第十四章 愛憎編
愛憎編1話 失意の狼
死は恐ろしいものだが、究極の安息でもある。悲しみしかない世界に生きて、なんになるんだ。だからもう、目が覚めなくてもいい。空蝉修理ノ介がいない世界なんて、無意味で無価値だ。
願いは届かず、オレは目を覚ましてしまった。
「……そろそろ目を覚ます頃だと思ったわ。」
……そうか。オレにはリリスが……生死を共にすると約束したリリスがいる。オレが生きるのをやめたら、リリスも生きるのをやめてしまう。それがわかっているから……辛い。
「……ここはガーデンか?」
「ええ。少尉は三日ばかり、眠っていたの。」
「……あれは夢だった、とは言ってくれないんだな……」
「だって現実だもの。気休めが御入り用ならいくらでも用意するわ。だけどその前に、私の目を見て。」
オレは身を起こして、声のする方を見ようとした。目を開けても、世界は真っ暗なままだ。
「……見えない……リリス、どこにいる?」
「目の前にいるわ。ヒビキの話じゃ、視力が戻るまで時間がかかるそうよ。今は見えなくても大丈夫だからね。」
この目で……怒りに任せて……あれだけの殺戮をやらかした。記憶が定かじゃないが、殺しまくった事だけはボンヤリと覚えている。
「……そうか。リリス、悪いがしばらく…」
「独りになりたい、でしょ。わかってる。だけど少尉、
静かにドアが閉じる音がして、オレは独りになった。リリスの前では我慢していた涙が頬を伝う。空蝉修理ノ介はもういない。心に空いた大穴から冷たい風が吹き込んでくる。
「……シュリ……オレを残してなぜ死んだ……」
虚無感と同時に、戦いへの疑念が湧き上がってくる。
「……今までオレは、何人殺した?」
覚えてない、数え切れない。その数え切れない敵兵の中には、誰かにとっての大切な友が、愛する家族が、かけがえのない仲間がいたはずだ……
……ダメだ。オレはもう戦えない……戦いたくない……
─────────────────
※リリス・サイド
「遅いぞリリス、どこで道草食ってた?」
マリカは私の姿を横目で見ながら、短くなった煙草を灰皿に押し付けた。クリスタルガラス製の灰皿には吸い殻が山のように積み上がっている。綺麗好きのマリカらしからぬ事だ。
「少尉のとこに決まってるでしょ。丁度、目を覚ましたから、少し話をしてきたわ。」
マリカのプライベートサロンには五人の女が集まっている。マリカ、シグレ、シオン、ナツメ、それに私だ。
「カナタのところへ行って来る!」
ナツメが駆け出したけど、私はドアの前から動かない。
「どいて!私、カナタに会っ…」
「会っても無駄。今の少尉には誰の言葉も届かないわ。」
「会ってみなきゃわからないでしょ!」
新しい煙草に火を点けたマリカが、ナツメの腕を掴んで強引にソファーに座らせた。
「落ち着け、ナツメ。おチビがそう言うなら、そうなンだろうよ。そこで相談だ。誰が、どうやって言葉を届かせる? アタイの見立てじゃあ、カナタは"もう戦いたくない"とか思ってるはずだ。」
少尉がいないと、案山子軍団だけではなく、アスラ部隊が機能不全に陥る。剣狼カナタはいつの間にか、軍神イスカと並ぶアスラの心肺になっていたのだ。このままでは、片肺飛行を余儀なくされるだろう。
少尉の重要性を理解している部隊長達や、主君と仰ぐ八熾の家人衆も立ち直らせる
……私は……少尉がもう戦いたくないと思っているなら、戦わせたくない。戦乱を終わらせ、少尉が私のヒモになるスイッチがあるなら迷わず押す。だけどそんな便利アイテムはないし、時代が少尉を必要としているのだ。
私と姉もどき達で、少尉を殿様退屈男にするには、戦乱を終わらせなければならず、戦乱を終わらせる為には、少尉を復活させなければならない。とんだパラドックスね。
「カナタが落ち着いたら、師の私が話をしてみよう。正直、私自身がシュリの死を受け止められてはいないのだが……」
シグレに限らず、誰もがそうに違いない。人の死に無頓着なトゼンでさえ、"シュリのバカが!説教係がおっ
全く同意見ね。
「トゼンさんがシュリに"カナタは光と闇、どっちにでも振れる
それは正妻の私の仕事よって、でしゃばりたいところだけれど、今はそんな事を言ってられる状況じゃない。
「……シオン、その役目は私に譲って。」
静かにドアが開かれ、泣き腫らした目のホタルが部屋に入ってきた。シュリの遺体と一緒にガーデンに帰投してきたホタルは、マリカのプライベートサロンで静養しているのだ。雑音から遠ざけ、家族同然のホタルを一人にさせないという、マリカなりの気遣いなのだろう。悲しみを分かち合う意味もあったに違いないけど……
