泥沼編12話 兎の孫と狼の孫
「手筈は全て完了しています。中止の連絡がない限り19:00のニュースで流す予定ですが、本当にいいんですね?」
リグリットドレイクヒルホテルの最上階にあるペントハウスで、チッチ少尉から報告を受ける。ここは姉さんの持ち物で身内以外のゲストは入れない。教授の直属チームが常時、盗聴器の類をチェックしているから機密保持には最適の場所だ。
「予定通りにやってくれ。忠春のこれまでの行動、言動を調べたんだが、かなり猜疑心が強く、自分に都合良く物事を考えるタイプだと思う。一発かまされないとオレの言うコトを信じないだろう。」
「了解です。二の矢、三の矢を放つかどうかは向こう次第、ですね。」
「そうなるな。チッチ少尉、悪いニュースがあるなら話してくれ。忠春との交渉まであまり時間がない。」
チッチ少尉との付き合いもそれなりの長さになってきた。顔色で内心を読ませる男ではないが、調子の好不調はなんとなくわかる。おそらく悪いニュースがあるのだ。
「交渉が終わってから話そうと思っていたのです。」
「つまり、今回の件とは無関係か。悪いニュースは聞き慣れているから問題ない、話してくれ。」
「……アルハンブラ・ガルシアパーラが脱獄したようです。」
「なるほど。確かに悪いニュースだ。」
司令が自ら手配した監獄から抜け出すとはやるじゃないか。兵団一の食わせ者の本領発揮だな。
……何かが心に引っ掛かる。監視体制に不備がなかったか、調べるべきだろうか? マリカさんに頼んで……ダメだ。それは司令の能力、もしくは人格を疑う行為でもある。仲間を信じられなくなったらお仕舞いだぞ。
「天掛少尉、魔術師に対して何か打つ手がありますか? 私に出来る事があれば、喜んで協力しますが。」
「脱獄されてしまった以上、打つ手はない。どんな包囲網を敷かれようが、あの魔術師はお得意の脱出マジックを披露する。チッチ少尉は今回の件に集中してくれ。上手くいけば海鮮居酒屋で祝杯、悪い方に転べば徹夜でお仕事だ。」
「まさに天国と地獄ですね。まあ悪い方に転んだ場合、兎我中佐は我々以上の地獄を見る訳ですが。」
「利に敏いだけが取り柄の男だ。上手くいくとは思うがな。失敗するとすれば、オレに型に嵌められるのを嫌って意地になった場合のみだ。」
それがないとは言えないのが問題なんだよな。損得を度外視して感情を優先されたらご破算だ。
「兎我忠秋少将が存命なら、兎我家にも望みがあったのですがね。兎我中佐は悪い所だけ、元帥に似ています。」
「ヒンクリー少将曰く、"忠秋には突然変異、忠春には隔世遺伝が起こったんだろう"だとさ。」
兎我忠冬元帥の息子、忠秋大佐は優秀で勇敢な男だった。劣勢に立たされた友軍を救うべく救援に駆け付け、"界雷"ネヴィルと戦って命を落とした。兎我忠秋の身を挺した奮戦で、多くの兵士が命を救われたのだ。
「ヒンクリー家は"ただの遺伝"で良かったとしか言えませんね。親子揃って頑丈で勇猛だ。」
「"鮮血の"リックをあまり誌面でおだてるなよ。膂力とタフさは親父と遜色ないレベルまで育ったが、将器はまだまだ"不屈の闘将"には及ばない。」
リックは可愛い弟分だ、大きく飛躍して欲しい。これは兄貴の贔屓目かもしれんが、二代目"闘将"になれる器を持ってるんだからな。
──────────────────────
日が落ちてからも時計の針は進み、そろそろ招きたくないゲストがやって来る時間だ。……来たか。案内役の侘助には、ゾロゾロと引き連れたコンサルと護衛兵は外に留めさせ、忠春だけを通すように言ってある。奴は典型的な"取り巻きがいれば強気になるタイプ"だ。
「ようこそ中佐。狭いところですがおくつろぎください。珈琲と紅茶、どちらがよろしいですか?」
