宿敵編36話 凍り付く心
※今回のエピソードはイスカ視点です
「先帝の御世において、"御鏡雲水が悪政のお先棒を担いだ"と中傷する者に言っておきます。非は先帝である父にあり、雲水は御門家と市民の間で板挟みとなって、苦しんできたのです。父が意のままに政治を動かしていれば、悪政どころか暴政、圧政が市民をさらに苦しめていたでしょう。雲水は我が身を呈して緩衝材となり、父の非道を
王位継承に関する特例措置法が可決された後、ミコト姫はまた演壇に立って演説を行った。
「モノは言い様ですな。丸きりの嘘でもないのでしょうが、御鏡雲水が保身に走ったのも事実でしょうに……」
照京議会からの生中継を見ながら、クランドが呟く。
「着目すべきはそこではない。」
帝に労苦を
「どこを見るのが正しいのですかな?」
神兵と恐れられる強者だけに、軍事には無類の強さを見せる老僕だが、政治はやや苦手だ。まあ、主の私が政治も得意としているのだから問題ない。
「御門の龍姫は万人の共感を呼べる演説力とカリスマ性を持っている、という点だ。……少し、あの姫君を甘く見ていたのかもしれんな。」
今見せた気骨が以前からあったのなら、父親の悪政に意見していたはず。御門の龍姫もまた、逞しく変貌したのだろう。
「カリスマ性はあるにしても政治力はどうですかな。今回の件に関する根回しはあまりにお粗末ですぞ。イスカ様に打診があったのは、先日の議会が始まる直前だったではありませんか!」
クランド、根回しが直前だった意味がわからんのか? ミコト姫は、私が反対するとは思っておらず、仮に反対されても強行するつもりでいただけだ。フン、逞しくなったのはいいが、ずいぶん強気に出てくるではないか。
カナタ一行は昨日のうちに都に向けて出立したが、私はどうしたものかな? 勿体をつけて代理を送るのも手ではあるのだが、不仲を喧伝されるのはマズいかもしれん……
思考は卓上の電話機によって遮られる。私は受話器を取って耳障りな音を消した。多忙を極める身に、コール音は不快なものだ。
「私だ。」
「アロー、司令殿。世界一のリガー、"
「前置きが長いぞ、不逞集団の首魁。なんでも私のコックスーツ写真を殿堂入りさせたらしいな?」
「小官には何の事だかわかりかねますね。ウタシロの旦那がごっそり装備品を運んできましたぜ。んで、司令に挨拶したいと仰っておられますが?」
「そうか。大佐を司令棟に案内しろ。」
「アイサー、ボス。俺は早速、配備車両の点検と整備を始めるぜ。もちろんチューニングもね。」
新型車両を早くイジりたくて仕方がない変態リガーは通信を切り、私は客を待つ事にした。
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「お久しぶりです、イスカ様。お元気そうで何より。」
司令室に隣接する書斎に案内されたウタシロ大佐は、私の顔を見て敬礼した。
「この間は叔父上を貸切にしてすまなかったな。難儀したのではないか?」
これっぽっちもすまないなどと思っていないのだが、形式上はこう言っておかねばな。
「なにぶん、突然でしたからな。それは難儀しましたとも。おや、今日はクランド大佐がご一緒ではないようですが……」
さっきまではいたのだ。つい、さっきまではな!
