跋扈編16話 狡智な巧遅



「アギト様、シティガーダーは撤退せずに再布陣した模様です。」


陸上戦艦"フェンリル"の指揮シートにふんぞり返るアギトに明日葉は報告した。トゼンに負わされた傷はまだ癒えていないが、完治まで休んでいられる状況ではない。


「再布陣だと? 瓦解寸前まで追い詰められていた癖に俺に勝てる気でいるのか。」


偵察用インセクターから送られてくる画像を確認するアギト。明日葉の報告通り、同盟軍は撤退せずに森林地帯の手前に広がる荒野で陣容を整えつつあった。


一際目立つ白い軍服がメインモニターに映り、手招きしてくる。こいよ、と言わんばかりに薄笑いを浮かべながら、自分によく似た若き狼は軍の先頭に立っていた。


「あの糞野郎が!…こ、この俺を舐めやがって!全軍、出…」


被りを振ったアギトはかろうじて癇癪を抑え込んだ。この忍耐がアスラコマンド時代にあれば、八熾一族の取り込みに成功していたのかもしれない。賢しい事ばかり抜かす雅衛門の息子と天羽の家人衆を斬り捨てた事が、本来自分に奉公するはずだった眷族達の反感を買っている事に、遅蒔きながらアギトも気付いていた。


……考えろ。奴は馬鹿ではない。何か考えがあって俺を挑発しているのだ……


アギトは自問自答しながら有利な点と不利な点を羅列してゆく。


有利な点は…


※剣狼は俺が心転移の術の存在を知り、至魂の勾玉があれば行使も可能である事を知らない。奴を討ち取り、勾玉を奪えば牙門アギトは体の乗り換えが可能な"不老不死の完全適合者"になれる。そうすれば煉獄も軍神も敵ではなくなる。


※ターキーズとやらはそこそこやるようだが、シティーガーダーは雑魚の集まり。キリングクロウの敵ではない。


※剣狼は厄介な案山子軍団を率いておらず、今いるのは空蝉修理ノ介とキンバリー・ビーチャムのみ。大蛇トゼンは指揮官としてはさほど脅威ではない。


不利な点は…


※再編したといっても分隊指揮官であった今河、昨邑、余部が戦死し、隊員の士気は下がっている。急拵えの命令系統がスムーズに機能するか、やってみなくてはわからない。


※既に主戦場のロドニー隊は撤退を開始している。こちらへの援護は望めない上に、グズグズしていれば寡兵で敵中に孤立する恐れがある。剣狼の狙いはそれだろう。


※こちらは勝たなければならないが、剣狼は負けなければいい。いや、負けてもキリングクロウを足止め出来ればそれで良い。どうせ率いているのはカプラン派の兵士、遠慮なく使い捨てに出来る。


アギトの考えでは、有利不利の天秤は微妙なバランスを取っている。自分と剣狼の立場を置き換えてさらに思考したアギトは不利の天秤が傾くのを感じた。


……向こうにしてみれば、剣狼とアスラコマンドだけ討ち取られなければいいのだ。だから完全適合者と忍者に小兵と、足のある連中ばかりでやって来ている。引きずり込めるだけ引きずり込んで、自分達は街へ逃げればいい。そうさせない為には俺が陣頭に立たなければならないが、そうすればあの人斬りが舌舐めずりしながら挑んで来る。奴と再戦し、撃破した後に剣狼と決戦するべきか?……いや、一度は尋常に勝負してやっただろうと、二対一で斃しに来る可能性もある。果たして、今のキリングクロウが俺が人斬りを仕留めるまでの間、命を賭して剣狼を足留めするだろうか?


