泥沼編15話 溢れる才気の持つ弊害



「残念な報せだ。アルハンブラが脱獄した。」


本来は凶報なのだが、オレはホッとする。司令の口からこのニュースを聞けなければ、納豆菌が疼き出していただろう。


「……そうですか。どんな魔術を使ったのやら……」


「ほう。どうやら初耳だったようだな。」


……言葉と腹の内が違うと表情で教えてくれている。やはり司令は同盟一の切れ者だ。オレが既に知っていると察していたのか。だったらしらばっくれる意味はないし、不信感を招くだけだ。


「心にもないコトを言いますね。ええ、そうですとも。既に脱獄したのは知っていました。」


オレがそう答えると、司令の背後に佇立しているクランド大佐の眉と唇が僅かに曲がる。腹芸が出来ないのが大佐の欠点だよな。


「心にもない事をしゃあしゃあと言えるのはお互い様だ。誰に影響されたかは知らんが、腹黒さに磨きがかかってきたな。」


誰にって、主に司令ですよ。残りは教授かな?


「ですが魔術のタネまでは知らないんですよ。奴はどんな手品を使ったんです?」


「バーター取引だ。先に対価を頂こう。おまえに脱獄を知らせたのはチッチだな?」


「その取引には応じられませんね。情報源ソースを吐くのは御法度だ。相対取引ではなく先物取引はいかがですか?」


チッチ少尉は司令の許可を得ずに情報を流してくれた。信義には信義で応えるのがオレの流儀だ。相手が誰であろうと自分の流儀ルールは曲げられない。


「よかろう。アルハンブラの使った手品はこうだ。奴は…」


司令の話を聞き終えたオレは、曲者の周到さに感心してしまった。


魔術師を雑居房などに入れる訳はない。専用の独房に収監された魔術師は、他の囚人とはレベルの違う厳戒態勢の下にあった。特に警戒されていたのは"道具の持ち込み"で、針金一つあればどんな鍵でも容易く開ける男に対しては当然のコトだった。収容所の中央にある鉄塔の天辺に閉じ込めて誰の面会も許さず、食事や着替えの提供さえも何重ものチェックを重ねてから、専用のエレベーターで上げ下げするだけ。内通や変装を警戒した司令は、収容所の職員ですら接触させなかったのだ。


しかし魔術師は"自分が収監される収容所を予想し、部下を先に潜入させておいた"のだ。一年前から雑居房に収監されていたテラーサーカス団員(もちろん、他部隊に所属させておいた隠密団員)は準備を整え、上官を待っていた。サーカス団には動物使いがいるものだが、隠密団員はネズミ(これも収容所には付き物だ)を訓練し、最重要捕虜が収監されるであろう鉄塔の天辺まで往復させられるようにしておいたのだ。


そして、金属探知機に引っ掛からない小道具を括り付けられたネズミは小さな通風口を通って独房と雑居房を何度か往復し、手札を得た曲者は部下と一緒に脱出に成功した、という次第だ。


「煙幕とピアノ線、それにプラスチック爆薬を持ち込んだのは間違いないが、独房を出てから所内の監視カメラ網をどうすり抜けたのかがわからん。もう一度捕まえて訊いてみるしかあるまい。」


