宿敵編40話 元帥夫妻はワルツを踊る



※今回のエピソードはアレクシス・ザラゾフ視点です


「せりゃあ!」


公爵が一呼吸で繰り出した正中線三連擊を夫は岩塊を纏った腕でブロックし、反撃に転じる。


「そうきおったか!どりゃあ!フンッ!」


長く太い足で放つ変位2段蹴りは公爵の残像を蹴り砕いたが、もちろん本体は無傷だ。夫はルシアの近代格闘術、コントラターカを極めているのに、影しか踏ませないとは……


二人の英雄は互角の殴り合いを演じ、どちらも引かない。公爵の放った念真重力破の余波が建屋に届きそうになったので、息子が庭石でブロックする。衝撃で表面を削がれた巨石を見やる息子の顔に、一瞬の翳りが窺えた。


……口惜しいのですね、アレックス。あなたもあんな戦いをルスランと演じたいのでしょう。"烈震"アレックスもまた、暴勇の血を誇りとするザラゾフ家の獅子なのですから。


「激闘ですわね、お義母様。……アレックスの事は私にお任せくださいな。」


孫娘を抱えたニーナは戦いよりもアレックスの傷心が気になっているみたいね。息子も本当にいい妻を娶った事。アントニーナ・ザラゾフを家族に持てた事は、実に僥倖でしたわ。


「ええ。ニーナは一般家庭に育った割りに、闘争に物怖じしないのね。」


「結婚前に働いていた食堂でも、喧嘩はよくありましたから。」


……大衆食堂の喧嘩沙汰と、最強兵士の決闘を一緒にしてしまうのが、ニーナのニーナたる由縁ね。このコのこういうところは大切にしてあげたいけれど、このままでは家の安泰は計れません。私の信念は"無理に苦手を克服させて良さを削ぐのではなく、苦手を補う者に補佐させる"です。ニーナの短所を補うのは……


「コブ!キャハハ、コブ♪」


目を覚ましたサンドラが、ニーナの傍らに立つ京司郎を指差して笑った。


「お目覚めですね、お嬢様。はい、コブはここにいますよ。」


サンドラのおしめを替え、ミルクを飲ませる度に"僕は昆布坂こぶさか京司郎、お嬢様の執事になる男ですよ"と馬鹿丁寧に名乗っていたせいか、サンドラは息子夫妻の名を覚える前に、京司郎の名前を覚えてしまった。もちろん、自分が一番に名を呼ばれると思っていた夫と息子には、大層凄まれた。災害と烈震に睨み殺されそうになった京司郎の顔は、傑作でしたわね。


我が家の小さな暴君に"コブ"と命名されてしまった京司郎、家中の者もサンドラに倣い、今ではすっかり略した呼び名が定着している。京司郎と呼んでいるのは私とルスラン、それに息子夫婦ぐらいですわね。


「京司郎、サンドラではなく戦いを見なさい。」


「はい、奥様!」


豪腕を振るう夫は、年を経るごとにいい男になってゆく。私も"人間災害の妻"として、夫の比類なき武に恥じぬ振る舞いを心掛けなければ。都に向かうヘリの中で、あなたは私にこう仰ったわね。


"アレクシスよ、ワシは剣狼と戦ってみようと思う。おまえは獅子と狼の勝負を京司郎に見せるのだ"


……ルスラン……あなたはついに"誰かの為の戦い"に目覚めたのですね。そう、それがあなたに唯一欠けていたものなのよ。あなたは翼を持った獅子、百獣の王は縄張りを守る為に戦う。でもそれは"そこに家族がいるから"なの。


「ルスラン!同盟元帥ともあろうものが、若僧相手にいつまで手こずっているのです!極寒の地より現れた魔王の力を見せてやりなさい!」


私を攫いに来たあの日から、私はあなたのファンなのです!はしたなかろうが、大声を上げて応援しますわよ!


「フハハハハハハッ!だそうだぞ、剣狼!覚悟せい!」


夫の拳を十字受けした公爵は芝を削りながら後退する。そこに帝の檄が飛んだ。


「カナタさん、八熾の天狼は龍ノ島最強の勇士なのです!極寒の地より出でし魔王とて、何ほどの事がありましょう!さあ、全てを噛み砕く狼の牙を見せておあげなさい!」


厳しいお姉さんですわね。公爵の相手は"戦場の伝説を体現する闘士"だというのに。油断はなさらないでルスラン。公爵の目の輝きが強まりましたわよ。


「魔王上等、冥王結構。オレの牙は……神をも砕く!!」


……顔の前で交差した腕が解かれると、対になった雌雄の勾玉は、一つの至玉に昇華していた。この神々しいまでの威圧感、これが剣狼カナタの本気なのね!


