宿敵編46話 子蛇の吐いたド正論



歓楽区の裏通り、その端っこにあるダーツバー"スネークアイズ"にオレ達以外の客はいなかった。マスターも妙だがこのバーも不思議で、ほどほどの客入りという夜はめったにない。えらく賑わっているか閑散としているかのどっちかで、今夜は後者のようだった。


カウンター席に並んで座ったオレと師は、ビールの小瓶で宴の始まりを奏で、剣について語り合う。頼んでいないのに"本日貸切"の札を持って店を出るマスターの背中を見ながら師は呟いた。


仲居竹極バイトマスターも謎の人だが、マスターはそれ以上だな。共通してるのはどちらもかなり使という事だが。」


師匠はキワミさんの正体を知らないらしい。火隠忍軍隠密上忍・仲居竹極、マリカさんが彼女の正体を話していないのなら、オレから話す訳にもいくまい。


「ですね。想刃がそう言ってます。」


想刃とは次元流の用語で、イメージトレーニングの一種だ。次元流に限らず、一定の腕に到達した武芸者には相手の強さを推し量る目も備わる。彼我の力量を正確に推し量るコトも"見切り"、次元流は見切りを最重視する流派だけに、刃を抜く前の戦いにも長けている。


最速の居合いで相手を斬り伏せられるかイメージするのが"想刃"で、次元流では真剣を用いて対峙するだけの修行がある。"鞘の内の勝負"は高弟と未熟な門弟の間で行われ、門弟が"自分が斬られるイメージ"を実感出来た時に終わる。差があり過ぎる格上に挑んで無駄死させない為の大事な修行だ。そして高弟にとっては"一刀で斬り伏せられる相手か否か"を見極める修練でもある。


「カナタでも無理なのか? 剣狼の"咬龍"を以てしても?」


オレの居合いの速さはガーデンでも一、二を争う。だけどマスターは……躱すだろう。居合いの一撃で斃せるイメージが湧かない。


「ええ。ま、物の怪の類に剣は効かないってだけかもしれませんけどね。」


戻って来たマスターはカウンター内の冷蔵庫から酢味噌の小皿を取り出してオレと師匠の前に置き、いったん奥に引っ込んで中皿を手に戻ってきた。


「………」


無言で饗された料理。これは鯨の尾羽……居酒屋では"おばけ"と呼ばれる酒の肴だ。


「オバケか。やはりマスターは物の怪なのかな?」


「………」


苦笑しながら問うシグレさんに沈黙を守るマスター。このマスターは言葉を用いず、洒落っ気を表現する。ホントに面白い人だ。


「クレイジーポエマーを二つ、それにピーナッツベーコンも。」


オレがオーダーすると物の怪マスターは見事な手捌きでシェーカーを振り、カクテルを作り始めた。


「好きこそ物の上手なれ、という言葉があるが、父上ポエマーは人生を賭けてこの言葉を否定しようとしているな。」


「せっかくトゼンさんが屍山血河を築いて実証した言葉なんですけどねえ。」


達人トキサダは下手とかいうレベルを遙かに下回る句を詠みまくり、人斬りトゼンは大好きな血闘に身を投じて命を奪いまくる。どっちも迷惑な話ではあるな。


「……カナタ、なぜホタルの様子を見に行かないんだ?」


アギトの生存が判明してから、オレは一度もホタルに会っていないし、話してもいない。だけどシュリが傍についているから大丈夫だ。


仕上げたカクテルとピーナッツベーコンをカウンターに置いてから、乾き物とウィスキーの載ったミニワゴンを押してきたマスターは、奥に引っ込んでもう出てこない。座敷童子の変種はサトリでもある。聞かない方がいい話が始まると、"後はごゆっくり"とばかりに酒と肴を置いて姿を消すのだ。


「この顔を見れば、ホタルの心傷が疼きます。しばらく顔を見せない方がいいでしょう。」


カランカランとドアチャイムが鳴り、貸切の店内に客が入ってきた。


「そんな事を考えてると思ったわ。ねえカナタ、友達が寝込んでるのに見舞いにも来ないだなんて、薄情が過ぎない?」


オレの不義理を咎めたホタルはワゴンの酒と肴をこれ以上ないほど綺麗かつ秩序立ててテーブルの上に並べ、椅子を引いて着座を促す。


「体調は戻ったのか?」


席を移ったオレが訊くとホタルは頷いた。


「私は火隠の上忍、いつまでも寝込んでるほどヤワじゃないわ。……ウソね。ショックを受けたし、今でも心はザワついてる。でも負けないわ。私がへこたれたら、カナタが傷付くんだもの!」


「無理しなくていい。オレの顔を見るのが辛いなら…」


ホタルは両手で目を伏せたオレの顔を挟んで上を向かせ、じっと見つめてくる。


「天掛カナタは牙門アギトじゃない。顔は似てても、人格は似ても似つかないわ。自分の弱さも許せないけれど、何よりも許せないのは、大切な友達があんな男のせいで目を伏せる事よ。」


「………」


「顔を上げて胸を張って。カナタには何の瑕疵もない。いつものようにおどけてみせてよ。」 (でしゅ!)