それは望み薄だ。アギトは冷静に判断した。自分が陣頭指揮を執らずとも兵質の差で勝利する事は可能だと思いもするが、それでは小さな戦術的勝利の後に、大きな戦略的窮地が待っている。


「……引くぞ。本隊に同行しているハモンドに連絡を取り、向こうの現在位置を確認しろ。」


明日葉に撤退ルートを指示したアギトはブリッジから出て、陸上戦艦の舳先に立った。視線の遙か先には彼が欲して止まなかった黄金の瞳が輝いている。あの瞳を持たなかったが故に、俺達姉弟がどれだけ酷い目に遭った事か……


脳波を発して旗艦のスピーカーに音声をリンクさせたアギトは、憎しみを込めて捨て台詞を吐いた。


「命拾いしたな剣狼!!俺は勝とうと思えば勝てたのだぞ!!」


豆粒ほどの大きさに見える甥っ子は哄笑する。指揮車両のスピーカーで拡大されたよく通る声は、風貌とは裏腹にアギトの声とはかなり違っていた。


「だったら逃げずにかかってこい!おまえ如きが背負えるほど、八熾の巴紋は安くないぞ!」


視線は外さず背を向けた剣狼の背中に輝く二つの勾玉。宗家嫡男のアギトが背負うべき巴の紋章は、今は何処の出身かもわからぬ小倅のものなのだ。眩い巴紋から目を背けるようにアギトも踵を返した。顔を見られなくなってから歯軋りし、怨嗟の呟きを漏らす。


「……覚えていろ。貴様だけは俺が殺す。貴様が俺から奪った全てを、この手に取り戻してやるぞ……」


─────────────────────


陣払いしたアギト率いる別働隊は本隊に合流し、本国への帰路を辿る。カプランは予想通りに遊撃部隊を包囲しようと部隊を展開させていたが、一戦交える必要はなかった。カプランの動きを予期していた朧月セツナが包囲網の完成を阻止する手を打っていたのだ。


最後の兵団ラストレギオン6番隊"クレセントムーン"と11番隊"スネイルリーチャーズ"を中心にした増援部隊が協力し、遊撃部隊の為に退路を確保していた。


"煉獄め、増援を寄越すならもっと早く寄越せばよかったのだ。"闇のダークネス"影由こと奥群影由おくむらかげゆと"三面六臂"地走蟲兵衛じばしりちゅうべえ真夜中の騎士団ミッドナイトナイツの同僚であったこの二人の助力があれば、剣狼を討ち取れていたかもしれないのに……"


感謝どころか身勝手な事を考えるアギトであったが、朧月セツナにしてみれば虎の子の精鋭を危険な餓狼に預ける意味など皆無である。己の部下でさえ平気で使い捨てる男が、他隊の増援をどう扱うかなど言わずもがな。巧遅な援軍は煉獄の狡智さに起因しており、共闘しているネヴィル元帥への義理だけ果たせば十分なのだ。そもそも、剣狼の来援は朧月セツナも予期していなかったのである。


"手間を省いてくれた礼は言っておかねばなるまい"、総司令官ロドニーの意向を無視する訳にもいかず、ロードリック師団旗艦"イフリート"に移乗したアギトは旧知の二人と対面した。


"陰気な美人"としか表現しようがない影由と、一癖も二癖もありそうな痩せぎすの蟲兵衛は、指揮シートに座るロドニーに片膝を着いて頭を垂れた。


「奥群影由、地走蟲兵衛と言ったな。ロードリック師団を代表して礼を言わせてもらおう。此度の働き、大義であった。」


戦場とは打って変わって大貴族らしく振る舞うロドニー。口下手な影由は黙礼し、口の達者な蟲兵衛が返答する。


「公爵のお役に立てたならばなにより。じゃが儂らにとっては大した事ではありませんわえ。のう、影由?」


「蟲兵衛、は、話を振らないで……」


あまり他人に馴染もうとしない影由だったが、蟲兵衛とはなぜか仲がよかった。世辞にも人好きのする御面相とは言えない蟲兵衛だが、コミュニケーション能力が高い部類に入る。怖い顔に似合わず、妙に馴れ馴れしく人懐っこい男なのだ。


「ハハハッ、まさか戦地で美人の困り顔を見られるとは思わなかったぞ。影由に蟲兵衛、少しではあるが戦い振りは見せてもらった。俺は敵味方に関わらず猛者が好きだ。……そうでもないな。猛者ではあってもKは虫が好かん!」


