愛憎編10話 こちらM&N探偵社


※ノアベルト・サイド


「おはよう、相棒。今日も二人で大都会の闇に挑もうじゃないか。」


M&N探偵社の唯一の探偵にして経営者であるマルセル・シャペルは上機嫌で狭いオフィスに現れた。オフィスに隣接している社長室(設計図には物置と記されている)は、マルセルのねぐらも兼任しているのだ。たぶん、収容所にいた時の方が、住環境は良かっただろう。


「都会の闇を暴く前に、自分の寝室に光を当てる事を考えた方がいい。せせらぎ荘には、まだ空き部屋があるよ?」


マルセルの塒に比べれば、私が借りた6帖一間(トイレとシャワー付き)のアパートは天国に見える。少なくとも、窓は付いているのだから。


「ノアベルトはわかってないな。ハードボイルドにはストイックさが求められる。猟犬は真っ暗な部屋の中で、牙を研ぐものなんだよ。」


「だからと言って、犬小屋に住む必要はないと思うが。私の知る帝国貴族は5LDKの高級マンションに愛犬を住まわせていたが、感想は?」


「今時、"お犬様"は流行らない。犬も主人も碌な事にはならないだろう。」


「正解だ。皇帝の逆鱗に触れて、犬は殺処分。主人はブタ箱に送られた。奢侈には寛容な皇帝にも、限度はあるらしい。」


罪状は"外患予備罪"だが、おそらく無実だ。あの貴族は大した功績もないのに、跳ね上がり過ぎた。真の罪状は"増長罪"だろう。私は後頭部に寝癖が付いたままの相棒にドライヤーを投げてから、オフィス唯一の高級品であるコーヒーメーカーで二人分の珈琲を淹れる。


「旨い!やはり100万クレジットもするコーヒーメーカーは一味違うな。ノアベルトの腕もいいんだろうが、大したもんだ。」


寝癖を直した相棒は、珈琲を啜って感嘆した。毎朝飲んでいるのに感動を忘れないのはいい事だ。場末の雑居ビル内の古ぼけたオフィスには似つかわしくない高級品には"世界一の美少女、リリエス・ローエングリン寄贈"の金文字が彫り込まれている。私とマルセルが探偵社を営むと知った娘が開業祝いに贈ってくれたのだ。


「これはのコーヒーメーカーだよ。誰が淹れても同じだ。お世辞なら贈り主に言いたまえ。」


腕を褒めておけば、自分が淹れなくて済む。そんな魂胆もありそうだ。


「才色兼備の出来た娘さんに乾杯だ。さて相棒、俺が挑むのはどんなヤマだ? 誘拐された令嬢の救出か? それとも失踪した大富豪の捜索かな?」


「家出した猫の捜索と、大富豪の愛人の浮気調査だ。」


お気に入りのサスペンダーを身に付けたマルセルは、力無くうなだれた。


「……またかよ……全然ハードボイルドじゃねえ……」


気落ちした探偵はホルスターも装着し、銃の代わりにハンディコムを入れる。拳銃の携帯許可は申請しているが、まだ下りていないのだ。軍人上がりのマルセルは、脇が膨らんでいないと落ち着かないらしい。


私も元軍人だが、銃を持とうとは思わない。撃っても当たらないからだ。いや、探偵をやるからにはFCSでもインストールしておくべきかもしれないぞ……


護身の事は後々考えるとして、今は新米探偵にやる気を出してもらわないとな。


「失踪した血統書付きの雌猫は、令嬢と言えなくはない。大富豪の愛人に接近してる優男だって、敵国のエージェントかもしれないだろう。何が不満なんだい?」


「俺は元森林衛士で…」


「ここはリグリット、首都にして大都会だ。レンジャー部隊の経験が、コンクリートジャングルで役立つとは思えないね。」


「元SWATで…」


「実に結構。地元警察とのコネがあればなお良かった。マルセル、市警に知り合いでもいるのかい?」


探偵の多くは元警官。なぜなら探偵業というものは、警察業務と重なる部分が多いからだ。マルセルも地元に帰れば警察の知己は沢山いるに違いないが、ここでは出所したばかりの根無し草だ。市民証は持っているが、ただそれだけ。


「……特殊部隊スペシャルフォースも経験している。」


「つまり、捜索も尾行も大得意だ。猫を探しながら、愛人もけられる。マルセル、社会の闇を暴くのもいいが、来月の家賃の支払いも考えるべきだよ。どうしても気が進まないなら、リリスに頼んで仕事を斡旋…」


「それはやらないと決めたはずだ。依頼書はこの封筒に入ってるんだな?」


私が頷くと、マルセルは封筒と中折れ帽を手に出掛けて行った。出所してからわかった事だが、相棒はカタチから入る人間だったらしい。コートと帽子だけ見れば、探偵らしく見える。