司令も魔術師の曲者ぶりには感心しているようだ。雑居房にいたとはいえ、そんな道具を準備出来た隠密団員も相当に優秀だな。さすが曲者、いい部下を抱えていやがる。


「もう一度捕まえるにしても、文字通り"ネズミ一匹入れない独房"を準備してから、ですね。」


直径5cmの通風口を搬入路に使うとはな。ま、手口がわかれば中に金網でも張っておけばいい。とはいえ、魔術師たるもの、同じ手は使わないだろうなぁ……


「ああいう手合いを収監する為に、他の囚人が一切いないプライベート監獄を建設する事にした。通風口には小動物を焼き殺す小型火炎放射器を設置してやるさ。」


「手口の詳細はわからないにしても、わかった事がありますね。」


「ああ。一年前から工作員を潜ませておいたという事は、自分が捕まった時に備えていたか、それとも……か、だな。」


「オレは断然、後者だと思いますね。」


「私もだ。僻地の収容所に送られる前に、首都で魔術師に面会した者が二人いる。」


二人の面会者だと? 司令はどうして危険人物との接触なんか許可したんだ。……いや、せざるを得ない相手だったってコトか。


「トガとカプランですね?」


「そうだ。奴らは魔術師から何らかの取引を持ちかけられた可能性がある。やはり信用ならんな。」


現役のカプラン元帥が甘い話に乗るとは思えないが、耄碌したトガは危ない。英明を謳われた戦国四君最後の一人、黄歇こうあつの末路は哀れで"春申君、老いたり"と司馬遷に評された。アスラ派とルシア閥が伸長し、失点続きのトガ派は衰退しつつある。老元帥は焦っているだろう。


オレが軍神、災害、日和見、吝嗇、同盟の有力者4人の誰かに工作を仕掛けるとすれば、断然、兎我忠冬だ。


「トガあたりは危なそうですね。ダメ元で司令にもコナをかけてきたんじゃないですか?」


「当たり前だろう。一番美味しい籠絡相手はこの私だからな。"アスラと兵団が手を組めば…"なんて抜かしおったから、"朧月刹那が私にと言うのなら、考えてやらんでもない。無論、同盟への投降が先だがな"と言ってやった。」


そういうやりとりがあったなら、戦地で話しておいてくれよ。モヤモヤしてたのがバカみたいじゃねえか。


「アホくさ。煉獄のヤツ、自分が信用されるとでも思ってんのかね?」


有能だろうが強かろうが、手を組んじゃいけない男ナンバー1だ。


「適合率は100%だが、自己評価は120%なのだろうな。さて、私は先物を買い終えたぞ?」


「ではオレから利回りを提供します。軍服を着た乗っ取り屋がちょっかいをかけてきたので…」


「嘉島製鉄所の件か。ケチ兎の倅の倅に肘鉄をくれてやったらしいな。」


もう耳に入ってんのかよ。さっき解決したトコだぞ。


「相変わらず、お耳の早いコトで。」


「老いぼれが後始末に動いたからな。私の耳に入らん訳がなかろう。詳細を話せ。」


オレは嘉島製鉄所の一件を始まりから終わりまで、司令に話してみた。


「……なかなかの手際だと褒めてやりたいが、派閥抗争を今一つ理解していないようだな。」


「カプラン元帥とドネ夫人は反目させておいた方が都合がよかったって話ですか?」


「わかっているなら何故、敵に塩を送るような真似をした。」


敵に塩を送るって諺はこの世界にもあるんだよな。送ったのは謙信じゃなくて、司令の先祖の阿門入道だけど。


「必要だと思ったからです。折り合いのつく相手とは共存するのがオレの流儀だ。」


「カプランは都合が悪くなれば、あっさり手の平を返す男だぞ。そんな尻軽に貸しを作ったところで、見返りなどありそうにないがな。」


……司令は三元帥を軽く見ているフシがある。確かに素質も実力も司令が上だ。武力だけなら災害閣下は司令と互角に戦えるだろうが、その他の点では及ばない。カプラン元帥とケチ兎は、あらゆる分野で司令の後塵を拝するだろう。だからと言って、手を組む価値がないとは思わない。オレが凡人だから、そう思うだけなのかもしれないが……


「司令、尻軽だろうが長広舌だろうが、ジョルジュ・カプランは"同盟軍元帥"なんです。無闇に対立するのが得策だとは思えない。都合が悪くなったら手の平を返す、だったら都合の方をコントロールしてやればいいだけだ。」


