慟哭編27話 危機は突然やって来る



※今回のエピソードは少し時間を遡り、視点が空蝉ホタルになっています。


結婚してからは四六時中、シュリと一緒だったから、少しの間とはいえ離れるのは久しぶりだ。ううん、同じ里で同じ日に生まれ、同じ部隊に所属。シュリと私は小さい頃からずっと一緒だった。


「旦那様と離れるのは、やはり寂しいものですか?」


同行する部隊の隊長、サラーナ少尉にからかわれる。サラーナは遊牧民の言葉で"百合"を指すらしいのだけど、"アレに花の名前を付けるのは、如何なものかと思うね"と彼女を推薦したアトル中佐が仰っていたから、男勝りな騎馬兵なのだろう。


「結婚生活は素晴らしいものだけれど、たまには羽根を伸ばしたくなるものよ。」


本当は一緒がよかったけれど、シュリはザインジャルガでアトル中佐直属の工兵部隊を教練している。夫の得意分野は工作、妻の得意分野は索敵。ふふっ、さしずめ裏方夫婦といったところかしらね。


「羽根を伸ばす、ですか。未婚の私にはわからない境地ですね。」


「サラーナ少尉にも、きっと素敵な方が現れるわ。」


「それがなかなか。大抵の男は私より弱いし、たまに強いのがいても、もう恋人がいたりしますから。テムル様ほどではないにしても、それなりに強くて、それなりにイケメンで、愛馬以上に私を大切にしてくれる殿方に巡り会えないものかしら? あ!いくら強くて切れ者でも、アトル中佐みたいに意地悪なのはダメですが!」


中佐の揶揄が聞こえた訳ではないのでしょうけど、サラーナ少尉はアトル中佐が苦手なようだ。


「最後の台詞は聞こえなかった事にしておきます。市長への挨拶も済んだ事だし、宿舎に向かいましょう。」


市長で防衛司令でもあるバトバヤル大佐の顔色が優れなかったのが気になるけど……歓迎されていないのかしら? まあ今回の仕事は視察というより査察に近い。テムル総督は前衛四都市のトップを信用されているようだけど、アトル中佐はまだ疑っているのだ。疑われて気分のいい人なんて、いないよね?


日が暮れてからホテルに着いた私は、展望レストランでサラーナ少尉とその部下達と一緒にささやかな宴を催し、英気を養った。明日の朝には大事な仕事が始まる、十分に睡眠を取っておかないと。


────────────────────


翌日の朝、索敵網の視察に出掛けようと身繕いを終えたところに、大佐がやってきた。


「何か急用でしょうか。大佐がわざわざお越しになるなんて……」


護衛も兼ねて同室に泊まっていたサラーナ少尉が怪訝そうな顔をする。こんな朝早くにわざわざホテルまで……イヤな予感がする。


「サラーナ少尉、随員に連絡してくださ…」


私が言い終える前に、ドアが開かれていた。マスターキーを使ったのだろう。


「大佐!男爵夫人はまだ入室の許可を出していません!淑女に対する礼儀を…」


イヤな予感が当たったみたいだ。完全武装した大佐は重武装の兵士を多数、引き連れている。重装兵の後ろには軽装兵の姿も見えた。どう見ても、味方を訪問する出で立ちではない。


変事を悟ったサラーナ少尉が、抜剣して私を庇うように前に出る。


「事情をお伺いしてもよろしいですか?」


質問しながら、大佐達に見えないようにポケットに手を入れ、シュリに緊急信号を発信する。


「連絡は無駄だ。このホテルは電波欺瞞装置でシャットアウトされている。空蝉少尉、悪いがしばらくの間、身柄を拘束させてもらいたい。」


重武装の兵士達が前に出て、大口径のマシンガンを構える。いい部屋であっても室内の広さには限りがある。一斉掃射されたら躱しきるのは無理だろう。


「テムル総督を裏切るのですね?」


言わずもがなだけれど、確認せずにはいられない。


「……妻子の命には代えられん。他に方法がないんだ……」


家族を人質に取られている!バトバヤル大佐は索敵網に穴を空け、機構軍を招き入れるつもりだ!


「方法はあります!テムル総督に事情を話して、救出作戦を…」


「ダメだ!妻子を拉致したのはS級パブリックエネミー、炯眼なのだ!奴の実力と残忍さを、私はよく知っている!」


炯眼ベルゼ!ザラゾフ元帥に要注意と言わしめた、あの卑劣漢が!


