跋扈編6話 偽りの貴公子"K"



「ルシア閥を甘く見ない方がいい。僕はそう言ったはずだよ?」


だから言わん事じゃない、Kは明言するのは避けたが、そう思っている事はカプランにも伝わった。窓際の机に陣取る"貴公子"K、彼の直属の上官となったカプランは来客用のソファーに座ってから、愛用のライターで紙巻きに火を点ける。


「甘く見ていたつもりはなかったが、ここまでとは思わなかった。」


手が長い、とは諜報機関が使う隠語で、"諜報能力に長ける"という意味である。


「それで? お抱えのバイオ研究員は全滅したのかい?」


「培養計画に関わっていたものはね。人員どころか、施設まで木っ端微塵だよ。※イワンどもは荒事しか取り柄がない連中だけにやり口は徹底している。後始末をする私の身にもなってもらいたいものだね。」


おおかた機構軍に罪をなすりつけるのだろう、Kの推察は的を射ていたが、彼の関心は別な方面にあった。


「僕や部下達のメンテナンスに支障はないんだろうね? ルシア閥から派遣された技術者は帰してしまったんだろう?」


「心配はいらない。造るのは難しいが、既にある物を維持するのは比較的簡単だ。」


「名画を描ける芸術家はそうそう現れないが、描かれた名画を維持する学芸員はそうでもない。そういう理解でいいのかな?」


Kは豪華な私室に掛けられた油絵を指先で差しながら尋ねた。貧民街の出身ではあったが、徹底的に貴族社会を研究してきただけあって、その優雅な仕草は本物の貴族よりも堂に入っている。


「そういう理解で構わない。頭蓋骨の中に爆弾以外も詰まっているようで何よりだ。」


「爆弾?……これの事かい?」


Kは年代物の机の引き出しから取り出したビニール袋をカプランに投げて寄越した。透明な袋の中身を改めたカプランの顔色が変わる。論客として出世してきたカプランが顔色を変える事は珍しい。それだけ袋の中身、超小型爆弾は彼を驚かせたのだ。


「……ブラフが上手いようだな。」


Kの頭に仕込まれたのと同じ小型爆弾を用意するのは難しくない。コイツは私の器を測っているのだ、とカプランは推測した。


「論客らしい考え方だね。だけど僕はブラフは得意じゃない。なぜだかわかるかい?……ブラフなんてものはだ、"手札がないからやむを得ず使う"、いわば苦肉の策なんだよ。真に力のある者にブラフなんて必要ないんだ。なぜなら"持ち得る力で勝ち切れる"のだからね。」


本気で言っているのだろうか? カプランは部屋に入ってから初めてKと目を合わせた。生身の間に整形を重ねたKの顔は形の上では整っている。だが、眼球までは取り替えていない。およそ人間味を感じさせない瞳の奥には自信が鎮座している。長く対外交渉に携わってきた論客は、Kの自信はブラフではないと気付いた。


「どんな手を使ったのだね?」


カプランはあまり汗をかかない。冷や汗もだ。彼はこの体質にずいぶん助けられてきた。しかし、ただ一箇所、人並みに発汗する部位があった。びっしりと手汗を流している事を悟られぬよう、カプランは細心の注意を払う。指に挟んだ紙巻きを灰皿に押し付け、自然な動作で濡れた手を膝に置いた。


「木っ端微塵になった主任研究員だけど妻子がいたよね? 哀れな未亡人には見舞金を弾んであげるべきだ。彼の死は元帥に責任がある、違約の代償で命を奪われた訳だから、ね。」


メンテナンス担当者を脅して爆弾を取り除かせたのか!ルシア閥の前任は確か独身……私とした事が付け入る隙を与えてしまうとは……カプランは後悔したが後の祭りだった。


「なるほど。キミは軍の外にも協力者がいるという訳だ。服役していた刑務所にいた誰かかな?」


安全装置の外れた完全適合者と二人きり、しかも元連続殺人犯シリアルキラーの、とくればカプランに余裕はない。しかしそこは長いキャリアを持つ論客、余裕がない時こそ余裕を見せるという鉄則だけは守り、表面的には悠然と構えていた。


(閣下!我々2名だけでも突入しますか?)


カプランからテレパス通信で状況を説明された警護兵はドア一枚を隔てた廊下にいる。元帥の警護を仰せつかるだけあってかなりの手練れではあるのだが……カプランには分の悪い賭けとしか思えなかった。


(待て!Kは完全適合者、二人がかりでもどうにか出来る相手ではない。増援はどのぐらいで到着するのだ?)


15分、と返答されたカプランは時間を稼ぐ事にした。しかし、口を開こうとする前に機先を制される。


「閣下、僕は貴方をどうこうしようなんて思ってませんよ。それどころか、"本気で手を結びたい"と考えているんです。」


真に受けるな、コイツは整形を重ねたルックスを武器に金持ち女を誑かし、絞り終えたら殺してきた人非人だ。凶悪犯罪で得た金銭を餌に気に入った美女に近付く事もあったが、その場合も飽きたら相手を殺している。


"なんで殺したかって? 誰だって自分のオモチャを他人に取られるのは嫌だろう。例えそれが、遊び尽くした中古の玩具であっても、ね?"


