跋扈編14話 忍者の怒り



「これ以上待てん!ポイントCー7まで後退するぞ!」


撤退してくる左翼兵を収容しながらターキーズに応戦していた余部は、密林地帯から丘陵地帯への後退を決断した。まだ合流出来ていない中隊がいくつかあったが、彼らを待っていては中衛部隊が危機に陥る。先んじて丘陵地帯に向かわせた斥候兵が安全を確かめ、狙撃兵も配置についた。もしターキーズが追って来るようなら手痛い目に遭わせてやれる。


「逃がすかよ!」


余部は追い縋ってきた七面鳥を振り向きざまの居合で斬り伏せる。ターキーズ隊員の強さは均一ではなく、かなりのバラツキがあった。今死んだ兵士はピンキリのキリだったのだろう。余部の率いる3個大隊は威勢と自信に腕が伴っていない者100余名を斃してのけていた。


「お見事です!さすが大隊長!」


副官の御追従に応じる余裕は余部にはなかった。丘陵地帯に伏せた兵から増援が到着したとの報がまだもたらされていないからだ。


……あの時点で増援が進発していたのなら、もう丘陵地帯に到着しているはず……


「雑魚にもついてこれない味方にも構うな!丘陵地帯へ急ぐぞ!」


余部の命令に従い、苔がびっしり繁茂した巨岩の傍を駆け抜けようとする隊員達。その体が綺麗に両断され、自分が死んだ事にも気付かぬまま倒れる。


「おまえが向かうのは丘陵地帯じゃない。……地獄だ。」


巨岩から剥離した苔は人型となり、刀だけではなく、黄金の目玉まで生やしてきた。方法はわからないが、剣狼は苔に擬態していたのだ。


「訳がわからないって顔だな。磁力操作ってのは実に便利な能力でね、応用次第で何にでも使えるんだ。苔に砂鉄を埋め込んで体に纏ってみたり、とかな。」


剣狼の体を覆っていた苔が四散し、軍服の色が深緑から白に変じてゆく。この男は苔を纏っただけで安心せず、軍服の色まで背景に合わせていたのだ。湿った苔を全身に貼り付けられれば、サーモスキャンも通じない。己が目で擬態を見抜くしかないのだが、剣狼は最強忍者の薫陶を受けている。擬態に関しても達人級の腕を持っていた。


「そんな芸は宴会ででも披露しろ!小賢しい小僧めが!」


剣狼と初見である余部は考えが至らなかった。剣狼カナタは確かに小賢しい男である。種明かしと仰々しい動作で余部と副官の注意を自分に向けさせていたのだ。


「…!!…チッ!」


余部は四人組の中では明日葉の次に腕が立った。悶死した今河や失血死の最中にある昨邑より一枚上である。素行不良が原因で円流の皆伝位は取り消されたが、剣腕まで取り上げられた訳ではない。地面に映る影に咄嗟に反応して側転し、難を逃れる。しかし副官はそうはいかなかった。軍服の上から突き立てられた刃は鎖骨の間を貫通し、心臓まで届く。火隠忍者が用いる必殺の突き技"鎖抜き"だ。


「せいっ!」


円流得意の払い斬りで副官の肩に乗った刺客に刃を見舞ったが、赤い影は素早く身を翻して躱してのけた。空中で独楽のように回った忍者は出所の見えない手裏剣を放ち、余部の足先を地面に縫い付ける。


「火隠忍術・独楽手裏剣こましゅりけん!き、貴様は……」


「名乗る必要なんてないよね?……僕が何をしにここに来たかはわかっているはずだ。」


白い軍服を纏う盟友の隣に立った緋色の軍服。火隠忍軍上忍・空蝉修理ノ介が自分に抱く恨みを余部はよく知っていた。アギトに余計な節介を焼く灯火蛍を手籠めにしようと言い出したのは、色情狂の余部なのだ。皆伝位を失ったのも、同門の女性に乱暴を働いたからである。余部は嫌がる女性を力尽くで蹂躙するのを何よりも好む、正真正銘の悪漢ピカロなのだ。


「赤毛のチビと紅孔雀が来援する前に飛び込んで来るとは馬鹿な奴らめ!囲え囲え!総掛かりで囲めばどんな手練れでも敵ではない!」


前線が崩壊する前に空蝉修理ノ介を仕留め、人質にする。上手くいけば剣狼をも討ち取れよう。最上の結果は望めずとも、人質さえ取ればこの場を逃れる事は出来るはずだ。ガルムとイズルハの停戦交渉を妨害しようとしたロンダル特殊工作部隊から、剣狼の"空中回廊"を聞き及んでいた余部は、脚力頼みの逃走を断念している。どこにでも真っ平らな走路を形成出来る完全適合者と駆けっこをしても、勝てる訳がない。


「逃げる者は追わぬ。だがこの下衆を助けようとする者は、容赦なく殺す!生きるのに飽いた者からかかってこい!」


苔に変わって黄金のオーラを纏った狼は、囲おうとする部下達を目につく端から睨み殺し、斬り伏せ始めた。あの尋常でない念真力はアギトが忌々しげに語っていた"無双の至玉"の力に違いない!ならば長くは持たないはずだ!


