泥沼編13話 禍を転じて福となす



「……という訳で嘉島製鉄所の株式はドネに売却しました。兎金興業の損失も最小限に留めるように動いていますので…」


額に青筋を立てた兎我元帥は、孫からの報告をみなまで言わせなかった。


「もう動かんでいい!兎金興業の件は儂が手を打った。」


「手を打ったとは…」


「カプランに金を渡して仲裁を頼んだのじゃ!下げたくもない頭を下げてな!根回しに長けた日和見めが、"会計責任者の処罰で事を収める"と請け負ったから上手くいくじゃろう。儂が次に打った手はわかるな?」


「ドネ家と剣狼への報復ですね!兎我家に恥をかかせた報いは受けさせねばなりません!」


「馬鹿者めが!"刑務所に行く会計責任者に今後の生活を保障して、因果を含める"に決まっておろう!奴が喋ったらだと露見し、取り返しがつかなくなる!今は経営難の兎金興業じゃが、安全地帯となった龍ノ島では成長が見込める会社なのじゃ!あの島は今、建設ラッシュに沸いておるのじゃぞ!」


兎金興業はコンクリート会社である。今は赤字でも黒字への転換が大いに見込めるのであった。


「は、はい。では報復はいつ始め…」


「ド阿呆ゥ!剣狼めに手心を加えられたのもわからんのか!」


「て、手心?」


「本気でやり合うつもりであれば、二の矢、三の矢を放っておる!一の矢で留めたのは"本格的にやり合う気はない"という意思表示なのじゃ。だいたい、二の矢、三の矢の正体もわからん間に報復を企てるなど、"残りの矢を放ってください"と言っているようなものじゃろうが。」


老いと肥大化した自己顕示欲は、兎我忠冬からかつての聡明さを奪ったが、老元帥はまだ三英傑と称えられた頃の名残を有していた。英雄の進撃を支えた能吏の名残は、破滅を避ける知恵として、なんとか働いている。


「お祖父様の慧眼に狂いはありません。ハッタリかもしれませんが念の為に、系列企業の不祥事を洗って証拠隠滅を計りましょう。」


「それも儂がやっておく。おまえはおまえ自身の不祥事を揉み消しておけ。金に糸目をつけるなよ?」


「僕に痛い腹などありませんが、調査しておきます。お祖父様、一つ訊いてよろしいですか?」


「なんじゃ?」


孫の問いに祖父は面倒臭そうに応じた。事実、面倒事を抱えたのだから当然かもしれない。ドラグラント連邦との関係を考えれば、後始末は自分でやるしかないのだ。


「お祖父様が僕の立場であれば、どうなさいましたか?」


忠春にとって祖父は絶対不可侵の理想像で、その生き方を模倣したいのだ。偉大な祖父を完璧に模倣する事こそ、いずれ兎我家を率いる男としての責務だと思い込んでいる。


「儂であれば取引に応じて手仕舞いにしておった。そうすれば利益を出せていたじゃろう。彼奴が何の手札もなしに交渉に臨む訳がない。龍ノ島での戦役で、帝国との交渉をまとめてきた男じゃからな。勝ち馬に乗るだけが取り柄のカプランが同席しておった時点で、損切りするのが賢明というものじゃ。」


「野蛮人の腕比べならともかく、知性の戦いなら僕は成り上がりの公爵などに負けません!」


大元帥と尊敬する祖父が、尉官風情に一目置くような言動をしたのが気に障ったのか、それとも成り上がりと軽んじていた男にやり込められた口惜しさがあったのか、忠春は虚勢を張った。もちろん本人は虚勢だと思っていない。英傑の孫に相応しい気概を見せたかったのだ。


「だとよいがな。これからは儲け話にすぐ飛び付くハイエナどもを上手く御するのだぞ。目先しか見えない小策士を束ね、大局へと導くのが真の賢者というものじゃ。」


「はいっ、お祖父様!」


「しばらく大人しくしておれ。おまえにはもう少しマトモな側近を付ける事にする。」


背筋を伸ばし、薄い胸板を張る姿にさほど感銘を受けた風もない老元帥はそっけなく答え、孫に付けておいたコンサルタントへの処罰を考え始めた。


役立たずどもを左遷する僻地を選定しながら老元帥は思う。


"……忠秋が生きておればこんな苦労をせずに済んでおったものを。やはり儂の目が黒いうちに揺るぐ事なきを築いておかねばならぬ"と。


─────────────────────


別室で待機していたドネ夫人がキャッシュで代金を支払ったので、オレは現生の入ったアタッシュケースを抱えたハイエナどもをゲストハウスから追っ払った。


「フフッ、兎我クンはお茶も飲まずに退散したか。」


嘲笑に極めて近い笑みをこぼしたカプラン元帥のカップに侘助が紅茶を注ぐ。放蕩者だった若き日の名残なのか、カプラン元帥は大の煙草好きで、紙巻き煙草も噛み煙草も嗜む。今日は紙巻き煙草の気分のようで、咥えた紙巻きに有能執事は金のライターで火を点けた。


