宿敵編37話 "錆び付いた"モス
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シェーファー・モス少尉は任務の背景や深刻度など一切考えない。与えられた
「モス!どこに行くのよ!まずは旅券の手配から始めるべきでしょう!」
早足に歩く男の背中に声をかけるマリー。気のせいかもしれないが、同僚の背中には拭い難い陰が見えるような気がした。
「大声を出すな。黙ってついて来い。」
00番隊副長のマリーは、モスの上官にあたるはずであったが、返ってきた声には有無を言わせない迫力があった。前を歩くモスの顔色を窺う事は出来ないが、きっと氷のような表情を浮かべているだろう。
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薔薇園の外れにある共同墓地。モスが無銘の墓の前に立って、何やら操作すると、墓石がスライドして地下への階段が現れた。
「こんな仕掛けがあるとは知りませんでしたわ。」
怪訝そうなマリーにモスは素っ気なく答える。
「当たり前だ。ここを知っているのは俺と司令だけだからな。」
夕陽の差し込む通路を降りながら男は、躊躇する女をハンドサインで促す。マリーが地下に踏み込むのを待っていたかのように墓石は元に戻り、淡い蛍光灯の光が照らす地下通路を二人は進んでいった。
3つの分厚く厳重な扉に隔てられた先には部屋があり、その部屋はマリーが想像していたよりかなり広かった。招き入れられた大部屋の中央には大きな作戦机があり、四方の壁に設えられたキャビネットには様々な武器、そして用途が不明な機材の数々が所狭しと並べられている。
おそらく、ここがモスの本当の仕事場なのだろうとマリーは類推し、その考えは当たっていた。
「座ってくれ。作戦会議を始めよう。」
安物のパイプ椅子を勧められたマリーは、肩を竦めながら着座した。
「私の趣味には合わない椅子ですわ。武器や機材だけではなく、調度品にも拘るべきではなくって?」
「パイプ椅子だって捨てたものじゃない。人を殴り殺すのには向いている。」
この男は本当にパイプ椅子で人を撲殺した経験がありそうね、マリーはそう思ったが、さすがに口に出すのは憚られた。
「あらゆる意味で平均的、飛び抜けた長所もなければ、カバーしずらい短所もない。
「
冷静、冷徹をモットーとし、場合によっては冷酷、冷血をも付け足す男は、未だ動揺が顔に出ている女に向かって冷笑する。
「アスラ元帥が暗殺されたという事実にも驚きましたけれど、東雲中将が事件の犯人かもしれないなんて話は、にわかには信じられませんわ。閣下に限ってそんな事は…」
モスの驚愕はマリーの半分である。彼はアスラ元帥が暗殺されたという事は以前から知っていたからだ。
「マリー、工作員の先輩として一つアドバイスをしておこう。
「私にそんなシステマティックな考え方は無理ですわ。血の通った人間ですのよ?」
「……俺もかつてはそうだったさ。ではお嬢様の流儀に合わせて、世間話でもしてみようか。"
記憶力に優れるマリーはすぐにその名を思い出した。
「確か特殊部隊上がりのテロリストでしたわね。
「戦闘技術も身体能力も大した事はないが、特に念真力の低さは目を覆わんばかりだったな。だが作戦立案能力と指揮能力はまあまあだった。」
「きっとオルセンを指導した教導官が優れていらっしゃったのね。」
「その教導官ってのは奴の異母兄だ。オズワルト・オルセン特務少尉という名の間抜けさ。」
「間抜け?」
「ああ、同盟一の間抜け野郎だ。才に乏しい弟に工作兵のノウハウを叩き込んだまではよかったが、極秘作戦の真っ最中に機密を抱えて機構軍にトンズラされた。部下を失った挙げ句に作戦は失敗、当たり前だが同盟軍はオルセン特務少尉に責任を取らせた。聞いた話じゃ、哀れなオルセン兄は汚れ仕事専門の工作員にされたらしいな。」
「そして今は、シェーファー・モスと名乗っている。そうですわね?」
"弟に裏切られた兄、か。私も父には裏切られた。強く優しい男だと思っていたパパは、たった一度の屈辱から立ち直れなかったのだから"……しかし、マリーは弱い父であろうとも、心から愛していたのだ。
「そういう事だ。銃を持った掃除屋になった俺は、
「……そう。それで?」