「怯むな!剣狼の勢いは長くは続かん!囲いながら耐え凌ぎ、息切れしたところを狙え!」


余部の指示は的確ではあったが、剣狼は"遂行出来ない"と読み切っていた。隊員にしてみれば、そこまでして余部を救出する理由がないからだ。初手に切り札を使ってビビらせれば、余部が戦っている間に丘陵地帯まで退こうとするに違いないと考え、事実、剣狼の予想通りに状況は動いている。足並みの崩れた隊員達は、剣狼が逃げる兵を追わないのを見てジリジリと下がってゆく。


「結束の脆い部隊はこうなる。もう学習する意味はないけどね。」


炎を纏う至宝刀"紅蓮正宗"の一撃を余部は脇差しで受けたが、刀身に細かい亀裂が入った。余部の差し料と紅蓮正宗では、刀としての格が違うのだ。至宝刀を使う忍者を相手に、足を縫い付けられたままではマズい。これまた得意のサイコキネシスで手裏剣を引き抜きながら余部は吠える。


「得物頼みの未熟者が!本物の剣術を見せてやろう!」


後退する部下達を牽制している剣狼は、まだ加勢しようとしない。奴まで向かって来たら万事休す、その前になんとしてでもこの男を生け捕りにしなくては!


「そりゃあ!せいっ!やややややっ!」


円流奥義・三日月から夢幻一刀流・平蜘蛛、そして百舌神楽へと繋いだが、空の上着を貫くに留まる。火隠忍術"羽織空蝉"、修理ノ介はあらゆる空蝉芸を極めた男なのだ。


「……なるほど。サイコキネシスと、円流に夢幻一刀流を組み合わせた混成剣法がキミの武器なんだね。色情狂でなければもっと重用されていただろうけど、軽い頭と醜い本性はどうしようもないらしい。」


突きの連打で穴だらけになった上着を眺めやりながら、修理ノ介は高い炎壁を周囲に立てた。逃げないし、逃がさないという強い意志は、炎の柱となって燃え盛っている。


「いいのか? これじゃあお友達も助太刀出来ないぜえ。」


「カナタの助けは必要ない。首謀者の制裁は僕一人でやる。」


「思い上がりは死を招く。もう学習する意味はねえけどなぁ?」


ドーピング剤の試薬にサイコキネシスを合わせれば、普段は使えない夢幻一刀流・九の太刀"夢幻刃"を繰り出せるはずだ。夢幻刃は継承者専用の奥義である"ついの太刀"を除けば、夢幻一刀流でも最高峰にあたる技。忍者如きを仕留めるなら十分過ぎるはず。


勝負手を打つ前に揺さぶりもかけておくか。そう考えた余部は、言ってはならない台詞を口にした。


「俺達がいたぶってやった蛍とやら、今はおまえの嫁なんだってな? 散々穢されたお古を頂戴するとは物好きな男だ。あのアマ、俺に処女を奪われる時に泣き叫んでたぜえ、"シュリ!シュリ!"ってなぁ。あの声をおまえにも聞かせてやりてえもんだ。」


「……言いたい事はそれだけかい?」


殺意を具現化する瞳を持たない空蝉修理ノ介であったが、その目に宿った暗い光は人を殺せそうであった。修理ノ介の迫力に気圧されそうになった余部であったが、虚勢を張って自分を奮い立たせる。


「まだあるぜえ!空蝉蛍とやらにとって俺は、二重の仇になる訳だ。テメエの体を穢したばかりか、未亡人にまでする訳だからな!」


納刀しながら脳波を送った余部の体に、胃壁に仕込まれた試薬が流れ込む。ありとあらゆる能力が増強された余部は暫しの万能感に酔った。この力があれば修理ノ介どころか、剣狼さえも討ち取れるかもしれない。


「……ドーピングか。下衆の考える事はとことん下衆なんだね。」


「戦争ってのは勝てばいいんだよぉ!手段に四の五の言う奴は馬鹿だ!」


速度を増して疾走する余部。居合斬りの四の太刀・咬流から下段払いの一の太刀・平蜘蛛、そこからは融通無碍に一から八までの技を繋ぐ。薬で冴えた頭、繰り出す技のイメージは出来ている。苦し紛れに修理ノ介が放った広さはあっても強くはない火炎。ダメージ覚悟で障壁を盾に、炎の壁を真っ正面から突っ切った余部は、渾身の居合斬りを浴びせた。


「せりゃあ!」


平蜘蛛など必要なく、初手に放った咬龍は修理ノ介の構える刀ごと、その体を両断していた。


「!?……玄武鉄で出来た至宝刀が砕けるはずが……」


それに手応えも妙だ。なにより両断された体から血が吹き出ていない!


