泥沼編6話 悲しいボタンの掛け違え



艦橋に戻ったが司令の姿はなく、マリーさんが"艦長室で執務をしている"と教えてくれた。兵団と対峙しながらオフィスワークに勤しむとは、大した余裕だぜ。


艦長室を訪ね、椅子に掛けると司令はさほど期待した風もなく訊いてきた。


「何か掴めたか?」


「裏があるコトだけはわかりましたが、具体的な狙いはわかりません。」


「つまり何もわかっていないのと同じか。例によって憶測と推測なのだろう?」


「そうなりますね。魔術師は司令に何か持ち掛けてきませんでしたか?」


捕虜になってまでコンタクトを取りたい相手がいるとすれば、御堂イスカが最有力なんだよな。


「いや、それらしき話はしてこなかった。仮に私に工作を試みても通じないがな。」


オレの考えすぎだろうか? とはいえ司令が隠し事をしている可能性は捨てきれない……


「司令、油断は禁物ですよ。魔術師は榛少将を籠絡した男です。」


「二匹目の泥鰌ドジョウを得たいなら別の相手を選ぶべきだったな。私は榛兵衛ほど甘くはない。……カナタ、カプランと何を話した?」


「世間話、いえ、昔話ですかね。……オレを見張らせていたんですね?」


いくら司令でも耳が早過ぎる。チャティスマガオに密偵を差し向けていたとしか思えない。


「必要だと思えば手を講じる。相手がおまえでも例外ではない。昔話の内容は?」


「アスラ元帥が貴族学院のうつけと兵学校のたわけと左遷された落ち目をスカウトし、同盟を躍進させた頃の話を伺いました。」


「うつけとたわけと落ち目、か。確かにな。父がスカウトせねば、浮かぶ瀬もない3人だ。まあザラゾフだけは武力でのし上がった可能性はあるが……」


「災害閣下は規格外ですからね。」


「口だけは達者なカプランの事だ。"キミは若い頃のアスラ元帥に似ているよ"などと、おだての一つも言っただろう。カナタ、日和見元帥の巧言令色を真に受けて、奴の土俵に乗せられてはいないだろうな?」


まるで見てきたかのように話す司令。それだけ洞察力に秀でてるってコトなんだけど……


「確かにそんなコトを言われましたよ。悪い気はしなかったのは確かで…」


司令はここで初めて、書類に向けていた視線をこちらに向けた。


「カプランはドラグラント連邦を取り込もうとしているのだ。それがわからんおまえではあるまい!」


鋭い目で厳しい言葉をぶつけてくる司令。だけど怯んじゃダメだ。


「わかっていますが、無闇に敵対する必要もありません。司令、耄碌して自我が肥大化したトガ元帥は話にならないかもしれませんが、ザラゾフ元帥やカプラン元帥とは話し合う余地があります。両元帥は同盟を躍進させた能力を保持してるんです。」


司令は軍に入る前から、アスラ元帥を暗殺したのは三元帥の誰かだと疑っていた。当然、心を開いて接したコトなどなかっただろう。ザラゾフ元帥は持ち前の勘の鋭さで、カプラン元帥は培ってきた交渉術で、司令の警戒心を感じ取った。クソッ!なんて不幸なボタンの掛け違えなんだ。


……こちらが警戒すれば、向こうからも警戒される。司令が本来持っている器の大きさで両元帥に接していれば、あのお二方は"御堂イスカはアスラ元帥の後継者だ"と認めて協力してくれていたかもしれないのに!


「ザラゾフに妙に気に入られたかと思えば次はカプランか。カナタ、おまえはもう無位無官の一兵卒ではない。一国の要人に相応しい深慮遠謀、警戒心を身につけろ。ザラゾフもカプランも、おまえを利用しようとしているのだ!」


「そうでしょうとも!自分の立場や属する勢力があるんだから、利用したりされたりするのは当然です!ですが司令、利用したりされたりってのは、言葉を変えれば"互いに協力している"ってコトでもあるんですよ!」


「奴らが手を貸す保証がどこにある!」


「ドラグラント連邦の成立にザラゾフ元帥は全面的に協力してくれました。息子を援軍に送り出し、姉さんの戴冠を後見してくれたんです。カプラン元帥は例によって日和見を決め込んでいましたが、親征軍が勝利したと見るや、速やかに賛同に転じました。消極的であろうが協力は協力でしょう。」


「ああ、協力したようだな!だが私に協力した訳ではない!」


ちょっと待てよ。オレはよそ者なのか?


「オレはアスラ派の人間でしょう!ドラグラント連邦の成立は、我々の勢力拡大に繋がる!それともオレはよそ者だって言うんですか!」


椅子から立ち上がって司令に詰め寄る。これだけはなあなあでは済まされない。


「……そうだな。アスラ派の要人に手を貸す事は、私に手を貸す事に等しい。そんなに怖い顔をするな。おまえがよそ者だなんて思っていない。剣狼カナタを見出したのは、この私だ。」


「そうですよ。オレを登用し、重用してきたのは司令だ。」


「うむ。至尊の座にミコト姫を擁し、私が実権を握る。それでいいのだな?」


「いいに決まってるでしょ。オレはその為に動いているんです。とりあえず、両元帥とのパイプ役はオレがやりましょう。ですが機会を見て、司令も両元帥と腹を割った話し合いをする必要があるかと。」


