跋扈編12話 誰かの窮地は誰かの好機



「小娘と侮るからこうなる。所詮、おまえは完全適合者の影でおこぼれに預かっていたの兵士だ。」


幟を背負ってはしゃいでいた時とは完全に別人の顔になったの兵士は、足の止まった敵手を冷ややかな目で射抜いた。


「……まだ俺は負けてねえ。」


昨邑はダメージの蓄積で足が止まった訳ではない。本当に爪先を地面に縫い付けられてしまっているのだ。"赤毛の"ビーチャムが念真髪を操る兵士なのは知っていた。しかし、彼女は昨邑の想像を超える念真髪使いであったのだ。


「バクラ師匠はこの技を"爪楊枝つまようじ"と名付けた。痛点の集中する爪に毛針を刺された気分はどうだ?」


額から流れる脂汗を拭う事も出来ない昨邑は周囲の状況を見渡した。同等以上の剣客が相手では、爪先に突き立った髪の剣山を抜くどころか、汗を拭おうとする動作さえ命取りになる。この狡猾な小娘は剣を交えてしばらくの間、自分の実力を偽っていたのだ。


粗さの残る剣筋、躱せなくはない速さの念真髪による巻き取り攻撃、どちらも演技だった。昨邑が"勝てる!"と思った瞬間に異名兵士"赤毛"は本来の力を見せた。精緻な剣術と速さを増した念真髪、しかしそれすらも罠だったのだ。上に意識を振っておいて下、すなわち爪先を狙う。まんまと罠に嵌まった昨邑は、爪先に最大強度の念真髪を刺されてしまった。


「手空きの兵は援護しろ!一旦引くぞ!」


「おまえは頭だけじゃなく、目まで悪いのか? 手空きの兵などいないだろ。」


呆れるビーチャムの言う通りであった。シティガーダー如きならばキリングクロウの敵ではない。しかし、この小娘が率いる新手の部隊は手強かった。数は500に満たないのだが、とにかく戦意が高い。右翼は剣狼に崩され、頼みのアギトはトゼンと交戦中。となれば……


「狼狽えるな!後衛の余部あまるべ隊がじきに駆け付けてくる!」


純粋な技量なら我が隊が上だ。この小娘は浮き足立った兵士の隙に乗じているに過ぎない。


「皆、右翼に展開する敵は"剣狼"に崩され敗走中だ!敵後衛の来援など気にするな!地上最強の兵、天掛彼方が既にこちらに向かっている!」


虎、いや、狼の威を借るビーチャムは上官譲りのハッタリを利かせる。彼女は兵士としての力量のみならず、指揮官としての器も昨邑より上だった。


「首を3つ挙げれば小隊長だ!」 「燻ったまま生きてなんになる!」 「階級と報奨金、どっちも頂きだぜ!」


急遽編成された半個連隊"スモークターキーズ"はカプラン派のはみ出し軍人のみで構成されている。戦働きに自信がありながら、派閥で冷遇されてきた男達だ。戦力増強の必要性を痛感した"日和見"カプランは即戦力としてKと実験部隊を買い取ったが、それだけで安心するほど楽天家ではなかった。どんな派閥、組織にもいる札付き共にチャンスを与える事にしたのである。


チャティスマガオに集結していたターキーズは早速はみ出し軍人らしさを発揮し、Kの指揮で戦う事を拒否した。やむを得ずターキーズにチャティスマガオ市の防衛を命じたカプランだったが、そこにゴロツキの扱いに慣れたカナタが到着し、日和見元帥に直談判して話をつけた。


"出征し、生きて帰れば報奨金100万Cr。首を3つ取った者は人格、戦歴不問で小隊長の地位を与える"


カプランから提示された破格の条件にターキーズは沸き立った。彼らは精鋭と戦うのを恐れていたのではない。いけ好かない男の指揮で、見返りも定かではない死闘を演じるのは割に合わないと思っていただけなのだ。ターキーズが望む、命を賭けるに足る対価は示された。彼らが夢見るサクセスストーリーを体現する狼の下、出世か死かの激戦地に赴くのに躊躇いはない。


仲間が斃されようとターキーズは怯まない。今回の戦果によって連隊長をはじめとする序列が決まるのだ。乱世には必ず、身の安全よりも野心を優先させる輩が出る。その点においてはキリングクロウ連隊も似たようなものではあったが、好待遇を得た者とこれから得ようとする者では、ハングリーさが違った。


特に勇戦したのは連隊長に指名された"紅孔雀"ことパトリシア・コックス准尉だった。"烈震"アレックスに敗れ捕虜となった彼女は同盟に寝返ったものの、そこは旗幟を変えた者の悲しさ、戦果を上げても重用されない。アギトほどの強さも利用価値もなかったパトリシアは不遇を囲っていたのだが、カプランの方針転換で仮にとはいえ連隊長の椅子が回ってきたのだ。千載一遇の好機に張り切らない訳がない。


