愛憎編3話 "黒狼"アトル
※アトル・サイド
テムル様に王者の資質を見出した私は、生涯家族を持たないと決意した。いかなる場合であっても、テムル様と天秤にかける存在があってはならないからだ。私などとは比べ物にならないぐらいの名家に生まれながら、未だに独身を貫いている東雲中将も、同じ気持ちではないだろうか?
「参謀長、この部屋です。」
営倉を管理する尉官に案内され、裏切り者が収監されている独房の前に立つ。
「私が出て来るまで、誰も入れるな。」
「ハッ!」
釘を刺しておいてから、独房へ入る。中にはやつれ果てたバドバヤル大佐が、粗末なパイプ椅子に腰掛けていた。後ろ手でドアを閉めると電子錠が起動し、ロックがかかる。私は壁に立てかけてあるパイプ椅子を足で引っ掛け、殴るように開いて床に置き、腰掛けた。
「大佐、何か言いたい事はあるかね?」
「……娘は、アリマは無事なのか?」
「無事だ。良かったな、大佐が国を売ってまで救おうとした妻子は我々が保護している。」
空蝉夫妻の活躍によって、計画を大幅に狂わされたベルゼは、娘を殺害する余裕を失った。異名兵士"幻影"の救った市民の中には、大佐の娘も含まれているという訳だ。
「妻子が無事なら、もう望む事はない。」
「今は無事だが、この先はわからん。貴官の裏切りによって、多数の犠牲者が出ている。遺族の誰かが報復の刃を向けても、止める気にはならないね。」
こういう事を言ってしまうから、私には人望がないのだろう。別に徳望の士になりたいなどと思っていないから、一向に構わないが。私は武徳の王者を支える
だからといって何をやっても良いという訳ではないが、汚れ役のマナーは心得ているつもりだ。
「参謀長!私はどうなっても構わん!妻子の命だけは守ってくれ!」
「…………」
「頼む!先祖が築いてきた家名を地に落とし、刑場の露と消える男を憐れむのなら、妻子だけは守ってくれ!」
あれだけの市民を死なせておいて、家族にだけは拘泥するのか!犠牲になったのは市民だけではない!貴様のせいで、どれだけの兵士が死に、孤児と未亡人が生まれたと思うのだ!
その未亡人の中には剣狼殿の親友、空蝉ホタル殿も混じっているのだぞ!
「地に落としたのではない。奈落の底に堕としたのだ。ザインジャルガ地方で"バドバヤル"の名は"裏切り者"の代名詞となるだろう。貴官は不動の悪名を後世に残すのだ。」
「どうか……どうか妻子だけは……」
縋り付こうとする大佐の足を蹴飛ばして転倒させる。なんたる女々しさ、それでも中原の男か!
「貴官の妻子は"証人保護プログラム"と同一の処置が取られる。名を変えて、ザインジャルガから遠く離れた衛星都市で、ひっそりと暮らす事になるだろう。護衛も付いているから、心配はいらない。私は不服だが、テムル様がお決めになった以上は従うさ。」
四つんばいになって嗚咽していた大佐は、テムル様の滞在する市庁舎の方角に向かって何度も拝礼し始めた。
「……テムル様の御慈悲に感謝致しまする……」
「貴官はそんな慈悲深き王を裏切ったのだ。テムル様の御慈悲はまだある。」
私は清められた懐剣をポケットから取り出し、拝礼する男の前にそっと置いた。
「……私に、裏切り者の私に懐剣を賜ると!?」
「そうだ。"バドバヤルの裏切りは許し難いが、家族を人質に取られた苦悩は察するに余りある。中原を駆けた氏族の長が銃殺では不憫。この懐剣を渡すがいい"と仰せでな。」
揃えた両手で懐剣を掲げた大佐は、深く頭を下げてから、首筋に刃をあてる。
「テムル様、重ね重ねの御慈悲、深く御礼申し上げまする。参謀長、"死して償える罪にあらずとも、バドバヤルは心から感謝していた"とお伝えくだされ。」
「伝えよう。さらばだ、大佐。」
「慈悲と武勇の王、テムル様に蒼き狼の加護を!!」
大佐は首筋にあてた懐剣で、喉笛を掻き切って果てた。
……家族を持たない決断は正しかったようだ。私は大佐と違って、テムル様の為ならば、全てを捨てられるのだから……
──────────────────
裏切り者の処断を終えて市庁舎に戻った私は、被害報告書に目を通し、急ぎの案件の決済を済ませた。
……そろそろ会議の時間だ。私は考えを巡らせながら、議事堂へ向かった。
狼の間には、軍の高官と市の要人が集まっていた。テムル様の御席の左隣が私の定位置だ。人望に欠けるナンバー3と同席する事になった要人達は、トップとナンバー2の到着を待ちわびているだろう。
「皆、揃っているようだな。」
