慟哭編36話 空蝉一族、最後の奥義



「邪魔だ!どけっ!」


スコルピオを行く手を阻むホルロー。


「死んでも行かせん!」


ベルゼの援護に向かうスコルピオをホルローは懸命に食い止める。スコルピオとスケイル、化外の強者を同時に相手取る事は、救出部隊一の腕を持つホルローにとっても重荷だったが、夫妻は故郷の為に戦ってくれているのだ。命を賭しても食い止めねばならない。


ベルゼはホルローは長く持たないと読んで、腹心二人の援護を得るまで守備に徹しようとする。3対1でも有利だが、さらにホタルを仕留めたハモンドが加勢すれば、自分の勝ちは揺るがない。牽制しながら距離を取り、とにかく時間を稼ぐのだ。


「なんだ…と!?」


距離を潰してくる幻影の体が5つに分かれたのを見たベルゼは、慌ててサーモスキャンを発動させる。一昔前に流行ったホログラム戦術など、自分に通じる訳がない。しかし、5体の忍者は全員が熱源を持っていた。


「バカな!ほ、本体はどいつだ!」


全員が足音を立てながら走り、激闘の代償である傷も同じ場所にある。これでは見分けが付かない。ベルゼは瞳に力を込めながら、本体を見極めようとした。


ベルゼの炯眼は閃光を放つだけではなく、閃光と同時に同じ光度の破壊光線を放つ事も出来るのだが、欠点もあった。光線を放った後、数秒間は視力を失い、最大威力で放った場合は、さらに一時間ほど視力自体が低下する。閃光のカモフラージュで視認が困難とはいえ、仕留められなかった場合は窮地に陥る諸刃の剣なのだ。近距離で使うなら相打ちを避ける為に即死させる必要があり、距離があっても必中が前提の切り札と言える。


……距離を詰められたら最後だ……5分の1に賭けるしかない!


左腕の小盾は頼りに出来ない。紅蓮正宗なら、傷んだ盾ごと俺を切り裂くだろう。秘術を使ったシュリに接近されたら、ベルゼに勝ち目はないのだ。


「右端が本体だ!」


ハモンドの叫びを聞いたベルゼは、迷わず最大威力の光線を放った。すがれるモノは、もうそれしかなかったからだ。


……高速で放たれた光の束は、忍者の体を捉え、貫いた……


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視力の回復したベルゼは、暗転の隙を突かれなかった事に安堵し、呼吸を整える。


「……ハァハァ……鷲鼻、なぜ本体がわかった?」


光の束に胸を貫かれた空蝉修理ノ介は仰向けに倒れている。視界がぼやけてはいるが、大量の出血は確認出来た。あれなら生きてはいまい。


「犬よりいい鼻を持ってるんでな。おっと危ねえ!」


イボだらけの鼻を人差し指で叩くハモンドに、地中からインセクターが襲い掛かったが、ズボンの裾を切り裂くに留まった。空蝉ホタルの切り札も、不発に終わったのだ。ホタルはハモンドに生じた僅かな隙を攻撃にではなく、離脱に使った。愛する夫の元へ駆け寄る事を選んだのだ。


「シュリ!しっかりして、シュリ!」


ホタルは止血パッチを傷口に貼りながら懸命に名を呼び続けるが、空蝉修理ノ介は答えない。返答の代わりに、口の端から一筋の血が流れ落ちる。


「やっと倒れやがった。」 「手こずらせやがって。」


蠍の尾を喰らったホルローは毒が回り、うつ伏せに倒れたまま動かない。戦いを見守っていた市民のすすり泣く声が天にも届いたのか、ポツポツと涙雨が降り始めた。


「恐ろしい術を使う男だったが、運がなかったな。実体を伴う分身とは恐れ入ったが、匂いだけはどうにも出来なかった。兵士の世界は結果が全て、俺の方が強かったって事よ。」


ハモンドは鞭剣の柄で肩を叩きながら勝ち誇った。真の力を見せた初陣で、アスラの中隊長撃破に貢献したのだ。昂ぶらないはずがない。


「鷲鼻、本当に助かったぞ。」


ベルゼが珍しく礼を言い、ハモンドは次の仕事に取り掛かる。


「気にするな。それより百億を確保して一端下がろう。リチャードは動きそうにないぞ。」


最優先目標である空蝉ホタルの身柄を拘束しただけでも大手柄だが、撤退してから上手く話をつければベルゼ一党も兵団に引き込めるだろう。化外の軍団を連れて帰投すれば、煉獄ボスの覚えもさらにめでたくなるはずだ。


