跋扈編11話 無間狼獄



「総員突撃!」


密林地帯でシティガーダーと交戦していた今河は、直衛大隊を前面に押し出した。もう一拍待てば理想のタイミングが訪れるのはわかっていたが、栄達を約束してくれた上官アギトの前に人蛇が現れたとなれば、一刻を争う。定刻の完勝より、拙速な快勝が求められているのだ。


「雑魚めが。この俺の前に立つなど十年早いわ!」


多対一を避けられる場所を見極めながら最前線に立った今河は、与し易い敵兵を選んで殺し、数的優位を築き上げる。浮き足立ったシティガーダーを総崩れに追い込むまで後一歩。しかし、その一歩を限りなく遠ざける波乱が待っていた。


「提灯鮟鱇あんこう如きが地上に這い出て我が物顔とは、世も末だな。」


枝葉の茂った樹上から舞い降りたフード男は、あっという間に手近な敵を数人、斬り伏せてのけた。それなりの精鋭が集まったキリングクロウ連隊は、すぐさま銃の照準を刺客に向けたが、引き金を引く事は叶わなかった。狙う、撃つの2アクションより、睨むだけの1アクションが速い。ターゲティングを行うという事は、対象者を見るという事でもある。すなわち、視線は刺客に向いているのだ。


「ギャアアアアァァ!」 「ヒギィッ!」 「アババッ!」


目と耳から鮮血を撒き散らしながら斃れる部下達、惨劇を目にした今河の背中に冷たい汗が流れる。睨んだだけで人を殺せる目を持つ男は、上官の他には一人しかいない。


「け、剣狼……おまえがなぜ…」


今河は震える声が自分の発したものだと気付くのに、いくばくかの時間を要した。


「なぜだと? おまえを冥府に送る為に決まっているだろう。」


頭を振ってフードを払った刺客の顔が露わになる。牙門アギトを若返らせたような、しかし若き日の氷狼とは雰囲気のまるで違う狼は、今河に死刑宣告と刀の切っ先を突き付ける。


「総員後退!縦深陣形を敷きつつ後退しろっ!」


我に返った今河は部下に指示を飛ばしながら、自らも後退する。自分を追ってくる剣狼を部下を盾にしながら凌ぎ、V字の左右に回った者が射撃で仕留める。いや、仕留められないのはわかっているが、自身の生還を優先せざるを得ない。やっと日陰の身を脱したというのに、こんなところで死んだのでは心残りがあり過ぎる。


「待ってください、中尉!」


自分より脚力に劣る部下を置き去りにしながら、今河は生へ向かって疾走する。しかし、刺客の脚力は今河の予想を超えていた。同じ完全適合者でも、氷狼を超える速さを剣狼は得ていたのだ。置き去りにした部下達を始末してからでも、今河に追い付ける。


「馬鹿が!よく考えもせずに先回りなどするから、死地に飛び込む事になるのだ!」


退路に回り込まれた今河だったが、強がりではなくそう喚いた。一騎当千の兵を増援に得たシティガーダーの士気は上がり、格上の精鋭に怯まず立ち向かってはいる。しかし悲しいかな、実力まで上がる訳ではない。同盟兵士は一人として単騎追走する剣狼に追い付く事が出来ず、かろうじて視界に捉えられるほど離れた後方でなんとか交戦しているに過ぎないのだ。


「飛んで火に入る夏の虫、いや、袋の鼠かな? 雑兵ならばいざ知らず、我らキリングクロウ連隊の真っ只中に飛び込むとは命知らずにも程があるぞ!この状況ならば、後続が追い付くまでに貴様の首を取れるわ!」


勇み足を誘ってはみたが、本当に乗ってくるとは思わなかった。敵中孤立はいかな強者でも危険、かつての自分達も、それが原因で囚われの身となったのだ。


「……オレは、愛する女と一つ約束をした。」


十重二十重に囲まれた狼は、ポツリと呟いた。


「約束だけではなく、遺言もしておくのだったな!総員、かかれ!剣狼の首に掛かった賞金、10億Crはおまえ達で山分けするがいい!」


精鋭兵が四方から同時攻撃を仕掛ければ、兵士の頂点に住まう者であろうと必ず隙が出来る。精鋭を超える腕を持つ俺ならその隙を必ず突けるはずだ。多対一であろうと"龍ノ島最強の男"と謳われる剣狼を討ち取れば立身出世は思うがまま。これぞ"禍を転じて福となす"だ。今河は薔薇色の未来に思いを馳せた。


「命の張りどころだ、行くぞっ!」 「おうっ!」 「10億に特進のオマケ付きなら悪くはないっ!」


今河に負けず劣らず、金や地位に目がない部下達は決死の攻撃を一斉に繰り出した。今河は得意の右片手突きを最高の威力でお見舞いするべく、切っ先にありったけの念真力を込める。


「……なん……だと!?」


残念ながら、待ち望んでいた光景は訪れなかった。呻く今河の目の前にはなぜか蓑虫がいる。鋼鉄の蓑を纏った大きな蓑虫は、不可解な事に人語を漏らした。


「……どんな外道でも嬲り殺しにはしない。そう約束したんだ。」


目の前で起こった事を信じたくないばかりに、幻覚まで見てしまった今河だったが、ようやく我に返る。人語を介す蓑虫ではない。砂鉄と念真重力壁で出来た殻を纏った剣狼に、部下達の一斉攻撃は阻まれてしまったのだ。一点集中した精鋭兵の突きを完璧に止めるだなんて、コイツの念真力はどうなってやがる!


