宿敵編14話 軍神の右腕



"勤勉実直"、グラドサル総督にして同盟軍中将・東雲刑部しののめぎょうぶを四文字で表すとすればそうなるだろう。彼が心から敬愛していた御堂阿須羅アスラなら豪放磊落、もしくは知勇兼備、であろうか。


士官学校に入学したその日に天才に出会ってしまった秀才は、"この先輩なら世界を変えてくれるに違いない!"と確信し、ずっと行動を共にしてきた。御堂アスラは成績こそ良かったが、士官学校一の問題児であり、学年首席の優等生であった東雲は、その後始末に奔走する日々を送った。しかしそれは、彼にとってかけがえのない青春の記憶でもある。


時代にそぐわない校則を変える為に生徒とOB、さらには士官学校の有力支援者からも署名を集め、粘り強く時間をかけて校長を説き伏せたかと思えば、体の弱い候補生に暴力を振るった指導教官(実技担当)はその場で殴り倒す。御堂アスラは士官候補生の頃から、逸話と武勇伝には事欠かない。


エピソードはまだまだある。


アスラは画期的な戦術や戦闘技を発案し、その有用性を認めた学校側が指導要綱に取り入れたので、当然ながら賛辞の嵐が巻き起こる。戦術立案の手伝いをした東雲も鼻高々であった。しかし、その翌日には授業をサボって賭場に入り浸る。さらには、夜の校舎で焼き肉パーティーを開くわ、アスラにフラれた名家の子女が差し向けた愚連隊をまとめて病院送りにするわのやりたい放題。上がった株が急落した事を破天荒な先輩は意にも介さなかったが、生真面目な後輩はかなり落胆した。


落胆するだけならまだしも、教官に頼まれて賭場にアスラを探しにゆくのも刑部、アスラには好意的だが職責は全うしたい警備係に頼まれて焼き肉パーティーを中断させたのも刑部、街中で愚連隊との喧嘩に巻き込まれたのも刑部である。刑部少年の学園生活は、アスラの善行のお手伝いと悪事の尻ぬぐいに費やされた。


意地悪な法学教官の試験で満点を取り続け、あげくの果てには講義の最中に論戦まで挑み、完膚なきまで言い負かす。この悪巧みにも刑部は加担させられた。法学の特訓(アスラは先輩なのだが…)には喜んで付き合ったが、教官を言い負かす理論武装まで手伝わされたので、さすがの刑部も閉口したものだ。


天才児にして問題児、御堂アスラの優秀さと破天荒ぶりは士官学校の伝説になった。伝説の士官候補生は非難も賞賛もされたが、ファンもアンチも確信していた。"この男はただ者ではない"と。


なんとか無事に卒業し、陸軍士官となったアスラの大活躍(とちょっとした悪評)を聞く度に、刑部は卒業式までの日数を数えた。アスラの在学中は彼が問題を起こす度に、シンパの教官達とその弁護に努めた優等生にとって、平穏な学園生活など退屈なだけであった。


卒業した刑部は即日、アスラ隊に編入された。希望部署もへったくれもない、アスラの上官も部下もわかっていたのだ。"御堂アスラには東雲刑部をつけておかなければ"と。


こうして、舞台を学園から部隊に変えた刑部の気苦労が再開された。いくら心酔しているとはいっても、わざわざ苦労を買って出るのだから、"軍神の右腕"の異名を持つ東雲刑部も、普通の人間ではなかったのかもしれない。


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戦時ではない限り、決まった時間に起床し、決まった時間に就寝するのが東雲刑部の日常である。異端児、つまりは"模範的な兵士"である空蝉修理ノ助から"軍人の鑑"と賞賛されたのは伊達ではない。


その日も5時きっかりに起床した東雲は、遠い昔にアスラから習った夢幻双刃流の型稽古から一日を始めた。


"刑部、おまえは不器用だなぁ。生き方を剣術にまで反映させなくていいんだぞ?"


夢幻双刃流の前継承者からはそんな風に評された中将閣下であるが、彼は自分が天才ではないと知っている。天性の勘と運動能力で受け継がれし技以上の強さを見せたアスラの真似をしても為にはならないし、そもそも真似る気もなかった。自分は誰かを支える立場にあってこそ、輝く人間であると悟っているからだ。


「叔父上は不器用だな。剣術にまで人間性が滲み出ている。」


型稽古の終わった東雲に、生涯をかけて支えると誓った女傑が声をかけた。


「私は元帥やイスカのような天才ではない。凡人は凡人らしく、己が分に合った剣を磨くのみだよ。」


「はてさて、我が叔父ながら奇特な事だ。才と人望があるのだから、望むがままの人生を歩めばよいものを。」


刑部が望むがままに生きていれば、一番損をしたはずの女は恩知らずな感想を口にする。


「私が奇特ならば、イスカは気ままだな。確か訪問予定時刻は13:00だったはずだね?」


気ままと表現したのは刑部なりの優しさである。客観的に見れば、御堂イスカはワガママなのだ。もちろん、彼女がこうなったのには、後見人の彼にも責任の一端があるに違いない。強いリーダーシップは"独善性"を伴うものであるが、あくまで、なのである。