「これで百億は頂きですね。」 「女、おまえ達の負けだ。」


雨と涙で頬を濡らすホタルを捕らえるべく、スコルピオとスケイルが歩み寄る。悲嘆と疲労が限界を超え、それでも夫を庇うように立ち上がった妻の傍を、影が走り抜けた。


「ば、ばか…なっ!」


スケイルの最後の言葉は、首と胴が離れてから発せられた。固い鱗も、首から上には生えていない。疾走する影……幻影は返す刀でスコルピオにも斬りつける。


「ぐえっ!」


鋏の手で刀を受けたスコルピオだったが、炎を纏った紅蓮正宗は凄まじいパワーで鋏もろとも、その体を両断した。スコルピオの甲殻はマグナムスチールと同等の強度を誇るが、玄武鉄には敵わない。切断面の焦げた二つの死体が、ベルゼとハモンドを戦慄させる。


「爬虫類と甲殻類は始末した。次は……人の皮を被ったケダモノの番だよ?」


刀を握った手で口の端から流れる血を拭った忍者は、小手を返して切っ先を炯眼と鷲鼻に向けた。


「二人掛かりだ、ベルゼ!」 「この死に損ないがぁ!」


元S級兵士とS級の実力を隠していた兵士は、左右からA級兵士を挟み撃ちにする。


「ホタルには指一本触れさせない!無惨に殺された市民の怒りと悲しみ、そして、空蝉一族の恐ろしさを思い知れ!」


甦った幻影は、襲い来る鞭剣と二本の長剣を物ともしない。今、この瞬間だけは、完全適合者に匹敵する身体能力を得ているからだ。


……空蝉一族筆頭、修理ノ介の戦いが始まった。


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※パスト・サイド(数年前)


「マリカ様、本日付でクリスタルウィドウに配属されました!部隊の為に微力を尽くします!」


修理ノ介が完璧な所作で敬礼すると、里長で上官のマリカは、行儀悪く足をデスクに投げ出したまま微笑んだ。


「よく来たな。だけど相変わらずの堅物だねえ。親父の修理丸にそっくりだよ。」


「父は父、僕は僕です。ですが父上に似ているのなら、嬉しく思います。」


「……修理丸の事はすまなかった。親父が不在の忍軍を支え続け、命まで捧げた。アタイがいれば、死なせずに済んでいたものを……」


火隠段蔵が落命し、里長のマリカが成長するまで、火隠忍軍は絶対的なエースを欠いていた。しかし、エースが不在であろうと戦争は続いている。空蝉修理丸は、少年と青年の狭間にある漁火螺旋を補佐しながら戦い続け、戦死していたのだ。段蔵の盟友であったアスラ元帥の死は機構軍の反転攻勢を招き、同盟軍が苦戦を余儀なくされていた時期の出来事である。


「マリカ様が責任を感じる必要などありません!父上は里の仲間を救う為に戦死したんです。悔いなどあろうはずがない。それに、僕が仇を討ちますから!」


忍軍を支える柱石となり、父の仇を討つ。その為に修理ノ介は修練に励んできたのだ。水晶の蜘蛛に入隊した今こそ、父の仇が誰かを教えてもらえるはず。しかし、里長の返答は意外なものだった。


「……仇なんざいない。」


「え!?……仇が……いない?」


火隠忍軍副頭目は、修理ノ介に父の死に様を話していなかった。漁火螺旋にとって空蝉修理丸の死は痛恨事で、心の傷となっている。飄々とした人柄で知られる螺旋だが、公私に渡って頼れる兄弟子、修理丸を思い出す時だけは、別人のように表情が曇るのだ。


"……すまない。修理丸は未熟な俺を救う為に落命した。子細はおまえが軍に入った時に、マリカ様から話されるそうだ……"


修理丸の遺体と一緒に里へ戻った螺旋はそう告げ、修理ノ介もそれ以上は訊けなかった。充血した目と、噛み締めた奥歯から、敬愛する副頭目の悔恨の深さを察したからだ。


父の死は重く、深く、悲し過ぎたが、修理ノ介には救いがあった。幼馴染みの蛍と家族同然の仲間がいる。父は里の礎になったのだと、納得する事が出来たのだ。


「あの堅物が任務を全うせずに死ぬものか。全てをやり遂げ、誰にも後始末などさせない。生きている間も、死んだ後にも、な。……修理丸は凶敵を全員、道連れにした。最後の奥義を使ってな。」


「…………」


「シュリ、親父から最終奥義"うつの術"を習ったか?」


「いえ、僕は…」


田鼈一族は伸縮自在の体毛、灯火一族なら複眼といった風に、火隠忍軍を構成する各家系は、異形の力を持っている。唯一の例外が空蝉一族、里の中核である主要三家でありながら特殊な能力はなく、人間技である変わり身の術を得意としている。軍関係者の間ではそう思われていた。しかし、実態は違う。