「……どこに行ったか聞きたいか?」
「聞きたくありません。イスカ様、眉間に皺が寄っていますぞ?」
「試みに問うのだが、遠路はるばる装備品を運んできた軍幹部の出迎えと、"おニューのボーリングシューズ"……どちらが大事だと思う?」
「……神兵殿にとってはボーリングシューズだったのしょうなぁ。また新調されたのですか。」
購買区画のスポーツ用品店め、少しは空気を読め。第二師団の艦船が入港したのだから、シューズの仕上がり報告など後回しにするべきだろうが!……まあクランドのボーリング狂にも問題があるのだが。
「まったく、困った爺ィだ。大佐はこれからグラドサルへ戻るのだな?」
「ええ。グラドサルやシュガーポットに配備する装備品も積んでおりますので。安全な生産拠点が出来たのはいいのですが、いささか遠いのが玉に瑕ですな。」
「このご時世だ、贅沢も言っていられまい。叔父上に手紙を書くから、少し待て。その間に歓待の宴でも準備させよう。」
「イスカ様、中将に無理難題を仰るのも程々に願えませんか。閣下はかなりお悩みのようですぞ。」
龍足大島でのトラブルは叔父上の尽力で無事に解決した、悩む必要などあるまい。なぜだか心が少しザワついた。このザワつきは……父の訃報がもたらされたあの日に似ている……
……それに……得体の知れない違和感も感じる。踏み込まない方がいい気もするのだが……私の人生に逡巡など似合わぬ!
「そうか。叔父上には無理を言ってきたからな。お悩みとの事だが、最近……何か変わった事などなかったか?」
「……いえ、特には。」
その顔、何か思い当たるフシがあると見たぞ。
「些細な事でもいいから話してくれ。叔父上が気鬱なままでは、派閥の運営に支障が生じる。何より娘の私が、亜父の苦悩を座視出来るはずもなかろう。」
「……しかし……」
「頼む!東雲刑部は私に残された、唯一人の家族なのだ!」
頭を下げて懐柔を試みる。半分演技で半分本気だ。間違いない、大佐は私が知らねばならぬ情報を握っている!
「……わかりました。閣下が誰よりも大切にされているイスカ様になら話しても問題ないでしょう。お願いですから頭を上げてください。」
叔父上は大佐に口止めをしていた、という事だな。一体何があったのだろう……
「大佐、叔父上に何があったのだ?」
「実は天掛少尉が極秘にグラドサルを訪ねて来られました。おそらく龍足大島の利権絡みの相談だと思われますが……あの件はまだ片付いていないのですね?」
カナタがグラドサルを極秘に訪問し、叔父上と密談しただと!?……利権の話ではない。あの件はカナタの仲介で、私がザラゾフ夫人と直接会って話をつけた。叔父上は私の依頼通りに龍ノ島へ飛び、もう一方の交渉相手である三本柱から事前合意を取り付けていたのだから、悩むような話ではないはずだ。
……待てよ? カナタは少し前にマリカ達とバカンスに出掛けていたな。
……あれがグラドサルへの極秘訪問だったのだ。そう言えば料理長が"バカンスから帰ってきた時は少し様子が変でしたが、お料理コンテストが気晴らしになったのか、いつものカナタさんに戻ったようで安心しやした"とか言っていた。カナタが変なのはいつもの事だろうと聞き流していたが……叔父上とカナタの様子が同時におかしくなっただと? あの天性のペテン師が磯吉に異変を悟られる程の大事があった……と考えるしかあるまい。
……これはどういう事なのだ。一体、何を指し示している……
「叔父上を悩ませていた件はもう片付いた。気鬱げな様子との事だが、きっと長年の苦労が堪えてお疲れなのだろう。いくら有能な叔父上でも、あまり頼ってばかりではいかんな。大佐、極秘来訪の件は私もカナタ本人から聞いて知っていた。叔父上の疲れとは無関係のはずだ。」
「そうですか。よかった、あの件は無事に解決したのですね。」
大佐が秘密を漏らした事を、叔父上やカナタに悟られてはならない。上手く会話を誘導して大佐を操らなければな。
