慟哭編13話 パブリックエネミー
同じ組織に属しながら違う方向を向いて歩んできた二人は今、同じ方向に眼差しを向け、同じ道を歩もうとしている。ザラゾフもカプランも分野は違えど、英傑と呼ぶに相応しい力を持つ男である。言葉にせずとも、二本の道が交わったのを感じていた。
「カプラン、この世の真理は"盛者必衰"だ。ワシもおまえも必ず衰え、豪勇知謀に翳りが差す。」
廊下を歩きながらザラゾフは話を続けた。カプランも長身ではあったが、歩を早めなければ巨漢の歩みにはついていけない。
「キミの考える真理はてっきり、"弱肉強食"だと思っていたよ。」
噛み煙草を嗜みながら、カプランは未来予想図を描く。フラム閥の新たなリーダーはドネ夫人が良いだろう。彼女に派閥を禅譲し、娘婿になりそうなテムル君を影からサポートする。世代が変わっても、隠者の知恵が必要な局面もある。カプランは戦争の終結を以て表舞台から身を引き、黒子に転身するつもりだった。
「少し前まではそうだった。だがな、アレックスやサンドラが成長し、強く大きくなってゆく姿が、ワシにも衰える日が来るのだと悟らせたのだ。」
人は老い、必ず死ぬ。しかし全盛期には、そんな当たり前の事実から目を背けがちなものである。
「なるほど。誰かが成長してゆくという事は、誰かが衰えゆく事と同義だね。」
あれほど英明だった兎我忠冬は、衰えを自覚出来ずにいる。私も一歩間違えれば、老醜を晒しながら権力に固執していただろう。"絶対的な権力は、絶対的に腐敗堕落する"、英国の歴史家、ジョン・アクトンの残した格言をカプランが聞けば、大いに賛同したに違いない。
「そして剣狼めが"今日の弱者は明日の強者かもしれぬ"と、お節介にも証明しおったのだ。」
やはりカナタ君が影響を与えていたのか。なんとも不思議な青年だ。人間性が大幅に乖離している私とザラゾフの両方に影響を与えてしまうとはな。カプランは軍神アスラと似て異なる者である剣狼カナタという青年を測りかねてはいたが、好感を持っていた。きっと彼が新世代の先頭に立つ。いや、
「そのカナタ君はどんな世界を目指しているのかな?」
あの青年に目を付けたのはザラゾフの方が早い。それに、この豪傑の嗅覚には侮れないものがある。認識を改めたカプランは、意見を聞いてみる事にした。
「アレクシスが言うには、剣狼カナタは"強い者は快適に、普通の者は程々に、弱い者でもそれなりに暮らせる世界"を目指しておるようだ。それは強者を尊ぶワシの考えとさほど異なりはせぬ。」
「快適を求めるなら競争に打ち勝てる強者を目指せばいいし、のんびり暮らしたいならそれなりに過ごせばいい、か。」
彼らしい考え方だ。どんな社会にも強者は必ず存在する。しかし中層階級を多数派とし、こぼれた弱者は庇護される。そんな世界があれば、それに越した事はない。彼なら他力を以て本願を遂げるだろう。自分自身は"欠けた存在"であっても、助けがあれば大事を為せる。自らも欠けた存在である論客カプランは"他力本願"の信奉者でもあった。
「絵空事だと笑い飛ばしてやりたいが、奴なら出来るかもしれん。」
「かもしれないね。やはりキミもカナタ君はアスラに似ていると思っているのかい?」
「思わん。アスラには現実主義と理想主義が混在し、娘が産まれてからは"お砂糖気質"が強く滲み出ていた。だが剣狼は今も理想と現実の狭間で揺蕩っている。
混在と揺蕩は違う、ときたか。この男は賢いのか馬鹿なのか、浅慮なのか深謀なのか。カプランは旧知の男の本質がわからなくなってきた。確かに言えるのは、直感で真実に迫る男らしいという事である。論理の積み重ねでしか答えを出せない自分とは真逆の存在だ。
「魂の骨格、か。変わりゆくが変わらぬ者、そんな矛盾がカナタ君の本質なのだね。」
お人好しの策謀家、自分の見てきた矛盾する姿にも合致する。カプランは若き英雄の真実が見えたような気がした。
「論客だけに上手い表現だな。変わりゆくが変わらぬ者、それが
「ハハハッ。確かに彼は、あらゆる意味で"普通ではない"ね。」
「……カプラン、ワシがアスラと"世界を賭けた一騎打ち"をする約束をしておったのは知っておるか?」
「刑部クン……いや、東雲中将から聞いたよ。本気だったのかね?」
「アスラを止めるには殺すしかない。奴が道を誤った時には、ワシが止める。ゆえにそんな約束を交わしておいた。子細はわからんが、アスラに抱いていた懸念は、現実のものになりつつあった。ワシの勘が当たっていれば、アスラは危険な賭けを考えていたはずだ。」
カプランも悪友アスラを止めるには、殺すしかないとわかっていた。そして今、災害ザラゾフは"理屈を超えて真実に到達する男である"とも悟った。ならば根拠なき直感であろうとも、その言葉を軽んじてはならない。
「危険な賭け、とは?」
「アスラの考えている事など、ワシにわかるか!だが奴が"何かをやらかす時の気配"は肌で感じる。長い付き合いで、もう慣れっこだからな。事故さえなければ間違いなく、特大の何かをやらかしていただろう。当たれば天国、外せば地獄。そんなギャンブルに、平気で世界を賭けかねん奴なのだ。」
ザラゾフほどの深刻さはなかったが、カプランもそんな兆しを感じてはいた。自分は変化と思っていたが、ザラゾフは変貌と捉えていたようだ。カプランが真意を問い質す前に、偉大な悪友は鬼籍に入ってしまったのだが……
「アスラに常識が通じないのは私もよく知っているが、まさかそんな危険な賭けに全世界を巻き込むなんて真似はすまいよ。」
カプランは反論したが、確信あってのものではない。アスラが何をしでかすかわからない男だとは、カプランも思っていた事だったからだ。そこが魅力でもあり、周囲をハラハラさせる面でもあった。"奇想天外"が、軍神アスラの本質なのである。
「それはどうだかな。まあ心配せずとも、アスラのような危うさは剣狼にはない。なぜなら彼奴は力は英雄でも、心は
世界を動かす小市民、か。カプランは剣狼カナタと初めて会った時の事を思い出した。あの時は小市民ではなく、曲者だと思ったものだが……
"……待てよ? 泡路島でカナタ君は"アスラ元帥の暗殺"に言及したが……まさか……噂ではなく、本当に暗殺されたのではないだろうな!"