「だったら余計に脅しに屈してはいけません!炯眼は約束なんて守りませんよ!」


「キミに愛する娘の指を送りつけられた私の気持ちがわかるのか!奴の言うとおりにしても妻子は助からないかもしれない!だが、言うとおりにしなければ確実に殺される!炯眼は女子供でも平然と殺す男なのだ!」


父親の悲痛な叫びに、サラーナ少尉は冷静に応じた。


「大佐、貴方はこの街の市長です。市民を守らねばならない立場にありながら、家族の安全だけを考えるんですか?」


「キミ達も子が出来ればわかる。頼む、大人しく拘束されてくれ。身の安全は保証する。」


「多勢に無勢、ですね。男爵夫人、やむを得ません。ここは投降……するとでも思ったか!」


サラーナ少尉は稲妻のように走り、重装兵の首筋を斬りつける。


「撃てっ!どちらも手練れだ、簡単には死なん!」


室内に銃声が轟く。サラーナはさらに二人の兵士を仕留めながら叫んだ。


「逃げてくださいっ!早くっ!」


私は背面に障壁を張りながら、バルコニーに向かって駆け出した。なんとしてでも街の危機を、テムル総督に知らせなければ!あと一足でバルコニーを飛び越せる!


「空蝉少尉、止まらなければサラーナ少尉の命はない!私は本気だ!」


振り返ると、軽装兵の体を貫通した刃が、サラーナ少尉の腹部に刺さっていた。大佐は部下の体ごと、サラーナ少尉を串刺しにしたのだ。重傷を負った少尉は、重装兵に両腕を摑まれて引き倒される。


「…わ、私に構わず…逃げ…て…くだ……さい……」


呻きながら気を失ったサラーナ少尉の体に無数の銃口が向けられる。私が手摺を飛び越したら、大佐は迷わずサラーナ少尉を射殺するだろう。家族の命を救いたい大佐は、なりふり構わない。投降を促したのは、殺したくなかったからだ。


「まず止血を。手当てが終わったら武器を捨てます。」


油断させてから、脳波誘導でアタッシュケースのインセクターを動かし、不意をつく。蟲で牽制しながら煙幕を張ってサラーナ少尉を抱え、脱出するのよ。……二人揃って生き残るには、それ以外の方法がない。


「止血パッチを張ってやれ!」


大佐は足でアタッシュケースを踏み付けながら命令した。……万事休す、ね。止血パッチが貼られた事を確認した私は、腰の刀と軍用コートに吊したクナイを放り投げた。女性兵士が近付いて来て、他に武器がないかを確認してくる。


「大佐、他に武器はありません。」


チェックを終えた女性兵士が報告すると、大佐は頷いた。


「わかった。空蝉少尉を連行しろ。」


甘いわね。ちゃんと口の中までチェックしないと。私の奥歯の一つは、形状記憶合金で出来ている。これが最後の切り札だ。


ハンディコムは没収、手錠を嵌められ、目隠しされた私は歩きながら大佐に訊いてみる。


「サラーナ少尉の部下はどうなりましたか?」


「全員無事だ。ルームサービスの珈琲に、痺れ薬を混ぜておいた。抵抗らしい抵抗も出来ずに身柄を拘束出来たよ。」


大佐からの差し入れだから、疑いもせずに飲んでしまったのだろう。私に同じ手を使わなかったのは、クノイチには見抜かれる可能性があったからだ。一番大事な判断は間違えたけれど、バトバヤル大佐は剣の腕も立ち、考える頭も持っている。


──────────────


目隠しと手錠はそのままで、私は牢獄らしき部屋に放り込まれた。拘束されてから車に乗せられ、経過した時間は30分。だったらここは市内のどこかだ。念真力を枯渇させないで閉じ込めるなんて、舐められたものね。


大佐は異名兵士名鑑ソルジャーブックに記載された偽りの念真強度を鵜呑みにして、刀とインセクターを取り上げておけば、何も出来ないと思ったのだ。私にとっては実に都合がいい。


何度か呼びかけを行ったが、返事も人の気配もない。手探りで調べてみたが、部屋の四隅に監視カメラもない。だったら行動の時間だ。奥歯の形状記憶合金を吐き出して手錠を外し、自由になった手で目隠しも外して、と。


「…………」


拘束具を外し終えた私は室内を見渡す。牢獄ではなく、営倉みたいね。ドアは金属製で、高い位置に小窓が一つ。あの大きさではくぐり抜けられない。脱出するのはドアからしかなさそうだ。


……!!……微かにだけど、足音がする!床に耳をあてて足音の接近を確認した私は、外したばかりの拘束具を付け直す。もちろん、一瞬で外せるように加減しながらだ。


足音を忍ばせて近付いて来るのは何故なの?……生かしておく危険性に気付いた大佐が送り込んできた刺客かもしれない。シュリもカナタも、こういう時は最悪の可能性を考えて動いていたわ。



上等よ、やれるもんならやってみなさい。火隠衆上忍・空蝉ホタルは、そう簡単には死なないわよ!

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