跋扈編9話 死人の剣法



「トゼン、"アギトの始末はオレがつける"、そう言ったはずだ!おまえだって納得しただろう!」


猛る狼の威圧にも人斬りは動じない。大蛇トゼンは"恐怖をお袋の胎内に置き忘れてきた男"と薔薇園のゴロツキ達に評されているのだ。


"コイツもいっちょ前に男のツラをするようになりやがったな、あのマリカが惚れるだけのこたぁある"


狡っ辛さだけが取り柄だった新兵時代を知っているだけに、感慨に近い心理が人でなしの人斬りにも働いた。おおよそ感慨とか感動などといったものとは無縁な無頼漢にとって、それは奇跡と言ってもいいのかもしれない。


「大の男がこまけえ事言うな。今回だきゃあ俺の顔を立ててもいいだろうが。な?」


強者への階段を駆け上がり、四天王と呼ばれるようになってからも、入隊した頃と同じように先輩の顔を立てている。剣狼カナタの性格をトゼンは知っていた。


「北エイジアに兵団が現れた。"人斬り"ほど奴らへの脅しになるツワモノはいない。不在と知られればブラフをやめて本格交戦を考えるかもしれん。ブラフをブラフで終わらせる為にも北へ向かってもらわなきゃ困るんだ。」


南エイジアでの遊撃作戦に呼応するかのように北エイジアに兵団が集結、その動きを知ったイスカはアスラ部隊に召集をかけ、全部隊に出撃を命じた。イスカもカナタと同様に、"兵団の狙いは南エイジアにアスラ部隊を向かわせない事だろう"と睨んでいたのだ。だがイスカはカナタから思わぬ意見を聞かされる。


"南エイジアでの嫌がらせはロドニーの単独行動のように見えるが、アギトが裏で糸を引いている可能性がある。匂いを隠そうとはしているが、八熾の兵法らしき戦術が散見してるんでね"


あり得る話だと考えたイスカだったが確証がない以上、多くの戦力を裂く訳にもいかない。それこそが兵団の狙いである可能性もあるからだ。そもそも大々的に動けばアギトは逃げるに決まっている。


二人は相談の上、カナタ、シュリ、ビーチャムの三人が南エイジアへ向かい、カプランを大敗させない事にしたのである。もちろん商売上手なイスカはカプランに多額の成功報酬を約束させる事も忘れなかった。


商売上手どころか、損得勘定の対極にいるトゼンはカナタの苦言を笑い飛ばす。


「ヘッ、何言ってやがる。オメエが一番脅しになンだよ。俺とオメエで南エイジアのドンパチを片してから速攻で北へ向かう。何の問題もねえだろうが。」


「なんにせよ、司令の許可を得てからに…」


「もう話はつけた。カナタ、オメエがアギトと戦うとなりゃあ、シュリの野郎は必ず見届けようとすっだろう。……アギトが視界に入ったら、シュリは何するかわかんねえぞ。」


「………」


同じ懸念をカナタも抱いていた。しかし、剣狼の盟友は"僕も同行する!"と譲らなかったのである。ホタルも同行したがったが、最高の索敵能力を持つ斥候兵はどうしても北へ向かわねばならない。"蟲使い"を欠いては兵団の動きを察知する事は難しいからだ。それは彼女の上官である最強忍者マリカも同様であった。


黙考する後輩にトゼンは達観した風な事を言った。


「俺もアギトも歪んだ世界の生んだ落とし子よ。だがな、シュリやホタルは違う。真っ当な世界でこそ活きる人間だろうが。目糞に投げ付けるのは鼻糞でいい。戦争が終わりゃあ、どっちも用済みなんだからな。」


策士としてのカナタは二人がかりを提案しようとしたが、剣客のカナタがそれを許さなかった。トゼンは死んでも己が美学に背を向けない。聞き入れるはずもない策を口にして、尊敬する男から軽蔑されたくなかったのだ。


「……わかった。アギトはおまえに任せる。フフッ、宿敵を他人任せにするオレは、さしずめ耳糞ってところだな。」


もし、トゼンが首肯するなら間違いなく二対一で戦っていたとカナタは考え、自嘲した。他人の心を読むのが得意な剣狼であったが、自分の心は読めないものらしい。カナタとて、"二対一だから負けた"などという言い訳をアギトにくれてやりたくなかったのである。


「オメエはお日さんみてえに輝くか、痰壺たんつぼに落ちるかって野郎だよ。どっちを選ぶかはオメエの好きにすりゃいいが、サンピンの奴ぁ"こっち側には来なさんな"とか抜かしてただろうが。お節介な先輩の忠告は聞いとくもんだぜ? おっ、オメエの後輩が来やがったな。……なんだ、あののぼりは……」


全力ダッシュでヘリポートにやって来た赤毛の中隊長は、"錦刃璃 美威茶夢"と刺繍された幟を背負っていた。


「隊長殿、トゼン殿、お待たせでありますっ!錦刃璃キンバリー美威茶夢ビーチャム、いざ出陣でありますっ!」


「ビーチャム、おまえそんな物をわざわざ作らせたのか?」 「……カナタの部下らしいアホさ加減だな。」


資源の無駄使いだと二人の部隊長は思ったが、ビーチャムは上機嫌である。


「カッコいいでしょう!ミコト様と一緒に見た合戦映画で、鎧武者がこんなのを背負っていたのでありますっ!」


ビシッと敬礼する部下の笑顔に剣狼は苦笑した。


「まあせっかく作ったんだから持っていけばいいが、戦地では背負うなよ。」


アホ丸出しだからな、と付け加えなかったのは上官としての思いやりである。


「そこのチンドン屋、そろそろ出発するよ!早くヘリに乗って!」


陣羽織と着流しの男二人に幟を背負った少女。確かにこれではチンドン屋と言われても仕方がない。几帳面かつ生真面目な忍者は既にヘリに乗り込み、操縦席に座っている。空蝉修理ノ介はこれまでの人生で一度も遅刻した事がない。体内時計は標準時間に合わせてあるが、腕時計は常に10分進めておく、そんな男であった。