根が単純なロドニーは正直過ぎる感想を吐き、助っ人二人の笑いを誘った。


「ふぇっふぇっふぇっ。公爵、儂もむしの類ですがのう。」


「お主は異名通り、三つの面と六つの腕があるのだな。あれはサイボーグアームなのか?」


異形の忍者が脇下のジッパーを下ろすとニュッと腕が生え、生えた腕が細い顎を撫でる。


蠱術こじゅつと申しましてな、まあ物の怪の類と思ってくださればよろしいですわえ。」


生えた腕をマジマジと見つめたロドニーは、腕の形をしたものがうじの塊である事に気付きギョッとした。


「その腕は蛆虫で出来ておるのか!東洋には摩訶不思議な秘術を用いる異能者がいるとは聞いたが驚いたぞ。……面白い!其方そなたは蛆の化身という訳だな!」


眉を顰めるブリッジクルーとは対照的に、ロドニーは興味津々といった顔付きになった。


「左様で。我ら地走忍軍は蟲どもを身に住まわせておる異形の集まり。お目汚しはここらにして退散…」


影由を促しながら立ち上がった蟲兵衛をロドニーは引き留めた。


「待て待て!酒食でも交えながら詳しい話を聞かせてくれ。俺は物の怪も好きでな。」


"物好きな御仁もおる事じゃて"、蟲兵衛はそう思ったが、公爵の機嫌を損ねる訳にもいかない。困惑した影由が"私は帰ってもいいでしょう?"とテレパス通信を送ってきたが"枯れ木も山の賑わいと言うからの"と返答する。


其方そなたも蛆の化身なら、肉が好きであろう。ロンダル名産のローストビーフなど用意させよう。給仕兵、もてなしの準備をいたせ。」


ロドニーは故国の名物を自慢したが、アギトは"ローストビーフと舌平目のムニエルぐらいしか他国に誇れる料理などあるまいが"と冷笑した。ロンダリッシュブレイクファーストも有名ではあったが、メインの紅茶が植民地産では自国の名物とは言えないと考えている。


話上手な蟲兵衛から様々な逸話を聞かされたロドニーは上機嫌で、豪華な手土産を持たせて二人を帰した。ロドニーの機嫌がすこぶる良い事だし、アギトは帰国してから持ちかける予定の提案を前倒しする。


「……公爵、完全適合者になってみないか? そうすればザラゾフもKも敵ではないぞ。」


「なれるものならなりたいものだな。俺には後一歩が足りんらしい。」


強さを渇望する大貴族は自嘲した。適合率99%に到達して久しいのに、今回も大願を成就出来なかったのだ。


「その一歩を埋める方法を俺は知っている。もちろん容易くはないが……」


冗談を言っている訳ではないと悟ったロドニーは、鋭い眼差しで質問する。


「見返りに何を望む?」


「最もありふれた対価だ。」


「金か。何に使うつもりだ?」


「あてがわれた兵士だけでは力不足だ。俺は"本物の兵"が欲しい。世界には身分だのしがらみだのに邪魔されて、浮かぶ瀬もなき強者が必ずいる。金でそいつらを掻き集めるのさ。」


「よかろう。強者が燻る世など間違っている。力こそが正義、それが俺の信念だ。」


完全な適合を望むロドニーと、さらなる強兵を得たいアギト、二人の利害は一致する。単純なロドニーはアギトをさほど警戒しておらず、アギトの方も珍しく他者の躍進を妬む気質が鳴りを潜め、ロドニーを強くする事には本気であった。単細胞などいつでも手玉に取れるという驕りもあるには違いないが、熱風公の奇妙な人望が寄与しているのかもしれない。



故郷に帰還したロドニーには地獄の特訓が、アギトには世界を股にかけた人材発掘が待っている。朧月セツナとネヴィル元帥とは違う、奇妙な共闘関係が成立したのだ。

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