バダル副師団長を従えたテムル様が入室すると、一同は立ち上がって、右手を左胸の前に掲げる。
「皆の者、ご苦労。着座せよ。」
バダル副師団長が着座を命じながら、テムル様の右隣の敷布に座る。中原の民は公式の場でも椅子とテーブルを使わない。族長を円の頂点に頂き、車座に座るのが伝統だ。
「アトル、バドバヤルはどうなった?」
テムル様は答えを知っているが、あえて問うてきた。
「テムル様から賜った懐剣にて、自刃されました。"死して償える罪にあらずとも、バドバヤルは心から感謝していた"と
市の要人の何人かが、沈黙したまま目を伏せた。彼らは裏切りを拒んだが、代々仕えた主家の助命も嘆願していた。本気か否かはわからないが、助命嘆願が通るとは彼らも思っていなかっただろう。同盟軍人でもある大佐は、軍法に則れば銃殺刑。叛逆とはそれだけ重い罪なのだ。
バドバヤル家の長老が、氏族を代表して口を開く。
「テムル様、族長が自刃なされたのはやむを得ない事かと思いまする。氏族の意向を申し上げてよろしいですかな?」
「かまわん、申せ。」
「幸いな事にアリマ様はご無事でした。我らはアリマ様を長として、氏族を再建しとう御座いまする。」
「ふむ。……アトルの考えを聞きたい。」
この流れは事前に打ち合わせ済みだ。
「なりませぬ。バドバヤル氏族は解体し、各々の家はテムル様が統べるべきでしょう。それには三つの理由がございます。」
「三つの理由か。皆にわかるように説明しろ。」
私は敷布から立ち上がって、お家再興を願う者達を見据えながら理由を挙げてゆく。
「理由の一、ザドガトの住民はバドバヤル氏族だけではない。先の一件で街は多大な犠牲を被りました。バドバヤル氏族ではない住民は、復権など望まない。アリマ様を市長に戴く事は、最前線の街で多数の不穏分子を抱える事になりましょう。」
ザドガト住民に占めるバドバヤル系氏族の割合は約30%。第一の理由だけでも解体するには十分だ。
「理由の二、アリマ様は統治の経験も、軍事の経験もない。また、氏族にとっては正当血統であろうとも、同盟全土にとっては"裏切り者の娘"だ。もちろんアリマ様に責任がない事は私も承知している。しかし、風評までは止められん。言葉を飾らずに言えば、氏族以外は誰も支持しないのだ。」
罪人の家族に罪はない。しかし、世間は道理で回っていない。中原にいる限り、残された妻子は報復に怯えながら暮らす事になる。残念ながらこれが現実だ。
「我々が盛り立て、お守り致しまする!氏族の優れた戦士と妻合わせ…」
長老が反論を終える前に、最大の理由を突き付ける。
「理由の三!これが最も重要だ!バドバヤル家の復権をドラグラント連邦がどう思うか!連邦との友好関係を維持する為には、"バドバヤル大佐は大罪人である"と宣言する必要がある!当然、声明には新市長が率先して賛意を示さねばならんが、"母と自分を誰よりも愛し、全てを投げ打った父"を娘に糾弾させるつもりか!」
「た、大龍君も先帝の罪を糾弾された後に、彼の島を統治されました。前例が龍ノ島にある以上、ザドガドとて…」
おまえ達の本音は見え透いている!アリマ様を神輿に担ぎ、街の実権を手放すまいとしているだけだ!
「大龍君は龍弟公と共に都を奪還し、龍ノ島を解放したという実績がある!翻って、アリマ様はどうだ? 誰がこの街を守った? アリマ様か? 貴公らか?」
「そ、それは…」
「この街を守ったのは修理ノ介殿と、彼の呼びかけに応えた勇士達だ!武器を手に立ち上がった市民、大佐の命令に従わなかった兵士の大半は、バドバヤル系の氏族ではない!」
バダル副師団長が立ち上がり、私の肩を抑えて着座させた。
「参謀長、そこまでにしておけ。長老よ、氏族の再建を願う気持ちはわかるが、事の発端が大佐にある以上、それは難しい。それでも復権を願うのならば、貴公らが街の為に尽力し、市民の理解を得るしかない。それは並大抵の事ではないぞ?」
誰よりも早く救援に駆け付け、機構軍を街から追い払った副師団長はその功により、准将に昇進した。元より名門のバダル家だが、名実共にザインジャルガ方面軍のナンバー2と認められたのだ。
「ハハッ!氏族を挙げて尽力致しまする!」
氏族を挙げて、だと? そんな事はさせんよ。私がバドバヤル氏族を切り崩す。
私は中原の蒼き狼の影、"黒狼"アトルだ。蒼光が輝きを増せば、影も色濃くなる。私のような男が用済みとなる時代を創る為に、この身を捧げよう。
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