第十二章 泥沼編

泥沼編1話 世渡り上手な元帥閣下



アギトの船"フェンリル"が回頭し、戦場を去ってゆく。不意打ちからの予定調和、意地より打算を重視した戦いは終わったのだ。


「やっぱり逃げたか。ま、そうだろうと思っていたよ。」


トゼンさんがいる以上、仕掛けて来ないだろうと思っていたが案の定だ。腰抜けめ、いくら嫡男でもおまえじゃ巴の御紋は背負えない。


「仕込みが無駄に終わったね。無駄骨になるからって仕掛けない訳にもいかない訳だけど。」


シュリはキリングクロウが挑んできた場合に備えて密林地帯にトラップを仕込んでいた。主に足留め用の罠をだ。


「バーカバーカ、おたんこなす!口惜しかったらかかってこい!」


特製の幟を振り回しながらビーチャムが撤退する敵軍に悪態をついた。ビーチャムの近くに立っていた紅孔雀は、紙巻き煙草を取り出して火を点ける。どうやらメンソールがお好きらしい。


「やれやれ、ホッとしたよ。さすがにもう一戦交えるのはゾッとしないからねえ。」


「ピーコック、今回の戦いでは多くの部下を死なせてしまったな。だけどターキーズの奮戦がチャティスマガオの街を守ったんだ。ありがとう。」


「剣狼が気にする事じゃない。自信に腕が伴ってない奴が退場しただけさ。薄情ではあるんだけど"実地で隊員の選別を済ませた"、そう思ってるよ。」


吸い終わった煙草を軍靴で踏み消した紅孔雀は、生き残った七面鳥達に手を上げて撤収の合図を送った。


「ビーチャムから聞いたが、かなりの腕前らしいな。専用兵装も実用的なのに、なんでアレックス大佐はルシア閥にスカウトしなかったのやら。強さを尊ぶのがあそこの流儀なんだがなぁ……」


紅孔雀は忌々しげに煙草を何度も踏み付けて粉々にする。


「……ケバい女は嫌い、なんだとさ!まったく、男ってのはとかく薄化粧を有り難がる!別にいいだろ、厚化粧でも!薄化粧が似合わない女だっているんだよ!」


……そんな理由でピーコックを登用しなかったのか。そういやアレックス大佐の細君は、ナチュラルメイクな美人さんだったなぁ……


「剣狼もそうなんだろ!女は薄化粧が一番だって思ってるんだよねえ? 正直に答えてみなよ、怒りゃしないからさ!」


もう怒ってるじゃないか。……なんでオレはどこへ行っても女に絡まれるんだ。


「人それぞれだ。ガーデンにはケバい美人だっているさ。なぁ、シュリ?」


「僕は薄化粧のコが好きだけど……」


この朴念仁め!適当に話を合わせときゃいいんだよ!今の会話の流れは見てただろうに!


「ほらこれだ!私はケバい化粧が好きで似合ってるんだよ!文句があるのかい!」


濃いアイシャドウが引かれた目が細まり、男二人を睨みつける。こりゃ帰りの道中で宥めといた方がいいな。


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チャティスマガオに凱旋したターキーズとシティガーダーは歓声を上げる市民に出迎えられる。派手な化粧を好む紅孔雀はパフォーマンスも得意なようで、街路にひしめく市民に向かって投げキッスで応じていた。市の中央大通りには真新しい陸上戦艦が係留されており、戦艦の前には直衛部隊を引き連れたカプラン元帥が待っていた。この如才ない元帥は、撃退の報がもたらされると同時に動いたのだろう。


低速走行する指揮車両の上に座っていたオレとピーコックは車のルーフから飛び降りて、元帥に敬礼する。満足げな笑みを浮かべながら敬礼を返してきた元帥は、綺麗に整えられた髭の下にある口を開いた。


「天掛特務少尉、コックス准尉、ご苦労だったね。氷狼率いる精鋭部隊を撃退するとは、見事な働きだった。」


「氷狼を討ち漏らしたのが残念です。」 「元帥、感謝の気持ちは現金で頂きたいもんだねえ。」


ピーコックもなかなかの無頼だな。アスラ部隊に来てりゃよかったのに。


司令が紅孔雀をスカウトしなかったのは機構軍からの寝返り組だからなんだろうなぁ。アスラにゃ元機構軍って奴はいなくもないが、負けて捕虜になったって奴はいない。御堂イスカは、不利になってから旗幟を変えた人間を信用しないのだ。


