慟哭編38話 虹の掛け橋



「兄貴、全部片したぜ。シュリさん、無事で良かっ…」


化外兵と機構兵を殲滅したリックも戦傷に気が付き、顔が強張る。


「ご苦労様。リック、負傷兵の搬送と再布陣を頼むよ。まだ戦いは終わってない。」


シュリはリックと拳を合わせる。リックのゴツイ拳は小刻みに震えていた。


「シュリさん、すぐに手当てを。きっと間に合…」


「時間がない。術の効果が切れたら、僕は死ぬ。命が尽きる前に、カナタに託す物があるんだ。」


何を託したいのかわからないが、リックの言う通りだ。諦めてたまるか!


「まだ終わってない!死なせてたまるか!足掻かなければ、奇跡だって起きないんだ!リック、敵襲に備えろ!俺はシュリを乗せて…」


シュリの手当てをやり直してサイドカーに乗せ、一番近い医療ポッドで治療する。そうすれば…


「カナタもわかっているはずだ。たとえ現し身の術を使わずとも、この傷は致命傷だと。残り僅かな時間を無駄にしないでくれ。」


シュリは街路樹に背を預けながら、石畳に腰を下ろした。傍で両膝を着いたホタルが、しっかりとシュリの右手を握る。妻の頬を流れる涙を指先で拭ったシュリは、優しく微笑んだ。


「ホタル、ゴメン。僕は…」


「謝らないで。私は世界一幸せな女よ。あなたと出逢って愛し合い、魂で結ばれたんだもの。」


「うん。僕もホタルと出逢えて幸せだった。」


オレは涙を堪え、片膝を着いて友に寄り添う。時間を止める能力を持っていない事を悔やみながら……


「カナタにこれを託す。」


シュリは左手で腰の刀の紐を解き、愛刀をオレに託そうとした。


「ダメだ。この刀はおまえの魂じゃないか!」


「魂だからこそ託すんだ。さあ受け取ってくれ。僕は剣狼の友として、共に戦った事を誇りに思う。カナタが同じ気持ちでいるのなら、紅蓮正宗を手に取るはずだ。」


シュリが死ぬなんて認めたくない!だけど……


「同じ気持ちに決まってるだろ!おまえはオレの生涯の友だ!」


オレが至宝刀を受け取ると、シュリは心から安堵したようだった。腰のベルトポーチから戦闘中は外している眼鏡を取り出し、微笑みながらかけてみせる。


「……人は自分というレンズを通してしか世界を見る事が出来ない。そして、そのレンズには度の強弱もあれば、独自の色も付いている。だけど僕達は、同じレンズを通して世界を見ている。これは奇跡なんだよ。」


「ああ。三人で誓ったよな。オレ達は同じ夢を抱き…」 


友に贈る言葉を、妻が締めくくった。


「…同じ未来を見ている。」


シュリは、いつものように眼鏡のブリッジを人差し指で抑えてから、指先で空を示した。


「……見てごらん。」


友の指差した先には虹が、今までに見た事がないような、大きな虹が浮かんでいた。鮮やかな夕暮れの空、雲の合間から差し込む夕陽、天に向かって伸びる七色のアーチ。こんな時じゃなければ、虹が消えるまで見入っていただろう。


「ホタル、僕と…」


「キスしましょう。あなたを永遠に愛します。」


「僕もだ。」


強く抱き合ってから長い口吻を交わす二人。口吻を終えた後にしっかりと手を握り合い、視線を絡めるように見つめ合った。そして……親友の瞼が……ゆっくりと閉ざされる……


「シュリ~~~~~~~~!!」


オレは大声で友の名を叫び、ホタルは亡骸の頬にそっと唇を寄せた。


……コロシテヤル……オレノトモヲ……ウバッタヤツラヲ……


抑えても抑えても、ドス黒い怒りが湧き上がって来る。心に亀裂が入る音が、確かに聞こえた。


───────────────────


※リック・サイド


兄貴は世界最強の軍人だ。だけど、たった一つだけ、軍人に向いてないところがある。


剣狼カナタの欠点、それは"情に厚すぎる事"だ。兄貴は仲間を大事にする男で、中でもシュリさんは特別だった。戦友の中の戦友で、誰よりも兄貴を理解し、同じ道を歩んでくれた。失ってはならない盟友を欠いた兄貴は、今までのように戦えるだろうか?


