泥沼編18話 夢よ、もう一度
「貴族学院を退学してフランクシティへ帰る? 勝手な事を言うなよ。そんなの俺は認めないぞ!」
自由気ままに生きる悪友は私が故郷に帰る事を告げると、やはり身勝手な事を言った。
「アスラ、私の人生を決めるのは私自身であって、キミじゃない。もう決めたんだ。」
「とにかくダメだ!おまえには俺が必要でもないだろうが、俺にはおまえが必要なんだ。どうしても故郷に帰ると言うなら、フランクシティを焼き尽くして帰る場所を無くしてやるぞ!」
御堂アスラにはジョルジュ・カプランが必要だって?……本気で言っているのだろうか……
貴族学院の問題児である私は、士官学校の問題児のアスラと悪所通いの顔馴染みとして知り合い、友達付き合いをするようになった。最初の頃は楽しかった。いや、今でもアスラと悪い遊びをするのは楽しい。しかし、御堂アスラという男を知ってゆく程、劣等感にも苛まれるようになった。悪友アスラが"本物の天才"だったからだ。
頭脳明晰で喧嘩が強く、ハンサムな上に人望もあって、性別、年齢を問わず人気がある。私がアスラと比肩出来るのは背丈だけだ。
「キミには誰の助けも必要ない。やろうと思えば何でも一人でやれるのだから。強いて必要な人物を挙げるとすれば、刑部クンぐらいなものだろう。」
東雲刑部は王佐の才に秀でた秀才で、アスラの最大の理解者。天才を支える補佐役としても、私は一番になれないのだ。
「カプラン、俺には夢がある。その夢を実現させる為には、ジョルジュ・カプラン、兎我忠冬、ルスラーノヴィチ・ザラゾフ、火隠段蔵、東雲刑部、この五人の協力が必要不可欠なんだ。いずれ協力者はもっと必要になるだろうが、今、名を挙げた五人が中核になるのは間違いない。」
「兎我氏の名は初耳だけど、ザラゾフ、段蔵、刑部の才気に私は到底及ばない。買い被りだよ。」
「買い被りなもんか!カプランには"凡人力"と"常識力"という他の四人にはない武器がある。」
凡人力に常識力……まあ、ザラゾフ訓練生には一欠片も、段蔵氏にもあまり常識はない。会った事はないけれど、兎我という人物も変人か偏屈のどちらかなのだろうな……
「馬鹿にされているのか褒められているのか、よくわからないね。常識だったら刑部クンが人一倍持ち合わせているだろう。そのせいで苦労しているのだから。」
東雲刑部は文武両道の秀才だけに、凡人力とは縁がなさそうだが……
「刑部は俺が"やる!"と言ったら、常識をかなぐり捨ててでもついて来てくれちまうんだ。」
「アスラがこうと決めたら殺す以外に止める方法はない。だから刑部クンはやむを得ず付き合っているんだ。私だってそうするかもしれないよ?」
「いや、カプランはどんな状況に置かれようとも、リアリストである事をやめない。俺が天才かどうかはさておいてだ、世界の圧倒的多数は"凡人"なんだよ。だから大事を成す為には"凡人の意見"が絶対に必要だ。おまえこそが俺の探していた"己を知り、頭の切れる凡人"なんだよ。」
どうやらアスラは本当に私を必要としているらしい。己を知り、頭も切れるなら、それは既に凡人ではないとは思うが、アスラがそう捉えているのなら、たぶんそうなのだろう。
「……アスラ、月はどうやって輝くのか知っているかい?」
「太陽の光を反射している。なぜそんな事を聞く?」
そう。月は己の力では輝けない。自分よりも遥かに巨大で、膨大な熱量を持った太陽の力を借りて輝いている。私は私でしかなく、どんなに羨み、渇望したところで他の誰かになる事は出来ない。だが凡人の私にだって、意地もあれば野心もある。だったら、逆立ちしたって敵わないと認めた悪友の夢に賭けてみよう。このまま帰郷したところで、劣等感が新たな悪友になるだけだ。
「……国に帰るのはやめにした。御堂アスラの夢とやらに付き合ってみよう。」
悪友はアスラ一人で十分だ。劣等感と縁を切りたければ、ジョルジュ・カプランが大仕事を成し遂げるしかない。存在意義は与えられるものではなく、自分の手で勝ち取るものだ!
