宿敵編16話 運命の扉
視察の名目で龍の島に渡った東雲は三本柱との交渉を開始したが、感触は良いとは言えなかった。士羽伊織からは"私は共同事業に御堂財閥が加わってもらう事に異存はありません。お二方次第です"という返答を貰ったのだが、御鏡雲水と櫛那多月花はいい顔をしなかった。イスカは雲水からすれば"叔母の孫"にあたるのだが、文弱と軽んじられてきた感情的なしこりを残しているらしく、月花に至っては警戒どころか"庇を貸りて母屋を乗っ取るつもりだ"と考えている有り様であった。
同盟軍においては対立する派閥の長、トガやカプランからも盤石ではないにせよ、ある程度の信頼は得ている東雲であったが、雲水や月花とはさほどの交友はない。以前は我龍体制を支えていた雲水とは(当たり前だが)疎遠だったし、月花は総督に就任してから日が浅いからだ。
二人の総督と一人の宰相との会見を終えた東雲は帝に謁見したが、ミコト姫から調停案は提示されなかった。共同事業から御堂財閥を外す件は、御門グループ総帥でもある彼女の了承を得ての事に違いない。
それでも東雲は粘り強く交渉を続け、総督二人から"龍弟侯がうんと言うなら"という言質を取り付けた。本来ならば話はこれで終わりである。天掛カナタの上官は御堂イスカで、命令が可能な立場だからだ。しかしカナタはアスラコマンドでありながら、ドラグラント連邦軍監という地位にある。アスラ部隊総司令のイスカといえど、連邦が管轄する案件に口は出せない。筋論からすれば、カナタは昇進と同時にアスラ部隊を除隊して、ドラグラント連邦で然るべき地位を得るべきなのだ。
交渉を終えてグラドサルに戻った夜、東雲は屋敷の書斎で酒を嗜む。一人酒ではなく、書斎の机の上に置いてある写真立てが彼の相伴相手であった。写真立ての中には、士官候補生の制服を着た青年と少年、アスラと刑部の姿が映っていた。これは数ある写真の中でも、特に思い出深い一枚なのである。東雲は胸の痛みを忘れない為に、毎日のようにこの写真と語らっているのだ。
「……元帥……どうして私の忠告を聞き入れてくださらなかったのですか……」
"元帥"ではなく"先輩"と呼んでいた頃から、刑部はアスラの頼みは何でも引き受けてきた。そんな自分が"それだけは駄目です!昇華計画だけは!"と何度も忠告したのに、アスラは"人間が殺意……いや、闘争本能を持つ限り、また戦争が起きるだろう。世界昇華計画だけが、そんな争いの連鎖を断ち切る事が出来るのだ"と、あくまで計画を推し進めようとしたのだ。
東雲刑部は知っていた。御堂アスラが一度決意したならば"殺す以外に止める方法はない"と。"夢を託した最愛の先輩"と"人間の自由意志"のどちらかを選ばねばならなくなった刑部は悩み抜いた末に……後者を選んだ。
(中将、少し時間を頂けますか?)
テレパス通信を飛ばして来たのは、刑部が会いたかった男だった。
(カナタ君、いつこの街に来たのだね?)
(直接会って話しましょう。パークスアベニューに"サンライズ・バー"って店があります。誰も伴わずに来て頂けますか?)
(わかった。私も二人で話したい事があるのだよ。)
長きに渡って敵性都市であったグラドサルだけに、東雲屋敷の周辺は厳重な警戒が敷かれている。幾重にも検問所が設けられ、隣接する区画でさえ特別な許可を得た車両しか出入り出来ず、空き家の類もない。
つまり、警戒エリアの外からテレパス通信を飛ばしているという事か……
東雲の予測は当たっていた。雌雄の勾玉が一体となった無双の至玉は、天掛カナタの念真強度を増幅させる。基本値220万n×3で660万n。これはリリエス・ローエングリンさえ凌ぐ、同盟一の念真強度であった。
手早く身繕いを済ませた東雲がガレージの私用車に乗り込もうとした時に、屋敷に銀色のセダンが入ってきた。雅楽代玄蕃の愛車である。
「閣下が私服とは珍しいですな。お出掛けならば、私もお供しますが?」
仕事帰りの玄蕃が屋敷を訪ねて来るのは珍しくない。家族同然の付き合いだからだ。
「いや、先方に"一人で来て欲しい"と言われているのだよ。」
「誰とお会いになるのですか?」
「そ、それは……」
「閣下、相手が誰だか教えて頂けぬのなら、一人で行かせる訳には参りません。総督の安全を守るのも小官の仕事ですから!」
刑部は迷ったが、玄蕃には事情を話しておく事にした。カナタ君は共同事業の件を解決する為に来たのだろう。ならば既に事情を知っているウタシロ君にだけは話しても差し支えあるまい。無理もない事だが、そう考えたのだ。
「これから会う相手は、私が直接、話しておかねばならん男だよ。
「なるほど、例の件ですか。しかし閣下お一人で行かれるのは問題ですな。行きと帰りは私が同行しましょう。もちろんお話はお二人だけでして頂いて構いません。さあ、乗ってください。」
会談の相手も内容も教えた副官の送迎を断る理由はない。助手席に乗り込んだ東雲は、玄蕃に目的地を知っているか訊ねた。
