第十三章 慟哭編

慟哭編1話 心の炎



※今回のエピソードは彼方の盟友、空蝉修理ノ介の視点になっています。


朝日が昇ると自然に目が覚める。僕は一度も、目覚まし時計を使った事がない。早寝早起き、規則正しい生活を心掛けている僕だけど、盟友が出来てからは若干の乱れが生じている。カナタは典型的な夜型人間で、任務に就いていない時は自堕落な生活を送っている。鍛錬だけは欠かさないけれど、明け方まで飲んで、昼過ぎに起きるなんてのもザラだ。昨晩も日付が変わるまで僕と一緒に飲んでいた。


シメの鴨南ラーメンを食べて鳥玄を出たところで、化粧の濃い女の子達を連れたバクラさんに捕まっていたから、また明け方まで飲んでいるはずだ。……もしかすると今も飲んでいるか、ようやく家路についたところかもしれない。


ベッドの上で半身を起こした僕は、同じベッドで寝息を立てているホタルの頬をそっと撫でた。


「……んっ……おはよう、シュリ……」


「ゴメンゴメン。起こすつもりはなかったんだ。ゆっくり寝てて。僕は日課を済ませて来るから。」


「いってらっしゃい、旦那様。」


僕の首に手を回し、耳元で囁くホタルをそっと寝かせた。一糸まとわぬ美しい肢体は僕をドキリとさせる。結婚してから何度も愛し合ってるのに、未だにこれだ。僕はあまり進歩がない人間なのかもしれないな。


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進歩があろうがなかろうが、停滞する事は僕の流儀に反する。カナタほど多くはないけれど、僕にだって自分に課したルールがあるのだ。トレーニングウェアに着替え、腰のベルトに愛刀"紅蓮正宗"を差す。玄武鉄の刀身を持つこの刀は本来、火隠の里長が持つべき至宝刀だ。いくら、より自分向きの真紅の至宝刀"紅一文字"を手に入れたからといっても、僕なんかに託していいものなのだろうか……


里の者には依怙贔屓されていると思われているかもしれないな。だけど、マリカ様は僕に仰った。


"おまえはアタイに負けないを持っている。そうでなければ紅蓮正宗を託したりしない。胸を張って正宗と共に戦え。空蝉修理ノ介の炎は本物だ"


迷うな。マリカ様が僕を信じてくださったのに、僕が僕を信じられないでどうするんだ!紅蓮正宗を担うには力不足だというのなら、不足を埋めればいいだけさ!


正宗は僕の微弱な炎術を一流の域にまで引き上げてくれた。マリカさんは炎のように波打つ刀紋を持つ正宗は、使い手のパイロキネシスを強化してくれると知っていたのだろう。愛刀の助けがあってこその炎術使い、それは不完全な術者なのかもしれない。だけど僕は"完全"とか"無謬"という言葉を信じていない。こと、人間においては……


"オレは正しく生きようなんて思ってない。ただ、オレらしく生きようと思っているだけだ"


僕の友はそう言った。カナタも僕も、間違った事はあるし、愚かだった事もある。不完全な者同士が寄り添い、高め合いながら生きてゆく。だから僕達は"程々に妥協出来る世界を創ろう"という聞く者によっては夢とは言えない、不完全な夢を抱いた。


傷付き、苦しみ、倒れそうになっても、僕達は歩みを止めない。カナタが祖父の遺志を受け継ぎ、今も戦っているように、きっと僕達の意志も誰かに受け継がれるのだろう。だから、歩みを止めてはいけないのだ。


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ロードワークをこなした後は剣術の修行だ。基地の外れに立てた強化プラスチック製の太い棒(アラミド繊維入り)には、気分を出す為に巻藁を巻いてある。


「せいっ!!」


裂帛の気合いで、抜刀術を巻藁に浴びせる。だけど、眩い刀身は巻藁の半ばに達しただけだった。


……カナタが光輪天舞を使えば、こんな巻藁は軽々と両断する。本来は門外不出とされている夢幻一刀流の抜刀術、"咬龍"を教えてもらったのに……同じ技を使っているのに、僕には出来ないんだ。


「焦るな。最初は三分の一しか刃が届かなかったじゃないか。」


……もうわかっている。剣客としての僕が、カナタと同じ高さに立つ事はないって。剣狼カナタは、あのマリカ様に"絶対にあり得ない事だけどね、もしアタイとカナタが戦ったら……たぶん、斃れるのはアタイだ"と言わしめる兵になった。だけど、及ばないにしても、遥か彼方にいる親友に少しでも近付きたい!歩みを止めない、諦めない、それしか出来る事がないなら、やるまでの事さ!


「せやっ!とうっ!」


巻藁にいくつも切れ込みを入れながら、鍛錬を続ける。一度の歩みは小さくても、毎日毎日、一歩一歩積み上げた鍛錬が結実する日を信じて……


「……刀に意識が集中し過ぎかねえ。シュリ、剣技ってのは、五体の全てを使って繰り出すもんだ。オレが見た感じじゃ、踏み込みが弱い。」


振り返ると、眠たそうな顔をしたカナタが立っていた。僕が最近、ここで居合を鍛錬している事を知っているから、様子を見に来てくれたのだ。


「……欠伸を噛み殺してるところからして、今から帰るところなんだね?」


心の中では気遣いに感謝しつつ、口から出るのはやっぱり小言。我ながら可愛げのない性格だと思うけど、融通が利かないのは昔からだ。


「文句はバクラさんに言ってくれ。オレは程々で切り上げるつもりだったんだぜ?」


どうだか。僕と違ってカナタは"嘘も得意"だからね。


「爛れた生活への苦言は後にして、今の課題だ。踏み込む軸足が弱い、だったらもっと脚力を鍛えないといけないね。」


「脚力を鍛えて損はないが、それよりも呼吸だ。」


カナタは陽炎のように…いや、本当に陽炎を生じさせながらゆるりと動き、刀に手をかけるや白い雷光になった。僕より数段速い、ガーデン最速と噂される抜刀術。チン、と至宝刀を鞘に収めると同時に、切断された巻藁が地面に倒れる。シグレさんも緩急を得意としているけど、カナタのそれも凄まじい。


「脱力と緊張、柔から剛。この落差が技の威力を倍加させる。緩急を自在に操る者は、呼法の理を知る者だ。羽毛のように軽やかに、鞭のようにしなりながら、当たる瞬間に鋼と化せ。シグレさんはそう言ってたぜ。」


部隊長の中では身体能力が一番低いシグレさんが、他の部隊長達に劣らぬ技の威力を誇るのは、緩急自在の動きと呼吸にあったのか……


弱者の剣法を、カナタのような最高峰の身体能力を持つ兵が使えば……無敵だ。弱かったからこそ、到達し得た剣技の境地。生まれついての強者には決して真似出来ない、天掛カナタだけの強さ、か。


「見事な雷霆と褒めておこう。ところでカナタ、昨夜、いや、今朝はキャバ嬢と一緒に飲んでいたそうだな?」


シグレさんも早起きだけど、なんだって基地の外れにいるんだ。……まさかカナタを探していたのだろうか?


「キャ、キャバ嬢と飲んでいた訳じゃありません!バクラさんと飲んでいたんです!」


弟子の弁明に、師は冷ややかな視線を向ける。スッと目が細まったのは、本気で怒っているサインだ。


「私はキャバクラに行ってはならん、と言ったぞ。アフターに連れ出したキャバ嬢と飲むのも、キャバクラ通いと同じだ!」


「オレが連れ出した訳じゃないです!バクラさんと一緒にいた女の子がキャバ嬢だっただけで!」


朝っぱらからなんて会話をしてるんだ。……頭が痛くなってきた。


「言い訳するな!盗品と知って買った故買屋も、窃盗の共犯だ!」


シグレさんはカナタの耳を引っ張って連行してゆく。日頃の不行状の分も含めて、説教してもらうといい。


「ああそうだ。シュリ、昼から道場に顔を出すといい。私が"雷霆"の極意を教えよう。」


鏡水次元流・雷霆とは、緩急自在の体技を指し、継承者である壬生シグレの異名でもある。前継承者の"達人"トキサダをして、"シグレ以上に雷霆を極めた者はいない"と太鼓判を押したのだから、まさに絶技中の絶技だ。僕は以前に雷霆を習い、実戦でも用いている。だけど、シグレさんは"極意"を教えると言ってくれた。


"シグレさんの何が凄いかってーとな。弟子がどの段階に到達したかを正確に見極め、一段上の目標を示唆してくれる事だ。言葉にするのは簡単だが、これが極めて難しい。高度な技を持つ者ほど、二段、三段上の技を教えがちだ"


カナタは師をそう評したが、それは天翔あまかける者の感想だ。頂点への階段を一足跳びで駆け上がった男からは、一段一段、一歩一歩を踏み締めながら上った女が奇異に映るものなのかもしれない。


才に恵まれなかった女剣客はただひたむきに、自分に出来る方法で高みを目指しただけ。腐らず、嘆かず、諦めず、愚直に歩んだ道のりこそがシグレさんの財産で、後進に適切な道を示す力になっている。


そんなシグレさんが、僕に次の道、新しい段階へ進めと言ってくれたんだ。次元流継承者は無責任に"不可能を可能にしろ!"とか、根拠もなく"やれば出来る!"なんて言う人じゃない。だから、僕には出来るんだ!



力が満ちた事に気付かぬ者、進むべき道に迷った者を、時には厳しく、時には優しく導く。……導師という言葉がこれほど似合う人はいない。

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