慟哭編2話 至宝刀・紅蓮正宗



僕は別に、自分が真面目だなんて思ってない。不真面目揃いの薔薇園だから異端なだけで、世間一般だと"普通"だろう。真面目なのは、愛妻のホタルだ。


「お帰りなさい、シュリ。何かいい事があったのね?」


新品同様のテーブルクロスの上には、手の込んだ朝食が綺麗に整列している。僕も清潔は心掛けているけど、テーブルクロスを毎日洗濯したりはしなかった。独身時代は、ビニル製のテーブルクロスを定期的に入れ替えてたぐらいだ。でも今では、布製のテーブルクロスが毎日、取り替えられている。入隊届の趣味欄に"洗濯とお掃除"と記入したのは伊達じゃないな。


ポテトに海草、それにチシャ菜とサラダだけでも三種類。ヨーグルトには自家製のブルーベリーソース。紅茶はガラスのティープレスで淹れられている。趣味欄に"お料理"も追記しておくべきじゃないかなぁ。


「うん。朝帰りのカナタからいいアドバイスをもらった。それに不良狼を説教しに来たシグレさんが、午後から緩急の極意を教えてくれるって。」


シンプルな模様で清潔感が際立つ白地のテーブルクロスっていいものだな。不真面目の権化なカナタなんて、読み終わった新聞紙をテーブルクロス代わりに使う事さえあるのに。シオンやリリスがいなければ、649号室から新種のカビが発見されていたかもしれない。そう言えば、ナツメの部屋の掃除って、まだシオンがやってるんだろうか? もしそうなら、同じ上忍として意見しないと。


雪村棗は火隠衆の上忍で、マリカ様の義妹。将来は戦力としてだけではなく、指導者としても、里を支えなければならない立場だ。副頭目のラセンさんや、相談役のゲンさんは甘やかすだけだし、僕が耳に痛い事を言わないといけない。


「よかったわね。はい、ホットサンドが出来上がったわ。焼き立てを召し上がれ。」


ホタルは毎食、(物理的にも真心的にも)熱の篭もった料理を作ってくれる。戦地では軍用レーションかガムシロップでカロリーを摂取するしかない場合もあるから、ガーデンにいる間はホカホカの手料理を振る舞おうとしてくれているらしい。白飯まで、わざわざ卓上の小釜で炊き上げるんだから、念が入っている。こんなに尽くされると、僕はどう応えていいのかわからないよ。


「ウィンナーエッグにツナチーズ、それにバジルチキン。どれも美味しそうだね。」


これが本物の真面目だ。僕もホットサンドが好きで、自分でも作ってたけど、具材はタマゴだけだった。


「美味しそうじゃなくて、美味しいの!シュリの剣術が進歩してるみたいに、私の料理だって進歩してるんだから!」


こぼれる笑顔が、カーテンの間から差す朝日よりも眩しい。大食堂の磯吉シェフは無国籍料理の達人だけど、僕が一番美味しいと思うのはホタルの手料理だ。


─────────────────────


「あっぱれ!あっぱれな美味だ!」


絶賛するシグレさんは、昼餉は済ませているのに、お土産に持ってきたホットサンドを道場で食べ始めた。そんな道場主の口の端に付いたバジルソースを、ナプキンでそっと拭き取る師範代アブミさん


「冷めても美味しいホットサンドとは驚きですわ。局長の"あっぱれ"が頂けるとは、ホタルさんはまた腕を上げたようですね。」


相手がシグレさんでなければ"道場内で飲食は感心しません"と言うところなんだけど。シグレさんにまで四の五の言い出したら、僕は24時間365日、誰かに小言を垂れる事になる。


「うむ。腹拵えは済んだ。講釈料を先払いしてもらった事だし、始めるとするか。」


食後の運動だとばかりに勢いよく立ち上がったシグレさんは、道場の壁に掛けてある訓練刀を二振り持ち、僕に立つように促した。


「やけに訓練刀の数が減っていますけど、何かあったんですか?」


素朴な疑問を口にすると、斜め上の答えが返ってきた。


「朝練が激しかったからメンテナンスに出したのだ。凛誠指揮中隊20名で4マンセルを組ませ、順番に十二神将最後の男にぶつけてみた。」


……カナタへの懲罰か。指揮中隊って事はシグレさん直属の最精鋭だ。いくら完全適合者でも軽くあしらえる相手じゃない。


「4人組み手を5セットですか。カナタならなんとかなったでしょうけど。」


「15セットだ。打ち負かされた班は、他の班が戦っている間に休息兼反省会を開き、再戦させたからな。」


凛誠最精鋭との60人組み手ですか。朝帰りの身には堪えたんじゃないかなぁ。


「キャバ嬢と飲みにいっただけなのに、いささかやり過ぎじゃないですか?」


「何を言う!まだ甘かったぐらいだ。だが流石はアスラ部隊四天王だよ。15連戦させても、誰にも1本も取らせなかった。」


アルコールは抜いて相手したんだろうけど、徹夜で騒いでなお遅れを取らないのか。


「カナタは兵士の頂点に相応しい力を身に付けていますね。僕も負けてはいられない。」


「フフッ、いい目になったな。置いていかれまいとする気概が伝わってくるぞ。さあ、構えるのだ!」


手渡してもらった訓練刀を構え、道場の中央で対峙する。次元流継承位を持つ剣客が見せる正眼の構え。その静かな佇まいには全く隙がない。静謐さを旨とする次元流においても、シグレさんとトキサダ先生は別格だ。


