宿敵編39話 人を極めし者



今回のエピソードは俯瞰視点と"災害"ザラゾフ視点の混合です


かかってこいとばかりにドッシリと腰を落として構える若武者、いつものザラゾフなら、"何を小癪な"とばかりに振動攻撃の一つも食らわせていただろう。しかし、半世紀近くの闘争歴を誇る闘士はまだ動かない。彼が一目置いている同盟軍元剣術指南役、"達人マスター"トキサダでさえ、ここまで威圧と静謐を兼ね備えた構えは見せなかった。そう、達人にはない凄まじい威圧感を、剣を牙とする狼は発していたのだ。


……軟弱どもの計画を追認してやった甲斐はあったようだな。この男を呼び込めるのなら、金などいくら積んでもよい。


とかく忘れっぽいと評判の元帥閣下も、"八熾の天狼"と呼ばれた男の姿は克明に覚えていた。甦った狼が今、自分の眼前に立っているのだ。血が滾らない訳がない。


……そうか。ワシがシジマの計画に乗ったのは、もしかしたら"あの天狼にもう一度会える"と期待していたのかもしれんな。だとすればあのモヤシ男は上手くやった訳だ。八熾羚厳の血と意志を受け継いだ男は、天掛カナタに相違ないのだから……


思えば羚厳も、どこか間の抜けた顔をしておったな。若き狼を前にした災害ザラゾフは、暫し追想に耽った。


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ルスラーノヴィチ・ザラゾフは、物心がつく頃には自分が"天性の強者"である事を知っていた。後に開発されたバイオメタルユニットがその超人性に拍車をかけ、機構軍将兵を震え上がらせる"人間災害"たらしめるのであるが、生身であろうが彼は強かったのだ。


ザラゾフ家は貴族とは名ばかりの没落した家で、両親も早くに他界していた。天涯孤独のザラゾフ少年だったが、生活に困窮してはいなかった。13になったばかりのザラゾフ少年、しかしその身の丈は180センチを優に越え、恵まれた体躯に備わる筋量も人並み外れていた。さらには高い念真力と重力操作能力、挙げ句にサイコキネシスまで持ち合わせていたのである。早い話が、"暴力を金に換える"のは簡単だったのだ。


ザラゾフが好んで狙ったのは、供を連れて歓楽街で遊興にふける金持ち貴族だった。彼らが違法な賭場なり娼館から出て来たところに喧嘩をふっかけ、護衛を叩きのめして主から金品をせしめる。御法に触れる場所から出て来た訳だから、貴族としては事を表沙汰にはしたくない。


"叩きのめされたのは下僕で、自分が痛めつけられた訳ではない。このガキだって、もっと強い護衛を雇えと言っているだけだ"


そんな逃げ道を作ってやれば、貴族は"レクチャー料"として彼らにとっては小金、ザラゾフにとっては腹一杯食って余る金、を素直に出した。そうこうするうちに違法娼館がザラゾフに目を付け、"筋悪の客を教育して欲しい"と依頼してくるようになった。世界最年少の用心棒となったザラゾフは、こうして活計たつきを得ていたのである。


その日もいつもと同じだった。筋は悪いが家柄の良い客の護衛を叩きのめし、"ここらは治安が悪い。貴族だったらもっと品のいい場所で遊べ"と脅し上げたザラゾフは、娼館から得た報酬を懐に入れて意気揚々と夕刻の色街を闊歩していた。そのままねぐらへ帰っていれば、何事も起きなかっただろう。しかし、小腹を空かせた少年がラーメンを食べに屋台に寄った事で獅子と狼は出会った。


この日は筋悪貴族の品評会でも催されていたのか、暖簾を背にしたザラゾフの背後で騒動が起こった。何が原因かは知らないが、店から叩き出された酌婦が、金のかかった身なりの子弟にさらに痛めつけられようとしている。少年ながら札付きの悪漢だったザラゾフだったが、奇妙な正義感を持ち合わせていた。当然、黙って見ていたりはしない。


「親父、金はここに置いておく。釣りはいらん。」


店主は手垢に塗れた紙幣を見て首を振った。


「店の奢りだ、獅子坊主。あいつらに下々を舐めたら酷い目に遭うって教えてやってくれ。」


獅子坊主、それがこの頃のザラゾフの渾名だった。有翼獅子を家紋に持つザラゾフに相応しい呼び名とは言える。最初は"暴力坊や"と呼ばれていたのだが、その爪牙の凄まじさから、"獅子坊主"に格上げされたのだ。


