宿敵編44話 狼は宿痾に立ち向かう



サロンの書斎でリリスが用意してくれた同盟時代のアギトの戦闘、戦術記録に目を通す。読み込みを終えたオレはシガレットチョコを咥えて納豆菌に糖分を補給しながら考えを巡らせた。


まず、ヤツが本物なのか偽物なのかだが……十中八九、本物だ。


自己判断による単独作戦を遂行した氷狼は、兵団の張った罠に掛かって戦死した。しかし、遺体が同盟に返還された訳ではない。共に戦死した部下と一緒に映った遺体の写真は公開されたが、死んだふりなど誰でも出来る。同盟が"アギトは死んだ"と判断したのは、あの自己顕示欲の塊が、作戦失敗以降は表舞台に姿を現さなかったからだ。


セツナは剣聖と守護神、戦鬼や鉄拳の抜けた穴を補うべく、秘匿していた特殊部隊"真夜中の騎士団ミッドナイト・ナイツ"を兵団に加えた。真夜中の騎士団のリーダーは、照京で取り逃がした黒騎士。セツナに捕らえられたアギトは真夜中の騎士団にいたのではないか?


勝手な作戦を遂行した上に、敗北必至となったアギトは兵団に投降し、真夜中の騎士団に配属された。この推測が当たっている前提でさらに考えを進めよう。


まず第一の疑問点、"なぜアギトだけは兵団入りを許されなかったか?"だ。アギトと同じく、冷酷、残忍で完全適合者の"黒騎士"ボーグナインは、兵団に編入されて表舞台に出てきたというのに……


おそらく……アギトを日陰から出さなかった理由は、忠誠心の有無だろう。黒騎士は自分の意志でセツナの元にやって来た人間だが、アギトは従属か死を選ばなければならない状況に追い込まれたから、やむなく従属を選んだだけだ。当然、忠誠心など持ち合わせちゃいない。隙を見せれば、下克上を狙ってくるだろう。だから表に出せなかった。頭に爆弾でも仕込んで少数の部下を与え、汚れ仕事にでも従事させるしかない。要するに、腕の立つ捨て駒だ。


ところが表舞台に出てきたアギトは大佐に昇進しただけではなく、連隊級の軍団まで与えられた。この厚遇、機構軍内でなんらかの力学が働いたに違いない。


……会見場にはネヴィルとロンダル閥の重鎮達が同席していた。これはアギトの飼い主がセツナからネヴィルに変わったコトを意味する。アギトは自分の体に仕掛けられた保険の解除に成功し、ネヴィルに己を売り込んだ。もしくは、保険の解除もネヴィルに頼み込んだかのどちらかだろう。


そして、ネヴィルの側にもアギトを欲する事情があった。左遷されたサイラスの復活だ。ネヴィルはザインジャルガで敗北したサイラスを見限り、搾取の対象としたが、サイラスはへこたれなかった。巨額の身代金を支払いながら南エイジアで劇的な戦果を上げ、"智将サイラス、ここにあり"と見せつけたのだ。復活したサイラスは薔薇十字と手を結び、ロンダル閥に対抗し始めた。


ネヴィルは飼い犬に手を噛まれた気分だろうが、サイラスからすれば当たり前だ。これまで散々、ロンダル閥に貢献してきたのに一度の失敗で手のひらを返され、金を毟られたんだから。


トガが南エイジアで溜め込んでいた資金で、身代金という名の賠償金を支払い終えたサイラスの株は急上昇。もともとロンダル島北部の出身地、ノルド地方では評判のいい男だけに、ネヴィルにとっては島の分断危機が到来した訳だ。アリングハム家の系譜を辿れば、200年ほど前に滅びたノルド王朝に繋がる。ネヴィルの本性を知ったアリングハム公サイラスは、ノルド人の王国を復活させようとしているのかもしれない……


まあサイラスの思惑はさておき、ネヴィルは虚弱だが著名な戦術家を失ったどころか、その戦術家を油断ならない勢力としてロンダル島の北部に抱え込むコトになった訳だ。爵位は高いが能力は低いマッキンタイアはあてにならないし、攻撃的なロードリック候ロドニーは守りや牽制には向かない。政戦ともに手堅いオルグレン伯がノルド地方に睨みを利かすしかないだろう。ここぞという時の切り札だった完全適合者"処刑人"を失っているコトも、元帥閣下を不安にさせたに違いない。


こんな状況に直面したネヴィルは、"遠征に使える強くて戦術力が高い指揮官"が欲しくてたまらないはずだ。そこに、サイラスに比肩する戦術力と、サイラスを遙かに超える戦闘能力を持った男が現れたら……


背景は見えたな。兵団とロンダル閥は(今のところは)蜜月だ、ネヴィルの要請を受けたセツナは高値でアギトを売った。厄介払いのついでに大金が得られるのだから、そう悪い話でもない。断ればネヴィルの不興を買い、ガルム閥への対抗が難しくなる。セツナがネヴィルと手を切るのは、ガルム閥がさらに弱体化してからのはずだ。それにアギトには…