「全部の作戦が嘘だったとは思わない。……だが、あの小さな村の件だけは嘘だったんだ!"日和見"カプランはワルかもしれないが、悪魔じゃなかった。元帥閣下は村を救えるバイオメタルユニットを手配していたんだ。なのに命令を受けた俺の上官は支給されたユニットをポッケに入れて、俺に"3世代型ユニットの防疫能力を超える危険な病原体だ"と大嘘をついて村を焼き払わせた!……あのクソ野郎を殺して俺も死ぬ、それしか道はない。」
「でも貴方は生きている。なぜなの?」
「どこで聞きつけたかは知らんが、事情を知った司令が助けてくれたのさ。モール付きの軍服を着たクソ野郎にリアルな意味で詰め腹を切らせ、カプランに掛け合って俺の身柄を引き取ってくれた。」
「……オズワルト・オルセンは死に、シェーファー・モスに生まれ変わった訳ですわね。」
"発狂した父親が母や姉妹、愛犬まで射殺し、最後に残った
「そうだ。恩人である司令から下される任務を忠実に、確実に遂行する、それがモスって男の全てだ。……もう俺には、それしか残っていないのだからな。」
「重大な任務を共に遂行する相棒には自分の過去を話しておこう、そんな理解でいいのかしら?」
「ああ。困難かつ失敗の許されない任務に臨む相棒に隠し事はよくない。だからこれも教えておくが、俺はマリー・ロール・デメルの過去を知っている。……家族は気の毒だったな。」
「……気にしないでくださいな。私も貴方の過去は気にしない事にしますから。でも、任務に臨む覚悟はよくわかりましてよ。この任務は必ず成功させましょう。ですけれど……司令は"アスラ元帥を暗殺したのは東雲中将だった"と判明した場合、どうされるおつもりなのかしら?」
「それを考えるのは俺達ではない。歯車は余計な事は考えないものだ。」
「私はまだ"歯車見習い"なのですわ。それに貴方と違って歯車で終わる気はありません。デメル家を再興し、皆と故郷で暮らすのです。」
お家が断絶した今でも"お嬢様"と慕ってくれる家臣達は、私の率いる中隊で一緒に戦ってくれている。でも、この極秘指令には巻き込めませんわね、と家臣想いの元令嬢は意を決する。
「デメル家再興のあかつきには、庭師や営繕係がいるだろう。大願が成就したら、ぜひ俺を雇ってくれ。
仲間の顔に戻ったモスの言葉に、マリーは安堵した。彼女は自分と男の育った世界が異なっている事に留意すべきだったのかもしれない。モスは軍に入ってから、秘密工作一筋に生きてきた男なのだから。
「ふふっ、考えておきましょう。では相棒にして工作員の先輩さん、どこから手を付けましょうか?」
「役割分担の話からだ。実際に動くのは俺、分析するのがマリーだ。司令が仰ったように、中将も軍人。つまり…」
「戦死した場合に備えて遺書は書いてあるはずですわね。秘密はその遺書に記してあるか、同じ場所に隠されていると考えましょう。中将の顧問弁護士なら、遺書の隠された場所と開け方を知っていると思いますわ。」
「なるほど。さすがは元分析官だ。中将の顧問弁護士ならすぐわかる。そこからあたるか。」
「いえ。たぶんですけれど、用心深い閣下は遺書を託した弁護士を表に出していませんわ。普段、法律の相談に応じている弁護士とは別な弁護士がいますわよ?」
「ありそうな話だな。では"秘匿された弁護士"を突き止めるところから始めよう。遺書を託せる弁護士だけに、過去に必ず接点があるはずだ。……おっぱい革新党の極秘捜査は楽しかったが、この仕事は気が重いな。」
「……そうですわね。」
マリーは目を伏せて考え込んだので、モスの乾いた視線には気付かなかった。シェーファー・モスにはまだ口にしていない事がある。モスは"任務は忠実に、確実に遂行する"と言ったが、補足する言葉を意図的に省いていた。
省いた言葉とは"手段を選ばない"である。過去を明かし、裏稼業からの引退を匂わせたのは、マリーを信頼させる為だったのだ。"錆び付いた"モスは任務の遂行を最優先し、他は副次的要素に過ぎない。例えそれが、戦友であろうとも……
汚れ仕事のエキスパートは必要とあれば、裏社会で名を馳せた万能スイーパー、トッド・ランサムと、その相棒で情報屋だったアロイス・ヴァンサンを巻き込むつもりでいる。無論、自分の存在は秘匿して、だ。
かつてジスラン・ルーセルとしてデメル家を破滅に追いやったトッドはマリーに強い負い目があり、そのトッドに命を救われたヴァンサンが、相棒の為なら何でもやる男だという事を、モスの錆色の目は見抜いていた。
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