「ああ。これも叔父上の尽力のお陰だ。近日中に御堂、御門、ザラゾフが共同出資する合弁会社の設立が発表されるはずだから、楽しみに待つといい。それから大佐、カナタの来訪の件だが、私も知っていた話だったとはいえ、叔父上からは口止めされていたのだろう?」
「ええ。まったく、イスカ様に頭を下げられるなんて心臓に悪い。戦場で敵に包囲された方が数倍マシです。」
「フフッ。酷い言われ様もあったものだな。さっきの話だが、私は聞かなかった事にしておこう。大佐も決して口外するなよ?」
「もちろんです。閣下に口が軽い男だと思われたくありませんからな。イスカ様こそ、内密に願いますぞ? アスラ閥の盟主にして、閣下の大切な娘のイスカ様だからこそ、お話ししたのですから。」
「わかっている。今後は叔父上に心労をかけぬように心掛けるさ。近いうちにもう一度、叔父上に会いにグラドサルを訪ねよう。私の顔を見れば、きっと元気を取り戻されるはずだ。」
「来訪は歓迎致しますが、事前に連絡をお願いします。私だって苦労したのですから!」
「わかったわかった、いい年をした大人が稚児のようにムクれるものではないぞ。大佐、今後も叔父上の補佐を頼む。今夜は照京の名門料亭で花板を務めた山海磯吉が腕を振るうから、腹を減らしておくといい。」
「それは楽しみですな。ではイスカ様、小官は輸送艦隊の様子を見に戻ります。」
大佐は立ち上がってから一礼し、書斎から退出した。私は卓上に氷の灰皿を形成し、紫煙を燻らせる。
剣狼と叔父上の密談。一体、何を話したのだろう。……カナタは何かを掴んだが、それは私には話せない何かだったと考えるのが妥当だな。であるが故に、自らグラドサルまで赴いたのだ。そして極秘訪問の随員はマリカとシュリ夫妻……この面子が密談の内密に絡んではいないか?
……私とマリカに共通する事項……!!……ま、まさか!? バカな!!そんな事がある筈がない!!あってはならないのだ!!
……だが、もしもそうならば、全て説明がつく。今思えば、九曜公丈から世界昇華計画の秘密を聞いたあの時……私の冗談に過剰反応した時の叔父上の顔は、鬼気迫るものだったではないか!つまり、動機もあったのだ!
母や儀龍は昇華計画推進派だったと九曜公丈は証言した。ならば儀龍の親友で、母を娶った父も推進派と考えるのが当然だろうに、私とした事が、そんな事にも気付かないとは!
「イスカ様、見てくだされ。いい出来栄えでしょう。鷲の刺繍が施された世界に一つしかないボーリングシューズ……如何されましたか!」
浮かれ気味だった老僕の顔が引き締まる。鬼の形相をしている私を見れば、そうなるだろう。
「クランド、モスとマリーを呼べ。あの二人に極秘任務を命じる。」
「ハッ!モスを使うとはかなり深刻な話ですな。」
シェーファー・モスは同盟軍の暗部を処理する凄腕工作員だった。マリカのようにスマートな潜入工作を行ってきた訳ではなく、専ら汚れ仕事だけを請け負わされ、手段を選ばず解決してきた。表向きには00番隊中隊長の一人に過ぎないモスだが、実際は表には出せない、裏の仕事に使う切り札なのだ。モスの補佐に分析力に長けたマリーを付ければ、真相は明らかになるはずだ。
「ああ。……この上なく深刻な事態だ。事実であれば、な!」
氷の灰皿に短くなった煙草を押し付け凍らせる。炎の生み出す煙は消え、冷気の煙が立ち上った。同盟最強の氷結能力を持つ私だが、心はこの氷塊よりも冷えている。
「……すぐにモスとマリーを呼んで参ります。お待ちくだされ。」
今まで私の読みが外れた事はない。だが、今回ばかりは的外れである事を願う。
……強度を上げすぎた氷塊に、無数の亀裂が入るのが目に映った。そして冷気のあおりを受けた灰皿……氷の花は、まるで私の心を映したかのように砕け散ってしまう。粉々になった氷片を乾いた目で見やりながら、私は私に問うてみる。
"御堂イスカよ。おまえの読みが当たっていたなら、どうするのだ?"と。
……血を以て贖わせると誓った父の仇が……叔父上であったなら……私は……私は………
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