「わかった、運転を頼むよ。パークスアベニューにあるサンライズ・バーという店を知っているかね?」
「ああ、サンセット・バーですな。知っておりますとも。」
「サンセットではなく、サンライズだよ。」
「兵士達はサンセット・バーと呼んでおります。あの店のカクテルはそれほどマズいらしい。」
「本当かね?」
「我が師団の将兵が総じて舌バカではない限りは。複数の証言が得られておりますからな。」
「やれやれ。よりによって酒のマズい店を密会場所にする必要はないだろうに……」
刑部は名門の出身だけに、舌は肥えている。体の方は肥えるどころか、くまなく鍛え上げられているのだが……
「寂れた店だけに貸切にするのが安上がり、なのかもしれませんな。」
愛車のアクセルを踏み込みながら玄蕃は苦笑した。
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歓楽街の外れ、うらぶれた雑居ビルの地下に目的の店はあった。人目がない事を確認してから薄暗い階段を降り、扉の前に立った刑部は、この店が密会場所に選ばれた理由を理解した。ネオンの壊れた扉には一枚の紙が貼り付けてあったのだ。"売り物件"と。
店に入った東雲は、真っ暗な店内の床に書かれた蛍光塗料の矢印に従って奥へと進む。
"ここまで念入りにする必要があるものかな?"と刑部は訝しがったが、従業員控室の扉に触れた時に疑念は確信に変わった。奥の扉には、真新しい防音加工が施されていたからだ。
……秘密裏にグラドサルを訪れ、ここまで用心しての密会。カナタ君が話したい事とは、例の件ではない。そもそも、共同事業の話なら来訪を隠す必要などないのだ。……御門の狼は人並み外れた洞察力を持つ。カナタ君は、真相に辿り着いてしまったのだろう……
深呼吸した刑部は覚悟を決めて、扉を開く。彼にとっての"運命の扉"を……
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オレは30分ほど待っていただけなのに、丸一日待っていたかのような感覚を覚える。スケアクロウが結成されてすぐの作戦で、シオンと二人で8時間ばかり狙撃待機した事があったけど、あの時の方が時間を短く感じた。
シュリが防音処理を施した控室に入ってきた中将は後ろ手でしっかりドアを閉め、無言で用意された椅子に腰掛けた。テーブルを挟んだ対面の椅子にはオレとマリカさんが、壁際のソファーにはシュリとホタルが座っている。
「……そうか。カナタ君は気付いてしまったのだね。」
重苦しい沈黙を破ったのは中将だった。落ち着き払った口調だったが、表情には安堵と諦観が入り混じり、なんとも物悲しい佇まいとしか言えない。
「残念ながら。……"誰が疑わしいのか?"ではなく、"誰なら可能だったのか?"を考えれば、答えは一つしかなかったんです。」
クソッタレ!なんでこうもままなんねえんだよ!……今回だけは、この推論だけは、的外れで良かったってのに……
「なるほど。カナタ君の発想は実にユニークだね。一見、奇抜なように見えるが、恐ろしく的確だ。」
「中将、これまで筆舌に尽くしがたいほどの苦悩を抱えてこられたコトでしょう。……オレは"お察しします"とさえ言えない。」
敬愛するアスラ元帥に手をかけざるを得なかった苦悩がどれほどのものか、オレにはわからない。でも、誰にも言えない秘密を抱える苦しみなら理解出来る。オレも秘密を知っている姉さんに出会うまでは、本当に辛かった。あの息苦しさ、寂寥感を生涯忘れることはないだろう。でも、中将の苦悩に比べればなんてコトはない。
「カナタ君、そんな顔をするな。私は少し楽になったよ。……マリカ君、私は火隠段蔵の仇でもあるが、キミが手を汚す価値はない。」
父の仇と対面した女は刀に手をかけたまま、紅い瞳で中将を睨みつけた。
「東雲刑部ともあろう者が命乞いかい?」
「マリカ、中将は同盟のエースを罪人にしたくないんだ。誰よりも苦しみ、抵抗する気もない男を斬り捨てて満足なのか?」
「……クソッ!……なんだって、どうしてこんな事に……」
最強の忍者は刀から手を離し、振り上げた拳で鋳鉄製のテーブルを叩いた。打ち付けられた拳の周りに円状に広がった亀裂も、心の亀裂より深くはあるまい。
「……カナタ君は、私が凶行に及んだ理由も察しがついているのだね?」
「ええ。中将がどうして暗殺に及んだかはわかっています。ですから、これからのコトを話したい。」
「やはりキミは怪物だな。先に聞かせてもらえまいか、
オレが暗殺の真相に気付いたように、中将もオレがクローン兵士じゃないと気付いていたか。そして、オレの正体を忍者三人は知っているコトも察した。
この期に及んで腹の探り合いをする必要はない。東雲刑部の腹積もりに同盟の、この星の未来が懸かっている。
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