「やれやれ、チンドン屋の珍道中かよ。トゼン、ビーチャム、行くぞ。」


「おう。」 「了解でありますっ!」


風を切り裂き、ローターが回る。天掛カナタ専用ヘリ"天狼"は4人の兵を乗せて大空へと飛び立った。


────────────────────


「シャアアァァーー!!」


蛇は鳴かない生き物だが、もし鳴くとすればこのような声を上げるであろう。奇声と共に繰り出される速く鋭い切っ先がアギトの頬を掠め、僅かに流血させる。隻腕の剣客の猛攻に対し、氷狼は跳び退って距離を取った。


「ヘッ!オメエみてえな人非人でも血はあけえらしいなぁ、ええおい?」


道場を旅立つ日に"達人"トキサダから贈られた、いや、厄介払いに押し付けられた怨霊刀"餓鬼丸"の峰で肩を叩きながら人蛇は嘯く。


トキサダが憑き物落としに呼んだ高名な神主から"これほど禍々しい刀は見た事がない。この刀に巣くう怨霊、悪霊、魑魅魍魎はとても私の手に負えませぬ"と匙を投げられた稀代の妖刀は、似合いの使い手を得て活き活きと瘴気を撒き散らしている。アギトの差し料である至宝刀"屍一文字"も"殺した者の血を啜る"と噂される妖刀の類ではあったが、禍々しさなら餓鬼丸が上であろう。


「狂人がこの俺を人非人と罵るとは笑わせる。笑いが取りたいなら寄席にでも行くのだな。」


数合の差し合いでアギトはトゼンの剣の本質を悟った。己が手にかけた師、牙門シノにアギトは問うた事がある。


"夢幻一刀流を脅かす流派はあるのか?"と。


妄執に取り憑かれてはいたが、剣法家としては超一流であったシノは答えた。


"そんな流派などあろうはずがない。じゃがな、流派を問わずを侮ってはならぬ。」


今まさに、アギトは生きた死人と対峙していた。勝ちたい、生きたいという気持ちを持たぬ"死人の剣法"を使う者こそ、アギトが最も恐れていた敵だった。黄金の目と当主の座を奪った憎き甥"剣狼"、生き地獄を味合わせてやると誓った"煉獄"にもない力を"人斬り"トゼンは持っている。


「おい元エース。チマチマ距離なんざ取ってねえで、気分よく殺し合おうじゃねえか!」


空の片袖をはためかせながら距離を詰める人蛇。アギトは蛇のまなこを狼の目で睨んだが、まるで予期していたかのように、いや、本当に予知されて躱される。トゼンの固有能力タレントスキル、"蛇の嗅覚スネークセンス"は危機を察知出来るのだ。


顔面目がけて飛んでくる切っ先を屈んで躱したアギトだったが、鞭のようにしなる蹴りに足を払われた。もちろんアギトとて歴戦の剣客、回るを幸い、体をさらに横回転させながら加速し、お返しの蹴りをトゼンの横腹に当ててのけた。並の兵士なら折れた肋が肺に突き刺さっていただろうが、トゼンはあらゆる意味で並ではない。


「痩躯な割りに頑丈だな。腐っても完全適合者という訳だ。」


蹴られた脛のダメージを確かめながらアギトは毒づいた。斬擊のみならず、しなる足を使った蹴りにも注意せねばと、認識を改める。


「ド腐れのオメエが言うと説得力があるって事にしといてやらぁ。」


舌舐めずりするトゼン、その隻腕に握られた妖刀から蛇に似た念真力の奔流が何本も鎌首をもたげている。


……この男とまともに殺り合うのはマズい。切り札を使えば追い詰める事は出来るだろうが、そうなればコイツは平然と相打ちを狙ってくる……


命など要らぬ、そんな決死の覚悟で向かってきた相手をアギトはなんなく斃してきた。しかし、生存欲求を露ほども持たず、さりとて自殺志願者でもない"闘争本能の化身"と戦うのは初めてである。大蛇トゼンは紛う方なき異常者、剣を抜いたら最後、過去も未来も希望も絶望もなく、刹那の殺し合いにだけ集中出来る男なのだ。両軍を合わせれば百万を超える兵士がいるが、こんな羅刹は二人といない。


(今河は右翼、昨邑は左翼、余部は両翼の援護だ。明日葉は"例のモノ"の準備を急げ。)


アギトはテレパス通信で部下に指示を飛ばした。


瓦解しかけていたシティガーダーを潰してトゼンを包囲する。部下はかなり道連れにされるだろうが、数の力で潰すが上策とアギトは思い定めた。


いや、アレを先に使うべきか、とアギトの心に逡巡がよぎったが、やはり包囲を優先する事にした。手の内を見せたくないという思いもあったが、聞きしに勝る兇刃を目の当たりにし、撤退を視野に入れ始めたからである。


"明日なき人蛇などに構ってられるか、王は軽々に命を賭けるものではない"


アギトは自分にそう言い聞かせる。逃げるにも理由が必要な男なのだ。



予期せぬ襲撃を受けたとはいえ、アギトに今少しの冷静さがあれば、トゼンが吐いた"二人がかりでもよかった"という前口上に思いが至っていたかもしれない。

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