ザラゾフと違って細かいところを気にするカプランは、"極刑に値する重犯罪者"という犯歴だけでは満足せずに、供述調書まで取り寄せていた。かの一文はKことケルビン・トボンの本性を如実に現している。


「本気で手を結びたい、か。提携相手にはギブ&テイクが私のモットーだ。まず何をもらえるのかを聞いておきたいのだが?」


「とりあえず、増援を呼び寄せるのを止めてもらいましょう。提携するかもしれない相手に威圧交渉はありえない。」


Kの提案はもっともだったが、カプランはあえて応じない事にした。この男を相手に風下に立ったら呑まれてお仕舞いだと論客の勘が告げていたからである。


「到着には10分はかかる。私を納得させる条件を提示するには十分な時間だ。」


「……僕が提示出来るものなんて一つしかない。圧倒的武力、それだけですよ。」


「キミの力をフラム閥の為に使うというのかね? それは至極当然な事でしかないが……」


フラム閥を自称するだけにフラム人貴族が多い派閥ではあるが、実質は"カプラン派"である。だが、権謀術数には長けたカプランは、呼称する場合は必ず"フラム閥"を用いていた。己が意向に刃向かえる者などいないと知っていても、あえて共同体であると僭称する利をカプランは知っていたからだ。その点では、"トガ派"だの"儂の派閥"だのと公言して憚らないトガ元帥とは一線を画していた。


「やむなく協力するのと積極的に共闘するのとでは大きな違いがある。その差がわからない元帥ではないはずだ。」


「なるほど。確かにキミの言うとおりだな。協力と尽力は似て異なるものだからね。」


脅迫や金銭で買える協力には限界がある、それはカプランもよくわかっている事だった。欲目や恐怖に起因する力は、旗色が悪くなれば紙風船のように脆い。今回、Kは主任の妻子を略取して目的の達成には成功したが、脅しで為せる事などその程度だ。世界の覇権を握るには程遠い。


「僕を買ってくれたのがトガ元帥ではなくてよかった。これは本気でそう思っているんです。話さえまとまれば、僕の実力の方も買って頂けるように尽力しますよ?」


「ふむ。ギブについては理解した。その見返りに何を望む?」


「僕も元帥と同じフラム人、それもやんごとない血筋の、です。ですが立証する術がない以上、新たに勝ち取るしかありません。僕が求めるテイクとは、"失われた高貴さの回復"ですよ。なに、領地だの爵位だのを寄越せとは言いません。」


小型爆弾の件は読み誤ったカプランだったが、今度は嘘を見破った。当たり前である。カプランはKの元の顔も出自も全て知っている大貴族なのだから。


……この下衆は心の根底に"貴族への強烈な憧れ"がある。父親が誰かもわからない娼婦の子、それがKの真実だ。しかし、父親が誰だかわからない事に望みを賭け、いや、妄想を膨らませて、実はやんごとなき名家の御落胤というストーリーを後生大事に抱え込んでいる。嘘つきの中には自分のつき続けた嘘に騙されて、"自分の中での真実"にしてしまう者がいるが、コイツはどっちだ?


カプランはさも意外そうな顔をしながら探りを入れた。


「実はやんごとない家の血筋、か。確かにキミが凡俗の生まれとは思えないな。しかし爵位も領地も求めずに、どうやって高貴さを回復させるのかね?」


茶番に乗るのは業腹だったが、この茶番には自分の命が懸かっている。信じてもいない癖に、さも信じたような顔をするのはカプランの得意芸だ。年季の入った腹芸に、今度はKが欺かれた。


「簡単な事です。元帥は社交パーティーがお好きでしょう? 華やかな社交界で、"Kは家名こそ明かせないが、我々と同じ貴族の出だ"と仰ってくださるだけでいいのです。もちろん信じない者もいるでしょうが、いずれわからせますから。高貴なる力を目の当たりにしても、頑なに僕を認めない者がいるとすれば、そんな愚者こそ貴族ではありません。」


Kは狂気と正気の端境を揺蕩っている。カプランはそう推察した。


最初は美しさに憧れ、整形を繰り返した。そして形だけの美を手に入れた後は高貴さに憧れを抱き、貴族を僭称した。Kの被害者の中には安楽死に近い方法で殺された者と、考えるだにおぞましい方法で殺された者がいる。おそらく無残な殺され方をした女は、Kを"偽貴族!"と罵倒したのだろう。Kは嘘を真と信じながらも、実は嘘である事を知っている矛盾した存在なのだ。


死刑を廃止した数少ない街で逮捕された事、そしてザラゾフが書類嫌いでよかったな。もしあの大雑把な暴勇男が気まぐれを起こし、詳しい罪状に目を通していたら、おまえは被験体にならずに死んでいた。


「取引成立だ、K。キミの高貴さは私が保証しよう。さっそく"高貴なる力"を見せてもらおうか。」


「機構軍に動きがあった、という事ですね?」


この男はいずれ貴族どころか王族を気取りかねない。しかし、利用価値がある。機構軍を打倒した後は、ザラゾフに金を積んで始末させればいい。あの人間災害は偽りの貴公子を殺したがっていたのだから。


算盤を弾き終えたカプランは、Kの歓心をピンポイントで突く事にした。


「うむ、早速だが前線に赴いてもらおう。キミの率いる部隊は"ノーブルホワイト連隊"と命名する。」


カプランの読み通り、Kは満面の笑みを浮かべた。見る者が見れば、その笑顔に美しさではなく醜悪さを見出すだろう。外見ではなく内面の醜さ、それは幽界の餓鬼が腐肉を与えられた時に見せる歓喜に近いかもしれない。


顔のあらゆる箇所に手を入れたKだったが、黄色より白に近い金髪だけは自前だった。剣狼カナタに"陽光を浴びた純雪のようだ"と評されたシオン・イグナチェフに髪だけは似ている。カプランはKの自慢が髪である事を察していたのだ。もし、白をパーソナルカラーに用いるのならば、奇しくも剣狼率いる"スケアクロウ"と同じになる。



異世界から来たKと、戦乱の星に生まれたK。二人の完全適合者が歩む道は決して交わらない。もし交錯しようものなら、それは命を賭けた激突となるだろう……


※イワン

ルシア閥に対する蔑称。男性名にイワンが多い事からきている。


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