跋扈編7話 "熱風公"ロドニー
「もう引けというのか? アギトよ、俺は暴れ足りん!もっと賊軍どもを蹴散らすのだ!」
"熱風公"の異名を持つロードリック公ロドニーは、文字通り吹き付ける熱風のような威圧感を周囲に発散する男である。灼熱の炎を烈風が煽るせいなのか、気性も荒い。機構軍将官の中でもロドニー以上の激情家はいないだろう。もし、この公爵に助言したのが氷のような白銀の目を持つ男でなければ、怖じ気づいて沈黙していたに違いない。
「雑魚をいくら蹴散らしたところで大局に変化はない。陛下から俺の助言、特に引き時については聞き入れるように言われているはずだが?」
氷狼の抑揚のない声を聞いたロドニーは、炎のように煌めくやや逆立った赤毛をさらに逆立てた。ロドニーは縁戚にあたる国王と同じで意見されるのを好まない。ロッキンダム王ネヴィルは自身の教育係を務めたオルグレン伯リチャードの助言であれば聞く耳を持たないでもないが、ロドニーにはそんな存在はいなかった。
「宿無し狼風情がつけあがるな。俺はやりたいようにやる!」
逃げる敵軍に追撃をかけるべく、己が騎士団に前進の合図を送ろうとするロドニー。補佐を命じられている氷狼ではあったが、食い下がろうとはしなかった。
「そうか。では勝手にしろ。ただし、俺を解任した旨だけは今ここで陛下に連絡してもらおう。」
元々、こんな任務に気乗りはしなかったのだ。ネヴィルと交わした前提条件をロドニーが覆したのであれば、撤退するいい口実になる。
「……フン!引けばいいのだろう!」
立て襟付きのマントを翻しながらアギトに背を向けたロドニーだったが、マントで手が隠れた瞬間に腰の長剣に手をかけ、瞬時にもう一度身を翻した。小煩い目付役の喉元に切っ先を突き付けてやろうと考えたのである。
「……!?」
しかし、切っ先を突き付けられていたのはアギトではなくロドニーだった。
「……遅い。やはり洋剣は居合いには向かんな。」
至宝刀"屍一文字"使ったアギトの抜刀速度はロドニーを超えている。もちろん、この短気な公爵がそんな行動に出るだろうという読みもあった。古流剣術を使うこと四半世紀の剣客は、虚を突かれなければ抜き負けする事などない。
「見事だと褒めておいてやろう。今のは何と言う技だ?」
チンと音を立てながら納刀し、アギトは質問に答えた。
「夢幻一刀流・四の太刀"咬龍"、あらゆる古流剣術の中でも最速の抜き技だ。」
「ほう。咬龍と申すか。我がロードリック式剣術にも取り入れたい技だな。」
アギトに続いて納剣したロドニーは、腰を落として見よう見まねの抜剣術を披露した。他人に対する評価が極めて辛いアギトではあったが、目の当たりにしたセンスは認めざるを得ない。ロドニーの抜剣速度は先ほどよりも速くなっていたのだ。
「ふむ。……なるほど、サムライソードに反りがあるのは、抜きの速さを高める為だったか。」
この男は戦闘に関しては馬鹿ではないらしい。少しだけ認識を改めたアギトは珍しく親切に補足を加えた。
「それだけではない。縦横にではなく、斜めから斬る場合は反りがあった方が切れ味が増すのだ。」
ロドニーはあまたの戦場の中から、曲刀使いの記憶を手繰り寄せる。
「言われてみればそうかもしれんな。フフッ、名刀を一振り、欲しくなったぞ。直剣にはない良さがありそうだ。」
武辺狂だけに刀剣の類が好きらしいな。そう思ったアギトの口から何の気なしに提案がこぼれた。
「俺が極東王となったあかつきには、とびきりの名刀を進呈しよう。一振りなどと
「帝の証、光輪天舞とおまえの愛刀以外ならよりどりみどり、という事か?」
思わぬ食いつきを見せたロドニーに対し、今度は何の気なしではなく、十分に考えてからアギトは答えた。
「無論だ。東の果てまで陛下に遠征して頂く必要はあるまい? 俺と公爵でかの地を征服しようじゃないか。」
「いいだろう。俺は戦いが好きだ。正直に言えば戦争の終結など望んでいない。アミタラとやらの教えの中に"輪廻転生"という思想があるそうだな。もし俺に輪廻が巡り、どこぞに転生するというのならば、未来永劫、戦い続けられる世界に生まれたいものだ。」
駆け引きしている様子はないと判断したアギトはさらに思考を凝らした。ここ数週間、行動を共にして得た情報をフル回転させながら結論を導く。
"戦争好きの政治嫌いのロドニーは、公爵領の統治は家臣任せらしい。この武辺狂にとって領地とは、戦費を捻出する為だけの存在なのだ。こういう
自分が世界を手にしたところで、必ず反旗を翻す者が出て来る。心転移の術は知っていても、世界昇華計画をアギトは知り得ていなかった。