ホタルの胸ポケットから顔を出したハクがチロチロと舌を出し入れしながら、オレの顔を見上げてくる。


「フフッ、ハクがメッセンジャーを務めたのか。マスターに頼まれたのかい?」


(サラミをもらいにここに来たら、店の紙マッチを渡されたのでしゅ!キャンドルライトに火を灯したから、ホタルしゃんに渡して欲しいんだとわかったのでしゅ!)


ポケットの中に潜ったハクは、赤く輝く二つの目がプリントされた紙マッチを咥えて顔を出した。それでホタルはオレの居る場所がわかったのか。


……あのマスター、何が何でも言葉以外で意図を伝えようとしやがるな。火が灯ったから、灯火ホタル。それを理解するハクも恐ろしいほど気が回るが……


「ホタル、今夜は師弟の語らいだったのだぞ。……強くなったな。」


ピーナッツベーコンを平らげたシグレさんもテーブル席に移動してきた。


「私だってシグレさんの弟子みたいなものです。いえ、"みたいなもの"ではないですね。私の"人生の師"なんですから。」


「剣はともかく、他は見習わない方がいい。私は掃除、洗濯、料理に裁縫、何一つ満足に出来ない家事音痴ときたものだ。それらを全部出来るホタルこそ、私の"家事の師"だな。」


「家事の弟子、ですか。……あまり上達しているようには見えないのですが……」


ホタルさん、それは言わないであげて。"味はわかるが料理は出来ない"、それが我が師、壬生シグレなんだから。


「フフッ、私は不肖の弟子だな。そんな家事音痴の友を心配しているのだろう。マリカがな、"先の話なンだけどね、シグレもアタイらと暮らさないか?"などと言うものだから…」


「マリカ様がそんな事を!あ、後でたっぷりご意見を差し上げないと……」


わなわなと拳を震わせるホタル。元気になったのはいいけど、その拳がオレに向かってこないだろうな?


「そこらを詳しく問い質そうと、愛弟子を連れてこの店へ来た訳だ。カナタ、マリカとその、なんだ……になったのは聞いている。だが三人娘を諦めた訳ではあるまい?」


キッと睨まれたオレは、当たり前だが萎縮する。


「…え、え~と…その~……なんと言いますか……」


「答えずともその顔でわかった。ホタル、手のかかる方の弟子は、結構な額の贅沢税を払うつもりらしいぞ。」


手のかからない方の弟子、つまりホタルはため息をついた。


「カナタの優柔不断は本当にどうしようもないわね。友達なんだけど、"女の敵"だわ。」


「ハハハッ、確かに女の敵だな。カナタ、こんな"家事壊滅の女武道"を嫁にもらってやろうなんて物好きは現れまい。物は相談だが……贅沢税をもう少し払う気はないか?」


そ、それってシグレさんも嫁に……さすがにそんな不埒なコトは考えすらしなかったぞ!しかし着想を得てしまった以上、納豆菌を働かさねばなるまい!


「……アブミさんとヒサメさん、コトネにタコ焼き女の四人掛かりか……やれなくはないかも……いや、大師匠がいるんだ。さすがにそれは……でも戦略次第で……」


考えろ、考えるんだ。おまえは金田一耕助…もとい、八熾羚厳の孫だろ?


「なに本気で考え込んでるの!言っておきますけど、私とシュリも加勢するからね!」


「部隊長+中隊長×6は無理ゲー過ぎだろ!」


「私やシュリの寛容さにも限度があるわよ!このハレンチ!ふしだら!女たらし!ハクもそう思うでしょ?」


(畜生のボクが言うのもなんでしゅが、カナタしゃんは"畜生以下"でしゅね。)


肩を竦めようにも肩がないハクは、代わりに小首を傾げてみせた。


「ハク、自分のコトを畜生なんて卑下するな。おまえは高等生物だ。」


(ツッコミどころはそこでしゅか。カナタしゃんらしいでしゅね。)


「……コホン。盛り上がりに水を差すようで悪いが……流石に今のは"冗談"だぞ?」


ラセン流のしれっと顔で師はのたまい、オレとホタルは椅子から綺麗にずり落ちた。


「師匠!!」 「シグレさん!!」


二人の弟子に左右から詰め寄られた師は苦笑いし、卓上の子蛇に助けを求めた。


「ハク、弁護を頼む。」


(わかりまちた。お二人とも、一皮むけて大人になった方がいいでしゅよ? ボクが脱皮のやり方を教えましゅ。)


子蛇に"大人になれ"と諭されたオレとホタルは閉口した。糾弾者を黙らせるという意味では、立派な弁護だな。



しっかしシグレさんがこんな冗談を言うとはね。ドギマギしちゃったオレがバカみたいじゃん。……まあ、バカなんですけどね。


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