「神をも砕くとは吠えたな、狼よ。その意気に応えて、有翼獅子の渾身を見せてやろう!」


災害の名に相応しく、夫の周囲の芝は根付く大地ごと宙に浮き上がる。


「災害ザラゾフは戦場の伝説。……伝説は終わらない、新たな伝説を生み出す為に永遠に続け!」


魔王の本気を見ても怯まぬ狼は、黄金の念真障壁を纏って力強く駆け出した。


伝説は新たな伝説を生む。生ける伝説となった男に、伝説にならんとする男が挑む構図。なんとそそられる戦いでしょう、魂が震えますわ!


「ぬおおおおぉぉぉぉぉ!!」 「うらああぁぁぁぁぁ!!」


交差する二つの拳。打ち下ろす夫の拳は公爵の横っ面を捉え、打ち上げる公爵の拳は夫の顎を捉えた。真横に弾かれた公爵はたたらを踏みながら態勢を立て直し、後ろに弾かれた夫も口の端から流れる血を拭って拳を構える。……両雄の渾身攻撃は、相打ちですわね。


「そこまで!ザラゾフ元帥、カナタさん、素晴らしい戦いでした!」


龍紋入りの扇子を広げた帝は席を立ち、祝福の舞を舞った。あらん限りの礼節を以て、新旧二人の英雄を称えたいのだろう。やはり、御門命龍は"王の器"を持っておられますわね。


四方の建屋から干天の慈雨のように、暖かい拍手が降り注ぐ。この戦いを見届けた全ての者の魂は震え、共振したはずだ。公爵を母の仇と恨む、昆布坂京司郎の凍て付いた心もきっと……


「やはり闘争は良いものだ!アレクシス、ワシの豪腕を見ただろう!」


戦い終えた夫を迎えるのは私の役目。こればかりは誰にも譲るつもりはない。日傘を畳んでタオルを持ち、夫の血と汗を拭いましょう。


「はい。あなたは衰えを知りませんわね。それでこそ我が良人です。」


度が過ぎるほど豪を尊び、勇を好む。困った人なのだけれど、それでいい。私はあなたに魔王のままでいて欲しいの。


「生涯豪勇、それがワシのモットーだ。京司郎、ワシについてこい。」


「はい、閣下!」


腕力で、有り余る武で生き様を示す。私は時間をかけて悟らせるつもりでしたが、今回は夫の流儀に任せましょう。私は京司郎を子供扱いしていたけれど、夫は一人の男として扱おうとしている。このコの賢さではなく、その心意気を重んじているのね。


───────────────────


「口の中を切っておるゆえ、酒が染みるわい。だが実に旨い、勝利の美酒とならなかったのは残念だがな。」


客間に移動した夫は用意されていた地酒を満喫している。


「ルスラン、私のお酌で飲むお酒は格別でしょう?」


「うむ。おまえの酌は良い酒の持つ深みを、さらに深めおる。」


そうでしょうとも。当たり前の事を言っても何も出ませんからね?


「賄い所に行って、閣下好みの肴をもらってきますね!」


気を利かせた京司郎を夫は呼び止めた。


「後でよい。……京司郎、ワシと剣狼の戦いを見て、何か思うところがあったのではないか?」


笑顔から一転、真剣な顔になった夫の目を京司郎は真っ直ぐに見つめる。


「はい。……色々と思うところがありました。」


「言うてみい。」


「閣下、男に二言はあってもよろしいでしょうか!」


「時と場合による。"真の過ちとは、過ちを知りて改めぬもの也"と帝も述べておったからな。」


出典は存じ上げませんが、よい言葉ですわね。過ちを改めぬ事こそ真の過ち、まさに真理ですわ。


「では過ちを改めさせてくださいっ!昆布坂京司郎の仇は天掛彼方ではありませんでした!」


「では聞こう。誰がおまえの仇なのだ?」


「僕です!昆布坂京司郎は、弱かった自分自身を憎んでいたんです!誰も死なせずに世界を変えられるなら天掛公爵だってそうなさっていました。ですが現実はそんな甘いものではありませんし、誰かが犠牲になるから何もしなくていいとはなりません。閣下だって、アレックス様だって、流血を覚悟で戦っておられます!剣狼カナタも同じ事なのです!」


