愛憎編9話 英雄として生まれた女と、英雄に成り上がった男



「田鼈ゲンゴを後任に充てる話なら、もうマリカから聞いている。シュリの後釜は大変だろうが、ゲンゴも田鼈の嫡流だ。期待しようじゃないか。」


磨き上げられたチーク材のカウンターに置かれた年代物のワインを、お高い椅子に優美に腰掛けた司令はデキャンタに移した。この部屋の調度品を全部足せば、ウン億になるんだろうな。何度来ても落ち着かない部屋だ。


「おまえも飲むか?」


「ワインは安物しか飲まない主義なんで、ビールを貰いますよ。」


無闇矢鱈に豪華な冷蔵庫から冷えた小瓶を取り出して、司令の真向かいの椅子に座る。


「さてカナタ、私に話しておく事があるのではないか?」


「司令もオレに話しておく事があるのでは?」


「心当たりが多すぎて、何の話かわからんな。」


「奇遇ですね。オレもそうなんです。」


冗談になってねえから始末に悪いな。いつの間にか、隠し事がいっぱいだぜ。


「では単刀直入に聞こう。ルシア閥のみならず、フラム閥にも急接近しているようだが、どんな意図があるのだ?」


その件か。まあ災害閣下は腹芸とは無縁なお方だ。日和見閣下は腹芸の塊だが、司令の洞察力と諜報網なら、接近に気付くだろう。まさか開発されたばかりの青鳩を共有している事までは、気付いてないだろうが……


「バラバラに戦っていたんじゃ勝てない。1本のマドラーと3本のマドラー、どっちが折れやすいかは言うまでもない事だ。」


サイコキネシスで引き寄せた木製のマドラーを3本重ねて、司令に見えるように圧力をかけてみる。


「なるほど。勝利の為に団結を図っているという訳か。しかしカナタ、おまえは勝つ気があるのか?」


「…………」


「戦争に勝つのにパーチやランキネンの力は必要あるまい。酸供連も通安基も、中立組織という体裁を保っている。腹の中では何を考えているかわからんが、体裁を崩せない以上、資金も支援も得られないはずだ。」


「キッドナップ作戦の時は、機構軍と酸供連が連んでいましたがね。ま、あれはそこそこな地位にいる幹部が、個人的に機構軍と繋がっていただけだ。パーチ副会長やランキネン副理事長が望んでいるのは、"平和"ですよ。彼らは組織の掲げた理念に忠実なんです。」


二つの中立組織が平和を望んでいるのは、組織の目的に合致しているからだ。ヒューマニズムがない訳ではないが、何より組織の掲げた理念の為に動いている。


「通安基が平和を望むのはわかる。戦争なんてモノは、通貨の価値を不安定にするだけなのだからな。だが酸供連は解せん。奴らのビジネスモデルは"酸素を供給し、見返りを得る事"だ。平和になって緑化事業が始まったら、お役御免で解体の憂き目に遭うかもしれんだろう。」


司令はパーチ副会長とは何度か会った事があるはずだ。……なるほど、副会長は司令が切れ者過ぎるから、警戒していたんだな。


「バルトロメオ・パーチはビジネスマンではありません。頭のいい理想主義者、と考えた方がいい。」


「私の知るパーチは、ビジネスマンそのものだったがな。街の権力者が変わっても、酸素供給施設の保護と援助を抜け目なく確保する男に見えた。違うのか?」


「違いません。ですがそれは、"この星に緑を取り戻す"という遠大な目的があってのロビー行動だ。パーチ副会長は、この星を元の姿に戻す事を夢見ている。」


「そして緑化事業が進めば、隠匿している種子と動物を解き放つ、か。自然界で絶滅した鳥や動物は、権力者の歓心を買う為の小道具ではなかった訳だ。フン!方舟計画とやらの余禄で、さぞかし大量の冷凍庫を抱えているのだろうよ。」


司令は酸供連が動植物をコールドスリープによって保全している事を知っていたのか。この分だと、通安基のボスが人工知能だってのも知ってそうだな。


「大量の冷凍庫を作るのに傾注し過ぎて、肝心の動物の保護が遅れたと嘆いていましたよ。世界各地に、在庫の山が眠っているはずです。」


パーチ副会長がマネジメントしていれば、もっと上手くバランスを取っていただろうに。だけど酸供連の前身組織が方舟計画を進めていた頃、副会長は生まれてもいなかったんだから、どうしようもない。


「タネ明かしをするとな。御堂財閥のコールドスリープ技術は、鉱山の掘削中に偶然発見した秘密施設を解析して完成したものなのだ。パーチにカマをかけてみたが、トボケられたがな。」


技術が追い付いたのではなく、パクったのか。パーチ副会長が"コールドスリープ技術においては我々に先進性があった"と豪語したのは、事実だった訳だ。


「ワルですね。ま、秘匿していた技術にゃ特許権なんぞないから、違法じゃない。酸素供給連盟は、緑化推進連盟に看板を掛け替えて、存続するでしょう。パーチ副会長は理想主義者にありがちな、現実軽視の悪癖はありません。」


現実軽視どころか、かなりのリアリストだ。状況が整うまでは息を潜めて、動かなかったんだからな。


「ビジネスモデルの転換まで視野に入れているのか。記憶力だけの男ではなく、とんだ狸だったようだな。」


副会長は戦っても強い。過去はよくわかっていない男だが、かなりの修羅場を経験している。金融一族の出身で、メガバンクから通安基に入ったランキネン副会長と違って、ミステリアスな面がある。


「狸だけに、緑豊かな星を取り戻したいのかもしれませんね。」


「……奴から近付いて来たようだが、十分に気をつけろ。実兄のアントニオ・パーチが、悪名高いエバーグリーンの創設者だと思われる。」


環境保護原理主義組織エバーグリーンのボスが、パーチ氏の実兄だと!?


「確かですか?」


「確たる証拠は得られていない。アントニオはずいぶん前からテロ組織のガバナンスを取れなくなっているので、逆に情報が掴めないのだ。既に殺されている可能性もあるな。」


この星に緑を取り戻す為に人間を排除する、それがエバーグリーンだ。パーチ氏の理念は、人間と自然の共生。過激思想に走った兄を手にかけたのは、ひょっとしたら……


「なるほど。自然を愛する兄弟の路線対立か。ありそうな話だ。」


人の心を映す鏡を持っている司令は、オレの推察をすぐに読み取った。御鏡家は帝の心を映す鏡の役目を担う血族だが、司令はその力を自分の為に使っている。御鏡の血を引いてはいるが、御堂家の当主であるという意識が勝っているのだ。


「エバーグリーンのやり方では緑を取り戻すどころか、荒廃を加速させるだけだ。バルトロメオ・パーチは、そんな愚行に与する男ではありません。」


エバーグリーンは頭のない蠍だ。残った手足が好き勝手に動き、統制が取れていない。自らをも含めた人類を抹殺しようとする超過激派もいれば、自然を愛する自分達だけは生きる権利を有すると考えるグループもいる。アントニオ・パーチは死んでいると考えるべきだろう。


「頭の潰れた節足動物の始末はいずれつけねばならんな。話を戻そう。おまえに勝つ気があるのか否か、そっちの方が余程重大な話だ。正直に言え。場合によっては停戦も辞さず、そういう考えでいるのだな?」


場合によっては、ではなく、この戦争を終わらせるには停戦しかない。それがオレの考えだ。だが、司令の意向にはそぐわないだろう。


「オプションの一つとして、考えてはいます。早めに布石を打っておかないと機能しない手ですから、根回しを始めました。」


「私に断りもなく、な。」


……総司令と神将の立ち位置ではダメだ。説き伏せるには鉛のように重い足を上げ、一段昇るしかない。


「言えば賛成してくれたのか?」


「………」


「あくまで機構軍の撃滅に拘るなら、オレはこれ以上、協力は出来ない。」


司令は拳でカウンターを叩きながら怒鳴った。


「ネヴィルやゴッドハルトを生かしておけば、禍根が残る!それがわからんおまえではあるまい!」


「西域の玉座に座った二人では、御堂イスカに勝てない。犬猿の仲ゆえ、手を結んで対抗する事もない。」


「奴らと停戦し、和平協定を結んだとしよう。圧政に晒される機構領の民草はどうなる? 救わなくていいのか!」


「圧政は同盟も同じだ!軍閥の威を借る輩が横行し、戦費を賄う高額の税に苦しみ、兵役の義務まで負っている!」


現状は悪政の比べ合いだ。同盟軍の方がちょっとマシ、という程度に過ぎない。


「神楼ではそんな真似を許していない!おまえだって連邦全土を神楼方式にしようと働きかけているではないか!あまねく世界を救う、それが父上の……我々の使命だぞ!」


「民を救うのは英雄、それは思い上がりだ。」


「なんだと!?」


「民衆を救うのは、民衆自身だ。暴虐な独裁者を生み出すのも民衆だが、それを糺すのも民衆。英雄は目立つところにいるだけだ。」


英雄は民衆をギャラリーだと考えがちだが、それは違う。歴史書に載る事もない、無名の民衆が歴史を創るのだ。


「私なら王と皇帝に勝てる。つまり、個人の力量に依存するという事だ。さっき言った事と矛盾しているようだが?」


「王も皇帝も"旗振り役"に過ぎない。御堂イスカには同盟市民の支持がある。終戦からしばらく経てば、機構領の市民は為政者の違いに気付く。"アイツらは自由を謳歌し、豊かな生活を送っているのに、俺達はどうしてこんな暮らしをしているんだ?"とな。」


足元が揺らげば、ゴッドハルトは方針を転換する可能性がある。ローゼもいるからな。だが世界制覇に固執するネヴィルは変われないだろう。サイラスはノルド地方の独立を模索し、ネヴィルを悩ませる。ノルド王国の復活は、サイラスとリチャードの知恵比べで決まるはずだ。


「私なら他国がうらやむ社会を実現出来る。より良き社会の存在を知った機構領の民衆は、自らの社会を変えようとする。気の長い話だな。」


「機構領の同盟化、それも我々の勝利だ。終戦後の同盟領は、空文化した同盟憲章を全加盟都市にキッチリ守らせる。アスラ元帥の掲げた、同盟憲章をな。」


オレは初期のアスラ元帥を支持し、後期のアスラ元帥を支持しない。平和の実現と社会の安定は、自らの努力で為し得るべきであって、細胞に組み込まれたシステムなんかに頼るべきじゃないんだ。


「……おまえの言いたい事はわかった。オプションの一つとしては有効だろう。だが、同盟側にも問題がある。三元帥は信用出来ん。」


トガに関しちゃ同感だな。だが両元帥とは共存が可能だ。司令は同盟を腐らせてしまった原因は三元帥にあると考えていて、それは間違いじゃない。だからこそ、この舵取りは難しい。


「どういうカタチで終戦を迎えるにせよ、いずれトガは潰す。ザラゾフ、カプランは状況次第だ。戦後にルシア閥を解体しようとすれば、内乱が勃発する恐れがある。ソフトランディングを模索すべきだろう。」


「風見鶏のカプランは新体制に靡くと考えているようだが、甘いぞ。武力より政治力が有効な局面になれば、良からぬ蠢動をしかねない男だ。」


三元帥との確執は、オレが思っている以上に根が深いようだ。一筋縄ではいきそうにないな。


「新しい風に靡くならよし。そうでなければ、暗闘も辞さずだ。」


「軍歴二年の男が、元帥を潰すと豪語するようになったか。頼もしい事だな。」


「格好のお手本が身近にいたんでな。不服か?」


尋ねながら、ビールを口にする。司令と同じ高さで話してると喉が渇くぜ。慣れていないし、ガラでもない。


「いや、喜ばしい。……肝心な事を確認しておこう。カナタ、おまえはかけがえのない友を失った。真の痛みを知ってなお、これまで通りに戦えるのか?」


「これまで以上に戦えるし、殺せるさ。オレの行く手を阻む者は、神であろうと容赦しない。」


「ならば良い。今後の活躍に期待しよう。さて、おまえも既に嗅ぎ付けているはずだが…」


そこからは、トガ派が開発している秘密兵器の話になった。御堂と御門の入手した情報を照らし合わせた司令は、トガが開発させている兵器とは、"バイオメタル用の強化外骨格"であろうと推察する。


「パワードスーツか。トガ派の兵士は軒並み適合率が低い。身体能力を補うにはうってつけだな。」


司令は紫煙を燻らせながら頷いた。


「低いのは適合率だけではなく、念真強度もだ。マグナムスチールの装甲で守備力を補う狙いもあるのだろう。算盤屋にしては、マシなアイデアだ。」


おやおや、司令が吝嗇兎ケチウサを褒めたのは、初めてじゃないかな?


トガ派の新兵器を含む、いくつかの謀議を終えたオレは席を立った。停戦への道に協力はして貰えずとも、容認は得られた。十分な成果と言えるだろう。


退出する間際、司令がオレの名を呼んだような気がしたので振り返る。


「司令、何か言ったか?」


司令はいつものように威風堂々と、自負と自信を漲らせる姿のままだった。背中越しに戸惑いの気配を感じたような気がしたが、考えてみれば、この女傑が逡巡する訳がない。



「カナタ、私は…………私は少し、父との思い出に浸ろうと思う。もう下がって良い。」

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