泥沼編8話 不純な軍人と腹黒い白騎士



「……なあシオン。やっぱり嫁が二人じゃしんどいと思わないか?」


「……ええ。えっちなのは仕方がないですけど、その上ここまでタフだと始末に負えません……」


上気した顔で吐息混じりに慨嘆する二人。俺はそんなに始末に悪い男なんだろうか……


「こ、今夜は絶好調だったから……」


広いベッドの上で半身を起こしたマリカさんはオレの耳朶を引っ張りながらボヤいた。


「いつ不調になるのか訊きたいもンだね!青息吐息になるまでえっちしやがって!」


「オレの目には桃色吐息に見えていたのですが……」


身を起こさずに流し目だけ送ってきたシオンもマリカさんに同調する。


「あなた、あんなに何度も愛されたら、頑丈な私達でも堪えるんですよ?」


「……ごめんなさい。反省してます……」


「まったく!ほら、絶倫狼。特別に添い寝してやっから間に入ンな。」


耳朶を掴む指を離して後頭部に持ち替えたマリカさんに、強制的に寝かされる。


「眠るまで手を握っててあげますね。」


絡めた指と触れ合う体。美女二人にサンドされて見る夢はさぞかしいい夢なんだろうな……


────────────────────────


目が覚めた時には美女の姿はなかった。時計の針が10時を差そうとしているのだから当たり前である。


「………」


洗面台の鏡の前に立ったオレは、あの桃源郷が夢ではなかったと確信する。右の頬には"助平狼!"、左の頬には"甘々エチ太!"と落書きされていたからだ。


「落書きするなら水性マジックにしてくれよ。なんで油性で書くんだよ……」


いや、助平狼は油性だが、甘々エチ太は水性マジックで書かれている。マリカさんとシオンの性格の違いがこんなところにも現れてんな。


サロンで身繕いを済ませたオレは大食堂に向かう。昨晩は張り切って運動したから腹が減っているのだ。


「カナタ、戦災孤児救済に関する法整備なんだけど、帝から詔勅を出してもらえないかしら?」


朝っぱらから牛丼をがっつくオレの前に、そっと置かれるコールスローサラダ。ホタルは栄養バランスを重んじる人妻様なのだ。


「姉さんがみことのりを出さなきゃいけないほど、法整備が遅れているのか?」


「照京、神難、尾羽刕の法整備は完了してるわ。でも他の都市の進捗状況にはバラツキがあるの。もっと急がせたいし、足並みも揃えさせたい。連邦の戦災孤児に格差を作りたくないから。」


「わかった。オレが作った戦災孤児なんだ。なのにオレときたら…」


龍ノ島奪還作戦を決行したのはオレなのに、その結果で生まれてしまった戦災孤児の救済をホタルに任せてしまっている。


「そうやって、すぐに自分を責めるのはカナタの悪い癖よ。カナタはちゃんと責任を果たしている。財団に戦災孤児救済部門を設立し、私を責任者に任命したんだから。」


サンブレイズ財団戦災孤児救済部門特任理事。それが連邦成立時に加わったホタルの新しい肩書きだ。もちろん、財団常任理事も兼務してもらっている。


「詔勅は意向表明に留めるが、特に進捗が遅れている都市には裏から圧力をかける。この件に関してのみは、各都市の自主独立性の尊重や、政治状況への配慮もしない。期限を切って必ず救済させる。」


"役人を動かしたければ期限を切れ"、これは教授から教わった哲学だ。内政に関しては百戦錬磨の教授の言う事だ、間違いないだろう。


「お願いね。ふふっ、"剣狼カナタは悪い顔で善行を為す男"ね。誰かさんが言ってた通りだわ。」


「誰かさんって誰のコトだよ?」


「秘密よ♪……時が来たら教えてあげるわ。」


比翼の友の細君は意味ありげに微笑んでから背中を向けた。……むむ、さっきの顔、何か隠し事をしてやがるな。


ま、女に秘密は付き物だから追及すまい。ホタルが秘密にするってコトは、今は聞かない方がいい話なんだろう。思慮深い彼女がそう考えているのなら、きっとそれが正しいのだ。


「磯吉さん、牛丼の次は豚丼がいい。」


腹が減っては戦は出来ぬ。綺麗な詔勅を出すのは姉さん、汚い圧力をかけるのはオレだ。


「あいよっ!椀物が豚汁じゃなくてけんちん汁だったから、そう来ると思ってたぜぃ!」


「卵は二つだ。」


「海草サラダも付けとくよ。ドレッシングの感想を聞かせてくんな!」


いきなり圧力をかける必要はないが、難色を示す都市が出た場合にはカードがいる。何か手札がないものかな?


