泥沼編5話 狼と魔術師



シガレットチョコを齧りながらインスタントコーヒーを飲んでいると、司令が艦橋に戻ってきた。いつものように指揮シートにふんぞり返った英雄は、小市民に向かって口を開く。


「モスの不味い珈琲を飲みに来た訳でもあるまい?」


「魔術師から何か聞き出せましたか?」


「口を割ったりボロを出すような男に見えるか?」


収穫ナシか。まあ拷問する訳にもいかないからな。たとえ拷問されても口を割る男じゃないだろうが……


「オレも徒労にチャレンジしてみてもいいですか?」


「私には出来ないが、自分には出来る。そう言いたいのか?」


オレの口八丁はご存知だろうに、刺がある言葉だな。収穫がなかったから不機嫌なんだろうけど、オレに当たらないでくれよ。


「リターンはないかもしれませんが、リスクもありません。やるだけやってみる価値はあると思います。」


「……いいだろう。やってみろ。奴はまだ尋問室にいる。」


「了解です。それでは。」


オレは敬礼してから、白蓮の尋問室へ向かった。


───────────────────


「これはこれは。……久しぶりですね、Mr.剣狼。照京攻略戦以来ですか。」


着替えさせられた魔術師にはトレードマークであるシルクハットとステッキ、それに片眼鏡モノクルがない。だからかなり印象が違うが、間違いなくアルハンブラ・ガルシアパーラ本人だ。この男が持つ独特の雰囲気は忘れようがないからな。


「あの時は一杯食わされたよ。掛けていいか?」


「どうぞどうぞ。なんのもてなしも出来ないのが残念ですけれどね。」


パイプ椅子に座ったオレは、机を挟んでアルハンブラと対峙した。直球を投げても通じないのはわかってるんだ、変化球から入るか。絡め手に使う材料はアレしかない。


「アンタの過去は調べさせてもらった。……婚約者と恩人、それに仲間達は残念だったな。」


「……残念、で片付けられるような軽い話ではありませんよ?」


「そうだな。アンタにとっちゃ、世界より重たい話なんだろう。」


地位と階級を笠に着たクソ野郎のせいで、大切な人達を失った。モランさえいなければ、アルハンブラ・ガルシアパーラは今でも大衆を喜ばせるサーカス団の一員、いや、彼らを率いるリングマスターだったはずだ。なのに今は、歓喜ではなく恐怖を振り撒く"テラー・サーカス"の頭だとは……


「尋問される側が質問するのはどうかと思いますが、貴方ならどうしましたか?」


「……同じコトをした。あんな外道を生かしておくものか。」


「フフッ、貴方とは気が合いそうです。」


魔術師は糊で固めたかのような口髭を立てて微笑する。マジシャンは見映えも商売のうちだから、髭の手入れも入念に行っているのだろう。


「そうでもない。復讐はしたに違いないが、つるむ相手をオレは選ぶ。兵団のオリガが何をやったかは知ってるだろう?」


「ええ。卑怯で卑劣な手段を用いて、"狙撃の皇帝"を斃したようですね。そう言えばラヴロフ・イグナチェフの養女が貴方の副官でしたか。フフッ、オリガもとんだ難敵を抱えたものです。」


「オリガだけじゃない。蛮人も黒騎士も同じようなコトをやっている。ザハトだってそうだ。」


「ザハトに至ってはオリガ以下でしょうね。でもそれがどうかしましたか?」


どうかしましたか、じゃねえだろう。あんなのと連んだ時点で、アンタはモランの同類になったんだぞ!


「何も思わなかったのか? おまえは仇を殺す為に、仇と同じレベルにまで堕ちたんだ。」


「Mr.剣狼、口幅ったい事を言わせて頂きますが、貴方はまだ"真に大切な人"を奪われた事がないのです。だからそんな綺麗事が言える。私と同じ目に遭って御覧なさい。真の憎悪を知れば、おためごかしなど口に出来ませんから。」


「そうかもしれない。だが、今のアンタの姿を見て、大切な人がどう思うかを考えたコトがあるのか?」


「………」


「アンタを愛した婚約者は、アンタに魔術を教えた恩人は、天国で嘆いているかもしれないんだぞ。どんなに憎くても、どんなに悲しくても、人には超えてはいけない一線がある。家族や恋人、それに仲間がいるのなら、彼らの魂に恥じない自分でいたい。オレはそう思っている。」


魔術師は瞑目して視線を外した。


「……"復讐は何も生まない"なんておためごかしをオレは否定する。だからオリガ・カミンスカヤにはやらかしたコトの報いを必ず受けさせる。ただし、アンタとは違う方法でな。」