「そうだな。しかしザラゾフやカプランが父の暗殺に加担していないとは言い切れまい?」


両元帥は、いや、三元帥は加担してないんだ。しかし犯人が割れたコトを言う訳にもいかない。


「オレはシロだと思っていますが、クロだと判明した時点で報復すればいいだけです。推定無罪の原則で今は動きましょう。」


戦争が終われば全て明らかになる。カプラン元帥は状況が整えば停戦も考えるタイプだし、ザラゾフ元帥は夫人を味方につけてる。司令が機構軍の制圧にこだわった場合が問題だが、それを今の段階で考えても仕方がない。両元帥と手を結ばせるのが先だ。


アスラ派、ザラゾフ派、カプラン派の三頭体制が構築出来れば、トガ派は存亡を賭けた選択をするコトになる。協調するならよし、反目するなら滅ぼすまでだ。敏腕軍事官僚であった頃のトガなら協調路線を選択するだろうが、英明さを失った今なら愚かな選択をする可能性もある。高齢を理由に引退、これが一番無難な引き際なんだが、落とし所を考えるのはまだ先の話だな。


────────────────────


ソードフィッシュの隣には不知火が停泊している。後部ハッチの開いた不知火の中にタチアナさんの姿が見えた。戦闘用バイクの整備をしているみたいだ。


「まったく、アクセルの奴!また無茶使いしやがって!整備する身にもなってごらんよ!」


工具箱からスパナを取り出しながらタチアナさんはボヤいた。


"音速のソニック"アクセルは何台も専用車両を持っているけど、この"バレットスピナーⅡ"が主力兵器だ。この戦闘用バイクはその名の通り、弾丸バレットのように速く走り、高速で急旋回スピンが可能なモンスターマシン。こんな化け物バイクを自在に操れるのは同志だけだろう。


「ボヤかないボヤかない。同志アクセルが愛車の整備を任せられるのは、タチアナさんだけじゃないですか。」


世界最高のリガーが駆るマシンを整備出来るのは、世界最高のメカニックだけだ。


「カナタがここに来るのは久しぶりだね。」


油で汚れた軍手でタオルを取ったタチアナさんは額の汗を拭った。規格外の巨乳で作業ツナギのボタンが今にも弾け飛びそうだ。いやー、眼福眼福。


「艦橋には何度か行ってるんですけどね。格納庫にはご無沙汰してました。」


「……挨拶ってのは顔を見ながらするもんで、胸を見ながらするもんじゃないんだよ?」


台詞と一緒にスパナが振り下ろされたので、ヒョイっと躱しておく。


「いきなりスパナを喰らわすのも、ご挨拶ってもんですよ。」


「せっかく出世したんだから、爵位に相応しい立ち振る舞いってのを覚えなよ。いつまでおっぱい小僧でいるつもりなんだい!」


「おっぱいぱい。残念ながら自分は生涯現役なのであります!」


オレのおっぱい好きはもう治らないし、治す気もない。


「タチアナ、バレ子ちゃんの整備は終わったか? おっ、同志じゃないか。おっぱいぱ…ンガッ!!」


革新党式の挨拶をしようとした同志の頭にスパナが命中し、世界最高のリガーは長髪を抱えてしゃがみ込んだ。


「終わる訳ないだろ!前輪サイドのガトリングは焼け付く寸前だし、あちこちパーツも交換しなきゃなんないし!」


「ちょっとばかり無理させたからなぁ。まあ整備は帰投しながらのんびりやればいいさ。」


「帰投って事は…」


タチアナさんの声が弾んだ。整備は好きでも、戦争が好きな訳じゃないもんな。


「兵団が撤退を始めたらしい。奴らが安全距離まで退いたら俺らもガーデンへ引き揚げる。同志、帰ったら一杯飲ろうぜ。」


「いいですね。ですが同志アクセル、兵団が撤退を始めたからって油断は禁物です。退くと見せかけて急襲ってのもあり得るんですから。バレットスピナーの整備は急いだ方がいいでしょう。」


「カナタの言う通りだよ。さ、整備を手伝って!これはアンタのバイクなんだからさ。」


巨乳の整備兵は同志の腕を取ってバイクの側に引っ張ってくる。おうおう、たわわなおっぱいがブルンブルンしてらぁ。こんな魅惑的なおっぱい様と始終一緒にいて、よく同志は理性が保つなぁ……


「わーったわーった。タチアナ、俺がガトリングをやるから、エンジン回りを頼む。」


「オーライ。さっき見た感じじゃ、バレルはおシャカになってるよ。」


前輪の両サイドに取り付けられてる大口径のガトリングガンを覗き込んだ同志は苦笑した。


「みたいだな。バレルは換装するとして、他のパーツのご機嫌はいかが……やっぱ不機嫌かよ。」


「無茶するからだよ。女とバイクはデリケートに扱う事だね。」


仲良く作業を始めた二人の邪魔をしないように、そっと格納庫を離れる。同志アクセルとタチアナさんは、映画館や公園よりも、油の匂いがする整備場でデートするのが似合ってる。


オレもソードフィッシュに戻って撤退の準備を始めるか。さっきはああ言ったが、兵団が引き返してくる可能性はまずない。最強部隊同士で潰し合う愚を意図的に避けてきたからだ。


アスラ部隊と最後の兵団の間には暗黙の了解じみたものが存在している。暗黙を自明にする為にアルハンブラが使者になったのではと疑ったんだが……冷静に考えれば司令が兵団と手を結ぶとは思えない。悪党ならまだしも、オリガやザハトみたいな外道が兵団にはいる。いや、あんな奴らを束ねている朧月セツナだって、立派な外道だ。



人の道から外れた連中と手を結べば、マリカさんやシグレさんが黙っちゃいない。もちろん、オレもだ。仲間が離反する危険を冒す必要が司令にはない。第一、司令だって兵団のやり口は気に入らないんだからな。


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