宿敵編15話 苦労人が育てし律儀者



「当日になって予定を全てキャンセルしろなどと、御堂司令にも困ったものです。閣下が甘やかすからこうなるのですよ?」


丸一日、イスカに付き合わされてようやく総督府に戻った東雲刑部を待っていたのは、副官の小言だった。


ドタキャンの穴埋めに奔走した同盟軍大佐、雅楽代玄蕃うたしろげんばは"軍神の右腕の右腕"を自認する男である。彼の父、雅楽代玄以うたしろげんいは東雲刑部の亡父とは同郷の親友であった。結婚が遅かった玄以は我が子の事を親友の息子であった刑部に託したのだ。士官学校で教鞭を執っていた玄以には、ひとかたならぬ世話になった刑部は恩師の頼みを快諾し、自分を慕って軍に入った玄蕃を直属の部下にして、今日まで共に歩んできた。


「耳が痛いな。ウタシロ君にまで迷惑をかけるのは申し訳なく思っている。」


イスカの無理難題を刑部が引き受ければ、玄蕃もとばっちりを食らう。今回も急遽欠席した刑部に代わって予定行事をつつがなく終えたのは、副官の玄蕃であった。


「そのような事を仰いますな。中将あっての自分です。それで、今度はどんな無理難題を押し付けられたのですか?」


イスカが叔父との休日を過ごす為だけに来訪した訳ではないと、玄蕃はわかっていた。彼女は必ず、厄介な手土産を持参してくるのだ。


「ドラグラント連邦と御堂財閥の間を取り持たねばならん。」


「また仲裁役ですか。才気とけれん味は表裏一体、御堂司令のやり手ぶりが悪い方に転がったのですな?」


「そうらしい。亀裂は小さいうちに修繕すれば大事には至らないものだ。」


「では私が留守を預かります。ドラグラント連邦との折衝であれば、閣下が自らあたらねばなりますまい。場合によっては帝との謁見も必要となるはず。……いや、帝に謁見する前に龍弟侯と話すべきですかな?」


「いや、今回の件に関しては、三本柱と話をつけるのが先だ。カナタ君と話すのはその後になるだろう。彼には軋みが生じつつある事を理解してもらって、その抑制に動いてもらわねばならん。ドラグラント連邦の中心人物である雲水代表、月花総督、士羽総督、皆がカナタ君には一目置いているからね。フフッ、世界一の人脈を持つ尉官は間違いなく彼だな。」


「ザインジャルガ総督のテムル少将や、シュガーポット駐留司令のヒンクリー少将もですよ。あの災害閣下まで肩入れしているらしいですし、彼は一体何者なのですかね?」


"軍神の右腕"刑部は基本に忠実な名将であり、その直弟子である"剣舞ソードダンサー"玄蕃も師に近い戦術を駆使する良将である。自由都市ロスパルナス、ダムダラス平原で剣狼と共に戦った玄蕃は、若き将帥が師や自分とは違う天才肌の戦術家である事を知った。


……いや、彼は天才というよりも奇才と評すべきだ。


玄蕃は天才よりも奇才を恐ろしく思う。奇抜で奇天烈きてれつ、何を仕掛けてくるかわからない怖さが剣狼にはあった。河を干上がらせて道にする、"智将"サイラスをペテンにかけて明後日の方角に増援部隊を走らせる、もし彼が敵であればと思うと冷や汗が止まらない。東雲から学んだ夢幻双刃流に父母から教わった能と舞踊の要素を取り入れ、舞うように戦う異名兵士"剣舞"だったが、あの奇才と戦って勝つ自信などなかった。敬愛する上官の評する通り、剣狼カナタは常軌を逸した"戦の申し子"なのだ。


「フフフ……小物じみた大物、といったところかな。元帥以来だよ、あそこまでの戦上手に出会ったのはね。」


老若出自に関係なく、公正に能力を評価する玄蕃の上官は、若者の素質に最大級の賛辞を送った。


「彼の才気は御堂司令以上、という事ですか?」


「おっと、肝心要を抜かしていたね。イスカの素質は元帥に比肩する。ウタシロ君、同盟軍の未来は明るいぞ。」


言葉とは裏腹に、東雲には一抹の不安があった。両雄並び立たず、という言葉がある。もし、二代目軍神と剣狼が戦えば……天才と奇才が争えば……勝つのは奇才ではないだろうか?