復讐の為なら手段を問わない。そんなやり方では、シオンは義父の愛した娘、オレの愛する女でなくなってしまう。


「……貴方は強い男ですね。」


「強くなんかない。自分の弱さを知っているだけだ。……アルハンブラ、もしもこの先、婚約者や恩人に顔向け出来ないと思ったら、素直に人生をやり直してくれ。」


兵団に与する以外は、オレはこの男を嫌いになれない。Kなんぞより、よっぽど好感が持てるだろう。


「御忠告ありがとう。しかしながら、いささか手遅れな気がしますね。」


「だったら堕ちるところまで堕ちるんだな。大切な人に顔向け出来なくなった身を嘆くのはアンタ自身だ。言いたいコトはそれだけさ、じゃあな。」


席を立ったオレに、魔術師は怪訝そうな顔を向ける。


「……私を尋問しないのですか?」


「知りたいコトはもうわかった。アンタは実力とを持った男だ。だから今回の件には必ず裏がある。そして、死んでも口を割らない男に尋問するのは時間の無駄だ。」


「………!!」


その顔、やっぱりか。百戦錬磨の魔術師に揺さぶりをかけるには、心の根源にあるものに触れるしかない。


「……すまない。こういうやり方しか思い付かなかったんだ。」


……オレは悲しい過去を背負ったアンタに人生をやり直して欲しいと本気で思っている。そして、その本気さを尋問に利用した。どんなに言葉巧みに誘いを掛けてもアンタは乗らないだろう。だから本音でぶつかるしかない。本音で話して最後にカマを掛ける、それしか活路を見出せなかったんだ。我ながら、狡っ辛くて汚いやり方だよ。


───────────────────────


"アルハンブラ、話術も魔術の一つなのだ。言葉だけで観客の意識を誘導出来るようにならなければ、一人前の魔術師とは言えないのだよ"


私に魔術を授けてくれた恩師、その懐かしい面影を思い出す。まさか、魔術を生業なりわいとする私がペテンにかけられるとは……


"英雄殺しの小市民"、"成長する怪物"、死神トーマは剣狼をそう評しましたが、"二律背反アンビバレントなパーソナリティ"を付け加える必要がありますね。


心の核心を突いて本音を引き出し、最後にハッタリをかます。私は感情の切り替えが出来ぬまま、答えを顔に出してしまいました。アルハンブラ・ガルシアパーラは本物の魔術師、安い演技など通じない。だから復讐については彼は本音で話していた。そして最後の最後に策士の本領を発揮した訳です。見事にしてやられました。


……しかし……そんな事が本当に可能なのでしょうか?


一連のやりとりを分析した私は、矛盾に気付いて心底ゾッとした。彼は精神分裂、俗に言う二重人格ではない。実際に会って話した印象からも、過去の行動からも、整合性が見て取れる。


"敵である私の復讐劇に共感する、いわばお人好しな自分を、知りたい答えを得る為の道具ツールとして利用する"


共感と悪意の同居、言葉にすれば簡単なのだが、普通の人間には絶対に出来ない事だ。をしながら、であれば私にだって出来る。しかし、魔術師としての経験と感覚が、彼の"お人好し"は演技ではないと告げている。だから私は引っ掛かったのだ。もし、私の勘が狂っていないのなら、彼は異常者だ。私がこれまでに会った事がないタイプの……異端の異常者……


本気で共感しながら、本気で相手をペテンにかける、そんな矛盾した行動は普通の人間には絶対に出来ない。いや、詐術の天才にだって不可能でしょう。悪意が根底にあれば、どんなに真に迫っていても、共感は見せかけなのだ。例え本人が本気だと思っていようとも。


"嘘をつく時は、まずその嘘を自分で信じ込め"、これが詐術の鉄則とされていますが、あくまでそれは"そういう心構えで臨め"という事。実際には精神が破綻した者でなければそんな事は不可能なのです。しかし彼は正気だ、正気を保ったまま破綻出来る人間なのだ。だから二律背反した感情を共存させられる。


"正気を保ったまま破綻している男"、狂人揃いの兵団にだってそんな怪物はいない。オリガもザハトもバルバネスも"狂っている強兵"に過ぎないのです。




"剣狼カナタは小市民にして稀代の怪物、この世に二人といない異端の異常者"、この事実をなんとしてもセツナ様に伝えなければ……世界浄化計画を阻む者がいるとすれば、それは彼だ。


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