泥沼編9話 司書のお仕事



※今回のエピソードはリリスの父親、ノアベルト・ヒューゲル(ローエングリン)の視点になっています。


首都近郊にあるマジャイマラート捕虜収容所が私の新しい住み家で、施設内にある図書室の貸し出し係兼雑用係が私の新しい仕事だ。軍に入る前は帝国図書館の司書だった私に、業務を覚える苦労はない。しかし、業務そのものに苦労がないかと言えば決してそうではない。客層と言うのは語弊があるかもしれないが、とにかく帝国図書館と収容所図書室では、借り主の質がまるで違うのだ。


「小難しくなく教養が身に付く娯楽小説を探せって言ってんだろうが!」


それはかなりの無理難題だよ。教養は基本的に小難しいものなのだから。わかりやすい解説本なら心当たりがあるけれど、娯楽小説の形式を取った書籍があっただろうか?


「何に関する教養を得たいのか教えてもらえるかな?」


「賢そうに見えるならなんでもいい!学がねえって馬鹿にされるのはもうウンザリなんだよ!」


海兵隊に所属していたという捕虜兵卒の太い腕にはいかりと鮫の刺青が施されている。


「では海洋生物や中世の交易に関する知識を深めてみてはどうだろうか?」


大海原を舞台にした娯楽小説ならいくらでもある。帆船で旅をしていた時代の文化や交易に関して詳しく著述した小説なら心当たりがあった。近代史なら遠洋漁業にスポットをあてた作品もある。


「ダメだダメだ!海の事ならテメエなんぞより俺のがよっぽど詳しい!青びょうたんと違ってこちとら実地で覚えた知識なんだからな!もっと賢そうに見える……そうだな。哲学とか芸術を面白く読める本を出せ!」


哲学について学びたいなら哲学書を読むのが早道だと思うが……哲学の解説読本を出しても満足してくれそうにない。ならば芸術、そうだ!パトロンになった王がその才能に入れ込み過ぎて、危うく国家財政を破綻させかけたという実話をベースにした小説があった。天才音楽家が主人公のあの作品なら満足してくれるかもしれないぞ。


私は貸し出しカウンターから離れ、並び立つ書棚から目当ての小説を手にして戻った。


「これなんかどうかな?」


「分厚すぎるだろうが!1センチ以上の厚みがあるのはダメだ!」


「厚みが1センチ以下の娯楽小説で教養も身に付くとなると、私には心当たりがないん…」


言い終える前に襟首を掴まれ、高々と釣り上げられる。


「クソの役にも立たねえ野郎だな!床に叩きつけられたくなきゃ…」


「クソはおまえだろう。ここは図書室だぞ。大声を出すな。」


錨マークを入った腕に負けず劣らず太い腕で海兵隊員を制した男は、私を庇うように間に入ってくれた。


「シャペル!俺とやろうってのか!」


額に青筋を立てた海兵隊員に向かって、私に唯一親切にしてくれる男、陸軍出身のシャペル上級軍曹は淡々と応じた。


「かまわんぞ。ただし、ここではダメだ。表に出ろ。」


助けを求めた方がいいのだろうか? しかし、警備兵を呼んだりすれば私は"青びょうたん"に加えて"密告屋"の蔑称まで拝命する事になる……


「騒がしいぞ。何をやっている。」


机の下の呼び出しボタンを押そうとした手を止める。海兵とシャペル上級軍曹は睨み合いをやめて、新たな入室者に最敬礼した。


左目に眼帯をした巨漢は"殺人機関車"の異名を持つ、ラッセル・ネヒテンマッハ大尉だ。喧嘩を始めそうだった二人の兵士に比しても大きく厚みのある体、迫力のある顔を覆う濃い髭、そして健在な方の目に宿る鋭い眼光が彼が歴戦の強者である事を教えてくれる。大尉はこの収容所で最も発言力がある男なのだ。


