泥沼編20話 物騒極まる停戦条件
「アレクシスがさり気なく、ワシに"敵との共存"を促しておるような気がするのだ。細かい事は気にせん方だが、長年連れ添った女房の考えておる事は嗅覚でわかる。」
……カナタ君なら敵であっても"まず共存を考える"かもしれない。しかし機構軍とのパイプ役など……いる!帝国皇女スティンローゼ・リングヴォルトだ!カナタ君とローゼ姫は、植民支配を行った帝国と、帝国軍に大打撃を与えた解放軍の間で行われた困難極まる交渉を、たった一日でまとめてみせた。両者ともに交渉上手ではあるが、いくら何でも早過ぎる。これは"信頼関係の構築"という作業をすっ飛ばせたから可能だったのではないのか?
「そうだとしてもキミは停戦には反対だろう?」
「前提条件を満たせば、考えてもいいと思っておる。"世界を統べる"は聞こえがいいが、もはや戦う敵もおらず、統治の面倒を一手に引き受けるという事だからな。」
それはそうだが、今の今まで、そんな事にも気付かなかったのかね?
「まあキミは、統治者向きではないね。」
言葉を飾ったが、本当は"戦争バカに政治は無理だ"と言ってやりたい……
「ワシの望みは天下に豪勇を轟かせ、
誰かの下風に立たずに済むのなら、面倒な事はしたくない。カナタ君が骨の髄まで小市民なら、ザラゾフは骨の髄まで豪傑なのだろう。
「なるほど。実にキミらしいね。それで前提条件とはなんだね?」
「ネヴィルの抹殺だ。奴だけは生かしておけん。あの男は生きている限り、世界征服を諦めんだろう。停戦も講和もネヴィルが生きていれば必ず破られる。」
「ゴッドハルトと朧月セツナはどうかな。二人ともかなりの野心家だよ?」
「問題ない。ゴッドハルトは野薔薇の姫に敗れ、朧月セツナは戦争犯罪者として裁かれるだろう。」
ザラゾフはローゼ姫の器は皇帝より上だと見ているのか。そして朧月セツナに関しては確かにそうだろう。ボーグナイン、ザハト、バルバネス、オリガあたりのやった事を調べ上げれば、彼らの上官である煉獄も極刑は免れない。連中が勝手にやった悪事もあるだろうが、煉獄の命令で行われた悪事も絶対にある。おそらく、どれも極め付きの悪行だろう。
"朧月セツナの断罪"は、停戦の絶対条件。カナタ君が停戦を模索しているとしても、この条件は外すまい。Kへの対応を見てわかった。彼は"外道とは共存しない男"だ。最大のライバル・ネヴィルが死に、一時的に機構軍を掌握するゴッドハルトにしても、狩りが終われば猟犬など必要ない。特に"主の手を噛んだ犬"などはな。
戦争犯罪者として裁かれる朧月セツナは機構軍を割って抗戦するかもしれないが、そうなれば帝国+同盟軍で最後の兵団と追従派閥を始末すればいい。煉獄がいかに強かろうと、勝ち目はないはずだ。
「西ルシア、キミの故郷は奪還しなくてもいいのかい?」
「
私にとってもフラム地方は親の故郷さ。だけどフラム閥の貴族達は親の故郷に帰りたがっている。
「キミと私は欲しい物の入手方法が違う。……そうだな。北エイジアを手に入れて、ゴッドハルトに領土交換でも持ち掛けてみるさ。難しい交渉になるだろうが、決裂すれば南エイジアに住み続けるだけの事だよ。派閥の連中の前では言えないが、私だって見ず知らずの民族発祥の地より、自分の手で育てた領地に愛着があるからね。」
これは本音だ。龍ノ島には"住めば都"という言葉があるそうだが、私の心情はそれに近い。自画自賛になってしまうが、決して豊かではない地域を発展させてきた自負もある。もしフラム地方を取り戻せても、私は南エイジアに留まるつもりだ。……いっその事、奪還するポーズだけ見せるという手もあるな。
首尾良く北エイジアを占領出来たとしても、帝国は領土交換に応じない可能性が高い。フラム地方はガルム地方に隣接している。どんな君主も喉元に刃を突き付けられるのを良しとはしない。であるならば、決裂前提の交渉を持ち掛けて、南エイジア先住民の怒りが、帝国に向くように仕向けるのだ。怒りの矛先が帝国に向いたら、私がフラム人を代表して、先住民に"共存と融和"を持ち掛ければいい。
フラム人は領土を返還して故郷に帰ろうとしたが、暴虐邪知な帝国がフラム地方を手放さない。やむを得ず、現実主義者のカプラン元帥は"フラム人も南エイジアを故郷にすべきと決断し、融和政策に転換した"という
戦争が終わったら、フラム地方奪還を叫び続ける懐古主義者どもは失脚させて、先住民と共存しようとする貴族を重用しよう。懐古主義者を追放すれば、南エイジアで最大の人口を誇る※バラト人をもっと登用出来る。
頭の固い連中は先住民の能力を認めたがらないが、優秀さに民族なんて関係ないのだ。移民政策を見直して、他の地域からも有能有為な人々を積極的に招き入れ、複合多民族による都市国家群として南エイジアを再構築する。この政策には現在の支配者層であるフラム人が悪目立ちするのを抑える効果も見込める。
