慟哭編19話 野薔薇の姫と熱風公



辺境伯と相談の上、二人でロードリック公に会ってみる事にした。何もかも少佐頼みではいけない。その少佐にしたところで、突然の来訪の意図は掴みかねていたのだ。衝動で動く男の胸の内は、神算鬼謀の指南役にも読み難いものらしい。


「久しぶりだな、辺境伯。壮健そうで何よりだ。」


客間に案内されてきた熱風公は、マリアンが椅子を引く前に自分の手で椅子を引き、着座した。噂通りのせっかちみたいだ。ボクはマリアンに目配せして、退席させた。執事のエックハルトが既に饗応の準備は整えてくれている。


「卿は相変わらずだな。儂より先に皇女に挨拶すべきだろう。」


歴戦の老雄の鋭い眼光、しかし熱風公はまるでたじろがない。腕と度胸は一級品、との世評に恥じない剛毅さだ。


「おお!これは俺とした事がうっかりしていたぞ。スティンローゼ皇女はすっかり大きくなられた。ずいぶん前に夜会でお会いした時は、俺のへそぐらいの背丈だったのになぁ。それが今や一軍を率いる将帥になっているとは驚きだ!うむ!ビックリ仰天、驚嘆の極みだ!」


……全然挨拶になってないんだけど。破天荒な武辺狂って噂も本当みたい。アリングハム公は"喧嘩が強いだけの単細胞"って酷評してたね……


「ふふっ、ロードリック公は噂通りのお方ですね。怪我をされているようですが、前線に出られていたのですか?」


熱風公は右手の瘡蓋をペリペリと剥がすと宙に投げ捨て、発火させた。灰になった瘡蓋は風に裂かれて消え失せる。"熱風公"ロドニーは最高強度の業火と颶風を操る強者なのだ。


「これは特訓の名残だ。野薔薇の姫君、俺の事はロドニーと呼んでくれ。サイラスと違って堅苦しいのは苦手でな。小賢しさが取り柄の軟弱者は姫君に取り入っているようだが、あの男をあまり信用せん方がいいぞ。うむ!サイラスは信用ならん男だ!」


ボクの返答を聞く前に何度も頷く熱風公。会話を自己完結させちゃってるよ。


「信用ならないのは氷狼です。ロドニーさん、牙門アギトは遠ざけた方がよろしいのでは?」


裏表のなさそうな人物に見えるけど、警戒を怠ってはならない。印象通りだと、氷狼が上手く熱風公に取り入ったかに思えるけれど、演技の可能性だってある。軟弱な売国奴と思われていた士羽総督が、実は硬骨の愛国者だったようにね。


「ハハハッ!そうかもな!だが裏切られて終わるのならば、俺もそれまでの男だ。この世の真理は弱肉強食、俺が弱者であれば、強者の糧となればいい。姫もそう思わないか?」


……この人は嘘を言っていない。ここまで清々しく弱肉強食宣言されると、私にもスイッチが入りますね!


「思いません。個の強弱を言うのならば、私は紛れもなく弱者です。弱者を代表して、ロドニーさんの信念とは相容れないと申し上げておきます。暴は勇に敗れ、憎悪は仁愛で癒される。それが私の信念ですから。」


「ハッキリ物を言う姫君だな!僭越至極な物言いながら、"気に入った"と言わせてくれ。俺は帝国の剣と盾のみならず、多くの強者を率いる野薔薇の姫の力量には一目置いていた。覇道が俺の信念で、王道が姫が信念、どちらが正しいのか是非とも競いたい。」


ロドニーさんは大きな地声で、私を気に入ったと言い切った。明確に物を言う人物は、他者にも同じ振る舞いを求めるものだ。ここは彼の流儀に合わせよう。


「受けて立ちましょう。辺境伯を訪ねて来られたようですが、私も要件を伺ってよろしいですか?」


「おおっ!何をしに来たのか忘れるところだったぞ!辺境伯、俺は近縁の娘を当家に迎える事にした。」


私に関心が向いて、用向きを忘れそうになるとは。とにかく目先の事が気になる御仁のようですね。


「卿の妻はさぞかし大変だろうな。その娘もよく承諾したものだ。」


辺境伯は嫌味をいったが、本当に大変だと思う……


「俺は結婚には向かん。まあ生きておればそのうちするかもしれんが、先の話だ。迎えた娘は俺の義妹になるのかな。まあ細かい事はどうでもいい。その娘をバルに嫁がせたいのだ。」