持てる才能をトータルすれば、イスカはカナタ君を圧倒する。しかし……こと戦にかけては、人を惹きつける人間力においてだけは……遅れを取るのではないか?


「御堂司令とカナタ君は同盟の、我らの未来ですからな。軍神と剣狼は神輿ミカドの両輪、私はさしずめ補助輪といったところでしょうか。」


自分をよく知る雅楽代玄蕃は自分を補助輪になぞらえ、愉快そうに笑みを浮かべた。


「私ももう歳だ。ウタシロ君、二人を支えてゆくのはキミの役目だぞ。それから一つ、苦言を呈しておこう。帝を神輿に例えるは不忠で不見識だ。大龍君は神輿にあらず、ドラグラント連邦の基盤が盤石なのは、帝の仁徳があってこそなのだよ。」


「申し訳ありません。私とした事がいささか調子に乗っておったようです。しかしながら、私も苦言を申し上げておきましょう。閣下にはまだまだ現役でいてもらわねばなりません。"もう歳だ"などと、気弱な事を仰られては困りますな。」


弟のように可愛がってきた副官の言葉に、同盟軍の良心と呼ばれる男は相好を崩した。


「わかってくれればよいのだ。龍を冠する御門家は龍ノ島を代表する至尊の家、その王権には最大の敬意を払わねばならん。」


「はい。帝を戴く者達が、合力して島の政務を取り仕切る。そして御堂家はその筆頭、ですな?」


「うむ。王権人授が私の思い描く理想なのだ。仁君から権力を委託された能臣達が国を治める。情理にばかり流されるようではまつりごとは滞る。しかし、情理を忘れた政は民を苦しませよう。能臣が情理を疎かにせぬよう仁君が導きながら、効率良く、効果的に社会が営まれる。そんな世こそ、私の考える"新しい世界"だよ。」


そう、王権は神から授かるものではない。ましてやなど断じて認められぬ!人の世は人の力で、自由な意志を以て営まれなければならんのだ。


無私の献身に生きる男、東雲刑部は鋼よりも固い意志を持っていた。否、持たざるを得なかったのだ。世界を変えてくれると信じ、慕い従った英雄と袂を別ったあの日から……


「そんな世界が実現する日が待ち遠しいものですな。閣下、不謹慎を承知で申し上げますが、トガ、カプランの両元帥は東エイジアでの基盤をほとんど喪失しました。彼らはマイナス、我らはプラス、アスラ閥が同盟最大の勢力を持つのも時間の問題です。」


「ウタシロ君、そう単純に事は運ばぬものだよ。」


アスラ閥は伸長し、トガ、カプラン派は衰退した。しかし、アスラ閥とて単純に勢力拡大を果たした訳ではない。他派閥からは一体と見做されているが、その実体は合従連衡。アスラ閥に帝派が加わったというべきなのだ。


「と、仰いますと?」


「龍ノ島北部と南部の要職を占めるのはアスラ閥の人間だが、中央は帝に近しい者が抑えている。同盟最大の要塞を守るヒンクリー少将、中原で勢力を広げるテムル総督、泡路から龍足大島に影響力を及ぼし始めた鮫頭総督、龍頭大島の英雄オプケクル准将、彼らはアスラ閥の人間だと思われているが、カナタ君とも親しい間柄にあるのだ。私が両元帥なら、そこに反転攻勢の可能性を見出すだろうね。」


武辺狂の"災害"ザラゾフにそんな心配はいらない。まだるっこい離間策など、彼のポリシーの対極にあるからだ。ザラゾフが訓練校に君臨していた頃からの知己である東雲は、彼の性分を知り尽くしていた。


