第十一章 跋扈編
跋扈編1話 暗躍する氷狼
「何が"龍弟公"だ。おまえが得たモノは本来、俺のモノだったんだぞ。」
剣狼と呼ばれる男の戦闘映像を見ながら、氷狼は親指の爪を噛んだ。腹心と言える部下四人も、爪を噛んでいる上官には近付かない。目をかけられているといっても、危険過ぎるからだ。
「……フン!ひけらかすだけの腕前は持っていると認めてやろう。しかし、どこかに付け入る隙があるはずだ……」
アギトにとって目障りな男はあまり賢くはない。短期間で数多くの名のある敵と対峙し、惜しげもなく己が技と能力を見せてしまっている。ゆえに研究材料には事欠かない。
半日以上の時間をかけ、アギトはついに一つの答えを見出した。剣狼は大きな勘違いをしていると確信したのだ。
「……ついに見つけたぞ!そうか、おまえは誰かに師事して夢幻一刀流を学んではいないのだな? おそらく親父が残した秘伝書を読んだだけなのだ!」
いや、この気付きは復讐の鬼と化した師、牙門シノだからこそ至った境地だ。知れば対応されるかもしれんが、一度だけ通じれば良い。斃してしまえば二度目はないからな。剣狼の隙を見つけたアギトはほくそ笑む。
「アギト様、剣狼に勝つ手立てを見つけられたのですな?」
アスラ部隊に所属していた頃からアギトに付き従っている四人の中で、最も腕の立つ
「それは僥倖。しかしアギト様ならば、正面から戦っても勝てるでしょうに。」 「今河、確実に勝って頂かねばならんのだぞ。」 「そうだとも。世界を統べる王に万一があってはならんのだ。」
お追従を言う
「剣術の傷だけでは不十分だ。二の矢、三の矢も準備しておかねばな。明日葉は俺と来い。残りは連隊の教練にあたれ。ネヴィルの許可は取ってある、弱い奴が淘汰されるだけの猛特訓を積ませるのだ!」
"弱者は不要、強者はより強き者に服従する"、それが編成されたばかりの
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アギトは副官の明日葉を連れてロンダルの孤島にある秘密研究所を訪れていた。厳重に守れられた施設の最奥で、アギトと明日葉は最高責任者であるアボット博士と会談する。博士から報告を受けたアギトはみるみる不機嫌になった。この学者バカは現場の苦労をまるでわかっていない。となれば、会談は詰問へと変化する。
「安全性など度外視でいいと言っただろう!」
凄むアギト、禿げ上がった頭に玉のような汗を浮かべた初老の博士は、歯切れの悪い答えを返す。
「聞いてはいたが、どこがリミットポイントなのかの見極めがつかない。完全適合者のモルモットなどいないのだよ。」
「バルバネスよりちょっと上のラインを考えればいい!
大きな声を出されれば、答える方の声も大きくなる。防音室の中にアギトとアボット博士の大声が響く。
「彼は特別なんだ!あらゆるドーピングに対する高い適性と耐性を持っている!蛮人を基準に薬を作れば、完全適合者とて危ういんだ。そんな劇薬、いかに氷狼アギトといっても後遺症は避けられないぞ。」
"蛮人"バルバネスことバルアミー・バーネス大尉は特異体質の持ち主である。常人なら廃人になるドーピングを施されても、頭痛薬ほどの副作用もない。人類の限界を超えたドーピングを可能とする体質こそが、蛮人の強さの秘訣であった。要は"自我を保った
「後遺症だと? 即死だけ避けられれば良いのだ!サラサ・ザハトは我々の手にあるのだからな!」
"不死身"のザハトこと、
その余禄は"異端の研究者"として白眼視されていたアボット博士にも及んだ。この研究所は彼女の秘術を解明する為に設立されたのだ。もちろん、他の"表には出せない研究"も行われている。
「いざとなったら体を乗り換えればいいという事なのだろうが、まだ実用性の目処は立っていない。サラサの術ではせいぜい一ヶ月ほど、意識をクローン体に移すのが精一杯なのだ。」
同じ術を使えるが、サラサよりも力の劣る
