慟哭編21話 熱風公VS成就者



「ヒョオォォォー!!」


隈取くまどりでも施したかのように形相が変わったジェダは、眼下の若武者目がけて猛スピードで襲い掛かってきた。全力で、本気で、などと生易しい心構えで挑んでいたら、ロドニーは瞬殺されていただろう。


"俺は挑戦者。心も体もこの場に投げ打つ!"


唯我独尊、自己中心的なロドニー・ロードリックだったが、世界最強への道だけは真摯に歩む男だった。名家の当主、将官の地位、戦場で築いた名声、それに……若い命。そんなものはどうでもいい。全てを投げ捨て、この勝負に賭ける気概。格上と勝負する土俵には、しっかり上がれていたのである。


Kと戦った時には生理的嫌悪感から"自分が上だ"と傲慢に戦ったロドニーだったが、今回は驕りの欠片もない。彼にとっては幸いであっただろう。殺業を解禁した成就者は、驕りの通じる相手ではないのだ。


「ヒョオッ!ハイッ!シャオッ!」


手にしたチャクラムで強く激しい連打を繰り出すジェダ。左手のマインゴーシュで懸命に捌くも、ロドニーはいくつか手傷を負ってしまっていた。


「滅多に怒らん男ほど、怒った時は恐ろしいもの。そんな理屈の技のようだな!」


フェアな勝負がしたいと、あえて成就者の戦闘記録に目を通さずに挑んだ事も良い方に働いた。殺業を解禁したジェダの姿は、記録になかったからだ。瓢箪から駒な面があるにしても、ロドニーは先入観に惑わされずに決闘に没入出来ている。もし事前に研究していれば、彼の性格からして、成就者の力を見誤っていただろう。


「第二の大蛇ト膳は誕生させぬ!いや、あの人斬りには"己が世界の歪みである自覚"があるが、おヌシにそんなものはない!より始末に悪い人間ぞ!」


クロスレンジで剣戟を交わしながら、背後から飛来するチャクラムを暴風で打ち払うロドニー。


「歪んでいるのは闘争を否定する者達だ!人類の歴史は戦争の歴史!この世から殺し合いが絶える事などない!」


「そんなに殺し合いが好きならば、地獄の亡者と殺し合うがよかろう!……ओम् omオーム!!」


戦いながら印を結び、聖句と共に繰り出される猛擊は、マインゴーシュの防御を弾き飛ばしてロドニーの顔面にヒットした。致命傷こそ免れたが頬肉を大きく削がれ、ロドニーの歯並びの良い奥歯が外気に触れる。


気流を活かした高速離脱で距離を取ったロドニーは、頬から垂れ下がる肉片を引き千切って投げ捨てた。


「……礼を言っておこう。これからは豪快に飯が食えそうだ。しかしワインのテイスティングにはナプキンが入り用だな。この口では飲んだ端からこぼれそうだ。」


血塗れの顔でロドニーは笑った。有効打どころか、まだかすり傷すら敵手に与えておらず、自身はかなりのダメージを負っている。常人ならば絶体絶命の窮地に焦るところだが、熱風公は動じない。


"苦戦は必至。戦いながら、秘めたる力の目覚めを待つのみ"、そう覚悟してこの場に臨んだのだ。であるからには"無為に死す事"も想定内。生きた死人が焦る筈もない。人斬りトゼンに酷似した精神性を持つ異常者ならではの開き直りである。


「おヌシが勝利の美酒を口にする事はない。ここで終いじゃ。」


玄武鉄のチャクラムが襲い来るが、ロドニーは冷静に、最小限の動きで空飛ぶ凶器を躱した。この老人の真価は強力なサイコキネシスでも、脳波誘導装置の仕込まれたチャクラムでもない。封印を解かれ、増幅された殺意の篭もった、恐るべき威力の直接打撃にあると見抜いていた。


