慟哭編3話 千里眼には未来が見える



「カナタったらもう!何度も言ってるけど、脱ぎっぱなしにした靴下をベッドの上に放置しないの!洗うリリスの身にもなってあげなさい!」


自室に戻ったらまず靴下を脱いでベッドに寝そべる。それがオレのルーティーンなんだが、ホタルさんのお気には召さなかったらしい。


「風紀委員がやりたいなら、凛誠に入ればいいと思うよ。」


ぐうたら男をジロリと睨んだホタルさんは丸まった靴下を洗濯籠に入れ、脱衣場まで運んでから戻ってきた。


「ねえ、最近のシュリをどう思う?」


「クソ真面目だね。」


「私は真面目に聞いてるの!」


わかってますって。キミ達は似た者夫婦だね。


「密度を上げまくったハードトレーニングは積んでるけど、定時には家に帰って二人の時間も大切にしてるみたいじゃないか。何が問題なんだ?」


オーバーワークの寸前で止められるのも才能だ。適切かつギリギリの努力をする才能とでも言うべきかねえ。


「私達に問題なんてないわ。修行に付き合ってるラセンさんやゲンさんが、"シュリは無理難題どころか、不可能事に挑んでるんじゃないか"って口を揃えるものだから、心配なの。」


陽炎雷霆ようえんらいていが不可能事ねえ。オレにはそうは思えないが。」


確かに簡単な技じゃない。オレもかなり苦心して身に付けたさ。だけど、空蝉修理ノ介なら……


「で、でも。……シュリの話じゃ、シグレさんも"あれはカナタスペシャルだ"って言ってたみたいだし……」


「ふぅん。師匠の慧眼も曇る時があるんだねえ。もしかしたら、わざとそう言ったのかもしれないが。」


未熟な頃には適切な助言を、体技が熟したら気構えを試す。師匠のやりそうな事だ。固い殻を破り、限界を越える為には、恩師の言葉をまず越えなければならない……


"師に忠実であらんとする者は、決して師を超えられない"、これもシグレさんの教えだ。どんな優秀な先生に師事しようと、自らが創意工夫し、ゆくべき道は己が定める。アスラの部隊長達は皆、そうやって強者になった。


「じゃあ、カナタはシュリなら出来るって思ってるのね!」


「たりめえだろ。シュリは陽炎雷霆より高度な技を修得してんだ。あの必殺芸に比べりゃ、ヌルいヌルい。」


シュリの切り札、分身の術はオレにも真似出来ない。念真強度はオレが上だが、精緻さならシュリが上なんだ。


「よかった。少し安心したわ。トーナメントでの活躍が期待出来そうね。」


「それはわからん。」


「今、シュリなら出来るって言ったじゃない!」


詰め寄ってくるホタルを、開いた両手で制しながら弁明する。


「トーナメントに間に合うとは言ってないぜ。開催まで、もうひと月もないんだからな。さらに悪いニュースもある。」


「な、なに?」


「前回よりもトーナメントの規模が拡充された。最強中隊長決定トーナメントではなく、S級兵士決定トーナメントに改称されたんだ。つまり、A級以下だったら誰でも出れる。もちろん、将官もしくはSS級異名兵士ネームドソルジャーの推薦状がいるけどね。」


SS級の兵士は基本的に完全適合者のみだから、アスラ部隊四天王と災害閣下にKのクソ野郎。それにバム・ハッサンの師匠で"成就者フルフィルメンター"の異名を持つヴェダ・クリシュナーダの7人。ヨーガを成就した老人、ヴェダ師はスカウトに行った司令に"……おヌシはカルマが深すぎる"と言ってのけたらしいから、一筋縄ではいかない爺様(年齢不詳、100を越えてるって噂だ)なんだろう。


成就者は"世界の調和が乱れた"と感じた時にしか戦場に出てこないから、完全適合者の中では一番実戦投入率が低い。世界の調和がどんなもんだか知らないが、今は世界そのものが乱れきってるだろうに。


「それじゃあ規模も大きくなるわよね、納得だわ。S級認定を目指すトーナメントだから、推薦状をもらえる腕なら誰でも出られるって事だもの。」


「そういう事だ。しかも、部隊枠も廃止されたから…」


「キング兄弟が出て来るの!」


「幸い、いや、災いな事にな。」


A級ってのは良い言い方をすれば裾野が広く、悪い言い方をすればピンキリが激しい。キング兄弟がその典型で、あの二人ならS級が相手でも互角に戦うだろう。ウチのシオンやナツメだって、A級だったらピンのピン。他隊のS級となら十分戦えるはずだ。少なくとも、長い軍歴が考慮されての(名誉的)S級には確実に勝てる。


「シュリは切り札を見せる訳にはいかない分、不利よね……」


分身の術込みでなら、シュリは間違いなくS級認定されている。あの必殺芸は初見じゃまず対応出来ない。


「だな。だが今のシュリは螺旋業炎陣を修得する程の炎術使いでもある。S級上位の実力を持つラセンさんに近付きつつあるんだ。さらなる上積みがあれば、優勝だって狙えるはずさ。」