戦果を上げた事もない癖に中佐の階級章を付けた忠春は、将官のように尊大な素振りでオレを見下ろしてきた。背はオレの方が高いのだが、忠春はまだ着座していないのだ。
「……少尉風情がこの僕を呼び出すとは大それた真似をしたものだな。言っておくが、僕はカプラン元帥の招待に応じただけだ。尉官ごときは刺身のツマだと身を弁えろ。」
ゲストハウスには既にカプラン元帥が来てくれていて、ゆったりと紅茶を飲んでいる。招待状を装った召喚状は、オレとカプラン元帥の連名で出されている。忠春の性格を鑑みるに、オレの招待状なら無視しかねなかったからだ。
「まあまあ、兎我クン。そう喧嘩腰にならずに。ここは平和的な話し合いの場だよ。」
若い頃は放蕩者で、現在は品行方正を演じている元帥閣下は一応、なだめる素振りを見せた。
「カプラン閣下ともあろうお方が酔狂が過ぎます。トカゲ島連邦公爵だか知りませんが、尉官ごときは直立不動で僕を出迎えるべきでしょう。無礼にも程があります。」
トカゲ島ってなぁ、どこで生まれたかは知らんが、おまえだって覇人だろうが。
「カプラン元帥、どうやら中佐殿は喧嘩をお望みのようだ。……いいだろう。その喧嘩、オレが買ってやろうじゃねえか。」
"売られた喧嘩は店ごと買う"が、ガーデンマフィアのやり方だ。
「大元帥・兎我忠冬の孫であるこの僕に、尉官風情が逆らうつもりか?」
勧められてもいない椅子にどっかりと腰掛けた忠春は、祖父の威光を振りかざしてふんぞり返った。
ご自慢の祖父と同等の地位にあるカプラン元帥の前でこの態度。……コイツ、ひょっとして配下のコンサルが有能なだけで、コイツ自身は無能なんじゃないか?
「オレの身の程が刺身のツマなら、おまえの細腕は爪楊枝だ。腕力じゃ喧嘩にもならん。外で待たせてる護衛兵を呼べ。オレは一向にかまわん。」
「は、反逆罪は銃殺刑だぞ!貴様はそれがわかっているのか!」
「噛むなよ、みっともねえ。心配すんな、おまえの好きな言葉の喧嘩で相手になってやる。オレの要求はシンプルだ。嘉島製鉄所から手を引け。」
予想通りの案件だった事に安堵したのか、忠春は余裕を取り戻してせせら笑った。予習はしっかりしてきたようだな。
「フン!やっぱりその件か。無駄だよ、無駄。昨夜、最後の株主も売却に応じた。極東商事は
横紙破りをやらかしといて何が法治だ、笑わせる。株を脅し取られた、いや、脅し買われた株主が出るとこに出られないからっていい気になるなよ?
……19:00まで後2分。チキンレースを始めるか!
「最後の警告だ。脅迫して買い叩いた株式を
買い叩いた株を適正価格で売れば利益が出せる。人を見る目があれば、脅しじゃないとわかるはずだ。
「……カプラン元帥は中立の立場なのですよね?」
忠春の念押しにカプラン元帥は頷いた。
「もちろんだよ。私はただの立会人だと思ってくれたまえ。フラム閥は兎我派ともドラグラント連邦とも協調したいのでね。」
「それを聞いて安心しました。おい、帝の愚弟……答えは"ノー"だ!極東商事は明日にでも臨時株主総会を開き、代表取締役を始めとする新たな役員を選出する。ざまあみろ。……何をやっている!」
「何をやっているってテレビのリモコンを操作してんだ。7時のニュースが始まる時間だからな。」
「呑気にニュースなど見ている場合か? おまえは負けたんだぞ!」
うるせえなあ。オレもおまえも得をしない話になるって言っただろ。警告を無視したおまえも損をするんだよ。
「へえー、
ニュースを見た忠春は慌ててハンディコムを取り出したが、ダイヤルする前に哀れな通信機器はオレの刀で刺し貫かれていた。慌てる気持ちはよくわかるがな。兎金興業は兎我家がオーナーの会社なんだから。
「一攫千金クイズじゃねえんだ。テレフォンはナシだぜ?」
テレフォンもオーディエンスも50/50もない。ライフラインは己の頭脳だけだ。