「ほらほら、かかってきなよ!私の尾羽根を血で彩りな!」


孔雀の羽根を軍帽に差した女軍人は刺突剣レイピアで敵兵を刺しまくりながら雌鶏のように吠えた。パトリシア・コックスは名前の頭文字Pと苗字を組み合わせて"ピーコック(孔雀)"という渾名で呼ばれている。ピーコックとは雄の孔雀で、雌はピーヘンなのだが、無学な彼女は気にしない。将校カリキュラムにおける"絶対不可侵の最下位"、リッキー・ヒンクリーに記録を破られるまで、ピーコックがギリギリ合格のタイトルを保持していたのだ。


深手を負った倒れた隊員を片手で後続隊員へ放り投げ、ピーコックは赤毛の傍まで斬り進んできた。もしかしたら自分の男勝りを自覚して、ピーコックと呼ばせているのかもしれない。


「赤毛のお嬢ちゃん、助太刀しようか?」


戦場には似つかわしくないほど化粧の濃いピーコックに、化粧っ気がなく、ソバカス跡をファンデーションで隠そうともしないビーチャムは答えた。


「助太刀がいるように見えるでありますか?」


「見えないであります。ナリは小っこくてもさすがアスラの中隊長さんだねえ。しかし何でトドメを刺さないんだい?」


あまり似てない物真似を披露したピーコックにビーチャムは意図を説明した。


「コイツは痛い目に遭わせてから殺す、そう決めていたからであります。」


10ほど年下の少女が見せる酷薄な顔に、ピーコックは背筋が寒くなった。


「裏切り者ってんなら私も同類なんだけどさ、この男は何かやらかしたんだね?」


「仰ぐ旗を変えただけなら、楽に殺してやったでしょう。」


紅孔雀と赤毛の会話、逃亡の好機と見た昨邑はさらなる激痛を堪えながら念真髪を引き抜き、一目散に駆け出した。爪先に力が入るか不安ではあったが、このままでは嬲り殺しにされる。選択の余地はない。不安は的中し、昨邑は無様に転ぶ。しかし、痛みのせいではなかった。


「バカが、おまえの考える事などお見通しだ。」


ビーチャムはピーコックと会話しながら地面と同じ色に染めた髪を1本、昨邑の足に巻き付けていたのだ。立ち上がろうと突いた手、その爪先にも念真髪の針が突き刺さる。


四肢の爪先全てに毛針を刺され、容赦なく抉られた昨邑は声にならない悲鳴を上げた。


「~~~~~~~~!!と、投降…」


逃げられないと観念し、投降を口にしようとした唇がピアノ線より頑丈な髪で切断される。


「……何か言ったのか? 自分にはよく聞こえなかった。もう一度言ってみろ。」


「お嬢ちゃん、もうよしな。これ以上は"心が汚れる"からさ。」


「引っ込んでろ、であります。隊長殿が"粛清する"と仰った以上、その命令は絶対なのです。」


ピーコックは年少の凄腕兵士を宥める。


「粛清するなとは言ってないさ。もう汚れてる先輩に任せときなって言ってるんだ。いたぶるってのはね、こうやるんだよ!」


炙られた芋虫のように悶える昨邑にツカツカと歩み寄ったピーコックは、軍用コートの内袖に束ねてあった孔雀の羽根を丸まった背中に突き立てた。刺さった羽根は哀れな男の血を吸い上げ、虹色から赤へと色を変えてゆく。少し早い断末魔の悲鳴を上げた昨邑だったが、兵士二人は気にも留めない。


「この羽根は……」


きらびやかな吸血蝙蝠を目にしたビーチャムに、ピーコックは専用武器の特性を説明する。


「芯は強化ガラス製だけど、本物の孔雀羽根と一緒で中は空洞なのさ。違いはスポイトみたいな機能を持たせてある事だね。これを神経節に刺すとそりゃ痛いんだ。元帥から支度金を貰ったからたんまり予備を作らせといた。昨邑とか言ったっけね。これは私からのプレゼントさ、遠慮なく取っときな!」


ピーコックは孔雀の羽根を知る限りの神経節に突き立てた。無学な彼女だったが、人体の急所だけは誰よりも学んでいる。あまりの苦痛に自害しようと舌を出した昨邑だったが、紅孔雀の軍靴で歯を蹴り砕かれ、早く死ぬ事も叶わない。


「パトリシア先輩、ありがとうございますです。」


「ピーコックって呼んどくれ。パトリシアなんて可愛らしい名前はどうも私らしくない。赤毛の凄腕ちゃん、キレてて切れる上官殿からのオーダーはまだあるんだろ? だったら早く片付けちまおうよ。」


「了解であります。コイツはこのまま死ぬに任せて、次の段階に進みましょう。ピーコック先輩はウロコ殿に雰囲気が似てるのであります。」


「ウロコ殿ってのは、羅候の"蛇女"の事かい? よしとくれ、私はあそこまで怖い女じゃないよ。」


美女と少女は肩を並べて進軍を再開する。



天狼の敷いた包囲の網は徐々に狭まってゆく。その頃、人蛇に絡まれた餓狼は左右の陣が機能しない事を悟り、なんとしても窮地を脱しようと足掻いていた。

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