「そうよね!だから陽炎雷霆なんだわ!」


ラセンさん程の身体能力を持たないシュリがその差を埋めるには、ラセンさんにはない武器を身に付けるしかない。身体能力では大師匠に及ばないシグレさんは、大師匠以上の見切りと緩急の技を身に付け、並み居る高弟達を越える剣客になった。次元流継承位は壬生シグレの克己心の証なのだ。そこまでやっても未だ己を越えさせない大師匠も凄まじいけどな。"次元流最強の継承者"は伊達じゃない。


「回避速度じゃ絶対に"業火のヘルインフェルノ"ラセンには及ばない。だから相手を幻惑し、防御力を高める。パワーでも劣るけど、そこは紅蓮正宗の威力でカバーだ。自分に出来るコト、託された至宝、持ちうる全てを使って空蝉修理ノ介はさらなる高みを目指している。」


友の選択は正しい。どんなに憧れ、渇望しても他の誰かにはなれない。どんな人間も"自分に与えられたモノ"、自分自身で勝負するしかないんだ。


地球にいた頃のオレにはそれが出来なかった。親父に憧れ、ああなりたいと渇望するだけで、何もしようとしなかったんだ。……天掛光平は地頭もよかったが、何より記憶力が異常だった。覚えようと意識して見たものは、瞬時に記憶出来てしまう。天羽の爺様の話だと、爺ちゃんも頭は良かったが、親父のような記憶力はなく、むしろ忘れっぽい方だったそうだから、あれは親父特有の才能だったんだろう。


親父やリリスは与えられた天才頭脳に胡座をかかずに、才能を踏み台にさらなる高みを目指した。天掛波平は、ただ見上げていただけだった。


「また自己嫌悪の時間? あまり感心しない趣味よ。」


戦場にいる時や敵性人物を前にした時には、オレは感情を顔に出さない。訓練した訳ではなく、習性として身に付いてしまったモノだ。だけど、親しい人間の前では、ネガティブな感情も顔に出ちまうらしい。


「悪い悪い。オレにシュリのような心根の強さがあれば、どんな人生だったんだろうな、と思ってね。」


ま、生き方を変えたといっても、座学嫌いは変わっちゃいない。天掛彼方も親父の期待にゃ応えられていないだろう。だけど今のオレは、オレらしく生きている。オレの人生はオレの為にあるのであって、誰かの期待に応える為にある訳じゃない。仲間の期待には応えたいが、それはオレが貫かねばならない信念と一体化しているからさ。オレは愛する人と仲間を守り、守られながら、目指すべき未来へと歩む。


……たとえそれが茨の道であろうと、立ち止まるコトはない。


「間違いなく今以下よ。カナタが弱虫のイジケ虫だったからこそ、私達は出合えた。」


そりゃそうだろうけど。みんなと出合えなかった自分なんて想像もしたくないけどさぁ……


「弱虫のイジケ虫で悪かったね!」


自覚があるからこそ、耳に痛い言葉だってあるんだぞ。


「でも、今のカナタは違うでしょ。信念を貫く為に強くなった。だけど、小言も言わせて頂戴。カナタには"リーダーの自覚"が足りないわ。」


「オレはそんな大層な人間じゃない。」


「またそれ? いい加減、自分を客観視する事を覚えるべきよ。王位継承権第一位の王弟殿下で公爵号を有し、龍ノ島解放戦を大勝利に導いた英雄。戦術指揮官としても無敗を誇り、兵士としては同盟軍に7人しかいないSS級コマンド。世界最強のアスラ部隊においても十二神将にして四天王ビッグフォー。誰もが恐れる戦場の伝説、"災害"ザラゾフと互角に素手喧嘩ステゴロを演じた男がリーダーでなければ、誰がリーダーな訳?」


「みんなが力を貸してくれなければ、何一つ為し得なかった。オレはたまたま、目立つ場所にいただけさ。」


龍ノ島解放戦なんて、生ける者どころか、死せる者までが力を貸してくれた。竜胆左内の先見と策略、榛兵衛の悔恨と意地が、王都奪還へ導いてくれたんだ。緒戦の勝利を確信出来たからこそ、後の戦いの戦略を描けた。カプラン元帥じゃないが、オレは出走準備を終えた勝ち馬に乗っただけなんだよ。


「……はぁ。長所と短所は表裏一体とはよく言ったものね。ふんぞり返るよりはいいとしておくべきなのかしら。でもカナタ、予言しておくわよ? 貴方は必ず、みんなの先頭に立って旗を掲げる時が来る。帝の名代としてではなく、誰の為でもない。貴方自身の戦いを始める時がきっと来るの。」


この星に来て間なしの頃は、ただ生き残る為に戦い、強さを得てからは状況に即して最善と思う道を選んできた。ホタルの言う通り、オレはオレの意志で道を切り拓いたコトがないのかもしれない。姉さんの、帝の恩為という名分がいつも付いて回っている。


「オレの友が預言者だったとは知らなかったな。」


おどけるオレに、生真面目な異名兵士"蟲使いインセクトマスター"は、やっぱり生真面目に返答する。




「カナタ、私のもう一つの異名は"千里眼"よ。私には見える。貴方とシュリが切り拓く新世界が……」

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