……雲水議長がザラゾフ領との包括貿易協定の準備を進めていたな。テムル総督からザインジャルガも協定に加わりたいと打診を受けている。よし、救済法案が遅延している都市は協定からハブってやると恫喝してやろう。手続きが簡略化された都市との差が開くのは誰だって避けたい。逸失利益が生じるとなれば重い腰を上げざるを得まい。政治家ってのは金に敏感な生き物だからな。


──────────────────


腹ごしらえを済ませたオレは、案山子軍団の詰め所でオフィスワークを開始する。旅行に出掛ける前にリリスがまとめてくれた報告書の決済を終え、連邦諸都市の政治情勢の予備知識を頭に入れているところにカレルがやって来た。なにやら深刻げな顔をしている、トラブル発生のようだな。


「カレル、どうかしたのか?」


「ドネ夫人がオーナーを務める嘉島製鉄所が敵対的買収を仕掛けられました。5人の大株主の内、最大の株数を持っているのは夫人なのですが、3人の株主が既に株式を売却しています。残る一人が売却に応じれば、製鉄所の経営権は夫人の手を離れてしまうでしょう。」


「ドネ夫人ほどのやり手の目を盗んで乗っ取りを仕掛けてくるとはかなりの相手だな。黒幕は誰だ?」


敵対的買収ってのは普通、株式を上場している企業に対して行うものだ。少数の株主が株式を独占している会社の経営権を手に入れようとしてるんだから、敵対的TOBではなく、ストレートに"乗っ取り"と表現すべきだろう。


「極東商事という商社の看板を掲げた仕手グループです。代表は……兎我忠春とがただはる中佐。」


「なんだと!本当に兎我忠春が関わっているのか?」


「実際に動いているのは配下のコンサルどもでしょうが、中佐が自社の仕掛けた工作を知らないはずがありません。3人の大株主は極東商事に何か弱味を握られ、売却に応じてしまったようです。」


弱味を握って脅迫し、株式を売却させたのか。そんなのまともな商取引じゃねえだろ。


ケチ兎の孫が不正に関与……司法が正常に働いていない世界じゃお縄にして仕舞いって訳にゃいかないのが厄介だぜ。だが連邦内で好き勝手は許さん。


「残る一人の動静は?」


「それが最も信用ならない男で、弱味はなくともいずれ売却に応じるでしょうと夫人は仰っておられます。製鉄所の用地取得の為にやむなく手を組んだ相手なのだそうで……」


「なるほど。高値で株式を売り渡そうとネゴしてる最中って訳だ。」


株式の過半数を抑えられるのは時間の問題か。嘉島製鉄所は規模こそ小さいが、高精製マグナムスチームを製造出来る数少ない会社だ。トガの手に渡す訳にはいかない。


「そのようです。公爵、夫人に力をお貸し願えますか?」


純粋な軍人であるカレルは愛する夫人の力になれないコトが口惜しいのだろう。表情に無念さが滲み出ている。ここは不純な軍人であるオレの出番だな。


「もちろんだ。ドネ夫人にはオレが請け負ったと伝えてくれ。」


「ありがとうございます!」


「カレルは何も心配せずに、レイブン隊の教練にあたればいい。必ず吉報を届ける。」


「ハッ!それでは私は任務に戻ります!」


敬礼したカレルが執務室から去った後、オレは執務机の引き出しを開けて手のひらをあてる。卓上にせり上がってきたパソコンのディスプレイに指紋と網膜を認証させ、日付と曜日によって変わるパスワードを打ち込み、準備は完了した。


「カナタか。何かあったのか?」


「戦争が小休止すれば政争の時間さ。教授の知恵を借りたい事案が発生した。とある企業が乗っ取られるのを阻止したい。」


「それはそれは。私の最も得意とする分野じゃないか。腹の黒い※ホワイトナイトに事情を説明してくれ。」


オレが事情を説明すると画面に映ったPの文字が小刻みに震えた。どうやら笑っているらしい。


「クックックッ、軍服を着たビジネスマンが舐めた真似をしてくれるじゃないか。」


「どうすればいい?」


「不法行為を立証するのが正道だが、それは難しい。弱味を握られた元株主は事を公にはしたくないのだからね。」


だろうな。兎我忠春はそれがわかっているから阿漕あこぎな手法を容認したんだ。戦果なんて上げたコトがない野郎だが、返り血以外でその手は汚れている。


「正道が無理なら邪道しかないな。卑劣な企みには卑怯な手段で応じるのがオレの流儀だ。」


「相手が場外乱闘を仕掛けてきたのだ。リングの上でクリーンファイトをする必要はない。私がパイプ椅子で頭を思いっきり殴ってやるとしよう。」


さすが教授だ、何か対抗手段があるようだな。


「そっちは任せる。オレはパンツの中に隠しておいた栓抜きで額を叩き割ってやるから。」


「ほう、カナタにも何か考えがあるのだな?」


「阻止するだけではなく、今後の安全を図ってこそ万全なんだ。軍人を肩書きにした乗っ取り屋が二度と嘉島製鉄所に手が出せないように打つべき手はある。」


教授は表に出られない。忠春を型に嵌めるのはオレの仕事だ。


文弱軍人の忠春は常に安全な首都に滞在している。リグリットにはナツメとリリスが買い物目的の小旅行に出掛けてるが、オレも後を追うコトになりそうだ。



フフッ、まあこれもショッピングではあるな。……売られた喧嘩は買ってやろうじゃねえか。


※ホワイトナイトとは

ビジネス用語で友好的な投資家を意味します。敵対的買収を仕掛けられた場合に、現経営陣を守る為に株式を取得する企業などが該当するので、教授は比喩として用いたようです。

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