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ロドニーを味方に付ける事を考えたアギトは彼の好みに合わせた作戦計画を立てつつ、要所では兵を引かせて同盟軍を攪乱した。氷狼よりはるかに単純な熱風公は振り付け通りに踊り、微細とはいえ戦果を積み上げる。引き時さえ弁えればかなり優秀な戦術指揮官であると判断したアギトは、ある決断を下した。
ロドニーの旗艦"ゼピュロスⅡ"の艦長室を訪れたアギトは、掴んだ情報を与えてみる。
「Kが来援しただと? 守護神をも超える絶対防御を誇るとか抜かす色白か。」
上機嫌でワインを嗜んでいたロドニーの顔色は一転し、不機嫌そのものの顔になった。完全適合者の増援が面白くない訳ではない。病的なまでに色白で線の細いKは、ロドニーが生理的に嫌いなタイプなのだ。
「そのKだ。奴は完全適合者で、防御に関してなら災害より上だと見ねばなるまいが、どうする?」
アギトが"災害"ザラゾフの名を出したのは故意にである。ロドニーは戦術的敗北を喫した事は幾度かあるが、戦闘で、一騎打ちで負けた事は一度しかない。その苦杯を舐めた相手というのが他ならぬザラゾフなのだ。
「知れた事だ!ザラゾフの飼い犬から逃げるようでは到底雪辱など果たせぬ!」
4年前、怖い物知らずだったロドニーは同じ怖い物知らずのザラゾフに一騎打ちを挑み、善戦はしたものの敗れた。もし、ロドニーが颶風を纏う高速移動術を身に付けていなければ命はなかっただろう。
"逃げるか小童!熱風公の名が泣くぞ!"
まだ耳に残っている嘲りの台詞。生まれて初めての屈辱、背中越しに聞いたあの声をロドニーは生涯忘れる事はないであろう。いや、耳にこびりついて離れないあの声を振り払わんが為に、戦場の伝説と謳われる男に勝つ為に今日まで研鑽を積んできたのだ。ゆえに"バーバチカグラードで死神が災害を退けた"との一報を受けた時は、地団太を踏んで悔しがったものである。人型災害に最初に土を付けるのは自分でなければならなかったからだ。
だが、死神は災害を取り逃がした。自分なら逃がさない、骨も残らぬように焼き尽くして見せる。ロドニーは強く固く復讐を誓った。
「……手を貸そう。公爵の気持ちはわからんでもない。」
アギトの返答は半分嘘で半分本当だった。手を貸すのは体よく貸しを作る為であったが、アギトにも借りを返したい相手がいるのは本当である。ロドニーと違って囚われの身となり、汚れ仕事に従事させられてきた分、恨みは深いかもしれない。
「おまえは思ったよりもいい奴だな。」
後にも先にも、氷狼アギトを"いい奴"などと評したのはロドニーだけに違いない。根の単純さに起因する見る目のなさと言ってしまえばそれまでなのだが……
「極東王になる為には熱風公の力が必要だからな。公爵、俺と手を組まないか?」
ロドニーの調略に成功しつつあると考えたアギトはダメを押しにいった。
「手を組むだと?」
「俺がなぜこちら側にいるのかは聞かされているはずだ。公爵はザラゾフ、俺は
「朧月セツナは味方だぞ。今のところ、ではあるがな。」
「そう、あくまで
ロドニーがいくら単純でも、朧月セツナが油断ならない人物である事はわかる。それに"機構軍最強の男"と兵士達が噂する異名兵士"煉獄"へのライバル意識もあった。
「確かにな。同盟を倒してしまえば煉獄は邪魔になる。陛下の為にもいずれ排除せねばならん男だ。」
「ネヴィル陛下が覇権を握ってこそ、極東王の地位も安泰となる。俺と公爵は利害も一致しているのだ。」
心にもない事をアギトは言った。氷狼の心中にあったのは"複雑な攻勢戦術は組み立てられる癖に、世渡りはまるで駄目だな。稚児よりも御しやすい単細胞め"という嘲りである。
「いいだろう。手を組もうではないか。そうと決まれば祝杯だな。」
ロドニーは卓上のワイングラスを屑籠に投げ込んだ。ザラゾフの名を聞いた時にグラスを手にしていたせいで、ワインは煮立ってしまっていたからだ。感情が昂ぶると能力を制御出来なくなる悪癖の持ち主なのである。
「うむ。キャビネットのワインを貰うぞ。」
アギトが指を鳴らすとキャビネットのガラス扉がひとりでに開き、浮遊したワイン瓶と二つのグラスが宙を漂ってくる。
「……おまえはサイコキネシスを持っていたのか。」
透明な執事でも居るかのようにコルクが抜かれ、注がれる赤い液体。グラスを手にしたアギトはソファーから立ち上がってロドニーに歩み寄り、執務机に腰掛けた。
「他言は無用だぞ。これは俺の切り札だからな。」
単純な青年と狡猾な壮年はグラスを合わせる。同床異夢、という言葉がこれほど似合う場面はない。
ロドニーを信用させる為にアギトは秘匿していた能力を見せた。もちろん、真の切り札は隠し持っている。その能力は思惑が外れ、ロドニーを始末せねばならなくなった場合に特に有用であった。
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