「俺も一応、貴族なんだがな。」


暖簾を弾いて路上に立ったザラゾフは、酌婦を足蹴にしようとした貴族の足をへし折り、慌てて駆け付けた護衛も全て叩き伏せた。そして逃げようとした連れの貴族の襟首を掴み、その細腕を砕こうとした時に邪魔が入る。


わっぱ、そこまでにしておけ。」


制止してきたエイジア人らしき男は供を連れており、身なりからして貴族のようだった。襟首を掴んだ貴族は白人、コイツは仲間ではなさそうだ、とザラゾフは思ったが、一応尋ねてみた。


「おまえも仲間か?」


「フフッ、酌婦に乱暴する輩と一緒にされたくないものだな。」


男は悪漢を震え上がらせる獅子の眼光を前にしても、涼しげな顔のままだった。


「ではなぜ止める。他人事なら放っておけ。」


「そうもいかん、この下手くそめ。」


「下手だと?」


この上なく手際よく貴族と護衛を叩き伏せたザラゾフには、下手の意味がわからなかった。


「それ、そこで呻いている貴族よ。足を折るのはいいが、開放骨折はやり過ぎだ。骨身に染みさせるにせよ、閉鎖骨折で十分だろう。」


「首の骨を折られたくなければ、すっこんでろ。」


掴んだ襟首をポイと投げ捨て、ザラゾフはポキポキと指を鳴らした。男の後ろに控えていた供が前に出ようとしたが、主が手で制する。


「雅衛門、下がっておれ。」


「しかし若、此奴は並の小僧ではありませんぞ。」


「面白いではないか。童よ、俺は八熾羚厳。おまえの名はなんと言う?」


どこかで見た顔だと思ったが、コイツが"八熾の天狼"羚厳か!音に聞こえた剣の使い手と噂だが…


ザラゾフは身構えながら名乗りを上げた。


「ルスラーノヴィチ・ザラゾフだ。」


「良い名だ。ザラゾフ?……確か世界貴族名鑑で見たような気もするな。」


「古いのには載っているだろう。いい御身分なら、名鑑ぐらい毎年買え。」


年に一度発行される貴族名鑑からザラゾフ家の名が省かれて久しい。失った名声など、ザラゾフは歯牙にもかけていなかったのだが……


「犬や豚なら血統書も大事だが、人間相手に意味があるか?」


「漬物石の代わりにはなる。お国の名物なんだろう?」


軽口を叩いたザラゾフだったが、この狼が今まで叩き伏せてきた有象無象とは訳が違う事を肌で感じていた。


「腕っぷしもなかなかだが、冗談のセンスもあるな。童、暫し待て。」


名を聞いておいて童呼ばわりするかとザラゾフは頭にきたが、狼の目に殺意を感じ、踏み出そうとした足が止まる。直後に屋上から突き落とされた狙撃兵が、悲鳴を上げながら地面とディープキスした。


「狙撃兵だと!?」


「俺を狙っていたのさ。少し見物していろ。先に不埒者を成敗するからな!」


どこからともなく現れた忍者スタイルの刺客達を、羚厳は不敵な笑みを浮かべながら迎え撃つ。照京一の剣の使い手と謳われるその剣腕は、闘争の天才ザラゾフをも唸らせた。しかし、同時に疑問も抱かせる。


瞬く間に刺客を斃してのけた東洋の剣客に、暴勇の子は問うてみた。


「わからんな。それだけの腕前がありながら、なぜ王にならん。力こそ正義、それが世の理だろうが。」


王家に次ぐ家格を持つ御三家の当主で満足しているのだろうか? だとすれば覇気のない事だと、ザラゾフは思った。俺がこの男の立場であれば、我こそが龍ノ島の頂点であると名乗りを上げていただろう。


「……童よ、強さの果てに何を望む?」


狼の言葉は獅子を戸惑わせた。


「そんな事は頂点に立ってから考えればよい事だ。俺は他人に見下ろされるのが我慢ならん。」


「唯一至尊の座に就くという事は、並び立つ者が誰もいなくなるという事だ。孤独な王など俺は御免だね。」


「……確かに俺には対等な敵も、心を許せる友もいない。だが、それが絶対強者の宿命だろう。」


「人外の子よ、世界は広いのだ。いつか必ず、おまえと対等に戦える者が現れる。その時に強さしか持たぬのならば、きっと敗れて死ぬだろう。なんなら今、試してみるか?」


ザラゾフは挑んできた者から逃げた事はない。天翔る狼の威圧に有翼獅子は臆さなかったが、なぜだか戦う気にはなれなかった。なにか、言葉では言えない大事なものを失いそうな予感がしたからだ。