足元の覚束ないホタルを支えてあげたいけれど、私では背丈が足りない。ホタルの親友でもあるシオンが華奢な体を支えてソファーに座らせる。女五人はホタルを囲むように椅子やソファーに腰掛けた。
涙に濡れる瞳で五つの視線を受け止めながら、ホタルは口を開いた。
「……シュリはカナタの事を誰よりもわかっていたから、こうなるだろうと予測していたわ。だから口吻しながら、テレパス通信で後事を私に託したの。"カナタを立ち直らせるのはキミだ"って。……私はあの人の願いを遂行する。」
……激情家のマリカが、妙に落ち着いていたのはそれでか。いの一番に動くと思っていたのに、悲しみに浸り、何かを待っている風だった。マリカはシュリの遺した意志が動き出すのを知っていたのだ。
「……ホタル、やれるのかい?」
色の違う左右の目の奥に輝く強い光。マリカはホタルの覚悟を問うている。
「出来ます!私は空蝉修理ノ介の妻ですから!」
与えられた任務は必ず遂行する男、それが空蝉修理ノ介だ。
「わかった。カナタの再起はホタルに任せよう。みんな、それでいいな?」
女五人は頷いた。私が動きたいのは山々だけど、シュリが少尉を立ち直らせるのはホタルだと考えていたなら、任せるのが筋だ。
吸い殻を灰皿ごとゴミ箱に放り込んだマリカは、親友に頼み事をした。
「シグレ、ホタルの付き添いを頼む。この任務を遂行するには、体調も整わないといけない。」
「あいわかった。ホタル、誰よりも辛い身でありながら、よくぞ決心してくれた。心根の強さに敬服するぞ。」
シグレに手を引かれたホタルはソファーから立ち上がる。
「強くありません。だけどカナタは大切な友です。このままにはしておけない。親友の為に、夫の為に、そして私自身の為に、やらなければならないんです!」
……そっか。シュリがホタルに後事を託したのは……
指揮官の顔になったマリカは、次々と指示を出す。
「シオンは八熾の庄に行って、雁首揃えて談義している家人衆に事情を説明しろ。リリスは隊長連、ナツメは中隊長どもにナシを付けな。勝手に動かれたら面倒だからね。」
「あいなの!」 「ダー。すぐに八熾の庄へ向かいます。」
「マリカはどうするの?」
私が訊くとマリカは腕時計に目を落とした。
「アタイは貴人担当さ。そろそろミコト姫がガーデンに到着する。あのお姫様ときたら、一報を受けて即座にすっ飛んで来ようとしたらしいが、宰相殿に"急行すれば、カナタ君の不調を内外に喧伝するようなものです。連邦男爵に弔慰を示す形を崩してはなりません"って止められたらしい。だから体裁を整え、弔問団の長として来訪する事になった。それでも異例の事だがな。」
私人としての心情を抑え、国家元首としての責務を果たせ、か。バドバヤル大佐には、御鏡雲水のような優れた補佐役がいなかった。私情を優先し、守るべき民を顧みなかった結果が"ザドガトの悲劇"を招いたのだ。妻子か市民か、難しい立場にあった事は理解出来るけれど、同情は出来ない。ベルゼ一党の戦死を知ってすぐに叛乱軍に投降を命じたが、失われた人命は返ってこないのだから。
"バドバヤルにはケジメを付けさせる"
アトル中佐がそう断言した以上、バドバヤル大佐の命はない。国内を引き締める為にも、ドラグラント連邦との友好関係を維持する為にも、大佐には死んでもらわねばならないのだ。かける慈悲があるとすれば"死に方を選ばせる"ぐらいなものだろう……
「悲しむのは後!今はやるべき事をやらないと!」
ナツメは頬を叩いて気合いを入れ、自分に言い聞かせる言葉を紡ぎながら動き始める。火隠衆のナツメは、私やシオンよりシュリとの付き合いが長い。思い出が多いだけ、悲しみも深いはずだ。妹みたいな姉が悲しみを堪えて動こうとしているのに、私が動けないなんてあり得ないわよね?
「自称・兄貴分や姉貴分どもの説得は任せて!引っ叩いてでも、ふん縛ってでも、邪魔はさせないから!」
最初に説得するべきなのは、お節介な三馬鹿ね。ヘボ俳人は最後に回して大丈夫。※根暗ツインズも後回しでオーケー。三馬鹿を説き伏せたら、次はアビーかしら?
私は少尉の最大の理解者を自負していたけれど、シュリも負けず劣らずだったらしい。わかっていたけど、大した男ね。
ホタルが少尉を立ち直らせる為には、まずホタル自身が立ち直らなければならない。空蝉修理ノ介は、愛する妻とかけがえのない友を同時に救う手立てを講じておいたのだ。
※根暗ツインズ
ダミアン・ザザと阿含一角。この二人は同い年で、誕生日まで同一のようです。
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