「極上のワインを熟成させるが如く、寝かしに寝かせた殺意を呼び起こして力に変える、か。百年経とうが俺には出来ぬ芸当だ。……いや、おまえ以外には誰にも出来まい。」


戦場とは殺し合いの場。殺意を漲らせるのが普通である。成就者ジェダは戦場においては異端の戦士であった。


「読みが浅いのう。殺業解禁を使える者はもう一人おる。」


幾多の惨劇、魂が裂かれんばかりの悲劇を目にしても"殺意よりも義憤に燃える"、そんな澄み切った心を持つ彼女ならば、殺業解禁を会得出来るはず。しかし……願わくば……


"雷霆殿が禁術の封を解く日が来なければよい"、奥義を授けたジェダ・クリシュナーダは"抜かずの刃"で終わる事を望んでいた。


「……そうか。世界は広いな。」


「井の中の蛙は、澱水の中に帰るが良い。じゃが、儂に殺業の封印を解かせた事は褒めておこう。」


悠々と歩み寄ってくる格上の強者。その姿はロドニーに数年前の屈辱を思い出させた。あの時と同じだ、と。


無敵無敗を誇り、自信満々で戦場の伝説に挑んだあの日に、俺は殺された。力の差を思い知らされ、涙と糞尿に塗れて逃げ帰った無様な濡れ鼠、それがこの俺、ロドニー・ロードリックなのだと。


「俺は井の中の蛙ではなく、窮鼠だ!だが鼠のままでは終わらんぞ!!」


心を底から湧き上がった怒りの炎を吹き荒ぶ烈風で加速させ、熱風公は成就者を焼き尽くそうとする。


「窮鼠が噛んだところで猫は殺せぬ。無駄な足掻きじゃ!」


炎を風で強化しても真の強者には通じなかった。殺業を解禁したジェダの念真衝撃球は、業火も烈風も撥ねのけたのだ。


「あんな殺され方はもう御免だ!今度死ぬ時は、前のめりに死ぬ!!」


距離を詰められたロドニーは全身全霊の剣を振るったが、刃は虚しく空を切り、ジェダに右耳を摑まれる。耳掴みは相手の動きを止めるのに有効な手である。


「猛るのは良いが、動くと耳が千切れるぞ?」


「耳でも腕でも持っていけ!……だが、魂だけは誰にも譲らん!!」


致命の打撃を叩き込まれる前に、頭突きを入れるロドニー。最もあり得ない反撃は成就者の顔面にヒットし、軽い体を弾き飛ばした。もちろん、千切れた耳と一緒にだ。


「狂乱も度が過ぎると、いっそ清々しいのう。殺すのが惜しくなってきたぞえ?」


指を開いて耳を落とし、ジェダは流れる鼻血をフンッと鼻息で飛ばした。


「……もう殺せない。耳を掴んで動きを止める? そんなヌルい事をせず、首を手刀で刎ねておくべきだったな!」


裂けた口で嗤うロドニーは、押し寄せる歓喜の波間で揺蕩っていた。彼が恋い焦がれ、欲してやまなかった瞬間が到来したのだ。


「……此奴め、目覚めよったか。」


「ああ。ジェダ・クリシュナーダよ。本当に礼を言わせてくれ。おまえ程の強者が、封印した殺意を解き放ってまで追い詰めてくれたから、俺は完全適合に至れた。」


「殺されかけた相手に礼を言うとは、本当に変わった男じゃのう。」


「今言っておかねば、機を逸する。俺かおまえか、どちらかが死ぬのだからな。」


剣を収めたロドニーは、心の底から感謝を込めて、ジェダに向かって手を合わせた。若者からの礼を受け取った老人も、同じように手を合わせる。


「忌み子ながらも憎めぬ男よ。では赤毛の首と白髪首、どちらが地に落ちるか試してみようかの。」


「望むところだ。いくぞ!」


風を巻き、炎を纏う剣を振りかざすロドニーは、雌雄を決するべく突進する。血煙が霊峰に舞い上がり、二人の男は死力を尽くして戦った。殴られて仰け反っても刃を返し、斬られても踏み止まって殴打を見舞う。永遠に続くかに見えた死闘にも、とうとう決着の時がやってきた。


一瞬、ほんの一瞬ではあったが、成就者の動きに翳りが見えたのだ。完全適合者となった男は僅かな勝機に全てを賭け、渾身の炎剣が成就者を捉えた。


「ぐふっ!!」


よろけながら後ずさり、巨岩に背を預けながら座り込んだ成就者。歩み寄った熱風公は、ブスブスと焼け焦げる胸の裂傷に目を落とした。見るまでもなく、致命傷なのはわかっていたが……