だとすれば一体誰が……考えを巡らすカプランだったが、あの天才を暗殺する事など不可能だという結論に至る。もしそんな事が可能ならば、とっくの昔に機構軍がやっていたに違いないのだ。しかし、何かが引っ掛かる。この違和感はなんだろう……
そうだ。天才と言えば、あの情報はザラゾフにも教えておかねばなるまい。違和感の考察を後回しにしたカプランは、自派閥の情報網にかかった不快なニュースをザラゾフに伝える事にした。過去の考察よりも、現実の脅威を優先する。御堂アスラが見込んだ通り、ジョルジュ・カプランは徹頭徹尾、現実を重んじる男であった。
「ザラゾフ、世界を動かす小市民の話題は後にして、脅威への対応を協議しよう。」
「脅威だと? 機構軍に動きがあったのか?」
「機構軍よりタチが悪い。化外に逃亡していた"
"炯眼"の異名を持つベルゼガルト・ラームズドルフは元同盟軍大尉。軍籍は抹消されたが、未だにS級と認定されている。S級兵士からS級の"
「なんだと!確かか!」
「昨夜、ポートタウンの連絡員から報告があった。奴は
ポートタウンとは化外と呼ばれるアトラス大陸にある唯一の港町である。軍備の増強には着手したばかりのカプランだったが、情報網の整備は抜かりない。精度の高い情報がなければ、状況を正しく認識出来ず、勝ち馬に乗る事も叶わないのだ。
「よく知らせてくれた。礼を言う。」
「礼など無用だ。彼の脅威は同盟全体に及ぶ。私も排除を手伝おう。」
「おまえは手を出すな。奴が相手なら、ワシかアレックスでなければ危険だ。」
雪豹レベルのルシア閥兵士でも危ういのか。噂以上の強さらしいと判断したカプランは提案する。
「それこそKの使いどころだろう。兵士の面汚しを粛清するにはもってこいだ。」
生ゴミは粗大ゴミに始末させる、カプランの申し出にザラゾフは首を振った。
「色白には伏せておけ。
安全装置の外れたKをぶつける危険性を認めたカプランは新たな提案をした。
「そうだね。では彼の
派閥を問わずに甚大な被害を与えた裏切り者である。あれほどの手練れを倒せる兵士を抱えていないトガ派は、金を出すしかない。カプランが"身から出た錆"と言ったのは、"炯眼"ベルゼはトガ派のエースだった男だからだ。自らが蒔いた種を刈り取らせるという意味でも、金ぐらいは出させるべきであった。
「うむ。対処にあたる異名兵士はワシが選定する。SS級なら問題ないが、S級は奴との相性を考慮せねばならん。もし、急行出来る場にKがいても、決して向かわせるなよ?」
裏切り者と裏切り予備軍の邂逅は避けねばならない。カプランはザラゾフの勘を信じる事にした。ならば自分は投網を投げるに留めて、網にかかった獲物を仕留めるのは、ザラゾフ自身かその眼鏡に適った者に任せるべきだ。
「わかった。私がトガ君に話して、発見の懸賞金を出させ、討伐の報奨金も上積みさせる。だが、同盟軍からも機構軍からも"S級パブリックエネミー"と認定された札付きが、よくも中心領域に戻れたものだ。」
"敵の敵は味方"とは、古来からの常識である。しかし"炯眼"ベルゼには機構軍に走れない理由があった。同盟軍から追われる理由は"
武力に劣るトガ派は、悪行に目を瞑って唯一の腕利きを庇ってきた。しかし、機構軍に勝つ為とはいえ、
「何か裏があるはずだ。裏読みに長けた青二才の意見を聞いてみるか。」
「そうしよう。討伐に向かう兵士の人選も、カナタ君の意見を聞いた方がいい。」
意見の合い始めた二人の元帥は、剣狼の元へ向かう事にした。ザラゾフはベルゼに勝てそうな兵士は誰かと考え、カプランは自分の仕業と露見しないように、トガ派のイメージダウン戦略を考える。
意気投合には程遠いが、距離の縮まった二人。しかし、思考の方向性はやはり異なっていた。
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