「もう一度だ!今度は四方からだけではなく、上からもかかれっ!」


恐怖に囚われた今河に、剣狼を仕留める気などもうなかった。部下に飛び掛からせておいて、なんとかこの場を逃れるしかない。だが、再度の特攻を許すほど剣狼は甘くなかった。舞うように体を一回転させると、取り囲んだ部下6人が糸の切れた操り人形のように斃れる。彼らが人形ではない事は、喉笛から噴き出す鮮血が物語ってはいたが……


「……クッ!」


夢幻一刀流を知らなければ、今河は死んでいたに違いない。鷹爪擊ようそうげきと呼ばれる兜割りを肩口から喰らって体を両断されていただろう。しかし、見知った技であった事がかろうじて命を繋いだ。それがか細くか弱い糸に過ぎないとしてもだ。希望が見えた瞬間に絶望が訪れる。上段の兜割りから繋がれた下段の脛払い、夢幻一刀流・平蜘蛛に反応しきれなかったのだ。


……尻餅を付いた今河の目に、二本の足が映る。膝下から両断された己が両足はその場に立ったまま、切り口からおびただしい血を流していた。現実を認識した瞬間に、激しい痛みが両足を襲う。


「グアアアアァァァ!き、貴様よくもこの俺に…」


狼は足を奪った獲物に執着せず、敵中に孤立しているという状況に冷静に対処した。すなわち精鋭部隊なら必ずやるであろう支援狙撃の雨を砂鉄の盾で防ぎ、視線の合った狙撃兵を睨み殺したのだ。樹上から転落した兵士は5人。死因は転落死ではなくショック死である。


「……ロンダル兵よ、俺の任務は"裏切り者の粛清"だ。そこで無様を晒している今河なにがしだけ殺せればいい。」


隊列を組んで狼と対峙する連隊員達に戸惑いが生じる。"自分は安全"という囁きは、心卑しき者には心地よく響くと剣狼は熟知していた。


「嘘だと思うならシティガーダーと交戦している仲間を撤退させてみろ。誰も追って来ないはずだ。」


取引材料にならないゴミ手をさも有効に見せかけるのも剣狼の得意技である。シティガーダーの練度はお世辞にも高いとは言えず、精鋭兵が退いてくれるなら追う理由はない。剣狼から"逃げる敵は追うな"と命令されるまでもなく、青息吐息の防戦を早く終わらせたいのだ。


「こんなクズの為に張る命があるならかかってこい。酔狂の対価は血で払ってもらう。」


狼は凄みも怒鳴りもせず、淡々と告げた。定食屋の前でエビフライとカキフライを見比べているような顔で選択を突き付けたのだ。交戦でも撤退でも構わない、そう思わせる為の演技である。


「おい、どうする?」 「大隊長は比喩抜きで。」 「抱えて逃げるなんて無理だよなぁ。」


ヒソヒソと話す隊員達は、本当に追ってこないと確認出来たのか、それとも兵士の頂点と交戦するのは得策ではないと判断したのか、潮が引くように後退してゆく。


「待て、おまえら!剣狼のペテンに引っ掛かるんじゃない!コイツは"徹底抗戦されたらマズい"と考えてるんだ!」


上官の懸命の呼びかけに部下達は応じず、彼我の距離は遠ざかってゆく。心の距離と現実の距離が一致しつつあった。しかし、今河の言は正鵠を射ていたのだ。天掛カナタは"マズい"とまでは思っていなかったが、"徹底抗戦されたら弱い味方がさらに死ぬ"と考えていたのである。


安全距離まで敵が退いた事を確認した剣狼は、這いずって逃げようとする今河の横腹を蹴って仰向けに転がした。転がり様に繰り出した最後の希望、脇差しによる脛払いは無情の刃で防がれる。ピン留めされた蝶のように、刀で地面に縫い付けられた利き腕、今河が生き残る為には取引するしかない。


「ま、待ってくれ!俺はアギトの情報を知っている!八熾家当主のおまえが斃すべきは牙門アギトだろう!」


「……さっき、約束の話をしただろう?」


「どんな外道でも嬲り殺しにはしない……な、なら助けてくれるんだな!」


「……オレには自信がなかった。オレの大切な……大切な友の尊厳を傷付けたおまえらだけは、苦しませずに殺す自信がなかったんだ。そんなオレに彼女シオンは言った。……"アギトと外道四人組は例外です。私でも楽には死なせない"ってな。女には甘いオレだが、今回だけは女に甘えようと思う。」


黄金の瞳に凝縮されていく殺意は今河を絶望させ、恐怖のどん底に叩き落とした。狼眼のを知っているだけに、半狂乱になって泣きを入れる。


「おまえまさか、ア、アレをやる気じゃないだろうな!頼むからひと思いに殺してくれ!アレだけは嫌だぁーーー!!」


「……無間狼獄むげんろうごくを知っているのか。なるほど、アギトが誰ぞに使ったな?」


「やめてくれ!!やめ…ギャアアアアアあああああーーーーー!!!」


無間狼獄とは八熾一族において同族殺し等、最大の禁忌を犯した者に下される酷刑である。狼眼は人間をショック死させる程の痛みを与える事が出来るが、あえて死の寸前で留める。そうすればどうなるか?


極限の苦痛を与え続けられた脳は"生存を放棄する"のである。阿鼻地獄すら生温く思える激痛は、罪人に舌を噛む事も許さない。能動的な行動など何一つ出来ずに苦しみ続け、苦痛に飽いた脳が生きる事を諦めるまで、生き地獄は続くのだ。



脳が生存を諦めるまでの数分間、今河はこの世の地獄を味わった。死して地獄に落ちたかは定かではない。あばら骨が剥き出しになるまで掻き毟られた胸板、もはや人の顔とは思えぬまでに苦悶に歪んだ面相を見れば、冥府の神とて慈悲を与えるやもしれないからだ。

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