……空蝉一族こそが、火隠忍軍"最後の切り札"なのだ。


「里長のアタイに嘘はつくな。使えるんだな?」


「……はい。試す訳にもいきませんが、たぶん使えると思います。」


現し身の術は修得を確かめる事は出来ない。術の発動=死、だからだ。


空蝉一族の特異体質とは、特殊な脳内麻薬の分泌である。エンドルフィンを遥かに凌駕する脳内麻薬の力で、あらゆる身体能力を飛躍的に引き上げ、痛覚を遮断し、致命傷を受けてもなお、戦い続けるのだ。


里が窮地に陥った時、死兵と化して敵を討つ。それが戦国の世での空蝉一族の役割であった。近代に入って死兵の風習は改められたが、特異体質が消えた訳ではない。


「現し身の術は封印しろ。永遠にだ。アタイはおまえに死んで欲しくない。いいな?」


「わかりました。僕は必ず生き残ります!」


体のバネだけで椅子から跳んだマリカはシュリの傍に立ち、まだ成長を終えていない体を強く抱き締める。


「それでいい。空蝉修理ノ介はアタイのかけがえのない家族だ。何があっても死ぬな。」


里長からの絶大な信頼。眷族として感動すべき場面なのだろうが、ウブな少年は豊かな胸の感触に赤面するばかりだった。


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※シュリ・サイド


「なんなんだコイツは!」 「化け物め!」


四つに枝分かれした鞭剣と二本の長剣による同時攻撃、だけど僕の体を捉える事は出来ない。陽炎で惑わせたり、緩急で速さを誤認させる必要もない。見えるし、避けられる。


空蝉一族が"死兵の任"を解かれてから数百年、もう現し身の術の存在を知る者は、長の血族とオババ様ぐらいだろう。


"……修理ノ介、我ら空蝉一族は遥か昔、一族と呼ばれていた。これから教える術は、禁忌の術。現世うつしよに生きる身を冥府の鬼神に移す、うつの術なのだ。私がそうであるように、たとえこの身が朽ちようとも守りたい誰かが、きっとおまえにも出来るだろう。だから万が一に備えて、最後の奥義を伝授しておく。もちろん、私が一番守りたいのは愛する息子だぞ……"


優しい笑みを浮かべながら、僕の頭を撫でてくれた父の面影を思い出す。


……父さん、僕は愛する人を守る為に鬼神になります。身は朽ちても、心は朽ちない。それが父さんから受け継いだ空蝉一族の魂なのだから!


二本の長剣を愛刀で受け止め、鞭剣の軌道に集中する。双剣を使う人獣は渾身の力で押してくるけど、右腕一本で押し返した。鍔迫り合いでも負けるものか!絶対におまえの下風には立たない!


「やっと受けさせたぞ!ハモンド、今だ!」


「おう!死ねぃ!」


シグレさんに習った極限の集中だ!見える!鞭剣の動きの先が見えるぞ!


「バカな!コイツ、鞭剣を束ねて掴みやがった!」


動揺したね? その動揺が命取りだ!


「頸椎は鍛えてるかい? それっ!」


鞭剣ごと鷲鼻を放り投げ、狙い通りに腹を上にして地面に転がるインセクターの針に命中させた。頸椎に針が刺さったら、戦闘不能だろう。残るはベルゼだけだ。


「蛮人どもに構うな!全員でかかれっ!コイツはじきにガス欠を起こすはずだっ!」


化外兵を差し向けてきたか!救出部隊は楽になるけど、時間がない!


「ホタル!インセクターで援護…」


僕に向かって殺到してきた数人の兵士が、血飛沫を上げて斬り倒される。一騎当千の天狼が、ビルの屋上から飛び降りてきたのだ。盟友は恐怖で足が止まった後続の化外兵も容赦なく睨み殺し、背中のジェットパックを投げ捨てながら振り返った。


「やれやれ、なんとか間に合っ……シュリ……おまえ…まさか!!」


カナタは真っ赤に染まった止血パッチから溢れるおびただしい血に気が付き、声を震わせた。僕と親友は、修得している技を全て教え合っている。秘術、禁術も含めて、だ。秘技や奥義は数あれど、致命傷を負っても動ける技は一つしかない。


「……うん。現し身の術を使ったんだ。カナタ、僕の最後の戦いを見届けてくれ。」


青ざめた顔でジリジリと後退るベルゼに歩を進める。ホタルを攫おうとしただけでも万死に値するけど、無辜の人々を虐殺した大罪は、僕がこの手で裁く!!



………マリカ様、僕は御下知を破りました。だけど、悔いはないんです。かけがえのない友を得て、愛するひとと結ばれた。僕達の想い、共に抱いた夢は結実し、次の世代に引き継がれる。こんなに幸せな事はありませんよね?

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