「アブミが合図したら、同時に下がって前に出る。まずは剣を打ち合わせてみよう。」


「局長もシュリさんも準備は出来ているようですね。では……はじめっ!」


掛け声と同時にゆるりと二歩下がり、全速で間を詰めながら剣を繰り出す。剣がかち合い、弾かれる。もちろん、弾かれたのは僕の刀だ。


「高弟なら合格だが、今のシュリには物足りない。もっと出来るはずだ!」


「はいっ!」


シグレさんはわかりやすいように動いてくれた。なんでも力む傾向がある僕は、脱力が足りていないのだと。今、見せてもらった呼吸を真似るんだ!


何度も打ち合いながら、合間に指導を頂く。剣匠としても名高い雷霆の教え方がいいのだろう。互角の威力とまではいかなくても、弾かれ幅は小さくなってきた。


「今日はこれまで。続きは明日だ。道半ばではあるが、"雷霆のきょく"らしきカタチにはなったな。」


雷霆の極、か。呼吸法を工夫すれば、ここまで違う動きが出来るなんて驚きだ。


「ありがとうございましたっ!」


稽古をつけてくれたシグレさんに、コトネがタオルとお茶を持ってきた。


「局長、お疲れ様どした。シュリはんもお茶にしはったらどうどすか?」


お言葉に甘えて道場に正座し、冷たい麦茶を頂く。木綿のタオルで汗を拭きながらシグレさんに訊いてみた。


「カナタは雷霆の極を使いながら、陽炎かげろうの術を使ってましたが、あれって僕にも出来そうですか?」


ゆらめくような体術を用い、さらに体そのものをゆらめかせて見せれば、相乗効果は絶大だろう。かなり腕の立つ者でも、幻影を相手に戦っているような感覚に陥るはずだ。世界最速の足を持つマリカ様に挑んだ者は残像を、稀代のトリックスターであるカナタに挑んだ者は、幻影を相手に戦わなくてはならない。


「……あのトゼンに"戦闘時の同時複合作業マルチタスクにおいて、カナタの右に出る奴はいない"と言わしめたように、陽炎の術と雷霆の同時使用はカナタにしか出来ない技だ。陽炎の術も雷霆の極も超高難度、忍術と体術を極めたマリカでさえ"アタイにも無理だ"と言うぐらいだからな。」


やっぱりあれはカナタスペシャルなのか。僕も念真重力壁による歪みを利用する陽炎の術は、なんとか使えるようにはなった。だったら僕にもと思ったんだけど……


かつて、炎術の威力を上げようとしゃかりきになっていた僕に、シグレさんは"道は一つではない。どんな道を辿ろうとも、目指す地へと到達すればよいのだ。私には、今のシュリは背伸びしているように見えるぞ"とアドバイスしてくれた。助言をもらった僕は自分を見つめ直し、僕の特性に気付けたんだ。


熱量を上げられないなら下げてやる、と割り切った僕は、精緻な念真力と炎術のコントロールをマスターし、念真人形に人肌の熱を付与する"分身の術"を編み出した。そして分身の術を極めた時に、紅蓮正宗の声が聞こえたような気がしたんだ。


……汝は汝に為せる事を為したり……今こそ、我の力を我が物とせよ……


僕は刀剣が好きで、手入れの仕方や歴史を学んできた。


"刀には意志がある。刀の格に人の格が及ばねば、真の力は見出せぬ。刀人とうじんが一致してこそ、剣客は剣客たり得るのじゃ"


稀代の刀匠、初代鉄斎はそう言った。刀に意志があるのならば、個性もあるはずだ。トゼンさんと餓鬼丸は、いわば一目惚れし合った仲なんだろう。怨霊の住まう兇剣は、魔性の剣客と出会ってしまったのだ。


僕の愛刀、紅蓮正宗は"過ぎたる力を与えない刀"だ。だから僕が為すべき事を為すまで、炎術の強化はしなかった。業火を操る能力を与えてしまえば、僕はその威力に溺れ、僕の最大の特性である"念真力の精緻なコントロール"に気付かないでいただろう。僕が至宝刀に振り回されない力を身に付けた時に初めて、己の真の力を解放する事にしたんだ。


……待てよ?……念真力の精緻なコントロール……そうだ!同時複合作業なら僕だって得意じゃないか!戦いながら念真人形を形成し、人肌にコントロールしたパイロキネシスを被せて動かす。決して自画自賛じゃない。これって凄い事なんだ!



陽炎の術と雷霆の極の合わせ技は僕にも、いや、僕だからこそ身に付けられるのかもしれない!カナタと同じく、同時複合作業を得意とする空蝉修理ノ介なら、きっと可能なはずだ!


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