バルツネッド・バーンスタインの愛称は"バル"だ。祖父の辺境伯も私もそう呼んでいる。


「なんだと!?」


「おかしな話ではなかろう。俺の曾祖母は辺境伯の叔母ではないか。」


そうなのだ。帝国の大貴族の娘と王国の大貴族の息子が結婚し、ロードリック家の今がある。ロドニーさんの炎術は、火蜥蜴サラマンドルを紋章に持つバーンスタイン家からもたらされたのかもしれないのだ。


「それにしたところで急な話だ。国王の内諾は得ているのか?」


「リチャードに話を通しておいたから問題ない。貴族間の婚姻の可否を判断しているのはあの爺様だからな。」


オルグレン伯リチャードは王国の参謀だ。ネヴィル陛下は何事も伯爵に諮っているとは聞いていたけれど……


「なんにせよ、即答は出来ん。儂も陛下からお許しを得ねばならぬからな。」


辺境伯は皇帝をダシにして返答を留保した。本音ではバルに政略結婚をさせたくないのだろう。


「さもあらん。辺境伯、これは血縁からの頼みだ。もし俺が死んだら義妹をバルに嫁がせ、バルツネッド・バーンスタインにロードリック家の当主を兼務してもらいたい。二人の間に複数の子が産まれたら、それぞれの家を継がせる。バルとは何度か共に戦ったが"強者の素養"がある。ロードリックの名を継ぐ者は、強者でなくてはならんのだ!」


人種、国籍に関わらず強者のみを愛する、か。ノルドの民に拘るアリングハム公とはまるで違う。良し悪しは別にして、さぞかし気が合わなかった事だろう。


「卿が物好きな女を捜す方が早い。孫がロードリック公となれば、ネヴィル陛下やロードリック家臣団はいい顔をすまい。だいたい、当主の卿が健在ではないか。」


父上は諸手を上げて賛成するでしょうけれどね。政敵側の大貴族を帝国に引き入れる好機なのだから。だけど気になるのは、なぜ性急に後継を定めようとしているかだ。


「じきに死ぬかもしれんから頼んでいる。これは俺を翻意させられぬと悟った侍従長をはじめとする家臣団からの頼みだ。ゆえに面倒は起こらない。」


「え!?」 「卿は何をするつもりだ!」


「それは言えんな。俺が戻れたら物好き女を捜す事にしよう。戻らなかったら後は頼む。本来ならば後事は陛下に託すべきなのだろうが、ダドリーがどうしても辺境伯に頼めと煩いのでな。ああ、ダドリーというのは、ウチの侍従長だ。領地の事は全てアレに任せているから、顔を立ててやらねばならん。」


ダドリー・サージェントはロードリック家の執事で侍従長。アリングハム公が"ロドニーには勿体ない男"と評するだけあって、領地の運営に手腕を発揮しているようだけど……


それより問題なのは、"熱風公"ロドニーほどの強者が死を覚悟せねばならない試練に挑もうとしている事だ。その目的は、彼が欲してやまない"兵士の頂点"に立つ事に違いない。


「ロドニーさん、死を覚悟してまで、完全適合者になりたいのですか?」


「俺は俺よりも強い男がいる事が許せない。世界最強の男になれぬのならば、生など無意味だ!」


熱風公は目に見える傷を負う程、危険な特訓をしている。その総仕上げには本当に命が懸かっているはずだ。


「貴方は戦いに生き、永遠に戦い続ける事を望んでいる。私と貴方はやはり相容れぬ存在のようです。」


熱風公ロドニーはニヤリと笑った。


「要件は話した。婚姻の許諾は任せるが、もし俺が戻らなかったらダドリーの相談には乗ってやってくれ。それだけは頼むぞ。アレは自国の国王よりも、辺境伯を信頼しているようだ。」


一度決めたら絶対に翻意しない人物である事はわかった。止めても無駄だろう。私と同じ感想を抱いた、もしくは熱風公の気性を以前から知っていた辺境伯は、ダドリー執事の信頼に応える事にしたようだ。


「わかった。侍従長の相談に乗る事までなら約束しよう。」


重々しく答えた辺境伯に熱風公は一礼した。


「それは助かる。話というのはそれだけだ。俺とは違う道を征く野薔薇の姫よ、さらばだ。」


軍用ケープを翻しながら、戦乱の貴公子は席を立った。炎のような信念を披露し、勝手な頼み事をした強者は、風のように去って行く。



もし、彼が生きて戻れば、私と雌雄を決する事になるだろう。今すぐではなくても、いずれ必ず。熱風公ロドニーは停戦も平和も望んでいないのだから……

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