「イスカ様が久しぶりに"叔父上の味噌汁"が飲みたいと仰いましてな。予定を前倒ししたのですよ。イスカ様はそれほど閣下をお慕いなのです。」


責任の一端どころか過半を占めるクランド大佐が、無責任な口調で主を擁護した。老僕に援護されたイスカは、身勝手そのものの拗ねた顔を見せる。


「叔父上、可愛い娘が予定を前倒ししてまで屋敷を訪ねてきたのです。もっと嬉しそうな顔をしてもよいでしょう?」


御堂イスカという英雄の半生を"演奏中の名曲"に例えても差し支えはない。であるならば、華麗なる名曲の作詞は東雲刑部、作曲は鷲羽蔵人、といったところだろうか。


「やれやれ。汗を流してから朝餉の準備をしよう。イスカ、欲しいのは味噌汁だけではないのだろう?」


「ちょっとしたお願い事もあります。なに、叔父上なら造作もない事ですから。」


悪戯っぽく笑うイスカの顔には確かに御堂アスラの面影があった。彼もこんな調子で、若き日の刑部に無理難題を押し付けてきたのだ。


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同盟軍中将にしてグラドサル総督の東雲刑部であるが、屋敷には従卒も召使いもいない。護衛兵ですら、邸宅の外にしか置いていないのだ。夢幻双刃流の高弟で、準適合者でもある彼を倒せる者などそうはいないにしても、地位に見合わぬ身軽さである。こういう点では"災害"ザラゾフと"軍神の右腕"刑部は、精神的兄弟と言えなくもない。


「やはり叔父上の作る味噌汁はひと味違うな。幼い頃を思い出す。」


朝餉の膳に供された味噌汁を味見したイスカは満足げな顔になった。"この顔からして、本気で私の作る味噌汁が飲みたくなって、早朝に訪ねてきたのかもしれない"、彼女をよく知る刑部はそう思った。


「ひと味違うのは飛魚あごダシを使っているからだよ。イスカは剣術に負けず劣らず料理も上手なのだから、味の秘訣はご存知だろうに。」


「いやいや、秘訣云々ではなく、叔父上のお手製だからこそ旨いのです。」


ちゃっかり主と一緒に相伴に預かる老僕が過ぎ去りし日を懐かしむ。


「元帥も"在学中は毎日、刑部の味噌汁を飲んでいたものだ"と仰っておりましたなぁ。」


つまり御堂アスラを毎朝起こしていたのも東雲刑部だったのである。朝に弱いところまで御堂親子は似ているらしい。


「毎朝なものかね。元帥が寮を抜け出して外泊するなど珍しくもなかった。その都度、捜しに行く私の身にもなってみたまえ。……イスカ、明太子はいるかね?」


各地を転戦してきた歴戦の軍人は、故郷を忘れない為に名産品を取り置きしているらしかった。


「頂きましょう。」


漆塗りの重箱に収められた銘品を飯の上に乗せたイスカは、お行儀悪く白米を頬張る。強く逞しく成長した娘を刑部は喜ばしく思っているが、毎回無理難題を持ち込んでくる事だけは頭(と胃)が痛い。彼女は似ないでいいところまで、父親に似てしまったのだ。


「それで、頼み事とはなにかね?」


叔父上なら造作もない事、と言われたが、それは慣用句に過ぎない。実際には"東雲刑部でなければ困難な事"なのである。


「ドラグラント連邦なのですが、想定以上にハンドリングが利かない。主な原因は三本柱なのですが……」


三本柱とは、照京の御鏡雲水、神難の櫛那多月花、尾羽刕の士羽伊織、極東総督会議をリードする三人の事を指す。龍ノ島でも指折りの巨大都市国家の首長(雲水は宰相だが)というだけでも発言力のある三人がトライアングルを組んで、その中心には帝が鎮座する。北陸と龍尾大島に強い発言力を持つイスカといえど、イニシアチブを握るのは困難であった。


「ハンドリングを利かせる必要があるのかね? 三本柱は御堂財閥とも上手く協調出来ているように見えるが……」


三本柱の有能さはイスカの想定を上回っている、か。"神難の麒麟児"を参謀に持つ月花総督が英明な君主である事は東雲もよくわかっていたが、帝と友誼を深めた彼女は急速に改革を進めつつある。隠忍自重の日々に耐え、見事に雪辱を果たした士羽伊織も骨のある人物に違いない。だが、イスカにとっても東雲にとっても意外だったのは御鏡雲水の変貌ぶりだった。お家大事のイエスマンであった彼が、ここまでの辣腕家に豹変するとは、誰もが思っていなかったに違いない。その辣腕の陰にブレーンが潜んでいる事をイスカは察していたが、その正体まではわからないでいる……