「騒ぎを起こすと飯が減る。空腹のワシは血の気が多くなるのを知っておるか?」


「大尉殿、自分達はストレッチをしていただけであります!」 「シャペル軍曹の言う通りです!」


仲良く口裏を合わせる二人に、大尉は鼻を鳴らしながら応えた。


「フン!ストレッチなら中庭でやれ。下がってよし。」


退出する二人を見届けた大尉は貸し出しカウンターの前まで大股で歩み寄り、探す書籍を口にした。


「東洋剣法に関する本はあるか? 指南書であればなおいいが……」


「ネヒテンマッハ大尉、残念ながら指南書の類は一冊も置いてありません。軍事に関する書籍は収容所に置かない決まりがあるのだそうです。」


「それもそうか。なにせ収容所暮らしなど初めてだからな。まるで勝手がわからん。」


「先程は仲裁して頂き、ありがとうございます。」


私が頭を下げるとネヒテンマッハ大尉は不機嫌そうに答えた。


「佐官が尉官にペコペコするな。軍の序列がおかしくなる。」


「私は軍籍を剥奪されています。もう中佐ではありません。」


爵位も軍籍も剥奪された私は、完全に無価値な存在となった。無価値な男に残されたモノは旧姓ぐらいなものだ。


「そうだったか。卿に全く興味がないゆえ、知らずにおったわ。」


切断された腕を繋げる為に医療刑務所にいた大尉は、ここに来てから日が浅い。私がローエングリンからヒューゲルに戻った事など知るはずもないのだ。


「卿でもないのです。爵位も剥奪されましたので。」


「さもあらん。順序からすれば軍籍よりも爵位の剥奪が先だ。……全てを失って身の程を知ったようだな。」


「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ。残念ながら私は後者だったようです。」


思い当たる節でもあるのか、大尉は濃い顎髭を撫でながら小さく嘆息した。


「見た目で敵手を侮り、虜囚となったワシも後者なのだろうな。だが、何も学ばんよりはマシだろう。」


……そうか。"殺人機関車"は案山子軍団の異名兵士、"赤毛"に敗れて囚われの身になったと聞いた。娘の所属する部隊の情報は捕虜になる前に目を通した事があるが、ビーチャム・ザ・ジンジャーことキンバリー・ビーチャム准尉はそばかす跡の残る少女兵士だった。


「無理もありません。小柄であどけなさの残る少女兵士が恐ろしい手練れだとは思えないものです。」


「軍事官僚だった卿が異名兵士名鑑に目を通していたのか。軟弱者にとってはSSランクもDランクもさして変わりはないだろうに。」


異名兵士名鑑は危険度に応じてSSからDまで格付けが為されている。娘の上官である完全適合者"剣狼"は当然ながらSS、娘はそれに次ぐ危険度であるランクSだ。私が娘を生体兵器研究所に売ったせいで、異名兵士"ディアボロス・チャイルド"は試作兵器・ラバニウムコーティングを搭載している。


娘しか使いこなせなかった生体装甲システムは開発が中止され、リリエス・ローエングリン専用兵装という扱いになっている。兵装の力を解放すれば悪魔形態デモニッシュフォームへの変身が可能となり、圧倒的な戦闘能力を得る事が出来る。その恐るべき力を勘案してのランクS、まさに……悪魔の子だ。


「……正直に言ってしまえば、報復を恐れていたのです。ですから娘の所属する部隊の情報には目を通していました。」


今思えば、何の意味もない備えだった。ランクDどころか、異名兵士名鑑に載る事さえない一兵士とて、私を縊り殺すのは造作もない。私ときたら、バイオメタル化していない一般人にだって負けかねないのだ。


「つくづく最低な男だな。貴族の娘に取り入って爵位を得、実の娘を売り渡して出世を目指した。ワシも立身出世を志したが、頼みとしたのは己が腕だけだ。」


そう、大尉は己が力を用い、正々堂々と戦った。だから囚われの身となっても胸を張って生きていける。積み上げてきた強者としての誇りは失ったかもしれない。力が及ばなかった口惜しさもあるだろう。


