれど、お昼にしましょうか。ドレイクヒルホテルのサンドイッチは、かなりイケるわよ?」


「御相伴に預かるよ。本当に美味しそうだね。」


テーブルに広げられたランチを一口食べて確信する。これはリリスの手作りだと。いくら名門ホテルでも、レバーケーゼとカイザーゼンメルのサンドイッチは置いてないだろう。サラダは一般的な玉レタスではなく、私の好むフリルレタスで、ドレッシングもこれまた好物のヨーグルト風味。


ドレイクヒルならオーダーすれば作ってくれるだろうが、娘の性格と料理の腕からすれば、自分で作るに違いない。


「収容所でマルセルに分けてもらったカツサンドを世界一旨いサンドイッチと認定していたが、二位に下げるよ。新チャンピオンが目の前にあるからね。」


「ドレイクヒルのシェフに伝えておくわ。新人だから喜ぶかもね。」


「いや、同率首位に訂正しよう。思い出補正を抜きにしても、あのカツサンドも絶品だったからね。」


娘の顔を見てわかった。あのカツサンドもリリスの差し入れだったのだ。見えるところでは毒を吐き、見えないところで気を配る。……本当に私の娘なのか、自信がなくなってきたぞ。偏屈だが家臣団に愛されていた天才数学者の血を引いているのは間違いないが……


「ただいま、相棒。お嬢様は無事に保護したぜ。深窓の令嬢かと思っていたが、実は庶民派だったらしい。」


ピンクの首輪を付けた猫は、アジの干物を咥えていた。動物には動物好きがわかるらしく、マルセルの腕の中でいい子にしている。


「報告書を作るから、発見状況を教えてくれ。サービスで"アジの干物が好き"と追記しておくよ。」


「鳶が生んだ鷹を貧相なオフィスにお招きするのは恐縮ですな。クリスチーヌお嬢様、こちらはリリエスお嬢様ですぞ。」


マルセル、さり気なく私を下げるな。自分でもそう思っているだけに、始末に悪いのだ。いや、猛禽類の鳶と評価されるなら、悪くはないのか。


「ニャア♪」


四足歩行のお嬢様は、二足歩行のお嬢様が気に入ったらしく、膝の上に飛び移った。お返事した時に干物が口からこぼれたが、床に落ちる前にサイコキネシスでお口に戻される。


「さて、俺も昼メシにするか。」


「マルセルの分もあるわよ。中量級なんだから、そこそこ健啖家なんでしょ?」


「サンドイッチはラップに包んで、夜食に持ってくよ。貧乏金なしで、今夜は二足歩行の雌猫を尾行せにゃならん。」


「貧乏暇なしだ。金があったら貧乏とは言わない。リリス、自分の分を取り分けてくれ。残りはラップに包むから。マルセル、昼食はいつものでいいかい?」


サンドイッチは娘が帰った後、幸せを噛み締めながらじっくり味わおう。


「おう。ちゃっちゃとたのまあ。」


私はサビの浮いたコンロに、カルキ臭い水を入れた小鍋を置き、即席麺を上棚から取り出す。マルセルはテーブルクロス代わりの新聞紙を広げて、口笛を吹き始めた。


「……まさかと思うけど、新聞紙を鍋敷き代わりにして、小鍋のまま"具なしの即席麺"を食べようとしてるんじゃないでしょうね?」


「おいおい、即席麺はそれが基本だろう。ノアベルトは結構、作るのが上手なん…」


マルセルと私の定番メニューは、リリスのお気に召さなかったらしい。


「シャラップ!少尉もオッサン飯しか作らないけど、即席麺にはおツマミチャーシューと卵ぐらいは入れるわよ!いい年したオッサンが二人、小汚い部屋で小鍋の即席麺を啜るだなんて、侘しいを通り過ぎて、虚しいでしょ!」


「私もマルセルも中年、紛う事なきオッサンなのだよ。オッサン二人がオッサン飯を食すのは、ごく自然な光景だ。おっと、そろそろ頃合いかな。」


虚飾に塗れた美食よりも、友と一緒の即席麺がいい。それが一山いくらの特売品であってもね。沸き立った湯に乾麺を投入しようとした私の手首に、銀色の髪が巻き付いて止めた。


動くなフリーズ!手首がスパッといくわよ!」


……こ、これがS級兵士の眼光か……言われるまでもなく、う、動けない……


「クリス、オッサン二人が動かないように見張っておいて。ここに来る途中に雑貨屋グロッサリーがあったから、ちょっと買い物して来るわ。」


「ニャア♪」


光の速さでフラム系令嬢を手懐けたガルム系令嬢は、空になったバスケットを手にして出掛けて行った。


無駄な抵抗を諦めた私は、サンドイッチを丁寧にラッピングして、灰色扉(たぶん、元は白だっただろう)の冷蔵庫に収納した。


ソファーにだらしなく横たわったマルセルは、中折れ帽を指先でクルクル回しながら呟く。


「オッサン飯に彩りを、か。本当に出来た娘さんだな。」


私もそう思うよ。娘を嫁にする天掛公爵は、幸せ者だね。



……幸せと引き換えに、完膚なきまで尻に敷かれそうではあるが……

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