「よくぞ悟った。剣狼はワシらに比べれば、流れる血を抑えようと努力しておる方だ。」


「はいっ!」


「己を知り、過ちを知りて、これを改める。好き勝手に生きてきたワシが言うのもなんだが、それは人にとって大切な事なのだろう。京司郎よ、有翼獅子を仰ぐ者として、見事に過ちを改めてみせい!」


「ハッ!僕はこれから公爵に仇と恨んだ事を詫び、許しを乞うつもりですっ!これよりは、失った過去ではなくザラゾフ家の未来、サンドラお嬢様をお支えする所存でありますっ!」


「うむ!よう吠えた。本日この場より、おまえをサンドラ付きの執事に任命する!……特に算盤勘定を頼むぞ。肉親の勘が孫の気性を告げてきおる。アレは絶対、ザラゾフの血が濃いからな。」


でしょうねえ。あのちっちゃな暴君ぶりは間違いなくザラゾフの血です。


「はいっ!しかと拝命致しました!」


屋敷にいる間に出納係を命じましたから、これで執事兼出納係ですわね。我が家の要職を務める者が非礼を詫びるというのならば、相応しい舞台が必要でしょう。


「京司郎、非礼を謝する舞台は私が用意しましょう。あなた、それでよろしいかしら?」


「うむ。万事、おまえに任せる。コブの一件は遺恨というより逆恨みだからな、それなりの筋を通すべきであろうよ。」  


あなたの大雑把で些事を嫌う性格は、よい言い方をすれば適材委任ですわね。


「僕のような若輩者に過分なお心遣い、ありがとうございます!」


「あなたは家族も同然です、気にする必要はありません。京司郎、賄い所に行って料理、特に…」


「お肉、それに愛飲されているウォッカも御入り用でしょう。心得ております。」


本当に目端が利く子ね。あなたはザラゾフに欠けた力を補う子、期待していますよ?


客間を出た京司郎の背中を満足げに見送った夫は、冷蔵型キャビネットのお酒を取ろうと立ち上がった。私とした事が、夫の飲酒ピッチの早さを失念していたわね。


「お酒など私が取りますから、あなたは座っていらして。」


「妻にメイドのような真似をさせられるか。ワシの沽券に関わるわ。」


ふふっ、あなたは妙なところで紳士ですわね。昔からちっとも変わらない。……え!?


「ルスラン!あなたが膝を…」


キャビネットに向かう夫は、豪奢なカーペットに片膝を着いていた。公爵が怪物なのはわかっていたけれど、人外の超人にここまでダメージを負わせるなんて……


「……膝が笑うたのは人生で初めてだな。」


ザラゾフ家の人間であっても、兵士ではない私は夫の虚勢に気付かなかった。膝を屈するぐらいならば死を選ぶ男に片膝を着かせるとは……


「ふふっ。膝を着かれたのは二度目ですわね、あなた。」


「二度目だと?」


「もうお忘れかしら。お父様に認められたあなたが、私に求婚された時ですわ。」


最初に"災害"ザラゾフに膝を着かせたのは勇士でも怪物でもない。魔王を愛してしまった、この私だ。


「……そうであったな。アレクシス、ちとあの頃に戻ってみるか。」


夫はサイコキネシスで卓上の花瓶から白い薔薇を引き寄せ、あの時のように私に捧げてくれた。グローブのような逞しい手から可憐な花を受け取った私はかんざし代わりに髪に止め、片膝を着いた夫の手を握る。


「おまえは年を重ねる度に美しくなる。明日のおまえは、きっと今日のおまえよりも美しいだろう。」


私の夫は世辞など言わない。心からそう思っているのだ。


「あなたは年を重ねる度に逞しくなります。明日のあなたは、きっと今日よりも強いのでしょう。」


夫の手を握ったまま、二人でワルツを踊る。世に舞踏は数あれど、夫はこれしか踊れない。でも、そんな不器用さも愛おしい。



ああ、人生ってなんて素晴らしいのかしら。お父様、お母様、私をこの世に生み出してくださって、本当にありがとう……


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る