カプラン元帥は利に敏く、状況判断も的確だ。武人でも能吏でもない男の武器はリアリズム。"勝ち馬に乗る才能"なんだ。オレ達が勝ち馬である限り、風見鶏はこちらを向く。


「長広舌ならおまえも負けていないな。私を説き伏せるつもりか?」


「必要とあれば。」


黙って話を聞いていたクランド大佐だったが、とうとう我慢出来なくなったらしく、大声で怒鳴り散らした。


「カナタ!いい加減にせんか!おまえをここまで引き立ててきたのはイスカ様じゃぞ!」


「ンなこたぁわかってる!だがな、唯々諾々と命令に従う人間が欲しけりゃ他を当たれ!」


十二神将にイエスマンなんざ一人もいねえだろ!強いて言えばアンタだけだ!


「唯々諾々と従えなどと言っておらん!勝手が過ぎると言っておるのだ!」


「……クランド、下がっていろ。」


身を乗り出した老僕を手で制した司令。その目は苛立っているように見えた。


「し、しかし…」


「下がれ、と言ったぞ。話しているのだ。」


「ハッ!私とした事が出過ぎた真似を致しました。」


叱責された大佐は、主に敬礼してから通信室を退出した。


「カナタ、クランドの剛直さは大目に見てやれ。神兵にとって剣狼は、手の掛かる新兵のままなのだ。面と向かえば文句を言うが、裏では成長を喜び、気にもかけているのだぞ?」


「もう二年も付き合ってるんです。わかってますよ。」


大佐はいい人なんだけど、いささか直情径行なんだよなぁ。だから師団長に昇進した今でも、アスラ部隊のハンドリングを司令自ら取らなきゃならないんだ。戦術能力と武勇は申し分ないんだがなぁ……


「おまえがザラゾフやカプランに接近しているのはわかった。意図するところは"トガ潰し"だな?」


「絶対に潰そうとまでは思っていませんが、老元帥とは折り合いがつかないでしょう。代替わりにも期待出来ません。」


「トガにはまだ能吏の欠片らしきモノが残っているが、孫には才気のさの字もない。ケチ兎も頭が痛いだろうよ。」


嘲笑する姿まで絵になるのは、大物の証だな。見慣れてるとはいえ、堂に入ってるぜ。


「尊大さだけは元帥級ですがね。司令、首都に来る時間あります? ザラゾフ夫人とドネ夫人、便乗したカプラン元帥に"公爵ともあろう者が、一度も夜会を催した事がないとは驚きだ"と半ば強迫されまして……」


「フフッ、王弟殿下の招待とあらば、断る訳にもいくまい。私はドラグラント連邦、だからな。」


「体裁なんざどーでもいいんで、初めて主催する夜会に出席をお願いします。」


爵位で司令を抜く日が来るとは思わなかった。なんでこうなったのか、自分でもよくわからねえ……


「わかった。カプランは放置するが、ザラゾフ夫人とドネ夫人とは話をしておいた方がいいだろう。親しき仲とはいえ、ちゃんと招待状は送ってこいよ。」


「はいはい。司令、今後を考えれば、カプラン元帥とも話をしておいた方がいい。たぶん、向こうから接近してくるはずだ。」


「近付いてきたら袖にしてやる。少し勿体を付けてやった方が、これまで日和見を決め込んできた風見鶏カプランに、私の有り難みがわかるだろうよ。何かあったらおまえが窓口になるのだから、何も問題はない。」


もー!クランド大佐とは違う意味で困った人だぜ。考えてみれば、カプラン元帥がアスラ派に相乗りや協力要請をする時は、東雲中将が橋渡しになってるんだよな。これはカプラン元帥に限った話ではなく、ザラゾフ元帥やケチ兎が相手でもそうだけど。



過ぎたるは猶及ばざるが如し、とはよく言ったもんだ。才気に溢れ過ぎるが故に、警戒もされてしまう。中将が凡人とは思わないが、やはり司令には温厚な人格者のサポートが必要なのだろう。

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