「茶を出す前に喧嘩が始まりましたからね。」


奴に出す茶など、出涸らしで十分だが。祖父と父親で兎我家の才覚は品切れみたいだからな。


「カプラン元帥、お世話になりました。、感謝しておきますわ。」


ドネ夫人の言葉に刺があるのには理由がある。ドネ家はフラム閥の重鎮だが、派閥内のライバルでもあるのだ。夫人の父親、つまりドネ家の先代当主はカプラン元帥と意見が合わずに反目し、その結果、ドネ家は派閥から追放されてしまった。カプラン元帥は得意の交渉術で派内の締め付けを行い、フラム貴族の横の繋がりを失ったドネ家は窮地に陥る。追い詰められた先代当主は窮状を脱する為に、恥を忍んで派閥への復帰を申し出た。


カプラン元帥は"一人娘の婿養子に自分の従兄弟を迎える事"を復帰の条件として通告し、先代当主は政略結婚を飲んだ。元帥は、ドネ夫人に愛のない結婚を強いた張本人なのだ。日和見らしからぬ強硬策は上手くいったかに見えたが、代が変わると計算違いが生じた。元帥が考えていたよりも、ドネ夫人は有能だったのだ。


夫人はその手腕で父の代よりドネ家を発展させて実権を取り戻し、元帥の意のままに動く婿養子の有名無実化に成功した。形の上ではまだ夫婦だが、実際には離婚しているに等しい。となれば、残ったものは遺恨だけだ。


"出る杭を持たない"がモットーのカプラン元帥は、ライバルの存在を好まない。しかし、ドネ夫人を父親のように追放する訳にもいかない。先代よりも遥かに人望のある夫人には強固なシンパが多く、追放すれば派閥の分裂を招きかねないからだ。


当事者のドネ夫人に別室で待機してもらっていたのは、カプラン元帥の協力を得るコトは内緒にしていたからだ。売買契約の場に元帥がいるコトに驚いた夫人だったが、そこは"社交界の女狐"の異名を持つ女傑、何事もなかったかのように取引を済ませた。忠春の前でいがみ合うのは賢明ではないと、わかってらっしゃる。


「……不毛な結婚生活を強いたのはマズかったようだね。」


カプラン元帥は良策に見えた失策を後悔しているようだが、ドネ夫人はにべもない。


「ご心配なく。第二夫のカレルとは心が通じ合っていますから。」


険悪な空気が広がる前にザラゾフ夫人が間に入ってくれた。


「ペネロープ、争いが終わった後にすぐ諍いは慎みません事? 今回の件を解決する為に尽力された公爵のお立場もあります。」


ペネロープ・ルイーズ・ドネ、それがドネ夫人のフルネームだ。


「アレクシス様の仰る通りですわね。私とした事が場を弁えぬ発言でした。非礼をお許しください、元帥閣下。」


ザラゾフ夫人とドネ夫人はファーストネームで呼び合うぐらい親密な仲になっているようだな。ドネ夫人は、年も爵位も上のアレクシス・ザラゾフ侯爵夫人を立ててくれてもいる。


「ここでいがみ合われると話が切り出し辛くて困っていました。ドネ夫人、これで嘉島製鉄所の株式を全て手にされた訳ですが、40%は売却して頂きたいのです。」


「公爵とアレクシス様に20%ずつ、お売りすればよろしいのですわね?」


「オレではありません。カプラン元帥とアレクシス夫人に20%ずつです。嘉島製鉄所の筆頭株主はドネ家で経営方針もドネ家が定めます。カプラン元帥とザラゾフ夫人は共同経営者、という訳ですね。」


「……公爵は"カプラン元帥と手を組め"と仰るのですか!」


「ドネ夫人もご存知でしょうが、フラム閥は現在、軍備の強化を急いでいます。精鋭部隊に与える質の高い装備品を製造する為には高精製マグナムスチールが必要だ。」


カプラン元帥はそれを期待して、この件に乗ってきたんだ。ほらな、我が意を得たりって顔してるでしょ?