「動きが鈍ったのはスタミナ切れ……ではなさそうだな。」


「……然り。殺業の解禁は……年寄りには…堪えるのじゃよ……」


「限界を超えた力には代償が伴う、という事か。」


老人は弱々しく首を振った。


「……違う……どんな力にも…代償は伴う……ゆえに力の行使には……慎重に…ならねばならぬ…のじゃ……おヌシに言うても………わかるまい……がの………」


ロドニーは片膝を突いて目線を落とし、瀕死のジェダに話しかけた。


「わかっているさ。この力が俺を破滅させるかもしれん。だが、それで本望なのだ。」


「………困った……男じゃ……本当に……」


成就者は目を見開いたまま、息を引き取った。白濁した目に浮かんだ涙は、戦いにしか生きられない自分を憐れんでのものだとロドニーは知っている。遺体の顔に手をあてて目を閉じさせた後に、弔砲代わりの信号弾を打ち上げた。


数刻を経て駆け付けて来た騎士二人は、主の無事を知って安堵し、傷の手当てを始める。


「ロドニー様、保冷バッグで耳と頬肉を持ち帰ります。上手くいけばくっ付くかも…」


相棒に手当てを任せた背の低い方の騎士が、主の耳と頬肉を探し始めた。


「捨て置け。例えくっ付けられるとしても、そんな事は望まん。削げた頬肉と千切られた耳は授業料として成就者に支払ったものだ。しっかり対価を得た癖に、"返せ"だなんてみっともない真似が出来るか。」


ロドニーは人斬りトゼンが隻腕のままでいる理由が理解出来た。己の身勝手で挑んだ決闘の授業料、失った部位を取り戻したら、得た強さまで失ってしまう。戦士にとって、矜持とは命よりも大切なものなのだ。


「し、しかし……そのお顔では、夜会の淑女方が…」


歯茎まで露出したロドニーの顔は、ワイルドを超えて野獣そのものにしか見えない。野性的なハンサムで、身分もあれば腕も立つ公爵は淑女から人気があったが、弱い女に群がられても、ロドニーにとっては疎ましいだけであった。


「顔で人間を測る輩に用などない。これで夜会を開かぬ良い理由が出来たではないか。俺はな、夜会を催す金があるのなら、兵士どもに旨い飯でも食わせてやりたいのだ。」


「ロドニー様らしいお考えです。では同盟の完全適合者"成就者"ジェダの首を土産に持ち帰りましょう。熱風公の名声がさらに…」


抜剣して成就者の遺体に歩み寄ろうとした背の低い方の騎士を、ロドニーは背後から蹴り飛ばした。


「殺されたいのか!強者への礼を逸する事は断じて許さん!」


蹴転がされた騎士は慌てて平伏し、佇立していた相棒もそれに倣う。凸凹コンビは、主君の勘気に触れる恐ろしさを重々承知していた。


「は、はいっ!」 「申し訳ありませんっ!」


主の大手柄を世界中に見せつけたい二人だったが、肝心の主君がそれを望まないとあれば従うしかない。


「わかったらその岩の前に穴を掘れ。遺体を収めてから俺が火葬に……いや、土葬にすべきだな。この老人は土に還る事を望むだろう。」


敵であれ味方であれ、強者のみを愛し、強者のみを敬う。二人の騎士は主君の一貫性を目の当たりにして、尊敬の念を強くした。このお方に愛される強者になろうと心に誓いながら、黙々と剣で穴を掘る。


「……うむ。深さは十分だな。ご苦労だった。」


ジェダの遺体を愛用のマントで包んだロドニーは、深く掘られた穴の中にそっと埋葬し、自らの手で土をかけた。それから岩を剣で斬り、設えた墓石にマインゴーシュを使って"J"の文字を刻む。


「さらばだ、ジェダ・クリシュナーダ。己が信念を貫いた生き様と恐るべき強さに、心から敬意を表する。愛用のチャクラムを一つだけ、もらってゆくぞ。これを見る度に俺は、人知を超えた老人の勇姿を思い出すだろう……」


玄武鉄のチャクラムを大事そうに懐に仕舞い込んだロドニーは、墓に背を向け歩き出した。



同盟軍戦史編纂部の公式記録には、ジェダ・クリシュナーダの死因は"老衰による自然死"と記されている。真実を知る君主と二人の騎士は、黙して語らない。

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