俺がシュリさんの代わりを務めたいが、到底、心の空洞を埋められるとは思えない。弟分の俺でなくとも、空蝉修理ノ介が余人を以て代え難き男である事を知っている。何よりも俺自身が、シュリさんの死を受け入れられないでいるんだ……


悲しみに暮れていた二人が、ハッとした顔で空を見上げている。なんだってんだ?


「あれは!!」


虹の掛け橋に光が!淡く輝く光の珠が、ゆっくりと天に昇ってゆく。


「きっと、シュリさんの魂が天国に向かっているんだ。そうに決まってる!」


淡い光は雲の合間を抜け、空の彼方へと旅立っていった。


戦場にあるまじき神々しい光景だってのに、このガサツな足音は……


「シュリさんの旅立ちを邪魔しなかった事だけは褒めてやるがよ、無粋極まる野郎どもだな。ま、粋な兵士が裏切ったりしねえか。」


通りの向こうから姿を現したのは敵兵の群れ。確かあの軍服は市長親衛隊、裏切り者どもの中核だ。代々仕えてきた主君が裏切りを決断したからってよぉ、ホイホイ命令に従うか?


テメエらに自分の意志はねえのかよ!


「俺が先頭に立つ!総員、迎撃準…」


隊列を組んでこっちに向かって来る親衛隊先陣の頭が粉々に吹っ飛んだ。頭に爆弾でも仕込まれてたのか!?


数が多いつっても、眼前の敵にビビったりしない。だけど悪寒と同時に鳥肌が立つ。背後から恐ろしい、いや、恐ろしいなんて言葉じゃ生易し過ぎる禍々しい気配を感じる……


「あ、兄貴……その目は……」


振り返った俺の目に映ったのは、兄貴の姿をした"死の化身"だった。黄金の念真障壁から発せられる黒い波動。真っ黒な眼球の中で金色に輝く瞳孔と角膜……


「……殺してやる……」


呻くように呟いた兄貴は、止めようとした俺の手を振り払い、単騎で裏切り者どもに突っ込んでゆく。援護すべきなのはわかってるけど、足が震えて動かない。5個大隊はいるであろう親衛隊は阿鼻叫喚の地獄絵図の中にいる。


仲間すら恐怖させる憤怒の狼は、の頭まで吹っ飛ばしているのだ。


「……目を合わせてねえのに……をロックしてるってのか……」


兄貴の狼眼を喰らった奴は、脳と痛覚に尋常じゃないダメージを受け、耳や目から血を噴き出しながら死に至る。睨んだだけで生物を殺傷する、人の身を逸脱した邪眼が剣狼の武器だ。


だけど邪狼と化した兄貴は、逸脱の域すら超越してしまった。首から上が吹っ飛んでるのは、超過剰な殺戮念波に晒された脳味噌が爆発して、その衝撃に頭蓋骨が耐えられないからだ。


兄貴は1分足らずの間に、二百を超える敵兵を屠り去っていた。逃げ出す敵兵も容赦なく頭蓋を爆砕され、首なし死体が絵筆となって、街路を赤く染めてゆく……


「カナタを止めないと!あんな力を使ったら、タダでは済まないわ!」


足が竦んだ兵士の中で、最初に動けたのはホタルさんだった。シュリさんを失ったばかりのホタルさんが兄貴を助けようとしてるのに、弟分の俺が動けねえでどうするよ!


「俺が行く!ホタルさんはみんなを下がらせてくれ!暴走してる兄貴に近付くのはヤバい!」


頑強さには自信がある!なにがなんでも兄貴を止めねえと!


「お願い!視線を合わせるのは、狼眼のだったのよ!」


過ぎたる力は身を滅ぼす。目を合わせないと力が発動しないってのは、暴走させない為のリミッターだったって訳だ。


「任せてくれ!兄貴は俺が守る!」


血涙を流しながら、憤怒に満ちた殺戮を演じる兄貴。俺は地獄に向かって全力で駆け出す。剣狼カナタは天翔る狼なんだ、冥府を彷徨う邪狼に堕とさせてたまるかよ!!



……今まで兄貴に守られてばかりだった。今度は俺が兄貴を守る番だ。

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