……しかし、私のように背中を丸めて生きていく必要はない。


「……返す言葉がありません。」


私は最低で最悪な男だ。上官だったメルゲンドルファー閣下が私に向かって言った言葉がある。


"おまえは地位さえ得られれば進駐軍総督アードラーに優る働きが出来ると思っているようだが、到底及ばんだろう。なぜならおまえには覚悟がないからだ"


"武辺狂が何をほざくか"と、あの時の私は思ったが、閣下の見立ては正しかった。アードラー総督は敗れはしたが潔く自害し、敗戦の責任を取った。総督同様、全てを失った私は死ぬ勇気もなく、おめおめと生き恥を晒している。しかも、売り渡した娘の慈悲にすがってだ……


「どうせ辛気臭いツラをしておるのだろうが、顔を上げろ。ワシは弱い者イジメは好かん。」


涙を堪えて顔を上げたが、潔い敗者の姿は私には眩し過ぎた。大尉は武勇に恵まれ、私は容貌に恵まれた。分野は違えど才能に恵まれた二人、しかし今は胸を張って生きる者と、背中を丸めて怯え暮らす者だ。


生まれ持った才能を活かすのは悪い事ではなく当然の事。私と大尉に生じた差は、私の才能の活かし方が間違っていたからだろう……


「……一つ質問してよろしいでしょうか?」


「なんだ?」


「もし大尉が私の立場であればどうなさいますか?」


わかりきった答えが返ってくるだろう。しかし、聞いてみたい。


「ワシなら自刃する。地位がなかろうが、金がなかろうが一向に構わん。だが……矜持を失えば男ではない。」


予想通りの答えが返ってきた。心は傷付いたが同時にホッとする。娘の仲間もきっと大尉の同類のはずだ。


「大尉、失った矜持は取り戻せるものでしょうか?」


「質問が二つになっておるぞ。まあ暇な身だし答えてやるか。……赤毛の小娘に負けて学んだ。ワシは表面的な強さしか見てこなかったかつての自分を恥じる。これからの人生は外面の強さではなく、内なる強さを求めたい。そして己が命を賭けるに足る何かを探すのだ。……フフッ、質問の答えになっておらんな。」


強さに驕って敗れはした。しかし卑怯な振る舞いはしていない。矜持を失った事がない大尉に"取り戻せるものか?"などと聞いた私が愚かだったのだ。


「……"武士道とは、死ぬ事と見つけたり"という言葉が龍ノ島にはあります。」


「それはどのような意味だ?」


「侍は心に定めた主君の為に死ぬるならば本望、という意味だと言われていますね。似た言葉に"士は己を知る者の為に死す"もあります。そちらは央夏の言葉ですが。」


「騎士は己が名誉と公平精神フェアプレーを重んじるが、東洋の士は誰かの為に殉ずる事を美徳とするのか。面白い、騎士道と武士道の違いを解説した本はあるか?」


「はい。すぐに持ってまいりますから、しばしお待ちを。」


ネヒテンマッハ大尉はいずれ帰国するはずだ。彼の直属の上官だったアードラー総督は既にない。宙に浮く身であるならば、良き上官に恵まれて欲しい。


※良禽は木を択ぶ、と故事にもある。私自身はもう輝けないが、誰かの輝きを見届ける事なら出来るだろう。浅ましく生き続ける私が持てる矜持があるとすれば、それぐらいのものだ。



……よし、決めたぞ。これからの私は誰かを輝かせる為に本を選ぶ。それが娘の慈悲に応える唯一の道だ。


※良禽択木

りょうきんたくぼく。賢い鳥は住みやすい木を選んで巣を作る、の意。優れた人物は聡明な主君を選んで仕官すべきという諺。

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