同胞を軽んじる訳ではない。南エイジアでフラム人はかなりの資産や領地、企業を所有している。アドバンテージを活かせない者の面倒までみる必要はあるまい。地位と名誉に能力が見合わない者が没落するだけさ。
融和国家の先鞭をつけた私は政界を引退。そうすればジョルジュ・カプランの名は"民族に拘らず、より良き国家像を目指した指導者"として歴史に記憶される。"建国の父・カプラン"か。……悪くないな。
「幸せな夢を見ておるようだが、銅像の注文はまだ早いぞ。」
銅像は自分で建てる物ではなく、後世の人々に建ててもらう物だよ。断言するが、存命中に自分の銅像を建てて喜々とする者など、碌な人間ではない。
「失敬。悪くない構想を思い付いたので、ついつい考え込んでしまった。どうしてもフラム地方に帰りたい者は、私に頼らず自分で交渉すればいいさ。返還交渉をやるにしても、ローゼ姫が皇帝になってからの方がいいと思うがね。一番良いのはボンクラと名高いアデル皇子が皇帝になって、帝国が瓦解する事だけど。」
「おまえにとって停戦は不都合ではないのはわかった。戦争が終わったらKは始末しろ。生かしておくと碌な事にならんぞ。」
「そのつもりだよ。罪状は数え切れない程ある。戦果を上げたから免罪されるようなものでもない。」
理想は戦争の最終局面で使い潰す事だ。その策を想定してノーブルホワイト連隊の人選をしておいた。いざとなったら、部隊ごと始末出来るように、ね。
「おまえの手に余るようならワシが始末してもいい。アレに関してはワシが間違っていた。重罪人は戦争の道具に使うのではなく、サッサと処刑するべきだったのだ。一時的とはいえ戦果を上げさせ、名誉を得るのは真っ当な兵士への侮辱だからな。」
おやおや、この傲岸不遜な男でも誤りを認める事があるのか。訓練生時代からちっとも変わってないと思っていたが、そうでもなさそうだな。
「天辺から奈落の底に突き落とされる。そんな無様こそがKには相応しい。さて、私はホテルのドクターに治療してもらってから夜会に戻るよ。合従連衡の件だが、カナタ君とキミの家族以外には話さないでもらいたい。私も娘にだけ話す事にする。」
「娘だと!? おまえは独身だろうが!」
キミはそういう面でも貴族らしくないね。大貴族となれば愛人の一人や二人はいるものだよ。
「結婚しなければ子供が作れないのかね? 牛や羊が婚姻届を提出しているのを見た事はないな。アレックス大佐が既婚者なのが残念だよ。さっき話してきたが、キミと違って政界の駆け引きにも長けているようだからね。」
「おまえと親戚付き合いなど真っ平だ。忠告しておいてやるが、いくら強くて切れ者でも、剣狼だけはやめておけ。あやつは優柔不断な天然ジゴロだと、帝のお墨付きが出ておる。……今まで娘の存在を隠しておったのは、身の安全の為か?」
「それもあるが、娘は薄汚い争い事には向いていない。合従連衡の話が流れたら、今夜は寮に帰らせていたさ。」
「ここに来ておるのか!」
「フルベットすると言ったはずだ。危険はあるが、私は娘との正常な家族関係も取り戻す。」
ここで勝負に出なければ、いつまでも用心に用心を重ねて密会する関係を変えられない。籍こそ入れていないが、誰よりも愛した女性が残してくれた娘は、私の最愛の、唯一の家族なのだ。
トガ派は荒事が苦手。ルシア閥とは合従連衡し、ドラグラント連邦にも食い込めた。ならば、ピーコックが推薦した手練れの女性兵士を付けておけば、身の安全を図れると判断する。Kの正体を知っている娘は自分からは絶対に近寄らないだろうし、Kにも近寄らせない。そもそも、同席する機会など与えない。
私はあらゆるモノを取り引きの材料に使ってきたが、娘だけは例外だ。強く賢い有力者に嫁がせる事を考えなかった訳ではないが、それは娘の幸せの為だ。しかし、意に沿わぬ結婚がどういう結果を生むかは、従兄弟とドネ夫人の例で痛いほどわかった。権益に固執する
ならば、強く賢い有力者と"自由恋愛"させる以外に方法はない。この夜会には有望な若者が集っているからな。私としてはジャダラン総督か士羽総督がいいのだが、それは娘が決める事だ。
……ザラゾフに忠告されるまでもなく、カナタ君だけはやめて欲しいものだ。アスラも女にモテたが、女にだらしなくはなかった。しかしカナタ君は、言い寄る女性を全員受け入れてしまいそうだ……
※バラト人
地球で言うところのインド人。フランス人がインドを占領し移住、支配者層になっていると考えてもらえばわかりやすいかと思います。作中ではダミアン率いるレイニーデビル大隊の副長、バム・ハッサンがバラト人です。
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