「ぶ、ぶ、無礼な!……ハッ!成り上がり者に構っている場合じゃない!カプラン元帥、ハンディコムを貸してください!すぐに電話をかけないと!」
「兎我クン、私は"中立"だと言ったはずだよ。ハンディコムはこの間変えたばかりだから、壊されるのは面白くないな。」
「クソッ!」
乱暴に席を立った忠春はゲストハウスから出て行こうとしたが、ドアの方が先に開いた。もう一人のゲストが登場したのだ。
「ハンディコムなら私がお貸ししましょう。久しぶりですね、兎我中佐。」
「ザ、ザラゾフ夫人!……どうしてこんなところに。」
「天掛公爵とはとても親しい間柄ですもの。お茶に招かれる事もありますわ。ハンディコムをどうぞ。ですがお電話の前に天掛公爵の話を聞かれた方がよろしくてよ?」
夫人は優雅にハンディコムを差し出しながら、アシストもしてくれた。
「やっぱり貴様の仕業か!」
今さら何言ってやがる、馬鹿。オレじゃなければ誰だってんだよ。
「泥仕合になると言ったはずだ。オレも負けたが、おまえは大負けするんだよ。こうなる前にオレの話に乗っておけば利益を出せていた。今は株の売却益と兎金興業が被る損失でトントンってところだろう。さあどうする? 後5分で臨時ニュースが飛び込んでくるぞ。兎金以外の系列企業の不祥事、兎我家にとってのバッドニュースがな!」
「黙れ!お、お祖父様に電話しないと…」
「夫人の電話を借りた瞬間に、オレは"二の矢を放て!"と命じるぞ!オレと同じ真似がおまえに出来るか?」
ポケットから取り出したハンディコムをよく見えるようにプラプラ振ってやる。刀は差しちゃいるが、おまえの腕であんな芸当は出来まい?
「ど、どうしたら……僕はどうしたらいいんだ……」
「誰にも頼らず自分で考えろ。時価総額480億の製鉄所を手に入れる代わりに、三つの系列会社が1500億も損をしましたってお祖父様に泣きつくか、なんとか痛み分けで済みましたって報告するかだ!時間がないぞ!オレが中止命令を出さなきゃ、キャスターに特ダネが届く手筈なんだ!」
「あわわ!お、お祖父様に叱られる!」
オレより三つも年上の癖に、爺に叱られるなんて慌てふためくんじゃねえ!
「早く決めないとドンドン条件が悪くなるぞ!今なら二の矢を止めて適正価格で買い取ってやる!だが二の矢を放った後にバンザイしても、買取価格でしか買ってやらん!さあどうする!」
「売ればいいんだろう、売れば!嘉島製鉄所の株式はドネ夫人に売却する!」
外との通信をオンにしながら返答する。混乱している間にコトを進めないとな。
「いいだろう。侘助、外のコンサルを一人、ゲストハウスに入れろ。株券が届き次第、株式売買契約を結ばせる。」
「すぐに準備は出来ない。日を改めて…」
オレを、いや、教授を甘く見るなよ?
「嘉島製鉄所の株券はリグリット信託銀行に保管されている。持って来るのに30分もかからないはずだ。」
信託銀行とドレイクヒルホテルは目と鼻の先だからな。
「……わかった。本当に適正価格で買い取ってくれるんだな?」
トントンで収めようと必死だな。教授のアドバイス通り、今なら利益と損益が釣り合ってるんだろう。
「今なら、な。だが8時になればオレの気が変わるかもしれん。使いの者にはダッシュさせた方がいいぞ。」
兎我家に大損させてやりたいところだが、そうもいかない。忠春にはわからんだろうが、ケチ兎ならこちらが手心を加えたコトぐらいはわかるだろう。損はさせなかった、のだからな。兎我潰しを仕掛けるのは、軍事官僚にシンパを増やしてからだ。そうしなければ同盟軍に混乱が生じる。
売買契約が済み次第、教授に礼を言っておこう。教授が先を見据えて兎我家の所有会社を調査してくれていたお陰で事なきを得た。……まったく、綱渡りすんのは戦場だけにしておきたいぜ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます