泥沼編10話 同居人は救世主



図書室での仕事を終え、消灯時間が迫って来たので自室へ戻る。尉官以上の捕虜には個室が与えられるらしいが、軍籍を剥奪された私に与えられたのは相部屋、おそらくこれでも破格の待遇のはずだ。なにせ私は不名誉除隊された人間なのだから……


ここへ移送され、相部屋をあてがわれると聞いた時は心底震え上がった。私を良く思っている捕虜などいない。同居する捕虜から暴行を受ける未来が容易に想像出来たが、幸いな事に杞憂に終わった。いや、杞憂どころか、同居人こそが私にとっての救世主だったのだ。


「ただいま、マルセル。」


パイプベッドにゴロ寝していた同居人は足を上げて私を出迎える。この救世主は行儀が悪いのだ。


外ではシャペル上級軍曹と呼んでいるが、私室ではファーストネームで呼んでいる。マルセルが私を守ってくれているのは誰もが知っているが、ファーストネームで呼び合う仲だという事は隠しておいた方がいい。本来、私に肩入れするメリットなど何もないのだ。哀れな男を庇ってやる侠気のある軍人、そういう風に見られておいた方が良い。……風も何も、それが事実か。


「ノアベルトは仕事熱心だねえ。残業手当が出る訳でもなかろうに。」


「図書室は捕虜にとって数少ない娯楽だからね。仕事も多いのだよ。」


「娯楽は他にもあるぜ。一局どうだ?」


足の指で差されたテーブルの上には真新しいチェス盤が置いてあった。模範囚はレクリエーションルームにある各種の遊戯盤の使用を認められているが、当然、昼の間だけだ。もちろん、私室への持ち込みなど許されていない。


「よくこんな物を持ち込めたね!」


「同盟に亡命した従兄弟が出世した話はしただろ。他の収容所なら通らんが、ここじゃあ騒ぎさえ起こさなきゃささやかな娯楽はお咎めなしなんだ。看守は従兄弟から貰う金で良い酒を飲み、俺は無害な禁制品を見過ごしてもらう。双方がハッピー、WINWINってヤツさ。」


室内検査がおざなりなのには、そんな理由があったのか……


「なるほど。せっかくのお誘いだけど、チェスのお相手は明日務めるよ。消灯時間までに日課を済ませておきたいからね。」


「例の日課か。他人のルーティーンにケチをつける気はないが、いい加減ヤメたらどうだ? ハッキリ言って不健全だし、前向きでもない。」


マルセルは私の日課を不健全だと常々言っている。私もそう思うけれど、これをやめたら元の私に戻ってしまうような気がして、どうしてもやめられない。


ベッドの下から衣装ケースを引き出し、蓋を開ける。中に入れてある手紙の束を取り出してベッドに腰掛けた私は、順番に目を通してゆく。この手紙は私に対する判決文、ローエングリン家に仕えていた者達が、お家を断絶に追い込んだ私に送ってきたものだ。


「……ヒデえ文面だな。"この人でなし!お嬢様を返せ!"の次は"人間の屑めが!おまえのせいで由緒あるローエングリン伯爵家が取り潰されてしまった!死んで償え!"かよ。んで、"元気にしてるか、穀潰し。獄卒にケツの穴をほじくられる気分はどうだい?"と来たか。」


肩越しに手紙を覗き見したシャペル上級軍曹は、苛烈な文面を読んで苦笑いを浮かべる。


「……皆は義父の才能をそっくり受け継いだ娘が帰ってきて私を追い出し、伯爵家を元に戻してくれると信じて耐えていたのだろう。誰からも嫌われている私は、マルセルが庇ってくれなければ、本当に慰み者にされていたかもしれないね。」


古今東西、女と子供を食い物にする男は、蛇蝎よりも嫌われる。私が思っていた以上に、私は家臣達から憎まれ、兵士の反感を買っていたのだ。そんな私を庇ってくれたのがマルセルで、最初は弱い者イジメが嫌いな男なのだと思っていた。もちろんそれもあったのだが、同じ部屋で寝起きを共にし、打ち解けてきた頃にマルセルは、なぜ私を助けてくれたのかを教えてくれた。


"俺はアンタの同類なんだよ"


マルセル・シャペル上級軍曹は世界各地を転戦する特殊部隊に所属していたが、妻が身篭もると同時に陸軍を退役し、市警のSWATに就職した。軍に厭気が差した訳ではない。妻子と共に過ごす時間を少しでも多く得たかったのだ。


SWATとて激務ではあったが、街に定住は出来る。職場においては優秀なSWAT隊員として、家庭では良き父親として、シャペル上級軍曹は充実した毎日を送っていた。


犯罪は夜に起きる事が多い。深夜に緊急召集を受けたマルセルは現場に急行し、無事に事件を解決して夜が明ける頃に帰宅した。その日は非番で、家族で湖畔に出掛ける予定になっていた。可愛い盛りの愛娘にせがまれたマルセルは、予定通りに妻子を連れて湖畔へと出掛けた。結果から言えば、彼は体を休めるべきだった。


遊び疲れた愛娘はハンモックでお昼寝、マルセルは妻と一緒にこの日の為に買っておいたワインを開けて乾杯する。夜明け近くまで続いた事件で疲れていたマルセル、そして夫の身を案じてよく眠れていなかった妻は……寝入ってしまった。


そして二人が目覚めた時には、愛娘の姿が見えなくなっていたのである。夫妻は懸命に娘を探したが、見つけたのは湖に沈んでいる幼い亡骸だった……


"俺がSWATの任務に出掛けている時、妻がよく眠れていなかった事は知っていたのに、レンジャーとして厳しい訓練を受けた自分の聴覚を過信していた俺は、酒なんか飲んでしまった。娘は俺が殺したようなものだ"


心に深い傷を負った夫妻は自分を責め、互いを責め、傷付け合う事に疲れて……離婚した。離婚を機に軍に復帰したマルセルは、また世界各地を転戦する生活に戻った。そしてある日、ベースキャンプに一通の手紙が届いた。差出人は更生施設の職員、内容は……元妻の死去の通知だった。


"傷心を抱え、孤独な妻は麻薬に手を出してしまっていた。俺は過ちから逃げる為に、愛する女からも逃げてしまったんだよ。過ちに過ちを重ねた俺は、自分の本心に気付いてしまった。俺は死に場所を求めて軍に戻ったんだ、とな"


最前線の任務を志願するマルセルは泡路島に配属され、海を挟んだ神楼市の強行偵察作戦に向けて待機していた。そこに、アスラ部隊が奇襲をかけてきたのだ。マルセルも強いがアスラコマンドも強い。しかも相手が古流剣法の高弟と門弟で構成されている"衛刃"となれば苦戦は必至。仲間は次々と斃され、マルセルは一人になってしまった。そして部隊長である"達人マスター"トキサダが目の前に現れる。


全く隙のない構え、激戦地にありながら静謐さを感じる佇まい。マルセルは万に一つの勝ち目もない事を悟った。人生の最後を飾るに相応しい雄敵の登場に、死に場所を探していたはずの男は……武器を捨てて両手を上げていた。


"笑えるだろ。なにが死に場所を求めて、だ。気付いたと思った自分の本心すら嘘っぱちだったんだよ"


自分が何をしたいのか、なぜ生きようとしているのかわからない男は、こうして収容所の住人となった。彼は同類だと言うけれど、決して私達は同類ではない。マルセル・シャペルは家族を愛していたのだから……