「本当か!大の男が一度口にしたんだ、撤回なんぞさせないぜ!」
教官相手に大ボラを吹くのが日常茶飯事なのに、よく言うね。まあ、私も"ホラ吹きカプラン"などと呼ばれてはいるが……
「私だって、たまには約束を守るさ。アスラ、キミはどんな夢を見ているんだ?」
「まだ内緒だ。時が来たら話すよ。」
悪友アスラはいつものように屈託のない、人を魅了してやまない笑顔を浮かべた。
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台頭してきた次世代のリーダー達と談笑する狼、天掛カナタ。その笑顔は、私に若き日の記憶を想起させた。
……御堂アスラを失った私は、夢を捨てていた。夢を無くした凡人は保身に走り、地位と立場を守る日々に汲々としてきたのだ。
"機構軍の支配と搾取を終わらせて、この星に緑を取り戻す"、アスラの夢は実現不可能に思えたが、同時に"この男ならやってくれるはずだ"と信じられた。
天掛カナタは御堂アスラの再来だろうか?……
私と次世代のリーダー達を別室に招いた太陽は、恒星の一人に極秘の話を始めた。
「テムル総督、領地の防衛作戦についてオレから提案があります。現在の勢力図はこうで…」
北エイジアに駐屯している機構軍が中原に侵攻してくれば、私が側面を突き、南エイジアに進行してきたならば、テムル師団が側面を突く。双方にメリットのある戦略をジャダラン総督に提案し、私が密かに準備している南エイジア奪還作戦については、時期尚早と釘を刺す。
……ジャダラン総督と信頼関係がない私が後手に回らざるを得ない事を知っていて、先手を打ってきたか。燦々と輝く日輪も、時に日蝕を起こす。天掛カナタは腹黒さも持ち合わせた太陽なのだ。
「アトル、剣狼の提案をどう思う?」
ジャダラン総督は背後に立つ副官に相談した。私が睨んだ通り、アトル中佐が蒼き狼の知恵袋なのだ。
「我々にとってもメリットがない話ではありません。元帥は最近、軍備を強化されているそうですので。そして剣狼殿が仰る通り、北エイジアの奪還はまだ早いでしょう。」
私の望みは半分叶えるが、全ては与えない。さりとて根幹地の防衛を最優先に考えねばならない私は、この提案に応じるしかない。フフッ、とても22歳の若者とは思えない老獪さだな。
「ふむ。カプラン元帥、俺も友の提案は一考に値すると思っている。元帥のお考えを聞きたい。」
ジャダラン総督の軍における階級は少将。本来ならば元帥である私の命令には従わねばならない。しかし、同盟軍の事情は複雑で、遊牧民の末裔の頂点に立つ男となれば、要請と協力というカタチを取らねばならないのだ。志を同じくする都市の緩やかな連合体、それが同盟軍の成り立ちで、今もその残滓は生きている。
同盟初期に強固な連携が取れていたのは、御堂アスラという傑出した指導者がいたからだ。
「私に異存はない。北エイジアを取り戻すのは、南エイジア方面軍の戦力が充実してからになるだろう。」
御堂アスラにはリーダーとしての自覚があった。天掛カナタにそれはない。しかし、剣狼は"無自覚のリーダー"だ。烈震、蒼狼、麒麟児、小判鮫、尾長鶏は各々が優れた人物だが、剣狼を中核に据えて結束している。もし天掛カナタがいなければ、この5人は二つのグループに分かれて牽制し合うか、協力するにしても限定的なものに留まっていた。
「これでWINWINですね。ここからは通信参加の雲水代表を交えて経済協力の話をしましょう。オレ達が大枠だけ定めておけば、後は事務方の仕事です。」
精強を誇るザインジャルガ方面軍の力を利用して楔を打ち、戦局が優位に傾けば全戦力を投入。可能な限りの領地を得る。私の戦略を読んだカナタ君は、"勝ち馬に乗るのはいいが、タダ乗りは許さない"と手を打った訳だ。見事なものだよ。
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次世代のリーダー達との会合を終えた私は貴婦人達と談笑しているザラゾフ夫人の元へ向かった。
「ザラゾフ夫人、元帥はどこにいるのかな?」
「別室でオプケクル准将と食べ比べなど致しておりますわ。困った旦那様です事。」
いい意味でも悪い意味でも訓練生時代から変わらん男だ。孫がいる歳になっても大食い競争とは……
「相変わらずですね。ドネ夫人、先程、公爵から提案されたのだが、離婚届にサインしてもらえるだろうか?」
ワイングラスをテーブルに置いたドネ夫人は、私に訝しげな視線を向けた。
「あら、元帥はそれでよろしいのかしら? 立場もあれば、面子もお有りなのでしょう?」
寄る辺なき身だった頃ならまだしも、今のドネ家は私の面子を潰したところで問題ない。枷の外れた不毛な関係は、もう終わりにすべきだ。
「実利の前では面子など安いものだ。公爵は"元帥の意向で政略結婚に応じた第一夫も
私が欲していたドラグラント連邦との交易路の拡充に公爵は同意してくれた。見返りを出さねば、交渉人としての沽券に関わる。これも面子の一種ではあるが、必要な措置なら迷わず講じる。四十の半ばなってから縁切りされる従兄弟には、慰労金とそれなりの地位で報いよう。
「私だけではなく、夫も被害者、ですか。まこと、公爵らしいお考えですわね。では近日中にカレル・ドネが第一夫に…いえ、唯一の夫になります。カプラン元帥、少しだけですが、肩の荷を下ろしてもらって構いませんわよ?」
「全部下ろすのはムシが良すぎる。そんな事はわかっているとも。では私はザラゾフ元帥と話があるので、これで失礼するよ。」
会釈してから背を向けた私に、ザラゾフ夫人が声をかけてきた。
「カプラン元帥、お待ちになって。」
「なにかね?」
「最近、若返られましたわね。」
「バイオメタルにアンチエイジングなど必要ないよ。化粧品を変えた訳でもないが……」
交渉の場に臨む時や演説を行う時には衣服やアクセサリー、髪型から肌つやに至るまで入念に検討しているが、今夜はそんな事もしていない。虚飾が通じない相手と話す夜会なのだから。
「私の気のせいかしら。カプラン
……そういう意味だったか。ザラゾフも昔から変わっていないが、この御夫人も変わっていない。若き日と変わらず、聡明なままだ。
「気のせいではない事を願うよ。"カプラン大将は有能だった"と聞き及んでいるからね。」
元帥になってからは碌な事をやってこなかった。私の器の小ささは、昔も今も変わらないのだろう。だが小物であっても夢は見ていいはずだ。
同盟軍に新たな太陽が誕生した。ならば……"夢よ、もう一度"だ。もちろん、油断ならない男を自認する私は、自派閥の利益も追求するがね。
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