「……思わぬところで付加価値までついちまったしな。」


「付加価値って?」


追加の資料と珈琲を持ってきてくれたリリスに訊かれたので、推測した背景から話した。話を聞き終えたリリスは、さもありなんと頷いてみせる。


「多少の差異はあるでしょうけれど、概ねそんなところじゃない? 社会ってのは"需要と供給"で動いてるんだから。そして供給される商品には、付加価値が付けばなおいい。少尉、アギトの付加価値ってなに?」


「八熾羚厳の実子ってコトだ。リリス、オレが王弟殿下にされたのはなぜだ?」


「……あっ!!そっか、アギトも!」


「そう、ヤツも御門の血を引いているのさ。賭けてもいいが、今頃ネヴィルは先帝の遺勅を絶賛捏造中だぜ。どのタイミングで出してくるかはわからんが、"先帝ガリュウは、帝位を娘ではなくアギトに禅譲する遺勅を残されていた。よって、龍ノ島の正統な王は牙門アギトである!"とでも言い出すだろうよ。」


「ガリュウを処刑したのは機構軍じゃない。よくそんな事が言えるわね。」


呆れ気味のリリスだったが、ネヴィルならやりそうだとも思ったようだ。


「先帝を処刑したのは帝国軍ガルムで、王国軍ロンダルじゃない。ネヴィルの理屈じゃそうなってる。同じ組織に属する連帯責任なんざ、知ったコトじゃないのさ。」


「ははぁん、それでアギトに大佐の階級と1個連隊をくれてやったのね。傀儡かいらいとはいえ王座につけるつもりの男が無位無官じゃカッコがつかないもの。」


リリスは世界一謀略に通じた12才だな。16になったらお嫁に来てね?


「そういうこった。氷狼アギト界雷ネヴィルの思惑は、今んとこ一致してる。」


「王座につくまではそうでしょうね。"界雷かいらい"ネヴィルはアギトを傀儡に仕立てて龍ノ島の支配を目論んでいるけれど、アギトは傀儡なんて真っ平御免。いずれ仲違いが見えてるわね。」


「見えてはいても、違えはしねえよ。アギトとネヴィルはイチャイチャしながら良好な関係のまま終わる。めでたしめでたしだな。」


オレも悪い顔をしてるに違いないが、リリスの顔はガチ悪魔だった。


「フフッ、そうね。仲違いが起きるのは"王座を得てから"だもの。そんな日は永遠に来ない、だって少尉がいるんだから。アギトなんてどクズは、"頼むから殺してくれ"って懇願するまで痛めつけてから、殺すべきよ。」


「ラビアンローズデパートのテロ事件の後、シオンと約束した。"どんなクズでも嬲り殺しにはしない"って。」


シオンとの約束もあるが、アギトは親父の異母兄……爺ちゃんのもう一人の息子だ。祖父からすれば、息子を孫が嬲り殺しにする光景など、いたたまれないを通り越して地獄だろう。


……血族相剋って時点でもう地獄なのかもしれないが……


「あらそう。楽に死ねるなんてアギトはラッキーね。やらかした事は万死に値するのに、一度死ぬだけでいいんだし。」


「まったくだな。天羽の爺様が、"お館様やお仲間に危険がない状況であれば、アギト様のお命だけは助けて頂けませぬか……"なんて言ってきたよ。ならん、と断ったがな。」


我が子を殺されてもなお、アギトの助命を願い出るとは不憫な……


爺様はそこまで思い詰めるほど、アギトに責任を感じているのだろう。自分が主君と母子の縁を絶たなければ、こんなコトにはならなかったと……


「雅衛門爺には悪いけど、"助命など一切考慮しない"が正しい選択よ。アギトは真っ向勝負でシグレに勝ってるんだから。」


シグレさんの目の下に付いた三日月傷は、アギトとの決闘の名残だ。爺様の息子を惨殺し、ホタルに恥辱を味合わせ、義憤に駆られた師にまで生死を彷徨う重傷を負わせた。どう考えても生かしておけない。


「司令はアギトを"兵士としては最高の部類で、人間としては最低の部類"と評したが、その通りの男だ。強さだけなら超一流だろうよ。」


継承者だった爺ちゃんに次ぐ使い手だった牙門シノから仕込まれた夢幻一刀流も脅威だが、アギトは兵法にも長けている。アレンジの仕方はオレとは違うが、ヤツの戦術のベースは八熾の兵法だ。戦術記録は嘘をつかない。


「部隊長でもアギトに勝てるのは四天王だけなんじゃない?……それだって"確実に"とは言えないかもしんないけど……」


「そこらは円卓会議で協議する。1対1に拘る必要はないしな。」


先輩方は気を悪くするかもしれないが、尋常に勝負出来るのは完全適合者だけだ。オレがいれば相手をするが、ヤツも同タイプのオレの危険性は熟知している。オレも含めたアスラの完全適合者には、絶対に真っ向勝負は仕掛けてこないはずだ。



……愛する祖父の残した叔父を殺す為に知恵を凝らす、か。歪んだ世界が溜め込んだ※宿痾しゅくあが迫ってきたな。


※宿痾とは

慢性的な病気、長患い。


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