「それで問題なかろう。再起不能の後遺症を負えば"第二のザハト"として戦うまでだ。完全な乗り換えが可能になれば、俺は"永遠の王"として龍ノ島に君臨する。ロンダルきっての生体工学の権威・アボット博士なら、いずれ秘術のメカニズムを解明出来るはずだ。何も問題はない。」
ロンダル島の王"界雷"ネヴィルは世界を制した後、各地方に"王"を派遣し、自らは"
"世界皇帝"の座を目指すゴッドハルト、"王の中の王"にならんとするネヴィル、この二人が犬猿の仲なのは当然であった。
「私を高く評価してくれるのは嬉しいね。期待に応えるべく、秘術と秘薬の研究を急ぐとしよう。未来の極東王、ちょっとしたお願いがあるのだが……」
博士の世辞はアギトの心には響かない。氷狼は"極東の王"で満足するような野心家ではないからだ。後遺症を覚悟で戦うつもりでいるのは、確信があるからである。"自分なら完全な乗り換えが可能である"との確信が……
サラサの術式は既に見た。能力は十分、足りないのはやはり"神器"なのだ。アギトは顔には出さずにほくそ笑む。懸命に研究を続ける博士は、自分の努力が徒労である事を知らない。しかし、無知と滑稽を笑うのはまだ早かった。
「モルモットの提供だろう? そう来るだろうと思って選別はさせている。適合率が高く、戦闘センスが低い兵士を10人ばかり用意しよう。」
教練にあたっている三人のレポートを読めば、人柱に適した者はじき見つかる。
「念真力も高いとなおいいね。なにせ、アギト君専用の"臨界ドーピング剤"を開発しなければならないんだ。」
「善処しよう。秘術の解明よりも、秘薬の開発を優先しろ。閣下も俺もまだ壮年、体の乗り換えを急ぐ必要はないが、同盟の完全適合者との激突は明日にでも起こり得る。モルモットを欲しがるという事は、新たに製造したクローン体も芳しくないのだな?」
「残念ながらね。適合率が低いのは想定内だったが、念真力もオリジナルには及ばない。サンプル03も04も、量ったように適合率50%、念真強度100万nで、キミの丁度半分だ。先月、"脳死状態になった兵士の念真強度は低下する"という論文を発表した学者がいるのだが、どうやら正解らしい。サラサの秘術も念真力由来に違いないから、その学者の話を聞いてみようかと思っている。何かの参考になるかもしれないからね。」
"叡智の双璧ほどの頭脳がない貴様に、念真力の謎を解明など出来るものか"と心中で嘲うアギトだったが、クローン体について聞きたい事はあった。
「話を聞くなどとまどろっこしい事を言わず、そいつの研究成果を全て分捕れ。なんなら俺が手を貸してもいい。……ところで俺のクローン体なのだが、遺伝子が変化したりはしていないか?」
「戦闘細胞の活性状態に差はあるが、遺伝子そのものは寸分違わずオリジナルと同じだよ。クローンとはそういうものじゃないか。」
何を言っているのかと言わんばかりのアボット博士。彼はアギトの真意を理解していない。かつて剣狼カナタはクローン技術に傾倒するシジマ博士を"勉強の出来るバカ"と評したが、アボット博士も同類らしかった。もっとも、
「……そうか。邪魔したな、博士。とにかく秘薬の開発を急いでくれ。それによって、俺の出方も変わってくる。」
「わかった。任せてくれたまえ。」
臨界ドーピング剤の開発を急がせるという目的を達したアギトは、孤島の研究所を後にした。
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「アギト様、やはり剣狼はクローン体ではなかったようですな。」
操縦席に座る明日葉は後部のキャビンでワインを嗜むアギトに問うてみた。
「そうらしい。親父め、隠れ里で隠し子なんぞ作っていやがったのか!……奴は俺の異母弟か異母妹の息子って訳だ。」
同盟にいた頃、アクセスが禁止されている情報をあさっていたアギトは、ルシア閥が極秘に進めていた"複製兵士培養計画"の存在を知った。その製造目標に、"トータルバランスの高い兵士・氷狼アギト"が上がっていた事も含めてである。もちろん、その情報は当時の上官であった御堂イスカには報告せず、握り潰している。