「……臆した訳じゃない。だが殺し合いはまたの機会にしておく。」


「そうか。ルスラーノヴィチ・ザラゾフ……強さを渇望する獅子の名は覚えておこう。さらばだ。」


背を向けた男の軍服には、二つの勾玉が織り成す巴の紋が刺繍されていた。


羚厳と会った翌日、ザラゾフはねぐらを引き払って旅立った。絶対強者の自信が揺らぐのを感じたザラゾフは二年もの間、極寒の地で研鑽に励む事になる。


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「こいよ、お爺ちゃん。様子見なんてらしくないぜ?」


生意気にも、手招きなどしよるか。過去など振り返っておる場合ではなかったな。闘争こそ我が生涯、何人たりともワシの生き様に文句は言わせん!


「行かいでか!尻の青い若僧めが!」


速さに勝るのはわかっておったが、本当に速いな。ギリギリまで引き付けて拳を躱し、腕を取っての投げと見せかけながら懐に潜り込んできおった!此奴は常に小細工を弄してきおる!


「せいっ!」


寸分違わぬ箇所に、拳と肘を同時に当ておったか!……この衝撃、純粋打撃と内気功を合わせて威力を倍加させる技と見た!大した威力だが、相手が悪かったな。とりあえず、お返しの一発を入れておこうか!


「フンッ!」


大技の後に出来た隙を狙って拳打を命中させたが、ショルダーブロックでダメージを殺したか。古武術を使うかと思えば、次は近代ボクシングの技術。アスラのゴロツキどもは惜しげもなくこの怪物に、己の技を仕込んだようだな。


「透破重肘を食らってんのに踏み堪えて反撃してくるとは恐れ入ったぜ。」


「抜かせ。反撃されるのも予想の範疇だろうが。」


素手ではなく斧槍を持って戦ってみても面白かったかもしれんな。格闘勝負は重ければ有利、ほぼ全ての格闘技が重量による階級制なのは、重さ=強さだからだ。速さで劣る以上、此奴相手には"相打ち上等"で戦わねばなるまい!


「遠慮せずに打ってこい!ワシが同盟軍元帥、ルスラーノヴィチ・ザラゾフである!」


「言われずとも遠慮なんかしねえって!」


数十合、殴り合ったがまるで倒れる気配がないな。ワシも頑丈だが、此奴も頑丈だ。力に対し技で応じたかと思えば、速さで切り抜けもする。かと思えば忘れた頃に力で張り合ってきおるし、油断も隙もない奴め。それに重力磁場での戦いにも、驚くほど早く適応して見せたな。


蹴りの応酬で距離が離れたし、一息つこうか。


「誕生日を医療ポッドで過ごさせてやろうと思っておったが、なかなか上手くいかんな。」


「……そう言えばオレの誕生日って明日だっけか。」


賢い癖にアホだな、此奴は。かく言うワシもアレクシスに教えてもらっただけなのだが……知ったかぶりをしておくか。


「自分の生まれた日ぐらい覚えておけ、スカタン。」


「人のコト言えんの?……局地戦に熱中して、結婚記念日を忘れてた癖にさ。」


「やかましい!本当に一言多い若僧めが!」


アレクシスも余計な事を吹き込みおって!


「災害閣下が愛妻家だなんて、普通は思わねえよなぁ。」


ふてぶてしい顔で嘯きおる。雰囲気まで羚厳そっくりだわい。


「能書きタイムは終わりだ。我が人生の全てを賭けた拳を見舞うゆえ、覚悟せい。」


「ただでさえ重い拳に濃ゆい人生まで乗せてきやがるか。面白い、そうでなくてはな。」


……ワシのような"生まれついての人外"でなければ、絶対強者にはなれぬものだと思っていた。しかし、この狼は違う。研究所を出てからの経過をずっと見てきたが、最初は"小賢しさだけが取り柄の兵士"で取るに足らぬと失望した。しかし今、紛れもない現実として、この男はワシと互角に戦えておる。


それはなぜか? 修羅場を潜って成長し、生意気にも強者への階段を駆け上がってきおったのだ。生まれついての人外ではないなら、人を極めるまでの事。……ワシは"人間の可能性"を見ているのか。



天掛カナタ、人を極めし者よ。ワシが人外を代表して、おまえをさらなる高みに連れていってやろう!見事期待に応えてみせい!


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