「表面上はそう見えるでしょう。ですが、彼らはドラグラント連邦の舵取りは自分達で行うつもりのようだ。」


東雲が危惧していた通り、イスカは連邦の要人からは警戒されているらしかった。反御堂家、その中心人物はおそらく月花総督だろう。彼女の父は暗愚な総督ではあったが、イスカの取った締め付け政策はいささか行き過ぎであった。その反動が今になって返ってきたのだ。私がついていながら、禍根となりうる過剰な制裁を止められなかったとは……


憂慮しながら思慮を巡らす刑部だったが、剛直な老僕クランドは率直な心情を吐露する。


「ミコト姫もミコト姫じゃ!誰が姫を保護してきたと思うておる!都の奪還とて、御堂家の助力なしでは為し得なかったであろうが!」


「クランド君、そんな内心が態度に出てはいまいね? 鷲羽クランドがイスカの最側近である事は誰もが知っている。キミがそんなだと"イスカも同じ考えだ"と思われてしまうのだよ。」


刑部はクランドよりも年下だが、気苦労を重ねてきた苦労人だけに、彼より世間というものをわかっている。この主従を窘めるのは、いつも彼の役割であった。


「……し、しかしですな、閣下。ワシとしては…」


「イスカ、私がお三方と話してみよう。今、問題になっているのはどのあたりなのだね?」


「龍足大島における利権で対立しています。ドラグラント連邦はルシア閥と接近しているらしく、かの地で共同事業を立ち上げようとしている。我々を除外して、だ。」


「……そうか。」


ドラグラント連邦とルシア閥の接近、間に立ったとすればだろう。東雲の推察はイスカにすぐ伝わった。


「接着剤になったのはカナタでしょう。剣狼は災害のお気に入りだ。ここに来る前に探りを入れにザラゾフに会ってみたのですが、"あの青二才……いや、あのは誰にも飼い慣らせんぞ? せいぜい噛みつかれぬよう、気を付けるのだな"などと嘯きおった。」


「イスカ、カナタ君とは敵対してはならない。彼にはなんというか……計り知れないものを感じる。元帥と同種の……いや、全く異質な存在感を醸し出しているのだ。」


「……父とは異質の存在感、ですか。」 「閣下!勝手な真似をしでかしておるのは彼奴あやつの方ですぞ!」


「カナタ君がルシア閥に接近したのではなく、ルシア閥が彼に引き寄せられているのかもしれん。イスカ、龍足大島の共同事業に御堂財閥も関与出来るよう、私が話をつける。それでいいのだね?」


実務に疎いカナタ君は、共同事業の話にはノータッチだろう。この件の首謀者は三本柱で最も経済観念に通じる雲水代表だな。繋がりは薄いとはいえ血縁者なのに、イスカを信用していないとは……


キーパーソンの当たりをつけた東雲は説得方法を考え始めた。


「叔父上に任せる。大枠だけまとまれば、後はグループから折衝役を派遣するつもりだ。」


「わかった。……まったく、何が叔父上なら造作もない事、だね。」


困難な交渉を請け負った東雲は、常備している胃薬を取り出した。


「こういう時に頼れるのは叔父上だけなのです。御堂製薬が開発した胃に優しい新薬があるのですが、御入り用かな?」


「私の為に開発させたとか言わないだろうね?」


「さてどうですか。そう言えば叔父上、分家から養子を取る話はどうなりました?」


「無用だよ。養子にせずとも分家の誰かが東雲家を継げばよい。」


「そう言わずに考えてみては如何か? 無論、叔父上の養子の後見人は私が務める。大恩ある亜父にその位の恩返しはさせて欲しいものだ。」


私は養子を取る訳にはいかない。家族を持てば、おまえを仇と恨む者が出来てしまう。亜父と慕う男の哀しい決意をイスカはまだ知らないでいた。


「イスカが同盟の頂点に立ち、世界を良き方向へと導いてくれ。それが私の望む全てだ。」


そう、それまでは死ねん。イスカが世界を導く指導者になる日までは……


東雲刑部にはその責任があった。彼だけが知る、彼だけの責任が。


「叔父上の願いは必ず叶えてみせよう。話は済んだ事ですし、市内の視察にでも出掛けましょうか。大丈夫、雅楽代うたしろ大佐には本日の予定は全てキャンセルだと伝えてあります。」


笑顔を浮かべたイスカは、困り顔の東雲の手を取って立ち上がらせる。


「やれやれ、ウタシロ君にも苦労をかけるな。……イスカと出掛けるのは久しぶりだね。」


元帥の娘は真実を知った時にどんな顔をするだろうか? 聡明な娘だが、頂点に立った時が、私との別れの時になるとは思っていまい……


東雲刑部とって大願成就の日とは、自分の命日なのである。頂点に立ったイスカが盤石の体制を築いた後に、アスラ元帥暗殺の真相を語ったビデオレターを送り、彼は自刃するつもりでいた。



自分を手にかければ、イスカの心の歯車が狂う。誰よりも深い愛情を彼女に注いできた彼には、それがわかっていたのだ。


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