「私は某元帥と違って吝嗇けちではないよ。コックス准尉は本日付で少尉に昇進だ。近いうちに中尉に昇進する事も内定している。これまでの埋め合わせもあるが、スモークターキーズは正式に半個連隊として軍に編入されるからね。最低でも中尉の階級が必要だ。もちろんこれからの働きによってはさらなる昇進も考えている。」


日陰の身から日の当たる場所に躍り出た紅孔雀は、濃い紅の塗られた唇で口笛を吹いた。


「そりゃどうも。だけど私にゃ半個連隊ぐらいが限界だろうよ。分不相応な出世は兵隊どもにも迷惑だろうさ。」


「謙虚さは美徳だね。そんなキミに私からのプレゼントだ。」


カプラン元帥は芝居がかった仕草で、背後の陸上戦艦を指差した。


「マジかい!私に陸上戦艦をくれるってんだね!」


「スモークターキーズは特定の師団に所属しない独立連隊として運用するつもりだ。アスラ部隊がそうであるように、素早く戦地に赴ける足が必要になる。陸上戦艦一隻、重巡二隻、軽巡四隻を用意した。受け取ってくれたまえ。」


気前のいい事だな。自派閥の戦力強化に本気って話でもあるのか。トガ派よりは強いがアスラ、ルシア閥には及ばないって構造的欠陥を本気で是正する気なんだろう。これまでは立ち回りの上手さで勢力を拡大してきたが、激化する戦争に対応する必要に目覚めたって訳だ。同盟にとってはプラスなんだが、派閥抗争を考えれば厄介な話だぜ。


「元帥閣下はいい男だねえ!私もとうとう戦艦持ちの指揮官様だよ!」


元帥のほっぺたにルージュの跡をつけた紅孔雀は、スキップしながら戦艦の中に入っていった。はしゃぐ気持ちはよくわかるよ。船は軍人のロマンだからなぁ。オレも撞木鮫や眼旗魚に乗った時にはいたく感動したもんだ。


「あそこまで喜んでもらえると手配した甲斐があったというものだ。」


頬のルージュを市民に見せつけるかのように振る舞うカプラン元帥。この男は自分を演出する方法をよく弁えている。抜擢した軍人が戦果を上げれば、十分な対価で応じる。それが次の成り上がり志願を呼ぶ事を計算して、自分自身を演じているのだ。


「では私も失礼します。早く仲間の元へ向かわないと。」


踵を返そうとしたオレをカプラン元帥は呼び止める。


「待ちたまえ。少し公爵と話がしたい。なに、そんなに手間は取らせないよ。」


……何を話したいってんだか。だけどここは乗っておくべきだろうな。


「わかりました。シュリ、出発の準備を進めておいてくれ。話が終わったらすぐに発つ。」


歩き出した元帥の後ろをついてゆく。カプランはトガと違ってまだ現役だ。言質を取られないように注意しておかないとな。


───────────────────────


カプラン元帥が宿泊しているホテル、その最上階の一室に案内される。勧められた席に座ったオレに元帥は手ずからワインを注いでくれた。


「やはりワインはフラム地方の物に限る。そう思わないかね、公爵?」


「いいワインですが、三角貿易でしか入手出来ないのが難点ですね。ですが、利き酒させる為に招いた訳ではないのでしょう?」


「うむ。しかしこれからする話と無関係でもない。なぜ、フラム人の私が故郷のワインを回りくどい手段で手に入れねばならないのかを知っているだろう?」


「もちろん知っていますとも。」


フラム人の多くは同盟に身を置いている。領地が東方に偏っているからだ。なぜそんな事になったかと言えば、フラム人の覇権主義が原因だ。カプラン元帥の親の世代は植民都市を増やそうと積極的に遠征を行った。


その試みは上手くいき、彼らはエイジア地方に広大な領土を得た。しかし、人的・物的資源の双方を東方に傾注した隙を突かれ、ユーロフ圏の領土、つまりは故郷の地をガルム人に奪われてしまったのだ。今でもフラム地方は帝国の版図となっている。故郷を奪われた人々は、自分達が奪った土地に移り住み、今日に至るという訳だ。


「言葉を飾らず答えてくれ。フラム人の置かれた境遇をどう思うかね?」


この質問にどういう意図があるのかはわからない。しかし勘気に触れてみるのも一興かもしれないな。


「言葉を飾らずと仰ったので、正直に答えましょう。自業自得です。自分達が侵略するのは許されるが、侵略されるのは許せない。そんな言い草が通ると考えているなら笑い種ですね。」