「科学は嘘をつきませんからな。帝の言った事は真実でしたか。」
ダムダラスでの決闘の際、処刑人の副官だったエスケバリが上官の浴びた返り血を持ち帰り、ロンダル閥は剣狼の遺伝子情報を解析していた。期待しながら自分の遺伝子情報を派閥の研究所に提供したアギトだったが、その照合結果は彼を落胆させるものだった。
"牙門アギトと天掛カナタには血縁関係が認められるが、DNAは一致しない"
これでアギトは剣狼が自分のクローンではないと認めざるを得なかった。出世するだけ出世させてから秘密を暴露し、帰国した自分が地位を引き継ぐという当初の計画は破綻したのだ。機構軍がもっと早い時点で剣狼カナタの脅威を認め、遺伝子まで含めた研究を行っていれば、"DNAが変化しつつある"事に気付いたかもしれないが、もはや後の祭りである。
「……クローンではないなら、早めに始末しておくべきだったな。」
確かにその通りなのだが、緋眼のマリカの麾下にあった剣狼には、アギトも手を出しかねていた。自分からエースの座を奪った最強忍者の能力を甘く見てはいなかったのである。もしかすると、恐れていたのかもしれない。そうであったとしても、彼は決して認めないであろうが……
部隊長になった剣狼を兵団に始末させようと試みたが、煉獄はアギトの魂胆を見透かしていたのか、冷笑するばかりだった。そうこうする内にネヴィル閥が誇る影のエース・処刑人に"剣狼抹殺命令"が下され、手間が省けたと小躍りしたものだが、剣狼はその処刑人をも返り討ちにし、完全適合者となってしまった。今や剣狼カナタは氷狼アギトでさえ徹底研究し、ドーピング剤にまで頼る必要がある強者になってしまっている。
「泳がしておいた甲斐があったではありませんか。剣狼は"至魂の勾玉"を持っているのですぞ?」
そう、剣狼は至魂の勾玉を持っている。心転移の術を行使する為に必要なキーパーツをだ。あのバカは至魂の勾玉を隠して持っていた老人を称える式典を開いて、その存在を俺に知らせてしまった。アギトは都で行われた"返礼の儀"の中継を見た時、哄笑し過ぎて腹心達に"気でも触れたのか!?"と心配されたのだ。
「竜蜥蜴が極秘、厳重に管理している"龍石"を奪うのは難しいが、至魂の勾玉なら簡単だ。秘められた力を知らない剣狼は、祖父の形見を肌身離さず身につけているだろう。……ククッ、姉上も良い事を教えてくれたものだ。」
羚厳の妹、牙門シノは都から脱する際に肺を痛め、長くは戦えない体になっていた。最愛の兄を奪われたシノは狂気にかられ、兄の遺児である双子を復讐の道具として鍛えたのである。そして彼女は自らの手で復讐を果たす方法も考えついた。……いや、考えついてしまったのだ。
その方法とは……"鍛えた双子のどちらかに自分が宿る事"である。叔母が"復讐の鬼"から"本物の悪魔"に変わったと気付いたアギトの姉は"私が人身御供になります"と申し出て、羚厳が会得していたという"心転移の術"の存在を知らされた。
巨大都市国家が相手では、いかに夢幻一刀流の達人が
苦悩した挙げ句、姉はアギトに秘術の存在を教え、"必ず迎えに戻るから!"と約束して悪魔の元から逃げ去った。儀式に必要な神器を探すと叔母を騙し、戻らなかったのだ。しかし、アギトは迎えを待たなかった。もっと手っ取り早い方法に気付いたからだ。
鍛えた剣で、師であり叔母でもある女を殺害したアギトは自分を取り巻く全てに火をかけ、故郷から出奔したのである。復讐の為に授けられられた夢幻一刀流を己が為だけに振るう修羅は、そんな経緯で誕生したのだ。
叔母の狂気に毒されたのか、元来の資質であったのかはわからないが、アギトは姉の夭折を知っても、涙一つ流さなかった。
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