……消灯を告げる鐘の音が鳴っている。今夜はもう休もう。


「おやすみ、マルセル。良い夜を。」


「おう。明日は非番だったな。中庭でガーデニングでもやろうぜ。」


過去を塗り潰せるインクがあるのなら、魂と引き換えにしてでも手に入れたい。卑劣な過去さえなければ、私はマルセルを"友"だと呼べていたかもしれないのに……


─────────────────────


「綺麗なもんだろ。庭が狭けりゃ一年草を育てるに限る。」


森林衛士レンジャーでもあったマルセルは草花に造形が深い。私は名も知らない花の手入れを手伝いながら、心地よい汗をかいた。小さいとはいえ個人の花壇を持てているのは"出世した従兄弟"のお陰なのだろう。


「さて、昼飯にしよう。手伝いの駄賃としてサンドイッチを進呈するぜ。」


手を洗ってからバスケットのサンドイッチを取り出し、花壇の前でランチにする。……ん? この食感、まさか……


「マルセ…シャペル上級軍曹、このカツサンドは…」


「口は食うのに使いなよ。余計な事は言わずにな。」


収容所で供される肉類は全て人工肉のはずだが、このポークカツレツは天然物、それもかなりの上物だった。これも出世した従兄弟からもたらされた恩恵か。有難く余禄に預かろう。美食には凝った方だが、今まで食べたどんなご馳走よりも、このカツサンドが旨い。


ランチを終えた私は、マルセルからガーデニングの知識を教えてもらう。出所したら庭園に凝りたい兵士だっているはずだ。ガーデニングの本を薦める時に、知識はあった方がいい。


マルセル先生のガーデニング講座を受けていると、職員が一人やってきた。収容所では顔が利くマルセルに何か用事があるのだろう。


「貴官に…軍籍は剥奪されているのだったな。ノアベルト・ヒューゲル氏に面会希望者がいる。」


「わ、私にですか!?」


「そうだ。明日の15:00にここを訪れるそうだから、体を空けておくように。面会希望者とは、リリエス・ローエングリン軍属だ。」


娘が…リリスが私に会いに来るだなんて……


「そ、その……私は……娘に会わせる顔など……」


「キミに拒否権はない。彼女は天掛公爵の縁者として扱うよう、通達が出ている。機構軍ほどではないが、同盟においても貴族の権限は大きいのだ。確かに伝えたぞ。」


動揺する私に一瞥もくれず、職員は去っていった。


「マルセル、私はどうしたらいいんだ……」


さっき食べたカツサンドを戻しそうだ。嬉しいのか恐ろしいのか、自分でもよくわからない。


「どうしたらも何も、会うしかないだろう。拒否権はないって言ってたじゃねえか。」


「娘は口が悪いんだ。絶対に罵倒される……」


「やらかした事を考えれば当然だろ。罵詈雑言でも肉声を聞けるんだ、俺から見れば羨ましい話さ。恨み言でも罵声でもいい。……娘と女房の声をもう一度聞きたいよ。」


マルセルは淋しげに呟いた。


「そうだね、逃げてはいけない。」


「そういう事だ。覚悟を決めて罵られてこい。それから、もう外でもマルセルでいいぜ。ノアベルトは腹芸が下手だな。」


「うっかりしていたよ。まさか娘が会いに来るなんて思ってもいなかったから、ひどく動揺してしまった。」


「それにしたってキョドり過ぎだ。容姿端麗で、金も爵位もあったってのに、中佐止まりなのも頷ける。超が付く程の器量よしで、心の器もデカい娘さんは、ガルム一のハンサムで天才数学者だった"巨星"カールハインツ・ローエングリン博士に似たんだろうよ。……ホントにノアベルトの娘なんだろうな?」


「……キミまで罵倒しなくてもいいじゃないか。」


「予行演習だと思えばいいだろ。気晴らしにビリヤードでもやろうぜ。」


愉しげに笑ったマルセルは、レクリエーションルームに向かって歩き出した。一人にされてはかなわないので、慌てて後に続く。



明日は娘と再会か。……どんな顔をして会えばいいものやら……

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