愛憎編5話 私に出来る事
※ローゼ・サイド
修理ノ介さんの戦死の報を受けてから二日、何をやっても落ち着かない。彼と会った事はないけれど、魔女の森でカナタから話を聞いていたから、知己のような気持ちでいた。
剣狼の盟友、空蝉修理ノ介。実際に会える日を心待ちにしていたのに、こんな事になるなんて……
「姫、動物園の熊じゃあるまいし、歩きたいなら庭でも散歩してきたらどうだ?」
親指の爪を噛みながら、部屋の中を右往左往するボクに、少佐はそんな事を言った。
「少佐、カナタに会う方法はありませんか?」
「あったら教えてる。今、姫に出来るのは"信じる事"だけだ。」
カナタが失意の底にいるのに、信じる事しか出来ないの? 傍にいられない事を、こんなにもどかしく思った事はない。
「……カナタは立ち直れるでしょうか?」
「……わからん。だが立ち直る前提で考えないと、どうにもならんよ。薔薇園に探りを入れるのは不可能だから、今の様子も不明だ。ロックタウンの下屋敷に家人衆が詰めているから、あまり状態がよろしくないと推察してるがね。」
手詰まりになった時に必要なのは、発想の転換だ。これもカナタから習った事なんだけど。
まず、ボクがカナタに会う方法はない。これはハッキリしている。じゃあ出来る事は何もないのだろうか?
そんな事はないはずだ。傍にいる事だけが、寄り添う事じゃない。
「……剣狼もこんな形で至宝刀を手にするとは思ってもみなかっただろうな。」
少佐がポツリと呟いた。そうだ、修理ノ介さんは赤く波打つ刀紋を持つ至宝刀"紅蓮正宗"を所持している。山荘で会談した時にカナタに見せてもらったあの刀は……
「修理ノ介さんが愛刀を託す相手はカナタしかいませんよね!」
「侍にとって刀は魂だ。愛刀を託すってのは、魂も託すって事さ。幻影は忍者だが、そこらは同じだろう。」
私が志半ばにして斃れる時には、ヒンメルヴォルフに魂を込めて、
……そうだ!私にも出来る事があった!
「少佐、私は少し出掛けてきます。暫く留守をお願いしますね。」
「それでいい。何を思い付いたかわからんが、それが"姫に出来る事"だ。」
刀に魂が宿るのなら、私の魂、祈りも宿るはず。今の私に出来る事をやるだけだ。
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鉄斎先生の新しい工房は中立都市・カムランガムランにある。アシェスを伴って工房を訪ねた私を、先生は快く出迎えてくれた。
「よう来なさった。刀造りも一段落したから、茶でも淹れよう。」
「それは私が。先にお土産を見て頂きたいのです。」
「ほっほ、
「先生、これをご覧下さい。」
アシェスが包みを解くと、中から鉄塊が現れる。朗らかに笑っていた刀匠の目が鋭くなった。
「これは玄武鉄!……なるほどのう。刀を打つしか能のない爺ィに他の用などありゃせんか。」
厨房で淹れたお茶をお盆に載せて、工房に戻る。
「先生、お味は如何ですか? これでも結構、練習したのですよ。」
ズズッと渋茶を啜った刀匠は、おもむろに感想を述べた。
「上達された、と言っておくかのう。姫、入手困難な玄武鉄をよう手に入れなさったが、いささか量が足りぬ。刀を打つのは無理ですぞ。」
満足した、ではありませんか。まだ修行が足りませんね。ですが、玄武鉄の量は足りているのです。
「打って欲しいのは脇差です。至宝の脇差、"蝉時雨"の作製を依頼したいのです。」
「ほう、蝉時雨とな。蝉は空蝉、時雨は師の名か。……誰に贈る脇差かわかったような気がするのう。」
やはり鉄斎先生は、紅蓮正宗の使い手と、その盟友の事をご存知のようだ。
「紅蓮正宗は初代鉄斎、会心の一振りと聞き及びます。対となる脇差も同等の力がなくてはなりません。」
「儂に初代様に挑めと申さるるか。……面白い!五代目鉄斎、渾身の一振りをお目にかけましょうぞ。となれば、まず引っ越しじゃな。ここは来客が多うてかなわん。」
鉄斎刀を欲しがる人は引きも切らない。世界最高の刀匠となれば、当然だ。
「マウタウに工房を御用意しました。誰にも邪魔はさせません。」
「準備の良い事じゃて。では早速、出立致そう。」
これでいい。私の想いを込めた一振りを、愛する人に贈ろう。
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※カナタ・サイド
シュリがいなくなってから、時間の概念が希薄になった。あれから何日経ったんだろう?
締め切ったカーテン越しに感じる光の増減で昼夜をボンヤリと感じはするが、世界は真っ暗なままだ。リリスは"視力が戻るまで時間がかかる"と言っていたが、ただの気休めで、オレの目は光を取り戻す事はないのかもしれない。もうどうでもいい事だが。
「……
……オレはこの星に来てはいけなかった。地球で、親のスネを囓りながら、無気力な肉塊のまま暮らすべきだったんだ。
いくら後悔しても、時間は巻き戻らない。空蝉修理ノ介はもういない。オレなんかより、遥かに生きる価値があった男の人生を、オレは奪ってしまったのだ。
開ける気もない瞼の向こうに、友の寂しげな顔が浮かんだような気がした。
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※ホタル・サイド
どんなに打ち拉がれようとも、朝日は昇る。私はベッドから起き上がり、カーテンを開けた。眩しい陽光が部屋の中に差し込んでくる。
「……泣くのは昨日まで。そう決めたでしょ。」
ガーデンに戻ってから三日三晩、泣き続けた。私にとっては必要な停滞、だけどもう歩き出さなければ。
「ホタル、悲しみが癒えるまで、無理はせずとも良い。」
腕組みしたまま椅子に腰掛け、俯き加減に眠っていたシグレさんが、目を覚ましたようだ。
「悲しみが癒える事などありません。ですが、この胸が張り裂けそうな想いが、私が生きている証。……そしてあの人が存在し、愛し合った証なんです。」
空蝉修理ノ介が愛した女として、私に出来る事がある。あの人の心友を、この星を救えると信じた男を、復活させなければならない。
「悲しみもまた……生きる証、か。ホタルの言う通りだ。人は誰しも、悲しみたくないし、苦しみたくもない。だが喜怒哀楽は表裏一体。避けられないなら、受け入れる以外あるまい。それがどんなに大きな悲しみであったとしても、な。」
私は心の底からあの人を愛した。無上の喜びがあったからこそ、深い悲しみがある。私はあの人の笑顔を思い出して喜び、早過ぎる死を悲しみながら生きてゆくのだろう。
……いいえ。あの人の魂は私の中で生きている。この魂を継承してゆく事こそ、私の使命よ。
「はい。私が悲しみに囚われたままでは、あの人が悲しむでしょう。愛する喜びを思い出す為にも、私は"私に出来る事"をやるんです。」
カナタを救いたいと思っているのは、私だけじゃない。だけどみんなは、私を信じて大役を任せてくれたのだ。寄せられた信頼に必ず応えた男の妻ならば、同じ事が出来るはず。
空蝉修理ノ介の妻として、天掛カナタの親友として、この星の未来を憂う一人の女として、必ず剣狼を蘇らせる!!
「頼むぞ。ホタルなら出来る!」
立ち上がった親友の師と拳を合わせる。
「はいっ!シグレさん、行きましょう!」
軍服に着替えた私は、ずっと枕元に置いていたあの人の眼鏡を胸ポケットに入れた。
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カナタに会う前に医療棟の長、ヒビキ先生と面会し、カナタの容態を聞いてみた。敵から受けた戦傷は皆無でも、人外の殺戮念波と膂力を行使した代償はあったに違いない。しかし主治医の話では、それらは回復しているとの事だった。夫の親友は、タフさにおいても群を抜いているようだ。
「じゃあカナタの体は完全に回復しているんですね?」
ヒビキ先生は溜息をつきながら頷いた。
「そのはず、なのよ。だけど視力だけが戻らないの。」
「原因はわかっています。私がなんとかしますから。」
私も邪眼使いだからわかる。邪眼は主の意想を強く反映するのだ。
誰よりも広く、この世界を見てみたいと願った私の複眼が、千里眼へ変化したように。
あの人の死に憤激したカナタが、目につく敵をあまねく死の世界へと送る邪狼の目に開眼したように。
今、カナタの目が見えないのは、
「あら、ガーデンには私以外にも名医がいたのね。あと、これは推測なんだけど、ブチ切れた時のカナタ君は、適合率が100%を超えていたと思われるわ。」
「えっ!?」
適合率が……100%を超える?
「ヒビキ、そんな前例はないだろう。何かの間違いではないか?」
シグレさんが疑問を呈したが、ヒビキ先生は譲らなかった。
「カナタ君が現れるまでは、念真力は成長しないモノとされていたわ。スキルをラーニングする能力なんてのも前代未聞。天掛カナタは、"前例破りの常習犯"なのよ。これでも的外れって言える?」
「……確かにな。カナタに常識は当て嵌まらない。まさかと思うような事ほど、やってのける男だ。しかし、適合率100%オーバーは、身を滅ぼしかねない。自制させる必要があるな。」
少し前にザラゾフ元帥(というよりその奥様)から頂いた贈り物に、野太い筆跡のメッセージカードが添えてあった。
"卿らの友は人を極めし者だ。人という枠の中でこそ、輝く男と知れ"
生まれついての人外を自負する英雄は、カナタの危険性にも気付いていたのではないかしら?
「憤怒のあまり、人の領域を超越したカナタは、人外をも超える絶大な力と引き換えに身を滅ぼしかけました。私達は、カナタを人の領域に留めなくてはならないんだわ。」
地球にいた頃のイジケ虫に戻っちゃったカナタを、狼に戻すのが先だけれどね。
見ていてね、シュリ。私はやってみせるから!
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