「アスラ閥とドラグラント連邦は一枚岩ではない、と考えておられるのですか!」


「実際にそうだろう。温度差がないとはキミも思ってはいまい?」


「……そうですな。今回の件なども、温度差が原因で生じたのでしょう。中将、きっと口達者なカプラン元帥あたりが離間策を仕掛けてきますぞ。如何致しますか?」


右腕と目される男の懸念は東雲の懸念とは異なっていた。東雲の読みでは、帝を支える狼は"日和見"カプランの調略に乗るような男ではない。


「カプラン元帥が離間策を仕掛けてくる相手は誰だと思うかね?」


「おそらく……帝の義弟、龍弟侯でしょうな。ドラグラント連邦のコアは彼に他ならない。」


「そうだろうね。ゆえに問題なしだ。」


東雲は自信たっぷりに断言した。


「問題なし、ですか?」


「信念より利害を重視する口舌の徒に、カナタ君を崩すのは無理だよ。カプラン元帥のモットーは"利害が人を動かす"で、私もそれを否定はしないが、万人に通ずる法則ではない。天掛カナタは"懐柔不能の狼"なのだ。」


利も理も弁えた彼は、権力や利権を軽んじてはいない。しかし、決して"利"のみでは動かない。最終的に彼を動かすのは"義"なのだ。八熾家の先代惣領、八熾羚厳がそうであったように……


最も信頼する部下である雅楽代玄蕃には懸念のタネを話しておくべきだと考えた東雲は、人目を憚りつつ、そっと耳打ちした。総督室は安全だとわかっていても、用心するに越した事はない内容なのである。


「ウタシロ君、単純に事は運ばないと言った真意はね……私は"イスカとカナタ君の路線対立"を心配しているのだよ。」


思わぬ事を囁かれた玄蕃は、小声で囁き返した。


「龍弟侯はアスラコマンドですよ? 上官と部下で路線対立など……いや、剣狼カナタの功績を鑑みれば、将官になっていてもおかしくはない……」


一歩引いて、冷静に考えれば玄蕃の考察は至極当然であった。龍ノ島を奪還した英雄が、未だに特務少尉でいる事がおかしいのだ。


「その通りだ。龍ノ島の民に"この島で最高の英雄は誰?"と聞けば、"八熾の若殿"と答える者も多いだろう。少し前まではイスカ一色で、対抗馬はマリカ君だったのに、だ。」


悲劇の英雄、アスラ元帥への判官贔屓が強い島で、若き狼を支持する者が出てきている。いつの時代も死せる英雄の声望は、新たな英雄によって塗り替えられてゆくものなのだ。


「軍神と剣狼が対立……閣下、それはマズいですぞ!御堂司令と比較すれば、カナタ君には足らざる面もあります。しかし、彼の周りには足らずを補う人材が集っている。トップの代わった御門グループは躍進し、既に御堂財閥と遜色ない複合企業体に成長していますから、財力でもマンパワーでも、帝派はアスラ閥に対抗しうるはずです。」


「それらを踏まえて私達の為すべき役割はなんだね?」


「……軋みを起こさせない潤滑油にして、緊張をほぐす緩衝材、ですな?」


「うむ。勢力が拡大すればする程、我々の役割は重くなるだろう。イスカの為に力を貸してくれたまえ。」


「無論ですとも。しかし御堂司令の為ではありません。雅楽代玄蕃は"軍神の右腕"の右腕ですから。」


歳は15も離れているが、玄蕃は東雲刑部を兄だと思っている。血を分けた兄弟以上に自分を慈しんでくれた恩人の為なら、どんな労苦も厭わないつもりでいるのだ。


師であり兄である苦労人の薫陶を受けた雅楽代玄蕃も、立派な苦労人に成長したらしい。難事を好んで引き受ける律儀者は、そんな自分を気に入っている。



兄と慕う男と血は繋がらずとも、その魂は繋がっている。苦労性はその証なのだから……


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