──────────────────────


オフィスに残った私は、もう一つの仕事を始める。ノアベルト・ヒューゲルは探偵社の経理担当と、私設図書館の臨時司書を兼業しているのだ。探偵社が軌道に乗るまで固い稼ぎが必要だと考えた私は、篤志家として有名なバクスター伯爵に自分を売り込んだ。


本好きが高じて、私設図書館まで運営している伯爵は、帝国図書館での勤務経験がある私を快く雇って下さった。伯爵家の執事は私の悪評を主に忠告し、連邦の不評を買いかねないと渋ったが、老伯爵は"天掛公爵はそのような事を気にされる方ではないよ。もし気にされるのであれば、ヒューゲル卿の出所を許さないはずだ"と一蹴した。


ローエングリン家と関わりがなくなった私に卿付けされるのはご遠慮願いたいと再三に渡って申し上げているのだが、バクスター伯爵は今も私をヒューゲル卿と呼び、度々屋敷にも招いて下さる。有難い事だ。


厚情に応えるべく、一心不乱にPCと格闘した私は蔵書リストを作り上げ、伯爵家に転送する。ブックスター図書館の蔵書は増え続けているから、私のアルバイトのタネが尽きる事はない。ちなみにブックスターとは、伯爵の仇名でもある。それ程の本好きなのだ。


「ヒューゲル卿、蔵書リストは受け取った。仕事が早くて助かるよ。」


リストを受け取った伯爵が早速通信を入れてきた。


「過分な報酬を頂いておりますから、この程度はやりませんと。」


「探偵社の方は順調かね?」


「ええ。今も立て込んだ仕事を片付けているはずです。」


仕事が少ないと正直に言えば、伯爵に心配をかけてしまう。浮気調査と家出猫の捜索でも、一日に仕事が二つもあった事が初めてなのだ。


「ハッハッハッ、浮気に悩む富豪は多いからねえ。おっと、浮気調査だと決め付けてはいかんな。」


「お察しの通り、浮気調査ですよ。ついでに家出した猫の捜索もやっていますが。」


長い顎髭を撫でた伯爵は、喉を鳴らした。


「家族にするなら犬に限るよ。フリードもそう思うだろう?」


「ワン!」


伯爵の愛犬・フリードマン三世は元気に返事をした。三代に渡って犬を家族にしている伯爵は本好きの犬好きだ。三代目はバイオメタル化しているそうだから、きっと長生きしてくれるだろう。


「ところで伯爵、ブックスター図書館も少し手狭になってきましたね。」


「うむ。そろそろ増築せねばと思っておる。電子書籍が主流になった今でも、紙の本の暖かさを守りたい。そう思って作った図書館だが、いささか蔵書を増やし過ぎたかもしれんな。」


まだまだ増やす気満々の伯爵は、増築に意欲を見せた。そうだ、以前から考えていた事を提案してみよう。


「増築に関しては提案があります。ブックスター図書館は、学術的にだけではなく、金銭的な価値も高い稀覯本が数多く収蔵されていますから、増築の際にセキュリティも強化すべきではありませんか?」


「確かに、文化遺産を強奪しようとする不心得者がいないとは限らないね。」


「嘆かわしい限りですが、文化を金銭に変えようとする輩も横行していますから、首都とは言っても用心はしておくべきです。」


金箔の革表紙に宝石が散りばめられた紋章図鑑に浮世草子の原本。洋の東西を問わず、億単位の値が付く本がかなりある。そこらの宝石店など及びもつかない宝の山なのだ。


「龍ノ島には"備えあれば憂いなし"という言葉があったな。……おお!そう言えば、龍ノ島出身の対テロ戦のスペシャリストと今夜会う予定なのだよ。彼の意見を聞かせてもらう事にしよう。」


文化は保全し、分かち合うものと考える好事家もいれば、独占したがる好事家もいる。経験から言えば、伯爵のような好事家の方が少数派なのだ。私が伯爵家の一員だった頃には、奪ってでも盗んででも、自分のコレクションを充実させようとする貴族を見てきた。だから故買屋なんてビジネスが成立するのだ。


帝国貴族の振る舞いを偉そうに論評するのもおかしな話か。かつての私が美術品の愛好家だったら、彼らと同じ真似をしでかしていただろう……


「それがよろしいかと。専門家の意見は貴重ですからね。おっと、依頼人がいらっしゃったようです。それではまた。」


呼び鈴が鳴ったので、ディスプレイに一礼してから立ち上がる。


「本業も頑張ってくれたまえ。近いうちに夕食に招待しよう。」


お誘いに感謝しながら、安普請のドアを開けたが、依頼人の姿はない。少し視線を落とすと、銀色の髪が目に映った。



「もうちょっといい場所を借りられなかったの? ビジネスには立地も大事なのよ。」

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