「キミの言う通りだ。我々の置かれた状況は、自らが蒔いた種が実ったに過ぎない。しかし、奪った都市を返還しようにも、我々には他に行き場がない。帝国から故郷を奪還し、その後にしか返せないのだよ。」


「元帥のお仲間はそう思っていないのでは? 故郷は奪還する、しかし奪った都市はそのまま。そう望んでいるように思えますがね。」


「それが叶うならそうするつもりだろう。しかしね、いつまでも植民都市を抑え込めると私は思っていない。ならば宗主国として名誉と権益を確保しつつ、軟着陸させる手段も講じておかねばなるまい。」


大航海時代に植民地を得た西欧列強と同じ道を模索しているのか。フィリピンという国名はかつて宗主国だったスペインの国王フェリペ(英語ではフィリップ)に由来する。レバノンなども旧宗主国、フランスの影響が強いし、そういうカタチで影響力を保持する事は可能だろう。


「軟着陸にドラグラント連邦も手を貸せ、というお話ですか?」


「まず手を借りたいのは故郷の奪還だよ。返還の前提だからね。」


故郷の奪還を手伝わせておいて、植民地はそのまま。そういう手の平返しをやりかねない男なんだよなぁ。


「帝には元帥の意向を伝えておきましょう。それでよろしいですか?」


「すぐにどうこう出来る話でもないからね。それで構わない。トガ元帥がボロ負けしてしまったお陰で我々も方針を転換せねばならなくなった。当面はそちらに注力するしかない。」


トガ領が根刮ぎ機構軍に奪われたせいで、フラム閥は根幹地域を侵略されかねない状態になった。安全地帯で笑っていられる状況ではなくなったのだ。


「それで急遽、軍事力の増強ですか。もっと早くに手を打っておくべきだったのでは?」


「私が不世出の名将に見えるかね?」


「……尉官風情が元帥閣下の指揮能力を論評するのは差し控えておきますよ。」


「では私が答えを教えよう。凡将と卑下するつもりはないが、名将とも言えない。私の得意分野は交渉と統治にある。アスラ元帥も軍人ではなく、ネゴシエーター&政治の補佐役として私を欲した。まあ器用なところもあるので軍事にも暗くはない、と言ったところかな。」


「なるほど。」


「これまでは立ち回りを工夫して権益を増大させてきたが、それには理由がある。天掛特務少尉、キミは軍事の才能で頭角を現した。ここまで言えばわかるはずだね。」


「ええ。仰りたいコトは察しました。」


凡将と名将の狭間に立つカプラン元帥は、己の派閥に"軍事の天才"が出現するコトを恐れていた。実際、司令みたいな逸材が自派閥に現れたらカプラン元帥の立場はかなり危うくなる。まあ司令みたいな傑物は二人といるものじゃないが、カプラン元帥は"出る杭を打つ"のではなく、"出る杭を持たない"戦略で派閥トップの座を維持してきたのだろう。最弱のチャンピオンでも、チャレンジャーがどんぐりの背比べ状態ならベルトを守れるって理屈だ。


「……しかし、根幹地域を守る為に方針を変えねばならなくなった。今までのように"勝ち馬に乗ればいい"では、領地を守れないのだよ。」


そう、カプラン元帥は常に勝ち馬に乗ってきた。ルシア閥、トガ閥、アスラ派、その場に応じて協力する相手を選び、損をしないように立ち回ってきたんだ。ドラグラント連邦が成立不可避と見るや、それまでの慎重姿勢をあっさり改めて賛成に回ったあたりも彼の処世術だ。最後まで渋ったトガとは状況判断能力が違う。


「ですが、Kはいずれ裏切りますよ。」


「だろうね。しかし今は彼の力が必要だ。Kの増長を抑える意味でもコックス少尉のような人材を確保しておきたい。そこでだ、ドラグラント連邦が誇る精鋭、"竜騎兵"をこの街に派遣してくれないかね?」


竜騎兵をチャティスマガオに派遣しろだって?



……そういうコトか。竜騎兵…竜胆家と八熾家の諍いは収まったように見えるが、火種は燻っていると元帥は見ている。だからドラグラント連邦が竜騎兵を寄越す目はあると考えたんだな? いい読みしてるじゃねえか。

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