「で、ですが……」


「ドネ夫人、武闘派貴族のお父上とカプラン元帥の対立は"武力の強化"が原因だったと聞いています。紆余曲折はあったかもしれませんが、元帥は方針を転換されました。協力する素地は整ったかと思います。」


先代当主はユーロフ圏にあった領土をなんとしてでも取り返したかった。しかしカプラン元帥は南エイジアに持つ領土、根拠地の経済発展を優先させたのだ。口にしてはならないコトだが、おそらくカプラン元帥の考えが正しい。機構領の奥深くにあるフラム地方を奪還するのは難しいし、ドネ家の先代当主は災害閣下ほどの武力を持ってはいなかったのだから。


「ペネロープ、公爵の仰るように、一度はカプラン元帥に協力してみてはどうかしら? 元帥はドネ家を疎略に扱う事は出来ません。もしそんな真似をなさったら、ドネ家とドネ家に近しい貴族は、ルシア閥かドラグラント連邦に流れる事になります。……ふふっ、私としては流出が好都合なのですけれど。」


ザラゾフ夫人の言葉は事実だ。ドネ家の置かれた状況は以前とは決定的に異なる。オレやザラゾフ夫人と強い信頼関係を構築したドネ夫人は、派閥を追い出されても行く当てがあり、寄る辺もない小派閥の悲哀を味わうコトはない。経済に明るいドネ夫人を、ザラゾフ夫人は喜んで迎えるだろう。もちろん姉さんもだ。


「派閥の分裂は多いに困るよ。勢力が衰退し、私の求心力も低下する。」


「………」


ドネ夫人は考え込んでいる。意趣返しをしたいのなら、簡単に出来るからだ。だが、交渉能力で地位を築いたカプラン元帥が黙って見ているとは思えないな。


「協調の証として、カレル・ドネ隊長に大佐の地位と3つの連隊を与えたい。チャティスマガオに本拠を置いた"南エイジア先遣防衛部隊長官の椅子"もだ。」


ピーコックに与えた厚遇でわかってたけど、カプラン元帥は必要と判断すれば思い切りがよく、出し惜しみもしないんだよな。じゃなきゃ交渉の名手と称えられたりしないか。方針を転換したからには、迷いなく全振りしてくる。


「カプラン元帥、カレル・ドネは御門グループの私兵軍団"スリーフットレイブン"の隊長ですよ? 引き抜きは困りますね。」


栄転ではあるんだがな。だけどカレルに代わる隊長の目途もないのに、他所へ送り出すのは御門グループにとって不利益だ。


「後任には飯酒盛サモンジ中尉を充ててはどうかな? 竜騎兵はチャティスマガオ防衛部隊の教練に励んでくれているが、いつまでも留め置く訳にはいかない。"向こう傷"サモンジとカレル・ドネは兵士としても指揮官としてもタイプが似ていて、能力にも遜色がないからね。」


……そう来たか。やはり交渉上手だな。とことん八熾と竜胆の不和を利用してきやがる。とはいえ、確かにメリットがあるんだよなぁ……


「一考の余地はありますね。サモンジ中尉の我が身を削る献身に御門グループは応える義務がある。」


照京動乱の際は命を省みずに戦い、奮戦むなしく囚われの身となっても諦めずに脱獄。救出した部下と一緒にレジスタンスとして戦い続けた。なのに竜胆があんなだから巻き添えを食って、栄えある竜騎兵団は半個大隊のアグレッサー部隊に留まっている。本来なら国家の功臣として称えられるべき存在なのにだ。


「カレルの意志を聞いてみてからでないとお返事は出来ませんが、ドネ家としては前向きに検討致しましょう。公爵、それでよろしいですか?」


ドネ夫人がそう決断したなら、オレとしてもやぶさかではない。昇り龍の薫陶を受けた古参の竜騎兵を手元に置き、竜胆や新参者と距離を取らせる意義は大きいからな。


「わかりました。御門グループとしても竜騎兵に恩賞を与える必要があります。異存はありません。」


今回の件を起点にして、ドラグラント連邦、ルシア閥、フラム閥の協力関係を構築する。それが停戦派の勢力拡大に繋がるはずだ。カプラン元帥は日和見主義者と揶揄されるだけあって、頭は柔軟だ。停戦に利があると思えば、機構軍の殲滅にはこだわらない。


「話はまとまりましたわね。ところでカプラン元帥、武闘派のルシアンマフィアも高精製マグナムスチールを欲していますのよ?」


ガーデンマフィアと称するオレらに触発されたのか、根っからの貴婦人が物騒な表現をするようになったな。……いや、ルシア閥は元からそんなもんか。なんせトップが災害閣下なんだ。


「鉄の配分は嘉島製鉄所の生産力を確認した上で話し合いましょうか。生産力向上の為に増資する必要もありそうですから、私とザラゾフ夫人が共同で出資するのがよろしい。……考えてみれば、今回の件で天掛特務少尉は何も得ていないがいいのかね?」


「オレはドネ夫人への信義で動いただけです。義を金に変えたりしない。」


カッコをつけてみたが、思わぬ反撃が待っていた。


「あら!それでは私達は信義をお金に変える人種だと仰るのね?」 「私はともかく、ザラゾフ夫人に失礼だよ、それは。」


派閥のトップとナンバー2に結託して攻められたんじゃ分が悪い。



……でもあなた達、少し前までは結構深刻に対立されてましたよね?

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