「いい夢を見たかい?」


我に返った余部が後ろを振り返った時には、修理ノ介の腕の中に渦巻く炎が生じていた。飛躍的に上昇した脚力で跳んだ余部だったが、螺旋状に広がった炎に足を捉えられる。火隠忍術奥義"螺旋業炎陣"は距離が離れるほど術の範囲が広がる。咄嗟に跳躍した事は裏目に出た、躱すなら至近距離で躱すべきだったのだ。修理ノ介に気圧された余部の心は判断を誤り、敗北を招いた。


「最初の炎が全力だと思ったのかい? あれはただの目眩ましだよ。逃亡防止に立てた炎柱の強度と比較すればわかりそうなものだけど。」


目眩ましの火炎で視界を塞ぎ、駆け寄る余部の真後ろに跳びながらダミーの念真人形を形成。さらに上からホログラムを被せる。ここを戦場にすると決めた時から立体映像投影装置は設置してあった。全ては修理ノ介の掌の上……この勝負、最初から詰んでいたのだ。


「……ぐうぅぅ……ち、畜生が……」


炭化した両足では立つ事も叶わず、余部は仰向けに倒れる。


「ギャングの間では手足をガスバーナーで焼き切る拷問があるそうだよ。傷口が炭化するから出血死しないんだってさ。……僕も似たような事が出来そうだけど、試してみようかな?」


「来るな!来るんじゃねえ!」


投げ付けた刀は至宝刀で弾かれ、炎で照らされた復讐者は歩みを進める。


「焼け死ぬか斬り殺されるか……好きな方を選ぶといい。下衆の仲間入りはしたくないから、最後の望みは叶えてあげるよ。」


事ここに至っては、余部も観念するしかない。勝負をかけようにも刀はなく、試薬の効果も切れつつあった。効果時間に難あり、という報告は出来そうもない。


「……斬れ。忌々しいが、ここまでのようだ。」


「斬殺を選ぶんだね?」


「そうだ!早く斬りやがれ!屈辱を噛み締めるのはうんざりだ!」


抑揚のない確認の言葉、吐き捨てるような返答。修理ノ介と余部は同じ世界には生きられない人種であった。


「……わかった。尊厳をないがしろにした事を後悔しながら……といい。」


両手にかざした炎が渦巻き、余部の体に燃え移る。


「ちょっ!? 話がちがぁぁぁーーー!熱い!熱いィィィーーーーーー!!」


「……散々好き放題やってきて、マトモな最後を迎えられるとでも思ったのかい? ゆっくり焼け死ぬように火力を調節しておいた。一足先に焦熱地獄を味わうといい。冥土では極寒地獄が待ってるはずだ。」


「あぎゃあぁぁぁー!!殺せ!頼むから殺してくれぇーーーーー!!」


目と口から炎を吐き出しながら悶え狂う余部を放置し、復讐者は背を向ける。炎の陣幕を抜けた先には、修理ノ介の友が待っていた。


「……カナタ、僕はとても嫌な気分だ。こうでもしないと気が済まないとはいっても、反吐が出るほど嫌な気分なんだ。」


「だろうな。でも愛と憎悪はコインの表裏だ。こういう時まで悟りきってる奴のがどうかしてるぜ。」


「楽に殺してやれば僕は"いい人"でいられたのかもしれない。だけど僕には出来なかった。ホタルを傷付けたアイツらにだけは、相応の報いをくれてやらないと気が済まなかったんだ!」


盟友の震える拳に手を添えたカナタは頷きながら答えた。


「ああ、わかってる。俺はわかってるから。空蝉修理ノ介は聖人ではなく俗人である事を選んだ。いいじゃねえか、凡俗で。"程々に妥協出来る世界"なんてさ、凡俗じゃなきゃ創れないぜ?」


「それもそうだね。凡俗上等、という事にしておこう。器の小さい僕らにはそれがお似合いだ。」


肩を並べて歩き出した二人は、今だに燻る余部を一瞥もしなかった。



……後衛に退いたアギトと、前線に立つカナタ。局地戦最後の駆け引きが始まる。

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